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9-4



 シェイラは困惑していた。


 ことの発端は、ラウルの部下、ユアンがクラーク家を訪ねてきたことだ。見回りの一環として憲兵隊がクラーク家に寄るのはこれまでもあったが、ユアン個人が来るというのは珍しい。


 しかも彼は既に日も落ちた遅い時間だというのに、これから憲兵隊の詰所まで来てほしいとシェイラを車に乗せたのである。


「あの……ユアンさん? どうしたんですか?」


 突然大声を出したユアンにどぎまぎとしつつ、シェイラは隣でハンドルを握る彼に控えめに声を掛けた。


 中性的な美しい外見をした彼であるが、見た目通りの物静かで上品な男、というわけでないのはこの短い付き合いでわかっている。とはいえ前後の脈略もなく、それも独り言で誰かを罵るという奇行を目の前にすれば、さすがに戸惑いもする。


 するとユアンは、答えるかわりにすっと息を吸った。続いて自らを落ち着かせようとするように長く深く息を吐きだした彼は、毒づいたときから一転、隙のない副隊長としての顔で眼鏡をくいと押し上げた。


「失礼。夜分遅くにすみません。この御礼はご用意しますので」


「あ、いえ。それは別に、いいんですけど」


 慌てて首を振りつつ、シェイラは探るようにユアンを見る。そんな彼女にハンドルを握るユアンもちらりと視線を向け、「実は」と口を開いた。


「うちのバカ隊長が限界寸前でして。本当に倒れる前に、シェイラさんのお力を拝借できないかと」


「隊長が!?」


 シェイラは仰天し、胸をざわつかせた。彼とはつい二日前、クラーク家の屋敷で顔を合わせたばかりだ。それなのに。


 動揺したシェイラは思わず助手席から身を乗り出した。


「隊長は大丈夫なんですか? どこか体を壊してしまったんですか? それとも、まさかひどい怪我をしてしまったとかじゃ……」


「落ち着いてください、『寸前』と言ったでしょう。あんなでも無事は無事ですよ」


「す、すみません」


 取り乱したことを恥じて、シェイラは助手席で身を縮こまらせる。そんなシェイラに気にするなと首を振ってから、ユアンは先を続ける。


「あのひとがゴースト嫌いなのを、シェイラさんはご存知ですよね。その理由もラウルから聞いていますか?」


「はい。前に、隊長に教えてもらいました」


「話が早くて助かります」


 微笑みをシェイラに向けてから、彼は再び視線を前に戻した。


「今回の事件にシュタット城が絡んでいるのがよくないんでしょう。ラウルのトラウマを刺激してしまったらしいんです。表面上は平気を装っていましたが、見た感じ、そろそろ限界ですね」


「そんな……」


 シェイラは瞳を揺らし、それから視線を伏せた。


「顔色がよくないなとは、思ったんです。けど、隊長がそんなに苦しんでいたなんて」


 そのとき、真っ先に浮かんだのは苦い後悔だった。


 ラウルが止めるから引き下がってしまったが、やはり自分もカトリーヌの捜索に加わるべきだったんじゃないだろうか。そうすれば、ラウルがこんなにも追い詰められる前に事件を解決できていたんじゃないだろうか、と。


 しかし、シェイラはすぐに首を振った。


 ゴースト憑きといっても相手は生身の人間、そして憲兵隊は捜査のプロだ。しかもシェイラには及ばないといえ、ラウルも勘でゴーストを探知することができる。必要なカードはきちんと揃っていると言えるだろう。


 それでも見つからないのだから、シェイラひとりが加わっていたところでカトリーヌを見つけられたかというと、非常にあやしい。というか、さすがにそれは思い上がりと言うものだ。


 しかし、だとしたら。


「私に、出来ることってなんでしょうか」


 知らずうちに指に力を込めてしまったのか、スカートにしわが寄る。それをなんとなしに眺めながら、シェイラはきゅっと唇を噛んだ。


「隊長は私をカトリーヌさんの捜索には加えてくれないだろうし、私もそこを無理に言うつもりはありません。けど、ひとより『勘』が強いのが私の取り得なんです。……ラウルさんが苦しんでいるのに、何も出来ないのは歯がゆいです」


 意外そうに目を瞠って、ユアンがシェイラを見つめる。ややあって彼は眼鏡の奥で優しく目を細めた。


「ラウルはもっと、あなたという女性を知るべきですね」


「え?」


「ありますよ。シェイラさんにしかできないこと」


 あっけらかんと言うと、ユアンは軽く肩をすくめた。


「さっき力を拝借したいと言いましたが、あれは『勘』のことではありません。ああ、いや。そこを期待していないわけじゃありませんが」


「ほかに何かあるんですか?」


「ええ。まあ、いわばお節介です。……今、私に話してくださったことや、報せを聞いて思ったこと。それらの素直な気持ちを、あいつに聞かせてやってください」


 シェイラはぱちくりと瞬きをした。そんな簡単なことで、ラウルを元気づけることが出来るのだろうか。そう疑問に思う彼女だったが、ユアンは尚も続ける。


「だいたい、あいつは虚勢を張りすぎなんですよ。シェイラさんはゴースト嫌いの事情を知ってるんですから、今更怖いのを隠す必要もない。それなのに、変な意地を張るから自分の首を締めることになるんです」


