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13-1



 いったい、この屋敷はどうなっているんだろう。


 大柄の男に促されてとある部屋に入ったシェイラは、初めて見る光景に唖然とした。


 シャンデリアにぶら下がって遊ぶゴースト。机のうえで飛び跳ねる猫のゴースト。本を片手に床に寝転ぶゴースト。


 ゴースト。ゴースト。ゴースト。


 部屋いっぱいに、ありとあらゆるゴーストがひしめき、ふわふわと自由気ままに交錯しあっている。その合間に青白い光が立ち込めているのは、あっちにもこっちにも蝶が飛び回っているからだ。


 そんなゴーストで満ち満ちた部屋の中心で、ひとりの男がシェイラを見て両手を広げた。


「はじめまして、シェイラ・クラーク! よく来てくれたね。君を歓迎するよ!」


妙な男。彼について形容する言葉は、それしか浮かばない。


顔を隠すためだろう。鼻から上は仮面で顔を覆っている。そのくせ笑みを浮かべた口元は親しさ全開で、彼がこの誘拐の首謀者であろうことをつい忘れてしまいそうになる。


「あなたは誰? あなたが私をここに呼んだの?」


「そうだよ。手荒な真似をしてすまないね。そこの男にも、よく言い聞かせておくよ」


ふたつめの質問にだけ答えて、仮面の男は握手を求めて手を掲げる。けど、そこでシェイラが後ろに手を縛られていることを思い出したのか、ひらりと手を振ってブランケットで覆ったひざの上に戻した。


足が悪いのだろうか。男は車椅子に座っている。


シェイラが攫われたときに運転席にいた男が車椅子を前に押し、からからと音を立てて仮面の男はシェイラに近づく。


 自然と身構えて全身を強張らせるシェイラに、仮面の男は大袈裟に肩をすくめた。


「そう怖がらないで。私は君を傷つけない。少なくとも今は、私は依頼人であり君の客だ」


「依頼……?」


 眉をひそめたシェイラに、仮面の男は強くうなずく。そして彼は、シェイラにしか見えないあまたのゴーストたちを背に、両手を大きく広げた。


「そう。依頼だよ、シェイラ・クラーク。君に教えてほしい。私の屋敷に住まう、あちらの世界の住人達について」






〝あなたの背に、悪しきゴーストの姿が見えます!〟


 仮面の男――おそらく、そのときは仮面をつけていなかっただろうが――は、ひと月ほど前に王立公園で占い師風の男にそのように告げられた。


〝あなたは今、恐ろしい災いの淵にいる。このままではあなたは成すすべもなく、深淵なる奈落の底へと捕らわれてしまうでしょう。そう、この護符がなければ!〟


 流暢にまくしたてるその男を適当にあしらい、仮面の男は護符を買わずにその場を離れた。口は達者だが男の言うことはどうにもうさん臭く、何より仮面の男は、過去にも何度かオカルト類の詐欺で痛い目にあったことがあった。


「しかし、私が屋敷に戻るとね、いくつか説明できないことが起きたんだ」


 なぜか妙に声を弾ませて、仮面の男は嬉しそうに続ける。


 誰もいないはずの部屋のなかからひそひそ話し声がする。重い扉がひとりでに開く。触れてもいないのに花瓶が勝手に落ちて割れる。


 極めつけに仮面の男は目撃する。


帰路につこうとしたとある夕刻。見慣れた屋敷。

その窓に、無数の青白い光が浮かんでいるのを。


「どうだい? すごく、わくわくするとは思わない?」


「なんでよ!?」


 思わず素で突っ込んだシェイラに、仮面の男は首を傾げる。


「あれ。ゴーストに造詣の深い、霊感令嬢の君なら、同意してくれると思ったのだけど」


「しないわよ! わくわくってね、普通の人はゴーストを相手にそんな反応は……」


 言いかけて、シェイラは口をつぐんだ。ほかならぬ、そうした〝普通の人〟との感覚のズレが面倒で、シェイラは社交界からひっこんだ。いわば、シェイラこそイレギュラー側の人間だ。


