表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/63

8-3




「楽しそうでいいですね」


 大広間をぬけたところで、後ろからユアンに呼びかけられる。その声に若干の嫌味が混じっていることを認識しつつ、ラウルは唇を吊り上げて振り返った。


「何のことだ?」


「わかっているでしょう。シェイラさん、困っていましたよ」


「可愛いだろ? あいつはひどく照れ屋なんだ」


「それを眺めて喜ぶなんて、あなたは思春期のガキですか」


「なんて言われようがやめるつもりはないぞ。いまは大事な局面だからな」


 ラウルは上機嫌に答えるが、ユアンは変な表情を浮かべる。それから彼は、探るように首を傾げた。


「もしかしてそれは、『彼女をオトす』、策の話ですか?」


「当たり前だ。他に何がある」


 澄まして肩を竦めれば、ユアンはますます変な顔をした。そこにははっきりと、「いい加減、さっさと奪ってしまえばいいものを」と書いてある。


 正直なところ、ラウルもたまに、そのように思う。


 まだ落ちていないのなら、ドロドロに甘やかして手に入れればいい。ユアンにそのようにアドバイスをもらってからというものの、ラウルは周到に、それを実践してきた。


 もちろんシェイラに告げた言葉は全て本心だ。彼女を愛おしいと思う気持ちや、大事にしたいと願う心。彼はただ、それらを真摯に囁き続け、彼女の心が自分に傾くのを待ち続けたのである。


 簡単なようでいて、これはなかなかに根気が必要だ。いや、シェイラを愛でるのはこの上なく楽しい。いくらでもそうしていられる自信がある。だが我慢を強いられるのだ。


 先ほどだってそう。惜しみない愛を彼女に捧ぐラウルだが、こうと決めた一線は越えない。それはひとえに、彼女の心を尊重したいがためだ。


 けれどもあのような――すっかり預け切った笑顔で「一緒に来れてよかった」などと言われてしまうと、さすがの彼も、己の課したルールを破ってしまいたくなる。


 それでも、どうにか彼が踏みとどまっているのは。


「待ちたいんだ、俺が」


 そう言って、ラウルは小さく笑みを漏らす。その穏やかな横顔に、隣に並ぶユアンが驚いて目を瞠った。


「きっと今の彼女なら、俺が強く言えば受け入れてくれるだろう。……だが、それじゃ意味がない。幸い、この我慢大会ももうすぐ終わりそうだしな」


「なんていうか」


 呆れた、いや、いっそのこと同情に近い色を浮かべて、ユアンは友を見た。


「愛が深いというか、いっそのことマゾヒストの気でもあるのかと疑いますね」


「かもな」


 にっと笑ってから、ラウルは注意深く付け加えた。


「シェイラには言うなよ。これでも必死に、余裕の仮面を被ってきたんだ」


「言いませんよ。私もそこまで意地悪じゃない」


 と、そこでふたりはとある扉の前に到着する。


 入り口の前には顔なじみの護衛がいる。といっても、彼も今夜の趣向に合わせて仮面をつけている。白い仮面をつけた男が身じろぎもせず仁王立ちする姿は、ある種、滑稽とも言えた。


 周囲にほかの客人の姿はない。それを確認してから、ふたりは仮面を外す。続いて決まりにのっとり、胸に拳を当てて名乗りを挙げた。


「憲兵隊第二部隊、隊長。ラウル・オズボーンだ」 


「同じく憲兵隊第二部隊、副長。ユアン・ブリチャードです。命を受け、オズボーン隊長を連れてまいりました」


「ご苦労さまです」


 にこりともせず、護衛は扉を開けてくれる。……実に愛想のない男だとラウルは思ったが、それは今に始まった話じゃない。むしろ彼の主人が誰かを思えば、寡黙で忠実、かつ腕の立つ彼のような男こそ重宝されるだろう。


