7-3
「やってくれたな」
軽やかに階段を降りる背中に声を掛けると、一瞬の間があってから、「なんのことでしょう?」とエディがにこやかに振り返った。実に白々しい笑みだった。
一応は家の主人として見送りにきていたラウルは、腕を組んで扉にもたれたまま溜息を吐く。
「レイノルド・ミラーの調査のことだ。お前が初めに声を掛けた連載コラム、あれを今日受けようが断ろうが、奴のことだけはシェイラに調べさせるつもりだったろう」
「さあて、どうでしょう」
答えをはぐらかしはしたが、目深に被った帽子の下でエディは薄く微笑む。それを受けて、エディに向けるラウルの視線もより冷ややかなものとなる。
さきほどのエディは、手際が良すぎた。ふと思い立って話し始めたにしては、霊感令嬢に疑いの目がかかるかもしれないなど、彼女が看過できない――つまり、話を受けざるを得ないような材料がしっかり用意されていたのは奇妙千万である。
つくづく、この男は食えない。そのように思って見降ろしていると、エディも「隊長のほうこそ、あたしは驚きましたよ」と人差し指をラウルに向けた。
「こちらとしては願ってもないことですがね? レイノルドさんの調査、まさか隊長にもご同行いただけるなんて。ていうか、ちょいと介入の仕方が大人げないんじゃありません?」
「何を言っている。感謝されこそすれ、文句を言われるいわれはないぞ」
ふん、と鼻を鳴らして、ラウルは胸を張った。
肝心のゴーストの調査方法だが、これが揉めに揉めた。現状、クラーク家とミラー家は断交状態だ。顔を合わせる機会があるとすれば先日のような偶然か、両者が招かれたパーティなどですれ違うくらいだ。
それにしたって、そもそもシェイラはこれまでほとんど社交の場に顔を出してこなかった。ホスト側だって細心の注意を払ってゲストを呼ぶわけだから、まかり間違ってつい最近婚約破棄をしたふたりが同じパーティに呼ばれる可能性は極めて低い。
そこでラウルが手を挙げたのだ。ならば、ちょうどいい招待状が届いていると。
「毎年、年の瀬に宮廷で催される仮面舞踏会だ。あれには、新興貴族の代表としてシオン家にも声が掛かっているし、カトリーヌも社交デビューのあとは毎年出席していた。余興とはいえ、仮面舞踏会はホストが王家だ。体調にもよるだろうが、カトリーヌが姿を見せる可能性は高い。あの男をエスコート役に伴ってな」
仮面舞踏会はその名の通り出席者全員が仮面をつけており、身分・立場の枠組みを超えて――だからこそ、招待客は厳選されているが――特別な一夜を楽しむ。それはつまり、レイノルドにこちらの動向を気づかれずに、こっそり様子を探るのにも好都合だと主張したのだ。
「ラウル・オズボーンともあろうおひとが、ソワソワしちゃっておいたわしい。元カレのひとりやふたり、男ならドーンと構えて余裕を見せたらよろしいでしょうに」
「……言うな。格好悪いことは自覚済みだ」
痛いところを突かれたラウルは瞳を泳がす。とはいえ彼も簡単に引くわけにはいかない。あくまで堂々と、正論には正論で淡々と返す。
「私情抜きに見ても、捜査のしやすさと実現の可能性を踏まえた合理的判断だ。招待状を受け取った者は、家族やパートナーを伴って参加することが可能なのは知っているだろ。俺がシェイラをパートナーに選べば、奴にどう近づくかの問題は自ずとクリアされる」
「それだと、あたしの出る幕がないじゃあないですか」
「白々しいことを。お前のことだ。上手く潜りこむ術が、ないわけじゃないだろう?」
「おやま。ばれちまいましたか」
てへっとエディが茶目っ気たっぷりに肩を竦める。けれども、それは可愛いというよりはうさん臭さが際立つばかりで、ラウルはますます表情を渋くする。
やれやれと首を振ってから、ふとラウルはすっと目を細める。
「――それで」と、彼は声も低く切り出した。
「同行する以上、乗りかかった船だ。場合によって彼女は外すが、俺は最後まで付き合ってやる。……お前が、本当に調べたがっているものは何だ?」