 けれども、そんなシェイラだって、ゴーストを前に目を輝かせる趣味はない。そのように彼女が戸惑っていると、ふいに男が小さく呟いた。


「なるほど、普通じゃない、か」


 仮面のせいで、表情はよく読み取れない。けれども、どこか自嘲めいた響きはその奥にある何かしらの感情をうかがわせ、シェイラは微かに眉を動かした。


 けれどもシェイラが何か聞くより先に、仮面の男はすぐに元のおちゃらけた調子を取り戻した。


「私はね、シェイラ・クラーク。昔からオカルトの類には目がないんだ。特にゴーストは好きだよ。すごくいい」


「ゴーストをそんな風にほめるひと、初めて見たわ」


「私に言わせれば、ゴーストを嫌がる気持ちがわからないね。だって、彼らも人間じゃないか。生きているか、死んでいるか。それだけの違いでしかない」


「そう……」


 そうかしら、と。言おうとして、シェイラは口をつぐんだ。


 男が言うことは間違ってはいないが、正しくもない。ゴーストは残滓だ。願いや悲しみ、恨みや悔いなど、死者が抱いていた何かしらの想いが核となり、この世に留まったものだ。生きていた頃のその人と完全にイコールかというと、そうではない。


 けれども、仮面の奥で目を輝かせる男を前にして、なぜかそのように告げることがためらわれたのだ。


 その間にも、男はイキイキとつづけた。


「人が死んだらおしまいだなんて、そのほうが味気ない。ゴーストは希望だよ。逝く者にとっても、残された者にとっても。私は彼らの来訪を歓迎するよ」


「歓迎、ねえ」


 半分呆れつつ、シェイラは部屋のあちこちで気ままに過ごすゴーストたちに視線をやった。この部屋に生者の2倍以上の数の死者が漂っていると告げても、仮面の男は同じようにへらへらと笑えるのだろうか。


「ねえねえ。それで、君の目にはどんなゴーストが見えるんだい?」


 シェイラの気遣いなどなんのその、仮面の男は楽しそうに身を乗り出す。やれやれと息を吐いてから、シェイラはざっと室内のゴーストを見渡した。


「――商人風の若い男のひとに、パン屋のおかみさんって感じの女のひと。わんぱく小僧な男の子に、気難しそうなおじいさん。編み物しているおばあさんとひざの上の白猫、読書好きのジェントルマン、あと小鳥。ざっとこんな感じよ」


「そんなにいるの!?」


「屋敷全体には、もっとたくさんのゴーストが居るわ。もともと閉じ込められていた部屋でも、ここに来るまでの廊下でも、たくさんのゴーストを見かけたもの。さながらここは、ゴースト屋敷ってところよ」


 どうだと言わんばかりに鼻を鳴らし、シェイラは試すように誘拐犯たちを見た。


シェイラを連れてきた大柄の男は無表情を貫いているが、仮面の男の後ろに控える男は気味が悪そうに顔をしかめている。当たり前だ。自分のいる場所がゴーストまみれだと知れば、大抵の人間はうすら寒い心地になる。


 そんななか、仮面の男はあんぐりと口を開けていた。


 さすがの彼も、衝撃が強すぎたのだろうか。そう思ってシェイラが見ていると、なんと仮面の男は頬を紅潮させて「すばらしいじゃないか!」と叫んだ。


「手間暇かけて、ゴースト好みに屋敷を整えた甲斐があったよ。彼らはちゃんと、私の屋敷を気に入ってくれたんだね」


 屋敷を、整えた?


 聞き捨てならない発言に、シェイラは首をかしげる。すると仮面の男は、車椅子の上で胸を張り、得意げにシェイラを見上げる。


「説明するより見てもらったほうが早いだろう。案内するよ。わが屋敷に来てくれたゴーストたちのことも、道中教えてくれると嬉しいな」


 そうして連れまわされた屋敷の中は、まさにゴースト屋敷という様相だった。


 行く部屋、行く部屋で必ずゴースト――それも1部屋5体は下らない――と出くわすためではない。そんなことは最早問題ですらない。


 最初に閉じ込められていた部屋もそうだが、廊下やほかの部屋、階段といったところまで埃を被り、ガラスというガラスにヒビが入り、荒れに荒れたこの屋敷は、まぎれもなく男が住まう屋敷だということだ。