 ユアンを残しラウルだけが部屋に入ると、中にいた『彼』は嬉しそうに視線をよこした。


「待っていたよ、兄さん」


 さらさらとした金色の髪に、ラウルと同じく美しいルビー色の瞳。人形のように整った面立ちにはまだ幼さも残り、まさに美少年といった風貌だ。


 再会を祝うように、彼はラウルに手を伸ばす。それに軽く肩を竦めてから、ラウルは一応、身分差を踏まえて頭を垂れた。


「お呼び立て仕り光栄です、殿下。今宵もたいそう麗しく……」


「あのさ。そこは『凛々しく』って言って欲しいんだけど」


「失礼、間違えました。たいそう愛らしく……」


「ラウル兄さん?」


 くいと眉を上げて、男は冗談混じりにラウルを睨む。


 くつくつと笑ってから、ラウルは「冗談だ」と口調を崩した。


「元気そうだな、ルイ」


「兄さんこそ。会えてうれしいよ」


 そう言って彼――この国の第一王子ルイは、にこりと微笑んだのだった。







 ラウル・オズボーンとルイ王子の関係は、従兄弟である。にもかかわらず、昔からルイ王子はラウルのことを「兄さん」と呼んでいた。


 ふたりは10歳も離れており、ルイが物心ついたときに既にラウルは剣術の天才として名声を浴びていた。


幼い王子にとってラウルは、物語に出てくる伝説の騎士にでも見えたのだろう。気が付けばすっかり懐かれていて、ラウルが城に上がると必ず、その後ろをちょこちょことルイがついて回ったものだ。


 ルイがラウルを「兄さん」と呼ぶのは、そのときの名残である。


「んで? 社交界デビューもまだのお前が、こんなところで何している。バレたら王妃様にこっぴどく叱られるぞ」


 ルイの向かいに座ったラウルは、長い脚を組んで弟分を眺めた。もちろんここでは、仮面を外したままだ。


 王子は両手を広げて、肩を竦めてみせた。


「だからこうして表には顔を出さず、兄さんに部屋まで来てもらったんじゃない。本当は仮面舞踏会だし、こっそり紛れちゃおうかと思ったんだ。けど、ダンが許してくれなくて」


「そりゃ、あいつが許すわけないだろ」


 外に立つ護衛の男を思い出し、ラウルは口をへの字にした。彼は忠実だが、融通が利く男ではない。


 だが、そうまでしてルイ王子が、ラウルに接触を図ったということは。


「……『カラス』でも飛んだか?」


「さすがだね、兄さん。その通りだよ」


 ラウルと同じ赤い目を丸くして笑ってから、ルイは懐から1枚の紙切れを取り出した。


「セントルグランのカラスだよ。昨日渡りがあったんだ」


 『カラス』というのは、王家が持つ非公式の情報網――つまりはスパイだ。その存在は秘匿され、一部の者が知る。組織という大層なものではなく、あくまで個人として王国全土に紛れており、カラスであっても他のカラスの情報は知らない。そういう者たちだ。


 ルイ王子は齢14歳という若さだが、すでに己のカラスを抱えている。それは彼の並外れた頭脳、物事の真理を鋭く見抜く明晰さを父である現王に買われているが故である。


「セントルグラン、か。あそこは滅多に問題も起きないが……」


 言いながらラウルは、受け取った紙きれに視線を落とす。だが、続いて彼は盛大に。そこに、懐かしくも忌々しい名前が記されていたからだ。


「――シュタット城か」


 そこは忘れもしない、思い出の古城。かつて「ルグランの悲劇」の舞台となった有名な古城であり、かつ幼い日のラウルが悪霊に憑りつかれた、トラウマともいえる城である。


 『カラス』からの手紙には、そのシュタット城の財産が不正に持ち出されたとあった。実行犯と思われるのは城を管理する家につい最近雇われた男であり、事態が発覚する直前に姿をくらましているという。


「ここ数年、地方貴族が管理する古城から財産が盗まれ、闇オークションで取引される被害が続出している。今回のケースも、そのひとつだと思う。問題は……」


「シュタット城から持ち出された財品のなかに、ルグランの悲劇に関するものも含まれている、か。なるほど。カラスが飛んだのは、これが理由か」


 シュタット城は、いわくつきの品が多く眠ることでも有名だ。それらはもちろんのことルグランの悲劇関連のものたちだ。


 まず代表的なのは、舞台『ルグランの悲恋歌』のもととなった悲劇の恋人たち、エリーゼ姫と騎士ロックフェルトが生前に身に着けていたドレスや宝石、武具などだ。ほかにも、彼らの死後、城を襲った怪奇現象にまつわる物たち――たとえば血の染みがくっきり浮かび上がったカーペットなどがある。


