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8-1



 数日が流れ、週末のこと――。




 数年ぶりに袖を通したドレスを身に纏って、シェイラは自宅で、ラウルが迎えに来るのを待っていた。


「シェイラちゃん、やっぱりそのドレス似合うわねえ。とても素敵よ」


 ほわほわと笑顔でほめてくれるのは、やはりというかクリスティーヌだ。ちなみにシェイラの髪は緩やかなハーフアップで美しくまとめられているのだが、それを施してくれたのは手先の器用なクリスティーヌである。


 嬉しそうに微笑む――もっとも、クリスティーヌの顔から笑みが消えることは滅多にないのだが――兄嫁とは対極に、シェイラの表情は晴れない。彼女は不安げに、何度も鏡のまえでくるくると全身を確認していた。


「そうかな。ちょっと……派手じゃない?」


「そんなことないわよ。オズボーン様も、きっと喜んでくださるわ」


 そう兄嫁に太鼓判を押されても、シェイラの眉は八の字のままだ。


 シェイラが身に纏っているのは、ラウルに事前に宣言していた通り、ローズレッドに金糸の刺繍の入ったドレスだ。


 シルエットはシンプルながらも、シェイラの体のラインの美しさをそのままに生かしており、ぐっと女らしさを高めてくれている。やや大胆に開いた胸元といい、ドレスに合わせてつけている黒レースの手袋といい、全体的に大人っぽく魅力的に仕上がっている。


 と、このように、兄嫁がシェイラを褒めるのは、まったくもって大袈裟ではないのである。では、なにをシェイラが気にしているかと言うと。


「なんていうか……気合を、ものすごく感じない?」


「あら、そこがいいんじゃない!」


 ちょうど部屋に入ってきた母が、ぱっと顔を輝かせながら近づいてくる。そして、パシンッと景気良くシェイラの背中を張った。


「いっ……!?」


「ほれ、しゃんとしなさい!」


 びくんと反射的に背筋を伸ばしたシェイラの両肩に手を置いて、ディアンヌはニマニマと嬉しそうに鏡を覗き込んだ。


「女の子を輝かせるのは自信よ、シェイラ。胸を張って堂々と微笑んでいたら、外からの評価なんていくらでも付いてくるの。まずはあなたが、自分を誇りなさい!」


「う、うん」


 勢いに押されてシェイラが頷くと、母は満足そうに唇を吊り上げた。


 そういえば数年前、このドレスを仕立てたときも同じだった。シェイラははじめ、色もデザインももっと無難に抑えようとした。けれどもディアンヌが「こっちのほうが似合うわよ!」とアレコレ猛プッシュし、ドレスの仕立て屋もノリノリで応じた結果、いまのデザインに落ち着いたのだ。


 自分が着こなせているかはさておき、シェイラもドレス自体は気に入っている。


 けれども。


(……隊長に引かれないかな)


 不安に眉を八の字にして、シェイラはぐっと胸の前で手を握りしめる。


 シェイラにとっては大事だが、社交界の人気者であるラウルは今夜のような舞踏会は慣れたものだ。あまりシェイラが気合を入れた様子だと、彼に呆れられてしまうかもしれない。


 それになにより、どんなに身につけているものがゴージャスでも、中身は所詮中流貴族の小娘。ドレスを着こなすどころか、ドレス負けをしている気がする。


 せめて小物だけでも、もう少し地味なものに変えようか。そのようにシェイラが逡巡していたときだった。


 執事のブラナーがシェイラに来客を知らせる。相手は、もちろんのことラウルだ。シェイラはどぎまぎとしつつ、やむを得ず玄関へと向かった。


 そして目が点になった。


 自分のことばかりに気を取られていたが、当然ながら、ラウルも舞踏会用の正装に身を包んでいる。これがまた、おそろしく似合うのだ。


 おそらく、あらかじめ聞いていたシェイラのドレスのテイストに合わせたのだろう。彼が纏うのは全体的にシックな色合いの、上品な衣装だ。


 ひと際目を引くのは、胸元にさりげなく輝く深紅の宝石飾り。――彼の瞳の色そのものだが、宝石を選んだ理由がおそらく別のところにあるのは、さすがのシェイラでもわかる。ラウルがしつこくドレスの色を確認したのは、このためだったのだ。


 だが、なにより特筆すべきは、それらがすべて彼――ラウル・オズボーンの魅力を引き出す小道具に過ぎないということだ。


 シェイラを待つその男は、まぎれもない社交界いちの色男。女たちの目を惹きつけてやまない、魅惑の鬼隊長そのひとだった。


 あのとなりに自分が並ぶのか。その事実にシェイラは一瞬で気圧された。


 ラウルが気づいていないことをいいことに、シェイラは素早く物陰に飛び込む。そして、しゃがみこんで頭を抱えた。


(ムリ。ムリムリムリムリ、ぜったいにムリ!!)


