12-1
「いやはや! 本日もお見事でした。さすがは霊感令嬢シェイラさん、ですねえ」
晴れやかに伸びをして、エディがそのように声を弾ませる。その隣を歩くシェイラは、首を傾げて苦笑をした。
「お見事っていうか……結局ゴーストは関係なかったわけですし」
「それを一発で見抜いたということがお見事なんですよ」
長い前髪の下でにやりと笑って、エディはそう答えた。
――新しいゴーストネタを解明しに行きませんか。そうエディに誘われたのは、ほんの今朝のことだ。
エディによると、近頃、街の中央庭園で、怪しげな占い師が出るとのことだ。その者は庭園のあちこちに神出鬼没に現れ、道行くひとに声を掛け、タダで運勢を占ってまわっているという。
と、ここまで聞けばただの怪しい男で済むのだが、問題はそのあとである。無料なら……と誘いに乗った者は、ほぼ決まって「悪霊が憑りついている!」と占い師に告げられ、アレやらコレやらゴーストに纏わるとんでもない脅しをされるという。
その語り口がまた巧なもので、大抵の者は占い師の言葉に震え上がり、彼の勧める『御守り』とやらを買ってしまうそうだ。
今日シェイラたちが会ったのは、占い師に占いを受けたひとりだ。エディが懇意にしている酒場の主人であるという彼は、中央庭園を散歩しているときに占い師に声を掛けられ、やはり「恐ろしい悪霊に魅入られている」と宣告されたらしい。
主人は占い師の脅しをはねのけ、彼のすすめる御守りを購入せず帰宅した。けれども、その日以来、暗がりから誰かに覗かれているような感覚に苦しめられるようになった。
元気をなくした主人は、彼の異変に気付いたエディに事の顛末を打ち明けた。それで、シェイラが呼ばれたのである。
しかし。
「ご主人の周辺からゴーストの気配はしなかったですし、お店やご自宅も隈なく探しましたが、そんな気配はありませんでした。ご主人の言う『誰かの気配』というのも、屋根裏に住み着いちゃっていた野良猫だとわかりましたし……」
「よくある詐欺師の手口ですよ。対象を不安でゆすぶって判断力を奪い、金を巻き上げる。唯一見事と言えるのは、よほど口達者な詐欺師なのでしょう。みんな、すっかり自分は悪霊憑きだと思い込んでしまっている。あれは、単なる脅しというより洗脳ですね」
肩を竦めてエディが言う。その口ぶりは、最初からそうだと思っていたようだ。
「エディさんは、最初から占い師が詐欺師だと思っていたんですか?」
首を傾げてシェイラがそのように問えば、エディはのんびりと答えた。
「あたしですか? どうでしょうねえ。けど、そんなにひょいひょい悪霊が出てたまるか、とは思っていましたがねえ。とにかくシェイラさんのおかげで、ヤツが詐欺師である可能性が高くなったわけです。心置きなく、悪事を暴けるというものですよ」
エディによると、今後はエディのほうで色々と裏を取り、占い師を詐欺師と告発する形で記事を出すらしい。連載の『霊感令嬢の事件簿』に載せるのは、シェイラの安全を考え、晴れて占い師が憲兵隊のお縄になってからだそうだ。
……それにしても、と、シェイラは隣を歩くエディを見つめる。
闇市場に詐欺師。エディの持ってくる話は、表はちょっとしたゴースト騒動だが、詳しく中身を探れば犯罪がらみだ。
飄々としているようでいて、その先に隠れている真実は確実に見据えている。エディの中には、そういう底の見えなさが隠れている。ように、思える。
「なんです? あたしの顔、何かついていますかねえ」
シェイラが見上げていると、視線に気づいたエディがきょとんと首を傾げる。無害そうな仕草であるのに、やはりどこかうさん臭さがぬぐえない。
シェイラは目を細め、エディをじっと睨んだ。
「いえ。ただ、エディさんってほんと、何者なんだろうなあと思って」
「いきなりどうしたんですか。あたしはただの、しがない新聞記者ですよ」
「なーんか、それだけとは思えないんですよね。エディさん? 私になにか、隠し事していませんか?」