 あまりの荒れ具合から、てっきり廃屋を一時的な隠れ家にしてシェイラを誘拐したのだと思ったのだが、そんなことはないらしい。


 だた、ここまでだったら「ただの荒れ放題な屋敷」と片付けられただろう。問題は、屋敷内にこれでもかと散りばめられた品々である。


「これは海の向こうの部族が降霊儀式で使う仮面だよ。あの世の番人の顔なんだって。意外と愛嬌あるよね」


「古い像だろ。あの世につながる扉を象っているらしくて、これ自体も恐れられていたんだ。生憎、ここからゴーストが出てくるところを、私はまだ見たことないな」


「ご覧よ! 島国の画家が描いたゴースト画さ。この恨み辛みの詰まったなんとも言えない表情といったら! 見ているだけでゾクゾクするね」


「こんなんばっかじゃない、あなたの屋敷!」


 もう何個目だかわからないオカルトコレクションを嬉々として見せる仮面の男に、いい加減うんざりしたシェイラは叫ぶ。ゴースト絵の女が浮かべる、悲哀と怨恨をたっぷり滲ませた鬱々とした表情に、辟易して目をそらした直後のことだった。


「全部でいくつあるのよ!? よく嫌にならないわね!?」


「んー。数えたことはないな。夢中で集めていたら、いつの間にかこんなになっちゃってね。たしかに夜中に見るとちょっぴり怖いものもあるけれど、それでゴーストのみんなが私の屋敷を気に入ってくれるなら少しも苦にはならないね」


「それで、それで」と男は待ちきれないようにシェイラの顔を覗き込んだ。


「この部屋には、どんなゴーストが見える?」


「……奥の窓のところに、体の弱そうな女の人がひとり。ソファにはティータイムを楽しむ老夫婦。鏡のなかでは剣の素振りをする甲冑の男の人。あと大きな犬ところころ戯れて遊ぶ女の子」


「子供もいるんだね。いくつぐらいの子かな」


「6歳くらいね。少し古い時代の子みたい。少し、服がそう見えるわ」


「近くに親御さんはいないのかな。最初にいっていた女の人は、関係がなさそう?」


「どうかしら。女の子は貴族の子っぽいけれど、女の人は侍女風の服を着ているし、無関係な気がするわ。お互いに気にしているそぶりもないもの」


「なるほどね。上々、上々!」


 シェイラの話を興味深げに聞いていた仮面の男は、満足したようにうなずいた。彼はシェイラがゴーストが現れたことを告げると、今のようにいくつか質問をしてゴーストの特徴を確かめるのが常であった。


「世の中にはかくも数多のゴーストがいるのだね。いやあ、うれしい驚きだ!」


 ほくほくと上機嫌に言うと、仮面の男は部下に車椅子を別のどこかへ向けるように指示を出す。その後ろを、大柄の男に見張られながら進みつつ、シェイラは考え込んだ。


 この様子だと、男がシェイラを攫わせた理由のひとつがゴースト探索であることは、まぎれもなく本当と見える。含みのある言い方をしていたから油断はならないし、そもそもなぜ普通に依頼せず誘拐をしたのかと疑問は尽きないが、彼がゴーストに掛ける情熱だけは認めざるを得ない。


 しかし、いくら仮面の男が物好きだとしても、単なるオカルト好きがここまでするだろうか。


 屋敷にしたって、仮面の男によれば、わざとこのように荒れさせたらしい。それもひとえに「ゴーストたちに心地よい空間にするため」。廃屋の雰囲気を出すためにわざと壊した家財もあるというから、最早趣味の域を超えている。


 ここまでくると一種の執着だ。ゴーストを自身の屋敷に――ひとつ屋根の下に招き入れたいという強い願望。もはや彼らと共に在ることを望んでいるとも見える。


だが、その執着はどこから生まれるのだろう。


「最後の部屋だよ、シェイラ・クラーク」


 ふいに呼びかけられ、シェイラは思考の淵から戻ってきた。瞬きをして改めて前を見れば、とある扉の前で仮面の男が両手を広げていた。


「色々と連れまわしてすまなかったね。ここが私のとびっきりだ。さあ、存分に見てくれたまえよ……」


 舞踏会に訪れたゲストをもてなすホストのような優雅さで、仮面の男が部屋のなかへとシェイラを誘う。


 導かれたシェイラは室内へ足を踏み入れ――そこで止まった。


 これまで訪れた部屋とは様相が異なる。若干の埃っぽさは否めないものの、ほかの部屋と違い敢えて壊されたものはなく、片付いている。代わりに目立つのは、成人用と子供用のドレス、それぞれを着せられた2体のトルソー。ほかにも、木馬や本、ヴァイオリンなどがつい先ほどまで使われていたように置いてある。


