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ラウル・オズボーンの父、ショーン・オズボーンは剣豪である。
逞しい体躯に古代の戦士を思わせる鋭い眼差し。繰り出される剣は豪傑としかいいようのない重さで、ただ一振りで対峙するものを震え上がらせること請け合いである。
そんな彼は、王国の北部国境を守る北方警備隊、その総司令を務めている。
であるからして、王都にあるオズボーン家の屋敷にショーンとその妻ミシェルは住んでいない。彼らは普段、北方隊総司令用にあてがわれた地方屋敷にいる。そのためシェイラはプロポーズを受けた後もラウルの両親となかなか顔を合わせられずにいた。
だからと言ってはなんだが、シェイラは油断をしていた。けれども覚悟というのは、否が応にも決めなければならない時が来るようで。
「どうしよう〜〜。緊張する……」
肩を縮め、そのように身震いしたのはもちろんシェイラだ。ちなみに彼女が身に纏うのは、清楚な白いワンピース。これなら万人受けするから大丈夫!という母のお墨付きで選んだ一枚である。
「そんなに身構えなくても大丈夫だ。ただ同じ席について、一緒に飯を食おうってだけなんだから」
そう苦笑するのは、運転席に座るラウルだ。一度家に帰って身支度をしたい。そう主張して帰宅したシェイラを、改めて車で迎えにきてくれたのである。
「前にも言った通り、うちの両親は俺とお前の結婚に前向きだ。こうして会うことになった以上、お前が心配するようなことは何もないさ。……それに、」
道を渡る歩行者のためにブレーキを踏んでから、ラウルがシェイラに手を伸ばす。そうしてシェイラの頬に口付けてから、彼は優しく微笑んだ。
「この俺が、お前を選んだんだ。お前はただ、堂々と胸を張ればいい」
「……そ、うは言いますけど」
微かに赤く染まった頬を片手で覆い、シェイラは再び車を走らせるラウルを横目でにらむ。そうやって、彼の甘い声に流されてしまいそうな自分を必死に戒めたのである。
「いくら肯定的に考えてくださっていても、お会いするのは初めてですもの。……いいですよね、ラウルさんは。うちの家族ともすっかり顔馴染みですし。ていうか、ラウルさんの性格じゃ、最初から緊張なんてしませんか」
「馬鹿言え。俺だって、プロポーズに失敗しかけたときはお義父上とお義母上に認めてもらうのに必死だったんだぞ。それに、……お前の兄さん。あの人に認めてもらうのは、まだ少し時間が掛かりそうだ」
「兄さんって、キース兄さんのことですよね? そんな風に思います?」
「気づいてなかったのか? さっき屋敷の前で顔を合わせたとき、ものすごく何かいいたげな顔で俺を睨んでいたぞ。ま、大事な妹が朝帰りさせられたんだ。当然か」
そのときのことを思い出したのか、ラウルは小さく吹きだして肩を揺らす。反対にシェイラは、助手席ですっかり慌てて恐縮した。
「す、すみません! あのひと、私のことになるとたまに過保護になっちゃって」
「それだけお前のことを可愛がっているってことだろ。俺も努力して、ちゃんと理解してもらわなけりゃならない。俺がお前を、本気で愛しているってことをな」
そう言ってラウルは、キザに華麗に、ばちりとウィンクを決める。そのあまりに鮮やかにキマッた仕草にシェイラが二の句を継げずにいると、ちょうどオズボーン家の屋敷へ到着した。
慣れた様子で車を止め、先にラウルが車を軽やかに降りる。それから彼は、恐々と屋敷を見上げているシェイラに手を差し出した。
「行こう、シェイラ。大丈夫。俺がそばにいるよ」
「……はい!」
少し迷ってから、シェイラは思い切ってその手を取り、勢いよく車から飛び降りたのだった。
無駄ひとつない鮮やかな手つきで、目の前のグラスに液体が注がれる。緊張して背筋を伸ばすシェイラが軽く頭を下げると、給仕はにこりと微笑み返し、また別のグラスにワインを注ぐために移動をしていった。
ここはオズボーン家の食卓で、テーブルについているのは全部で7名だ。
まずシェイラの左隣だが、そこには言わずと知れたラウルが座っている。寛いだ様子で注いでもらったばかりのグラスを揺らし、ワインの香りを確かめている。
反対の右隣に並ぶのは、王城で文官を勤めるラウルの次兄ブランとその妻メリルだ。ふたりはラウルと同じ屋敷に住んでいるため、シェイラとも面識がある。今朝だって、うっかり泊まってしまったことを恐縮して何度も頭を下げたシェイラに、笑って手を振ってくれたばかりだ。
彼らの正面には長兄のジェイクが座る。近衛隊の一員である彼は王城の敷地内にある屋敷のひとつを貸し与えられており、妻キャーリサと子を連れてそこで暮らしている。今日はキャーリサが身重であるため、ジェイクひとりの参加である。
ジェイクの隣、ちょうどシェイラの正面にいるのが、ラウルの母ミシェルだ。ラウルは彼女に似たのだろう。そう思わせる顔の造りをしているが、纏う空気はまるで異なる。ラウルがあでやかに咲く大輪の薔薇なら、彼女は月夜に静かに揺れる白き百合。静謐という言葉こそが似合う、内側からにじみ出る気品漂う夫人だ。
そしてミシェル夫人の隣に座る人物こそ、北部総司令にしてラウルの父、ショーン・オズボーンそのひとである。
(やっぱり……世界がまるで違うひとたちなんだなあ)