 実はこれらの品は、かつて一度だけ、大々的に公開されたことがある。いまから80年ほど前のことだ。


 シュタット城は地方貴族のオーグナー家が持ち主であり、代々受け継いで管理をしている。風光明媚な土地にある歴史的価値の高い古城とあって、多くの画家を唸らせるシュタット城だが、いかんせん古いために管理費もバカにならない。


 金銭のやりくりに頭を抱えた管理人は、なるべく手間暇かけず、うまいことシュタット城に眠る品々を金に換える方法はないかと知恵を巡らせた。そして思いついたのが、いわくつきの品々の公開である。


 彼は城の一角にそういった『コレクション』を集め、金をとって公開した。これが思いのほか当たった。いつの時代もオカルト好きの人間というのはいるもので、平民から貴族まで、様々な人間がこれを見ようと王国のあちこちから駆け付けた。


 オーグナー氏ははじめご満悦だった。だが、そのうち、『コレクション』を見た人々から妙な苦情が寄せられるようになった。


 品々を前にしたとたん、激しい頭痛に襲われた。原因不明の耳鳴りに悩まされている。あれ以来、寒気がひどい。誰かに常に見られている気がする。


 そういった声が日増しに膨れ上がったために、ついに気味悪く思ったオーグナー氏は、泣く泣く『コレクション』の公開を取りやめた。それ以来、シュタット城のいわく品たちが、今日まで話題に上ることはなかった。


「オカルトマニアのひとたちにとって、シュタット城の品々はとても魅力的だろうね。80年前の一件のあと非公開にされてきたし、闇市場に出回ったらとんでもない金額でやりとりされると思う」


「そうだな。だからこそ、いわく品が持ち出されたことは公にされていないんだろう。知れ渡れば我先にコレクターたちが買い占め、大事に抱えこむからな」


 ラウルが手紙を返すと、王子は懐から取り出したマッチを擦り、紙に火を付けた。卓上の容器のなかでそれが灰になるのを眺めながら、ルイは「どう思う?」と切り出した。


「僕は今がチャンスだと思う。きっと裏で糸を引いている組織は、問題が公になりコレクションの価値が跳ね上がるまで、闇オークションへの出品はしないはず。コレクションの在り処さえ突き止められれば、犯罪組織を摘発できるよ」


「言う通りだ。だが、どうやって突き止める。セントルグランの憲兵隊がこの件を把握し捜査を始めているかは不明だが、十中八九、足取りを追うのは簡単じゃない。ことが明るみになる前にコレクションの在り処を押さえるのは……」


 そこでラウルは、言葉を飲み込んだ。まじまじと目の前の王子を見てから、彼は赤い双眼を細めた。


「――ルイ。カラスが飛んだのは、一羽じゃないな?」


 ルイ王子が答えない。困ったように微笑むだけだ。それは昔から、何か答えられない事柄があるときに彼が見せる表情だった。


 なるほど、そういうことかと。息を吐いて、ラウルは足を組んだ。


 エディから女のゴーストについて聞かされたとき。つい最近、ラウルは別の場所で、同じような話を――白い影の幻覚にまつわる報告を受けた気がしていた。


 だが、それは誤りだった。この世の者ならざる、白き女の幻影。つい最近それを口にしたのは、ほかでもないラウル自身だった。

  

 ラウルがこめかみに手を当てるのと同時に、ルイが身を乗り出した。


「兄さんは昔、シュタット城で白い女のゴーストを見たんだよね。そのシュタット城からルグランの悲劇に関わる品々が盗まれ、今度はこの王都で、白い女のゴーストが目撃されている。こんな偶然、あるのかな」


「シェイラをこの件に関わらせたのは、お前の案か?」


 つい低くなった声に、ルイは申し訳なさそうに眉を下げた。


「そうではないけど、今はシェイラさんの力が必要だと思っている。兄さんには悪いけど、ゴースト騒ぎの裏にいち早く犯罪の匂いを嗅ぎとって、シェイラさんを引き入れてくれた優秀なカラスに、僕は感謝をしているよ」


「まさに動物的勘だ。いや。仕事で培った嗅覚か」


〝あたしも、もう少ししらべる必要がありまして〟


 うさん臭い笑みを浮かべてそのように話した記者のことを思い、ラウルは嘆息した。これは一杯食わされた。そう思わないでもなかったが、不思議と腹は立たなかった。


「カラスにはもともと、色んな商会の動向を探ってもらっていたんだ。闇オークションを摘発するためには、そこに出入りしている商会のしっぽを捕まえるのが一番だもの。結果、彼はミラー商会が怪しいと目をつけていたみたい」