 主を失った部屋。とっさに、そのような言葉が頭に浮かぶ。


 なぜなら、そこには誰もいなかったから。


「どう? どうかな、この部屋は。どんなゴーストがいるかな?」


 仮面の下に満面の笑みを乗せ、男はシェイラに問いかける。その目は心なしか期待に弾んでいる。


仮面の男の視線を受け止めきれず、シェイラは慎重に答えを口にした。


「いないわ。ここには、誰も」


「え?」


 笑顔のまま、男は固まった。何を言っているのかわからないという顔だ。ややあって、男は自ら車椅子を動かしシェイラに近づきながら、頭を振った。


「いやいや。もっとよく見てくれたまえよ。まだ部屋に入ったばかりじゃないか。結構この部屋も広くてね。そうだ。奥にはクローゼットもある。ちゃんと中のほうまで見てもらえば」


「わかるのよ」


 ずきりとした胸の痛みを抱えながら、シェイラは強く答えた。


 屋敷全体にさざめくゴーストたちの気配が、この部屋にはない。満ちるのは風一つない夜の湖面のような静寂。壁に掛けられた時計と同じ、止まった時間だけだ。


 仮面の男はしばし、呆然としていた。まずシェイラを見て、それから部屋のなかをもう一度見た。そして仮面で覆われた額を押さえ、「ははっ」と乾いた笑いを漏らした。ただの落胆というには、あまりにも空虚な笑い声だった。


「そうか、そうなのか……。私が答えを急ぎすぎた。あの子たちにはまだ、この屋敷は快適ではなかったんだね」


「どうする」


 自分に言い聞かせるように独り言をつぶやく仮面の男に、大柄の男が淡々と問いかける。後ろを見ずとも、大柄の男がシェイラの背後にぴたりと寄り添うのを感じた。


 仮面の男はシェイラたちを確認することもなく、疲れを滲ませて答えた。


「元の部屋に連れていけ。最初の計画通りだ。〝彼〟にコンタクトする」


「ちょっと……! 待って!」


 ぐいと肩を引かれるのに抵抗しつつ、シェイラは去り行く車椅子の背中に叫ぶ。すると彼は、一度車椅子を止めさせて、背を見せたまま微かに振り返った。


「ありがとう、シェイラ・クラーク。君のおかげで、とても楽しい時間だった。しかし、生憎と私にはやるべきことが出来てしまった。また、語り合う時間を取らせてくれ」


 元の調子でにこやかにそれだけ言うと、話は終いだとばかりに仮面の男は前を向く。


 そこに拒絶の色を感じ取ったシェイラは、後に続けるべきかしばし躊躇する。けれども部屋を連れ出され、背後で扉が閉ざされようとした刹那、シェイラは思い切って口を開いた。


「本当は、誰を探してたんですか?」


 仮面の男の肩が、ぴくりと揺れる。


 新たなゴーストに出くわすたび、仮面の男はシェイラにゴーストたちの特徴を確かめていた。満遍なく興味を惹かれているようにみせて、しかし思い返してみれば、男の関心は2種類のゴーストに偏っていた。


「小さな女の子と、若い女の人。そういうゴーストがいるとき、あなたは特に熱心に、そのゴーストについて私に聞いていた」


 ラベンダー色のふわりとしたドレスと、寄り添うように着せられた小さな女の子用の レースをふんだんにあしらわれた愛らしいドレス。背後にある部屋に置かれていたのも、ちょうど男が関心を示したゴーストと、同じくらいの年頃にふさわしいものだ。


「教えて。あなたが会いたかったひとは、あなたが、探していたひとは……!」




「8年前の10月8日、オルレ街道で不幸な事故が起きた」




 カツンとヒールが地を打つ音に、その場にいた者はすべて同じ方向に顔を向けた。


「きっかけは、一頭の暴れ馬。観光用の馬車を引いていた馬が、留め具が外れ街道に放たれた。パニックに陥る人々に馬は興奮状態となり、街道を疾走……。結果、3台の車が絡む多重事故を引き起こし、特に被害の大きかった車から2名の死者がでた」


 誰もが目を瞠るなか、まるで舞台の真ん中を歩く役者のように、堂々とした足どりで彼女は進む。


 一際大きな音を奏でてから足を止め、腕を組みそこに佇むのは、拘束され部屋に残されていたはずの黒髪の女であった。


 皆の注目を浴びてなお、物ともしない豪胆さで一同を見渡すと、女は車椅子の男を見据えてこう言った。


「もしやと思ったけど、屋敷全体を見て確信したわ。夫人と娘を事故で亡くし、同じ事故で自らも深手を負い、隠居をした若き実業家がいた。その名をケイネス・クライスラーという。――あなたのことよね。誘拐犯さん?」



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