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9-2



「シェイラさんが無事で、本当によかった。いやもう、本当によかったですよ」


 応接に通された後、エディはそればかりを繰り返した。始めは申し訳なく思ったシェイラも5回目くらいからさすがに聞き飽きて、つい唇を尖らせてしまう。


「エディさんが心配してたのは、隊長に叱られるからでしょ」


「叱られるなんてもんじゃありませんよ。あなたがレイノルドさんを追って消えたと聞いたときの、隊長の殺気ときたら。ああ、恐ろしい。あたしはね、あの夜一度死んだ心地がしましたよ」


 ぶるりと肩を抱いたエディは、珍しく本当に青ざめている。


(……ま、私も隊長に、たっぷり絞られたんだけどね)


 帰りの車内でお説教を食らったことを思い出し、シェイラはそっと目をそらす。シュタット城のゴースト相手に油断をしたのは間違いないため言い訳は出来ないが、それでも延々と叱られるのはなかなかに堪える時間だった。


 シェイラとエディ、それぞれがそれぞれの理由で、どんよりと俯く。ややあってエディは一度首を振ると、気を取り直したように荷物に手を伸ばした。


「ところで、おかげさまで記事の評判は上々です。それで……こちらが今回の謝礼金と、個人的な御礼です」


 彼が差し出したのは、封筒と包装された菓子箱だった。複雑な表情で、シェイラはそれを受け取る。一応、封筒の中を確認した彼女は、「うっ」と息を呑んだ。


「あの……本当に、こんなにいただいていいんですか?」


「前にも言った通り、謝礼金としてその金額は相場です。むしろ、今回のゴーストの危険度を考えたらもう少し上乗せすべきなぐらいですよ。……と、いうわけで、個人的に焼菓子をご用意した次第でして」


 長い前髪の奥で、エディがにっこりと微笑む。まったく引っ込めるつもりのない彼に負けて、シェイラはありがたく封筒と菓子折りとを受け取った。


 ――シュタット城のいわく品を巡る一連の騒動を、エディは記事にまとめた。といっても、エディは何もかも洗いざらいに、世の中に伝えたわけではない。


 盗品を扱う闇市場に関わるいくつかの商会が摘発されたこと。オークションに出展予定だった盗品に、強力なゴーストが憑りついていたこと。霊感令嬢がゴーストの存在に気づき、偶然にも事態が発覚したのだということ。


 そして件の盗品を身に着けたまま、令嬢がひとり行方不明となっていること。


 それは物事の順番にほんの少しの嘘を交えているにもかかわらず、疑問を抱く余地を与えないほど「真実」として淡々とつづられた記事だった。


 おかげでレイノルド、シェイラ、カトリーヌと、知る人が見れば御大層な役者がそろっているにもかかわらず、センセーショナルなスキャンダルとして世間に騒ぎ立てられるような事態にはなっていない。


 といって、人々の記事への関心が低いかというと、全くもってそんなことはなかった。


「実はこちらをシェイラさんに見ていただこうというのもあって、本日は参りました」


 エディが鞄の中から、紐で結わえた手紙の束を取り出す。ざっと10枚ほどあるそれらにシェイラが戸惑っていると、エディは軽く肩を竦めた。


「いえね。すべて『目撃』情報です。カトリーヌさんの」


「カトリーヌさんの……!?」


 思わず目の色を変えて、シェイラは受け取った手紙を開き、中を確かめる。だが、眺めるエディはあまり関心がなさそうである。口をへの字にして、彼は首を傾げた。


「あまり期待はできませんよ。記事を読んで不安になるのか、単なるいたずらなのか。オカルトを取り上げた記事を出すと必ずといっていいほど『私も見た』との声が届くのです。が、ほんとか嘘かわかったもんじゃありません」


 そういうエディはもちろんのこと、これらの手紙に目を通しているはずだ。その彼がこの様子ということは、あまりめぼしい情報はなかったのだろう。とはいえ、せっかくなのでシェイラも手紙に目を通してみることにした。


 怪しい影を見た。声が聞こえる気がする。寒気。気分が悪い


 たしかに、有益な情報とは思えない。怖い話を見聞きしたあとでなんとなく暗がりを怖く思ってしまうのは、だれしも経験があることだろう。手紙に書かれている『目撃』情報のほとんどが、その域を出ない内容だった。