笑顔が引き攣ってしまわないよう注意しつつ、シェイラはそんな風に内心天を仰ぐ。
王国の軍事の支柱のひとりと、現王の妹君。そのふたりから生まれ、それぞれに才能を開花させたサラブレットな子供たち。……こういうと全くもって冗談のような顔ぶれなのだが、これこそがオズボーン家なのだ。
「シェイラさんは、ワインはお好き?」
ふと、正面のミシェル夫人がにこりと微笑んでそのように問う。その笑顔の柔らかさに見惚れてしまいそうになりながら、シェイラは慌てて頷いた。
「はい。あまり強くはないので嗜む程度ですが、飲むのは好きです」
「よかったわ。一緒に楽しめたらと思って、北部のワインを持ってきたの。今夜出すのは、すべてそうなのよ。お口に合うといいのだけれど」
「あ、ありがとうございます! 大切に味わいます!」
思わず力強くそう答えると、夫人がぱちくりと瞬きをした。そして、一瞬遅れてころころと笑い出した。
「あ、あの……?」
「ああ、いえ。ごめんなさい。素直で可愛らしいお嬢さんだと思って、つい」
くすくすと未だ小さく笑いをこぼしながら、夫人がそのように答える。どうやら彼女は、笑い上戸であるらしい。そのとなりでオズボーン氏がこほんと咳払いをすると、大きな手で器用にグラスをつまみ上げた。
「それでは改めて。シェイラ・クラーク嬢。今夜はどうぞ気を楽にして、存分に料理を楽しんでいってください。では、乾杯!」
こうして始まった会食は、つつがなく進行された。
会話の主導は、主にミシェル夫人が取った。恐らく彼女は、とんでもない聞き出し上手なのだろう。穏やかに、ほがらかに投げかけられる質問に軽く答えていたら、気づけばシェイラはラウルとのなれそめのほぼ全てを彼らに語ってしまっていた。
「ラウルのゴースト嫌いがなかったら、こんなふうにふたりが急接近することはなかったのかもしれないわね。ゴーストも、たまにはいい事をしてくれるのね」
両指を絡めて、ミシェル夫人が嬉しそうに言う。その横で、長兄ジェイクが感心したように腕を組んだ。
「しっかし、ラウル。お前のゴースト嫌い、一向に治らないな」
「あ・の・な。元はといえば、兄上たちのせいで俺は」
「まあまあ。昔のことはさておき、ね?」
口元に浮かべた笑みをぴくりと引き攣らせたラウルを、すかさず次兄ブランがなだめる。先ほどから繰り広げられている会話から伺えるに、どうやら彼が、この三兄弟のバランサーという役回りにいるらしい。
そんな夫の役割を知ってか知らずか、彼の妻メリルも身を乗り出して話題をそれとなく変える。
「けれども、不思議ですよね。シェイラさんに触れているときだけ、ラウルさんもちゃんとゴーストが見えるなんて」
「たしかに、都合がいいと言えばそうだな。もしかしてお前、シェイラさんを落とすためにそんな言い訳で手を繋いだわけじゃないだろうな」
「んなわけあるか! 生憎だが、俺は女を落とすと決めたときには小細工なしに行く。兄上と違って肝が据わっているからな」
「ほうほう。まあ確かに一理ある。けど、そのせいでスマートさの欠片もないプロポーズをしちまったんだろ。案外可愛げがあるよな、お前も」
「………へえ?」
「まあまあ、ふたりとも」
ふたたび笑顔でバチバチと火花を散らし始めたふたりを、すかさずブランがなだめる。本日何度めかの光景にシェイラがぱちくりと瞬きをしていると、ショーンが口元をナプキンで拭ってから溜息をついた。
「ジェイク。ひさしぶりだからと、ラウルをからかって遊ぶのはやめなさい。それとラウル。お前もわかりやすい挑発に乗るな。シェイラさんも、あんまりお前たちが幼稚だから呆れているだろう」
「あ、いや。シェイラ、これは……」
普段の調子で兄に乗せられてしまったのだろう。シェイラの存在を思い出したらしいラウルが、気まずそうにシェイラに視線を移す。困ったように眉尻を下げた横顔は、心なしかいつもより幼い。
そんな彼に、ついついシェイラの口元も緩んでしまう。くすくすと笑みを漏らしてから、シェイラは笑顔で恋人を見上げた。
「なんだか、レアなラウルさんが見れて嬉しいです。ラウルさんでも、こんな風に兄弟喧嘩するんですね」
「……あまり、こういう面は見せたくなかったんだがな」
「いいじゃないですか。私、好きですよ。そういうラウルさんの顔」
シェイラの言葉にラウルが目を軽く瞠り、続いてちょっぴり不満そうに顔をしかめた。だが、その頬は照れのためか微かに赤く染まっており、まったくもって迫力に欠けている。
そんな末息子の様に、ミシェル夫人が小さく吹きだした。
「シェイラさんにかかればラウルも形無しなのね。それによかった。シェイラさんも、やっと肩の力が抜けたみたい」
「え?」
「本当ですね。とても自然な、素敵な笑顔を浮かべていますもの」
きょとんとするシェイラに、メリルも後を続ける。言われてみれば、席に着いたときには感じていたガチガチの緊張は、いつの間にかどこかへ飛んで行ってしまっている。
そんな自分にシェイラが驚いていると、ジェイクが弟そっくりの得意げな笑顔で身を乗り出す。
「俺のおかげだろう?」
「……さあ? どうだかね」
絶対に認めたくないらしいラウルが、ツンと横を向く。その仕草がまたおかしく、シェイラの頬はふたたび緩んでしまうのだった。