前に回り込んで、シェイラはぐいと身を乗り出してエディの顔を覗き込む。するとエディはなぜかびくりと肩を揺らし、ガードするように両手を胸の前でひらひらさせた。
「近いです! だめですよ、もう。こんなところ、万が一にも隊長に見られでもしたら、あたしは生きちゃいられないんですからね」
「生きてられないなんて、そんな大げさな」
きょろきょろと首を巡らせ周囲を警戒するエディに、シェイラは眉を下げる。けれどもエディは大真面目に「大袈裟なもんですか!」と否定した。
「ほんと言いますとね、あのひとはあたしとシェイラさんがふたりで出かけるのだって、良くは思っていないんですよ。あたしがシェイラさんを誘惑しているなんて思われた日には、あのひとがあたしをどんな目にあわせるか……」
両手で身体をかき抱いて、エディが顔を青くする。その仕草にシェイラは笑いそうになったが、ふと不機嫌そうに顔をしかめるラウルの姿が頭に浮かび、苦笑に変えた。
自他共に認める社交界きってのモテ男のくせに、ラウルは案外嫉妬深い。レイノルドのときだって、シェイラが接触するのをあれだけ嫌がっていたのだ。エディの想像もあながち間違っていないのかもしれない。
なんだか申し訳ない気持ちになって、シェイラは首を振った。
「大丈夫ですって。ラウルさん、今日は一日中詰所にいる予定だって、昨日食事の席で話していましたから。こんなところでばったり会うわけ……」
シェイラの言葉はそこで途切れた。シェイラの目がまん丸に見開かれていくのを見て、つられてエディが後ろを振り返る。続いて彼は「えっ」と声を漏らした。
そこにはラウル・オズボーンがいた。
いたと言っても、向こうはシェイラたちに気づいていない。いつもの通り憲兵隊の制服に身を包み、道行くひとびとの視線をひとり占めにして悠然と大通りを歩いている。
そこまではいいのだが。
「ラーウルっ。もう。もっとちゃんと、レディをエスコートしたらどう?」
「ったく。これでもなんとか時間作って出てきたんだぞ」
「ひっどーい、そんな言い方。私、今日会うの楽しみにしていたのにっ」
軽口をたたきながら、ラウルと共に大通りを歩く女がひとり。
長い髪は夜空のように漆黒で、対照的に肌を雪のように白い。目も鼻も口も大きなパーツが揃っていながら絶妙なバランスを保ち、華やかで愛らしい印象を紡ぎだす。
そんな非の打ちどころのない美女が、親しげにラウルに腕を絡めて歩いていた。
「おや。珍しい組み合わせで」
エディがぽつりとつぶやく。しかし、その声はシェイラの耳には届かなかった。なぜならシェイラの意識はこれっぽっちもエディに向けられていなかった。
「………だれ、ですか?」
去りゆく背中をまっすぐ見つめ、シェイラが握りしめた両手をふるふると震わせる。
異変に気付いたエディが、ぽかんと口を開く。予想もしなかった反応に呆気にとられたエディの視線の先で、シェイラが衝撃に叫んだ。
「だれですか、そのひと!?!?!」
「今日もですか?」
憲兵隊からの帰り際、恋人を訪ねてクラーク家の屋敷の戸を叩いたラウルは、応対した彼女の母に告げられた内容に小首をかしげる。
そんな彼にディアンヌが頰に手を当ててため息をついた。
「そうなんですの。あの子ったら、ちょっと前から急に『頭がいたい』って言いだして寝てしまって。ごめんなさいねえ。せっかくあの子を訪ねてきてくださったのに」
「いえ……。それより、シェイラは大丈夫なのですか? どこか悪いのだったら、いい医者を知っています。こう続くようなら、ちゃんと調べたほうが」
シェイラを案じ、ラウルは表情を険しくする。けれどもディアンヌのほうは気楽なもので、けらけらと笑いながら手を振った。
「その心配はありませんわ。しばらくしたらケロッとした顔で出てくるんですもの。ですけどね、どうもこの時間帯だけはダメみたいなんですの。数日前から。ピンポイントに。オズボーン様がいらっしゃる、このタイミングだけ」