 けれども、最後の一枚までめくったとき、シェイラはその手を止めた。


「ああ。そちらですか」


シェイラの手元にちらりと視線をやって、エディは言った。


「めぼしいものがあるとしたら……やはり、その一枚ですよねえ」


 ――空が雲に覆われた夜、ひとりの女が大通りを歩いていた。女の体はほのかに白く輝いて見えた。奇妙に思ったそのとき、風で雲が払われ、三日月が夜空に浮かび上がった。月に気を取られた目撃者が通りに視線を戻したとき、女の姿は煙のように消えていた。


 それらを読んだとき真っ先にシェイラの頭に浮かんだのは、以前ラウルから聞かされた幼い日の思い出話だった。


「匿名で直接わが社のポストに入れられていたため、差出人が誰かはわかりません。ですが、手紙が届けられたのは昨日。文章の中に『三日月』とありますから、差出人が女を見たのはこの数日の間と言えるでしょう。……ま、本当ならの話ですがね」


「たぶん、本当のことだと思います」


 シェイラの言葉に、エディが小首を傾げる。一拍おいて「なぜそう思ったんで?」と彼は問い返した。


「ここです」とシェイラは一文を指さした。


「月が雲に隠れたとき、女の人は姿を見せています。けど月が現れると、彼女は姿を消してしまったとあります」


「……ええと。つまり?」


「月ですよ! 『新月の夜は、西の塔には近づいてはいけない。哀れな魂を呼び起こしてしまうから』。それが、シュタット城のゴーストに関する言い伝えなんです」


「ほうほう?」


 関心を引かれたらしいエディが身を乗り出す。


「エリーゼ姫のゴーストは月の光を嫌う。だから姿を隠していると」


「そうです。ああ、もう。私、なんでこんな大事なことを忘れていたんだろ。もし、それが本当だったら……」


「次の新月はたしか3日後。その日、カトリーヌさんがこの街のどこかに姿を見せる可能性がとても高い。そういうわけですね」


 にっと唇を吊り上げて、エディは立ち上がった。


「お嬢さんが思っている以上に、これは大発見ですよ。とりあえず、あたしは3日後の夜、憲兵隊のパトロールに同行させていただくとして……。ああ、いけない。それより先に、憲兵隊にもこのことを教えてあげなければいけませんね」


「安心しろ。その手間は、今省けた」


 ふいに響いた声に、シェイラとエディは同時に部屋の入口に顔を向けた。すると、いつの間にか扉は開け放たれ、もたれるようにしてラウル・オズボーンの姿があった。


「ラ、……!」


「隊長?」


 跳ねるように立ち上がったシェイラと、呆気にとられた顔をするエディ。そんなふたりをもう一度一瞥してから、ラウルは室内へと入ってきた。


「驚きましたよ……。いつからそこにいらしたんで?」


「少し前だ。言っておくが勝手にはいったわけじゃない。本当は顔を見せるつもりはなかったんだが、ブラナーにお前が来ていると教えてもらったんでな。……んで、」


「いっ?」


 ずいと身を乗り出したラウルに、エディがたじたじと身をのけぞらす。両手を掲げて顔を引きつらせるエディに、ラウルは圧のある笑みを向けた。


「いい度胸だなあ、エディ? 彼女と会うときは俺を同席させろと前に言ったはずだが、俺の記憶違いだったか?」


「いやあ、これはですね。お忙しい隊長のお手を煩わせちゃいけないと、あたしなりの配慮でして……」


「ほお?」


 赤い瞳を嗜虐的に光らせ、ラウルがエディを見据える。だが、エディが冷や汗を垂らすのを見届けると、「まあ、いい」と彼は体を引いた。そして、ふいにシェイラへと顔を向けた。


 赤い瞳が自分を映した途端、シェイラの脳裏に今朝見た夢が――甘く強請る彼の姿が、フラッシュバックした。


(……なっ)