「ゆ、ユアンさん?」


「大抵のことは、気力と努力で乗り越えるのがラウルの強みであり、化け物な部分です。それは認めましょう。しかし、少しは甘えってものを覚えたっていいじゃないですか。あそこまで行くとマゾヒストですよ、マゾヒスト!」


「はあ」


 積もり積もったうっぷんのためか、ユアンが苛々と小刻みに指でハンドルを叩く。それにシェイラが気圧されていると、ふとユアンが肩の力を抜き、元のやさしげな微笑にもどった。


「何が言いたいかといえば、シェイラさんはラウルの弱点を知っていて、かつ彼が弱音を吐ける貴重な相手なんです。そこを存分に利用させていただきたく、お連れしたんですよ」


 なんと答えるべきか、シェイラは逡巡した。シェイラがラウルのゴースト嫌いを知ったのは、王立劇場の怪人を一緒に探すという特殊な状況にあったからだ。あのように隠しきれない事態に陥らなかったら、ラウルがシェイラに打ち明けることはなかっただろう。


 しかしシェイラがそれを口にしても、ユアンは確信めいた様子を崩しはしなかった。


「だとしてもです。きっかけは偶然だったかもしれない。けど、それで終わらなかった。ラウルは本能的にあなたを信頼し、気を許したんです。じゃなかったら、あの男は自分の弱点についてアレもコレもぺらぺら話はしませんよ」


「そういうものですか?」


「そういう男なんです」


 面倒くさくてすみません、と。まるで自分のことのように、ユアンはそのように続けた。


“初めてなんだ。俺の弱いところを知られても嫌じゃない……そういうところも含めて、もっと知ってもらいたいと思える。そんな女は、君だけだ”


 以前彼に告げられた、まっすぐな言葉が耳に蘇る。


 貴族界の異端児にして、天賦の才に恵まれた非の打ち所のない完璧な男。深く彼を知らないときはシェイラもラウルをそのように思っていたし、おそらく、多くの人が同様の印象を持っているだろう。

 

 けれども近づけば近づくほど、彼はシェイラに様々な顔を見せる。


 ゴーストについて話すときの心底嫌そうな顔。甘く包みこむような、それでいてまっすぐな愛情のこもった瞳。ちょいちょい覗く、意外にも嫉妬深い一面。


 それらが、シェイラがラウルの「特別」となれた――彼がシェイラを心から信頼している証だとしたら、これほどに光栄なことはない。


 いいや。光栄、などという言葉ではそぐわない。

 月並みな台詞を借りるならば、少女として、恋人として、どうしようもなく嬉しかった。


「……ありがとうございます、ユアンさん。『勘』だけじゃなくて、それ以外の方法で隊長を元気づけられるよう、私、隊長とお話ししてみます」


 まっすぐにユアンを見つめて宣言するシェイラは、――密かに、胸の中で決意を固めた。


 シェイラの気持ちが固まるまで待つ。そう言ってくれたラウルの優しさに甘えて、ここまでずるずると来てしまった。けど、それももうおしまいにしよう。


 彼の手を取り、まっすぐ目を見て、照れずに告げるのだ。


 ラウルのことが大好きで、大切だ。彼はシェイラのことを「初めての女」と言ってくれたが、シェイラにとっての彼もそうだ。誰もが知る彼の顔も、シェイラだけが知る彼の顔も、何もかもが胸を打ち、愛おしい。


 シェイラの、最初にして最後の恋。

 そのすべてを、彼に捧げると約束するんだ。


 ――そんなシェイラの胸中を、ユアンは知る由もない。けれども、黙り込んだシェイラの様子に何かを感じ取ったのか、彼はふっと笑みを漏らし、前に視線を戻した。


「その角を曲がれば、憲兵隊の詰所です。この時間ともなれば、夜勤の者以外はほとんどいませんが……」


 ユアンの言葉が途中で途切れる。道を曲がった先で、尋常ならざる光景が広がっていたためだ。


 同じくしてシェイラも目を見開いた。その目の前を、青白い蝶が横切った。


「シェイラさん、これは……!」


 ユアンが車を路肩に寄せ、少し離れた場所に停める。そうして道に降り立ったふたりは、目の前の光景を唖然と見上げた。


 ――憲兵隊詰所は、街の中でも比較的古い建築物だ。無骨にそびえる石造りの建物の前には、正義を司る女神の石像が構えており、法と掟の象徴として来るものを毅然と迎えてくれる。


 その女神像を含めて、白くぼんやりと輝く茨のようなものが、憲兵隊詰所にびっしりと絡みついている。さらに――これはシェイラにしか見えないが――茨の周りは無数の青白い蝶が舞い踊っている。


 さながら古いおとぎ話に登場する魔王城のような様相を帯びた詰所の上には、分厚い雲に覆われた空が重々しく広がっていた。


 やられた、と。シェイラは胸の前で固く手を握りしめた。

 新月を迎えるより先に、『彼女』は行動を起こしたのだ。


「います」


 ぞわぞわと背筋を這い巡る嫌な予感。とっさに頭に浮かんだのは、建物の中のどこかにいるはずのラウルの笑顔だった。


「カトリーヌさん、そしてエリーゼ姫が、この建物の中に……!」




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