そのとき、ざっと木枯らしが吹いた。その風はエディの帽子を浮かせ、落ちた帽子はころころと転がって木の根にぶつかって止まる。エディは慣れた様子で近づいて帽子を拾い上げると、ふっと息を吹きかけて軽く払ってから、頭に被せた。
「そのうちお話ししますよ」
そう言って、彼は帽子を押さえながらにっと唇を三日月の形に吊り上げた。
「いまはまだ、時期じゃないんです。あたしも、もう少し調べる必要がありましてね」
「そうか。……なら、早くしろ」
ラウルの答えを意外に思ったのか、エディは一瞬きょとんと口を閉ざす。けれども次の瞬間、彼はひどく嬉しそうに「ええ、そりゃあもう」と声を弾ませると、ひらりとロングコートの裾を翻して静かに歩き去っていった。
ぎぃと音を立てて、重い扉を閉ざす。ラウルはそのまま、扉にもたれてひとり考え込んだ。
ほかの記者であれば、シェイラをレイノルドに近づけることでスキャンダルのひとつでも狙う算段かと疑うところだが、エディに限ってそれはあり得ない。彼の独特の美学によれば、それは「品のないこと」だからだ。
そういう意味で、ラウルはエディを信頼がおける男だと踏んでいる。彼がああいうからには、何か裏で暴きたい真実があるのだろう。
それよりも気になるのは、『真実』のほうだ。エディの様子から察するに、彼にとって今回の調査にラウルが介入することはむしろ好都合であるらしい。だとすると、エディが追っているのは憲兵隊が動くほどの事案である可能性もある。
シェイラを危険に晒すことだけは避けたいが……。と、そこまで考えたとき、ラウルは頭の片隅に引っかかるものを感じた。
(白い影の幻覚……。あれは、いつ上がった報告だったか?)
つい最近、どこかで目にした気がする。ユアンからの報告書ではない。もっと別の、違う何かで……。
答えはすぐには見つけることは出来ず、彼はしばらく難しい顔で廊下に佇み、物思いにふけっていたのであった。
エディを見送りに出ていたラウルが戻ってからは、怒涛のごとき騒ぎであった。
突如として彼が「そうと決まったら道具を揃えるぞ」と、シェイラを連れ回したのである。いったいなんの道具かといえば、もちろん仮面舞踏会用の諸々だ。
だが。
「……どうしてお前は、何もかも首を振るんだ」
ムスリとした顔で、ハンドルを握るのはラウルだ。尚、彼は気分転換に車を走らせることが好きで、プライベートで出かけるときはこうして自分で運転することが大半だという。
その隣に座るシェイラは、「当たり前です!」と両手を握りしめて力説した。
「あんなに宝石だらけのアクセサリー、いったいいくらかかるか……!」
思い出しただけでも震えが蘇る。
オズボーン家と付き合いがあるという宝石商が、にこやかに店の奥から持ち出してきたネックレス。その輝きも、重みも、商人の恭しい態度もすべてがあまりに自分にはそぐわなくて、シェイラは早々にギブアップした。
それだけじゃない。髪飾りも、カバンも、靴も。行く先々でシェイラは同様の居たたまれなさを抱え、どれもこれも断ってしまったのだ。
ラウルは「あのな」と眉を寄せた。
「誰がシェイラに払えと言った。贈るのは俺だぞ」
「だから気にするんですよ!」
両頬を押さえて、シェイラは叫ぶ。
シェイラの感覚からすれば、今日見せられた数多の品々はどれも高価で身の丈に合わなすぎる。おそらく本人が言うようにラウルにとっては払えない金額ではないのだろうが、だからと言ってホイホイと受け取れるかというと話は別だ。
そのように、シェイラは改めてプルプルと震える。するとラウルはため息をついてから、車を道の端に寄せて停めた。見れば、いつの間にかクラーク家の前であった。
エンジンを切りつつ、ラウルはじろりとシェイラを見た。
「お前の頭ん中はどうせわかっている。『あんな高価なもの、自分には似合わない!』とか、『隊長にアレコレ買わせるなんて、絶対ムリ!』とか、くだらないこと考えてるだろ」
「そ、それは……。けど、くだらなくなんか」
「反論その一」
ぐいとシェイラのほうに身を乗り出して、ラウルが人差し指を立てた。