 ぽんと頬をほてらせ、シェイラは慌てて目を逸らす。けれども、一度上がった心拍数はなかなか簡単に下がってくれない。


 何か言わなきゃ。そう思うのだが、なかなか口にすべき言葉が見つからない。そうこうしているうちに、気づいたときには目の前にラウルが立っていた。


「今日も何も問題なく、だな」


「あ……はい」


「よかった。安心した」


 柔らかく目を細め、ラウルが微笑む。


その優しさに、じわりとシェイラの胸が温かいもので満ちる。けれども、礼を言おうと顔を上げたシェイラは、彼の目の下にうっすらとクマが出来ていることに気づいた。


(隊長……やっぱり、疲れているんだ)


 よく見れば、顔色もあまりよくない。だがシェイラの心配をよそに、ラウルは部屋を後にしようと足を入り口に向けた。


「君の無事を確認しにきたんだが、会えてよかった。俺は隊に戻るよ。――新月の夜に向け、巡回の手は増やす。もちろん万が一に備え、この屋敷の周りの警戒も強化する。だから君は安心してここにいてくれ」


「待ってください」


 思わずシェイラが呼び止めると、足を止めたラウルが意外そうな顔で振り向く。そんな彼に駆け寄ると、シェイラはまっすぐに彼を見上げた。


「私も、何か手伝わせてください!」


「シェイラ……」


 ラウルが目を見開く。だが、彼が何か答えるより先に、シェイラはさらに言い募った。


「新月の夜だけでも構いません。その日はきっと、エリーゼ姫の気配が強くなります。私と隊長、ふたりで探せばきっと手がかりが……」


「ダメだ」


 強い口調で遮られ、シェイラは言葉を飲み込んだ。意志の強い、決して譲るつもりのない赤い瞳が、じっと彼女を見据えていた。


「カトリーヌは君を敵視している。もしかしたら、またシェイラを狙うかもしれない。――言ったはずだ。シュタット城のゴーストは危険だ。恋人としても、民の命を預かる憲兵隊としても、お前をこれ以上深入りさせるつもりはない」


「けど……っ」


「シェイラ」


 ラウルがゆっくりと首を振る。たったそれだけだったが、これ以上の交渉の余地はないと、シェイラに悟らせるには十分だった。


 シェイラが項垂れ、下を向く。そんな彼女の頭に、ぽんと大きな手のひらが乗せられた。


「心配するな」と、ラウルは笑った。


「じきにすべて片付くさ。そしたら、お前の好きなケーキでも食いに行こう」


 くしゃりと髪を撫でてから、ラウルの手が離れる。今度こそ彼は、後ろでにひらりと手を振りながら部屋を出て行ってしまった。


 胸が締め付けられる心地がして、シェイラはそれを紛らわすように、両手を胸の前で強く握った。そんな彼女を見かねたのか、エディがそっと声を掛ける。


「大丈夫ですよ。あのひとはタフです。そして、あたしの知る限り、捜査の勘はピカイチです。すぐにカトリーヌさんを見つけて、すべて丸く収まりますよ」


「そうだと、いいんですが……」


 半分は単なる相槌として、半分は願いを込めて、シェイラはそのように答えた。


 ラウルは決して逃げ出さない。剣を手に、民を庇い、どんな相手にでも立ち向かうのが彼と言う男だ。王立劇場の一件で、シェイラはそのことをよく理解している。


 だが、今回はいくらなんでも相手が悪い。もともと超がつくほどのゴースト嫌いなうえ、幼き日にトラウマを植え付けた元凶との対峙を余儀なくされているのだ。


 彼が無理をしていないと、どうして言い切ることが出来るだろう。事実、シェイラを助けに来てくれたラウルは、カトリーヌたちが姿を消したあと憔悴しきっていた。


「力に、なりたい」


 きゅっと眉をしかめて、シェイラは声を絞り出した。


「それだけなのに」


 それが独り言であることをちゃんとわかっているのだろう。エディは細い指でぽりぽりと己の頬を掻くと、なんとなく窓の外に視線を移した。


 ちょうど、ラウルを乗せていると思われる憲兵隊の車が一台、クラーク家の前から走り去っていく。それを目で追いながら、彼は小首を傾げる。


「……愛ゆえに。なんて、わけですかねえ」


 誰に向けるでもなく、エディはそのように呟いたのだった。



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