 あれぞ本物の社交界の貴公子だ。ちょいと片足を突っ込んでみたに過ぎない自分とは比べ物にならない。もしも隣に並んだのなら、そのあまりのチグハグさ具合に彼に恥をかかせることになるだろう。


 なんで、オズボーン様があんな娘と。


 そんな風に、あちこちから陰口を囁かれる未来を予感し、シェイラがひとり震え上がったときだった。


「なにしてるんだ」


「ひゃっ!?」


 頭の上から降ってきた声に顔を上げれば、なんとラウルがそこにいた。彼は訝しげに眉根を寄せて、シェイラを見下ろしている。


「顔を見せたと思ったら引っ込んで。と言って、離れていくわけでもないし……」


 どうやらこちらに一切注意を払っていないように見えて、ラウルにはシェイラの動向が筒抜けだったらしい。さすがは鬼神隊のトップである。


 と、そこでラウルが、言葉を飲み込んだ。怪訝そうだった表情は驚きの色に染まり、シェイラの頭のてっぺんから爪の先まで、じっと見つめている。


 シェイラは慌てた。


 似合わなかったのだろうか。派手すぎたのだろうか。やはり、ドレス負けをしているのだろうか……。


「……ちっ、ちょっとだけ待っててください! すぐに着替えてきますから!」


「待て、待て。なんでそうなる」


 ぱっと立ち上がって身を翻したシェイラを、ラウルがすかさず捕まえる。恐る恐る振り返れば、ラウルは愛おしげな目をして優しく微笑んでいた。


「お前に見惚れていただけだ。――とても素敵だ、シェイラ。今夜、俺がお前をエスコートする役で嬉しいよ」


 パチクリと瞬きをしたシェイラは、続いて安堵に胸を撫で下ろした。少なくともラウルに、ガッカリされずに済んだらしい。


 そうなると、今度はジワジワと嬉しさが滲んでくる。シェイラはホッと肩の力を抜き――沸き起こる感情そのままに、頬を染めて嘆息した。


「よかった」


「っ!」


 シェイラは気付かなかったが、飾り気のない純粋な笑みを前にしたラウルが、ぐっと息を飲んだ。端的に言えば、ドキリと胸を射抜かれたのである。


 彼は動揺を押し隠すように息を吐くと、心底悔しそうに呟いた。


「……ああ、クソ。王宮からの招待状でなければ、出席をキャンセルして家に連れ帰ってやったのに」


「隊長? いま何か言いました?」


「いーや。独り言だ」


 肩を竦めて、ラウルが苦笑する。


 首を傾げるシェイラに、あらためて彼は手を差し出した。


「手を出して、マイ・ディア。俺から、決して離れるなよ」







 そうして、シェイラたちを乗せたオズボーン家の車は、仮面舞踏会の催される王宮へと到着した。


 運転手が宮殿の入り口の前に付けると、ドアマンが外から扉を開く。車を降りたシェイラは、目の前に広がる煌びやかな光景に目を奪われた。


(すごい……)


 緩やかで豪奢な階段を、美しく着飾った客人たちが手を取り合って上っている。客人たちはシェイラたちと同じく既に顔の上半分を仮面で覆っていて、誰が誰だかわからない。そんな特殊な環境にあるためか、客人たちはどこか浮足だって見えた。


「金持ちの余興のひとつだ。そう身構えるもんじゃない」


 シェイラの緊張を見越してか、白い仮面の奥でふっと目を細めて、ラウルがシェイラの腰に手を回した。


「今夜限りは王族も貴族も関係ない。つまり、ある意味で無礼講というわけだ」


「けど集まっているのは、ほんの一握りの名家ばかりなんですよね? 何か失礼があったら、大問題になるんじゃ……」


「大丈夫だ。さっきも言ったように、出席者たちは身分素性を隠している。たとえ王族だろうと特別扱いはなしだ。それに、王や王妃まで仮面をつけて紛れ込んでいるような場所だぞ。ちょっとやそっとのことじゃ、誰も騒ぎを起こさないさ」


なるほど、とシェイラは頷いた。相手の顔が見えないからこそ、却って気を使うこともあるらしい。


 と、そこでシェイラは重大なことに気づいた。


「どうしましょう、隊長。仮面で顔を隠しているレイノルドを、どうやって探せばいいんでしょう!」


 今夜の目的は、レイノルドに憑いているという女の霊のことを探ることだ。肝心の元婚約者を見つけることができなければ何も始まらない。だが長い付き合いとはいえ、顔の半分を覆った彼を見つけられる自信はシェイラにはない。


 レイノルドの話題に変わると、ラウルは嫌いな虫の羽音でも耳にしたかのようにぴくりと口元を動かす。けれども気を取り直すように首を振ると、「そっちも大丈夫だ」と断言した。


「となりにいる人間が誰かよく考えてみろ。顔の半分が隠れていようが、出ている部分や髪型、背格好から特定は可能だ。問題は広い会場のどこに奴がいるかだが……まあ、メインとなるダンスホールを張っていれば、そのうち出くわすだろう」


 ラウルが用意してくれた黒い仮面の奥で、シェイラは素直に驚いて目を丸くした。


「隊長って、ほんと何でもできるんですね」


「捜査に関しちゃな」


 誇るでも謙遜するでもなくラウルが頷く。それくらい彼には、なんてこともないのだろう。


 と、そのようにシェイラが感心していると、ふいに彼は遠い目をした。


「それにエディが持ってきた話が本当なら、自然と奴を見つけられるだろう。……もっとも、そのとき俺は半分意識を飛ばしているかもしれないけどな」


「……手、ちゃんと繋いでおきましょうね?」


「頼む」


 いくらか青ざめた顔で、ラウルがぎゅっとシェイラの手を握る。しばらくゴーストに遭遇していなかったので忘れていたが、ラウルはちっともゴースト嫌いを克服していないのである。


 早速ゴーストへの苦手意識がふつふつと膨れ上がっている鬼神隊の鬼隊長は置いておくとして、とにもかくにも舞台は整った。


 果たして、元婚約者レイノルド・ミラーに、女のゴーストは憑りついているのだろうか。


 その謎を解くべく、シェイラはラウルに手を引かれ、豪奢な光が漏れ出す宮殿へと足を踏み出したのだった。




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