「お前は自分を過小評価している。それに、裏から品を出すのは商人だがコレと選ぶのは俺だ。お前は俺の目が信じられないのか?」
「そういうつもりで言ったんじゃ……」
「わかっている。だが、反論その二、だ。いいか。こっちのほうが重要だぞ」
そういうと、シェイラの頭にぽんと大きな手が置かれた。驚いて顔を上げると、伸ばされた手の向こうで、ラウルがとてもやさしい笑みを浮かべていた。
「お前には金額ではなく、『お前を甘やかしたい』という俺の気持ちに目を向けてもらいたいものだ。……少しは、恋人面をさせてくれ。せっかく、摑んだ座なんだからな」
「隊長……」
「ラウルだ」
低く囁かれ、シェイラの背はぞくりと震えた。それを見透かしたように、頭に置かれていた手がするりと髪を撫でながら移動し、顎をついと上向かせた。
そうして彼はルビー色の瞳を怪しく光らせつつ、わざと拗ねたように首を傾げた。
「いい加減、名前くらい呼んでくれてもいいんじゃないか」
綺麗な指がシェイラの唇を掠め、ラウルの整った顔がついと近づく。とっさにシェイラは声にならない悲鳴を上げ、ぎゅっと目を閉じた。
だが、いつまで経っても想像した感触は訪れない。おやとシェイラが内心で首を傾げたとき、唇ではなく額に、温かくて柔らかな何かがそっと触れた。
「まあ、いいさ」
ぱちくりと瞬きをするシェイラを見下ろして、彼は苦笑した。
「名前も、その場所も。待つよ。シェイラの心が、追いつくまで」
「その……いいんですか?」
「そりゃあ本音を言えば、早くお前のすべてが欲しい。俺も男だからな」
「けど、」と言いながら、ラウルは窓枠にもたれ悪戯っぽく目を細めた。
「欲望に溺れるより、お前を大事にしたい。――大体、額に口付けただけで真っ赤に染まるような初心な女に、どうやって無理を強いろと言うんだ」
「え?」
「顔、リンゴみたいだぞ」
ばっと顔を押さえると、とんでもなく熱を持っている。慌てて顔を背けて隠せば、ラウルはくつくつと楽しげに笑いを漏らした。
「か、からかわないでください!」
「心外だな。恋人を愛でて何が悪い」
「また隊長は、そういうことばっかり……っ」
「言っちゃダメか?」
くいと試すように眉を上げ、ラウルは意地悪くシェイラに問う。ややあってから、シェイラは悔しげに唇を尖らせた。
「――ダメじゃ、ないです」
「よろしい」
にっと少年のように笑ってから、彼は扉を開け、軽やかに車から降りた。そうしてぐるりと回りこんで助手席の扉を開けると、手を引いてシェイラを車から降ろした。
「次に会うのは仮面舞踏会か。シェイラのドレスは、ローズレッドに金糸の刺繍だと言っていたな」
「はい、そうですが……」
なぜか何度も確かめたドレスのデザインを再度確認すると、ラウルはふむと考え込む。しばらくしてから、ラウルは何かに納得したようにひとり頷いた。
「わかった。当日は、また家の前まで迎えに来る」
「じゃあな」といって、ラウルはふっと笑った。そうしてくしゃりとシェイラの髪を撫でてから、彼は車に乗り込んだ。
車を見送りながら、シェイラはなんとなしに彼に撫でられた箇所に触れる。そうすると、車が遠ざかるにつれて大きくなるぽっかりと胸に穴が開いてしまったような感覚が、少しだけマシになる気がした。
(舞踏会、か)
社交の場に出るのは、いつぶりだろう。それも宮廷で開かれるようなランクのものとなると、かなり前に公式行事で末席にお呼ばれして以来だ。
ダンスや歩き方、細かな所作に微笑み方まで。あの、きめ細やかにルールが張り巡らされた、華やかながらも窮屈な世界に踏み込むことに、緊張を覚えないわけではない。
けれどもそれも、ラウルが隣にいると思えば、不思議と嫌ではなかった。
「……色々、復習しとこ」
かつてマナーを叩きこんでくれた母の顔を思い浮かべながら、シェイラは門の戸を引く。
彼の隣に、ふさわしい自分でいたい。その思考は立派に恋する乙女のそれだ。
けれども残念ながらそれを指摘してくれる者はこの場にはおらず、シェイラはひとり、ふむふむと考え込みながら帰宅の一声を上げたのだった。