クラーク夫人の明らかに含ませた物言いに、ラウルの眉がぴくりと動く。
しばしふたりに流れる沈黙。根負けしてそれを破ったのは、ラウルのほうだった。
「彼女に何かありましたか?」
するとディアンヌは、「待っていました!」と言わんばかりに赤い唇をにんまりとつりあげた。
「いやですわ。それは私のほうがお聞きしたいことですのに。オズボーン様ったら、どうしてシェイラに避けられているんですの」
「避けられ!? いや、彼女に避けられるようなことは何も。しかし、これは……」
改めて言葉にされるとショックだったのか、動揺もあらわにラウルは視線を彷徨わせる。
思い返せば変だったのだ。昨日までは執事のブラナーが応対して出てきたのだが、同じようにラウルが「シェイラは具合が悪いのか」と問えば、困ったようにあいまいにほほ笑むだけだった。
だが、困ったことに彼女に避けられる理由が皆目見当がつかない。
最後にシェイラと会ったのは、オズボーン家の夕食に彼女を招いた夜のこと。あの席で、シェイラが傷ついたり気分を害したりするようなことがあっただろうか。
否。あの夜は終始和やかな雰囲気であったし、シェイラ自身楽しそうに家族と言葉を交わしていた。あそこで何かあったとは考えづらい。
では帰りの車か。いや、それもどうだろう。彼女を送ったのはラウルだが、帰りの道もシェイラは嬉しそうににこにこ笑っていた。むしろ、家族との顔合わせが無事に済んだという安堵のためか、いつにもまして素直で愛らしかったことを覚えている。
……まさか別れ際のことか!
言い訳をするならば彼女が悪いのだ。想像してみてほしい。家のまえに車を止め、いよいよ別れとなったそのとき、いつもは照れ屋でめったに自分からアプローチをしてくれない恋人に必死で抱き着かれてみろ。それでも舞い上がらない男がいるだろうか。
断言しよう。そんな男、いるわけがない。
そもそも、あれでも自重したつもりだ。確かにいつもより情熱的に彼女を求めたかもしれない。だが切れてしまいそうになる理性の糸をどうにか手繰り寄せ、最後は紳士的に、あくまで誠実に、彼女を見送った。はず、だ。
だめだ、わからない。シェイラは何に腹を立て、自分を避けているのだろうか。
「オズボーン様。オズボーン様?」
考え事に夢中になりすぎてしまっていたらしい。ディアンヌに何度も名前を呼ばれ我に返ったラウルは、ディアンヌに詰め寄った。
「お義母上。お願いです、私を彼女の部屋に通しては……」
「駄目ですわ。だって本当に、頭痛がするのかもしれませんし」
にべもなく首を振られ、ラウルは「くっ」と声を詰まらせる。そんな彼を愉快そうに眺め、「それに」とディアンヌは笑みを深めた。
「オズボーン様には心当たりがなくても、あの子が何かを気にしているのは確かでしょう? だったら、私は母としてあの子の味方をしてあげなくては。オズボーン様は、オズボーン様ご自身で解決の手を考えてみてはいかが?」
実に耳の痛い、もっともなことを諭され、ラウルはそれ以上粘ることはできなかった。――たとえ、ディアンヌの発言の半分は、この状況を面白がってのことだとしてもだ。
何か誤解があるならすぐにでも解きたいが、生憎、先日の騒動でお縄となった闇市場の関係者たちの取り調べで予定が詰まっている。しばらくは、行き帰りにこうして顔を出す以外では、なかなか彼女と会う時間は取れないだろう。
この調子では、シェイラの機嫌をなおすのにどれほどかかることだろう。
……いや。何かに拗ねているだとか、かわいい類のことであればいい。もっと重篤な、ラウルの想像の範疇を超える重大なすれ違いが起きているのだとしたら。
車の扉に手をかけていたラウルは、その体勢のまま、すがるようにもう一度ディアンヌを振り返る。だが、返ってきたのはにっこりと張り付いた笑みだけだった。
ラウルは肩を落とし、クラーク家の屋敷を――シェイラの部屋だと思われる窓を見上げる。それから彼は、後ろ髪をひかれる思いで車へと乗りこんだのだった。