「なるほど。だからゴースト騒ぎに、商会の裏の顔に通じる何かが隠れているんじゃないかと、勘が働いた。……もう一羽のカラスの情報と合わせれば、その勘はどうやら外れていなかったようだな」


「シェイラさんに協力をお願いすることを、許してくれる?」


 まっすぐにラウルの目を見つめて、ルイが問いかける。


――これが弟分から兄貴分への個人的なお願いなどではなく、王子から憲兵隊第二部隊長への正式な指令であることを、ラウルは理解した。それでも彼は返事に窮した。


 捜査に関して言えば、シェイラを頼るのは良策だ。彼女の力はすでに王立劇場の一件で証明されている。シェイラなら必ずゴーストの本質を暴き、それが憑りついた盗品の在り処にもたどり着くだろう。


 だがレイノルド・ミラーはシェイラの幼馴染であり、彼女と交流のあった数少ないひとりだ。そのうえシェイラは、一方的な婚約破棄をしてきたレイノルド・ミラーをそこまで恨んでもいない。


 そんな彼女に、ミラー商会を告発する一助を担わせるのは酷だ。王国を守る者として甘い判断であるのは認める。たとえそうだとしても、守り抜くと誓った女がみすみす傷つくのを、このまま黙って見過ごすことは。


 悩んだのち、ラウルは内心で首を振った。そして、魅惑の鬼隊長の呼び名に恥じぬ、凛とした強い眼差しで王子を射抜いた。


「――殿下。私は……」


 けれども、その言葉は最後まで続かなかった。


 まるで頭から氷水を被せられたように、ゾッとするほどの冷気が背筋を駆け巡る。ラウルが体を硬直させた直後、大地が唸り、ズンッと足下から突き上げられた。


「うわっ!?」


「伏せろ!」


 目を丸くするルイをソファの上に押し倒し、ラウルはその上に被さる。ほぼ同時に、頭上に下がる小ぶりのシャンデリアの一部がはじけ、細かいガラス片となってふたりに降り注いだ。


 バラバラと破片が床に散らばるのを目の端でとらえながら、ラウルは冷静に状況を見極めようとする。だが、背筋をはい回るような嫌な悪寒は、相変わらず消えてはくれない。


 これはゴーストの気配だ。そう確信したとたん、ラウルの瞼の裏には記者のもとに置いてきた彼女の姿が浮かんだ。


「殿下!」


「隊長、無事ですか!?」


「王子はご無事だ。ユアン、俺のあとに続け!」


 部屋に飛び込んできた護衛にルイを任せ、ラウルは素早く立ち上がる。そこで壁際に飾られた鎧が持つ剣に目が留まり、彼は躊躇なくそれを手に取った。鍛えられてはいない、所詮は装飾用の剣に過ぎないが、無いよりはましだろう。


 ラウルは足早に、ユアンを伴って大広間に戻る。すると、舞踏会の会場はひどい有様だった。


 あちこちでパニックに陥ったパーティの参加者たちが、この場を抜け出そうと右往左往している。みれば、シャンデリアや窓、グラスといったありとあらゆるガラスが砕け、破片が飛び散っていた。


 後ろでユアンも戸惑いの声を上げる。


「隊長、いったいこれは……」


「エディ!」


 ラウルは求める人物の背中を見つけ、荒々しく肩に手を置いてこちらを向かせた。何かを探すようにきょろきょろと首を巡らせていたエディだったが、目の前に鬼隊長の顔面が迫ると、ひくりと口元を引き攣らせた。


「おかえりなさい、隊長。いえ、ね。まったく、えらいことになりまして……」


「シェイラはどこだ」


 遮ってラウルが畳みかければ、エディはうっと声を詰まらせる。嫌な予感がむくむくと膨れ上がるなか、ラウルはもう一度「シェイラはどこに行った、エディ?」と繰り返した。


「わからないんです」


 自らに死刑宣告を下すかのように、沈痛な面持ちでエディは答えた。




「すみません、隊長。シェイラさんはレイノルド・ミラーを追って、どこかへ消えてしまったんです!」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