7-2
シェイラの元婚約者、レイノルド・ミラー。
一本一本が艶めく髪は白銀に瞬き、アイスブルーの瞳は冬の海に張る氷の如くどこまでも澄んだ輝きを秘める。天の御使い、エルフの王子。様々な二つ名を持つ彼であるが、皆に通じる呼称は「白銀の君」。
と、目立つ外見ばかりが独り歩きしもてはやされているが、その性格は一言で表してしまえば「ぼんやりした男」だ。とことん内向的で、派手な集まりを苦手とし、ひとの機微には無頓着。誰かに連れ出されなければ一週間だろうが一カ月だろうが、平気で家のなかに引きこもる。そういうタイプだ。
そのレイノルドに女のゴーストが憑いているかもしれないと、エディは言った。
「…………いやいやいやいや」
ないでしょう。そう、シェイラが否定しようとした時。
「どうも、へったくれもないだろう」
突然後ろから手を回してシェイラをぎゅむっと囲い込みながら、ラウルがばっさりと切り捨てる。彼は不愉快さを隠しもしないしかめ面で、虫けらでも見つけたかのような目をエディに向けていた。
「あのクソ男がゴーストに憑かれていたとして、シェイラが奴のために動いてやる必要がどこにある。仮に助けてやるときがあるとしたら、奴が散々そのゴースト相手に苦悩し、頭を床にこすりつけてシェイラに許しと救いを乞うた時ぐらいだ」
「仮にも鬼神隊の隊長がここまで私怨たっぷりな発言をなさるのは、いかがなものかとあたしは思いますねえ」
「かまうもんか。どうせガセネタだ」
吐き捨ててから、ラウルは赤い双眼を細くする。そして、ひどく興味のなさそうな声音で付け加えた。
「なにしろ先日奴を見かけたときには、特に変わった様子はなかったからな」
そうなのだ。シェイラは大いに頷き、パティスリーで偶然レイノルドと鉢合わせたときのことを思い返した。
あのときはバタバタしていたが、といってゴーストが現れる兆候があればシェイラが見落とすわけがない。だが実際には青い蝶が室内を舞うことはなく、レイノルドも良くも悪くもいつもの彼のままだった。
「で? そのネタ、どこで拾ってきた?」
「お話しします。お話ししますがねえ」
膝の上で絡めていた指をほどき、エディがティーカップに手を伸ばす。それを持ち上げながら、エディはにっと唇を吊り上げた。
「随分と見せつけてくれますもんで」
「ん?」
「え?」
きょとんと首を傾げたふたりだが、一瞬遅れてシェイラは自分がラウルの腕のなかに囚われたままであることに気づいた。途端、彼女の顔はぽんと赤くなった。
「た、隊長! いい加減、離してください」
「いやだね。少なくとも、クソ男の話が終わるまではダメだ」
「はい!? なに、わけのわかんないこと……」
「ああ、美味しい。すっきりした紅茶で助かりますねえ、本当に」
じたばたと攻防を続けるシェイラとラウルをしり目に、エディは紅茶をごくりと飲み干して息を吐きだした。
自分でカップに再び紅茶を注いでから、エディは改めて口を開いた。
「それで、レイノルドさんの件でしたね。あたしもつい最近知った話ですし、そこまで噂も広がっていない話なんですが……」
レイノルドに憑いた女のゴーストを見た者はごく数名だという。そのうちのひとりがエディと親しくしていて、偶然彼の耳に入ったそうだ。
「彼女によりますとね。先日シオン家が開いたパーティに招かれた際、レイノルドさんもそこにいたそうです」
彼はおそらく恋人のカトリーヌに招かれたのだろう。彼はゲスト側ではなくホスト側でカトリーヌに寄り添っていて、すでに結婚しているかのように仲睦まじく見えたという。
「というより、カトリーヌ嬢がレイノルドさんにぞっこんだったそうですよ。ずーっとレイノルドさんに腕を絡めて、それはそれは熱いご様子で」
「連中の話はどうでもいい。さっさと先を続けろ」
にべもなく告げたラウルに、「味気のないおひとですねえ」とエディが首を竦める。
「ま、いいでしょう。それでですね、パーティの途中で気分がすぐれないとかでカトリーヌさんが退出してしまったんです。それにレイノルドさんも付き添っていきましてね」
エディにこの話をした令嬢は、仲の良い友人3人でパーティに参加していた。彼女たちは独り身のすてきな紳士に声を掛けられることを夢見て、大きな窓に自分たちの姿を映し、きゃっきゃと身だしなみチェックを行っていた。
その後ろを、カトリーヌを支えるレイノルドが通っていったのだが。
「ご令嬢はね、レイノルドさんとカトリーヌさんに続いて、その後ろにぴったりと寄り添う3人目の姿が窓ガラスに映るのを、はっきりと見ているんです」
ただしソレは、真っ白な、ひとの形をしたナニかだったという。
「ぞっとしたご令嬢は、すぐに後ろを振り返りました。ですが、そこにいるのはレイノルドさんとカトリーヌさんだけ。白い影なんざいやしません。それで一旦は何かを見間違えたのかと安心しました。しかし、すぐにほかのふたりも同じものが窓ガラスに映るのを見ていたことがわかり、これは大変なものを見てしまったとあたしに相談してきたのです」
いっそ面白がるような口ぶりで、エディは話す。だが、なんとなく嫌な心地がして、シェイラは己の腕をさすった。
なぜだろう。なぜだか、とてもよくないモノの気配を感じる。
「シェイラ? どうした。顔色が悪いぞ」
目敏く異変に気付いたラウルが、労わるようにシェイラの顔を覗き込む。
「大丈夫です。少し、寒気がしただけで……。エディさん。それは、いつ頃の話ですか?」
「大体、1か月ぐらい前のことですねえ。あたしが聞いたのはつい先日なんで、まだ何も調べちゃあいないんですが」
1か月。つまり、シェイラとの婚約破棄、そして王立劇場での怪人騒ぎが起こるまでの空白の時期だ。当然ながら、その頃の彼とは会っていないばかりか連絡すら取っていない。
とはいえ、そのあとでシェイラはレイノルドに会い、彼にこれといって異変がないことを確かめている。おそらくラウルも同じ結論に達したらしく、やれやれと首を振った。
「そのゴーストはたまたま現れただけか、令嬢たちの見間違いだ。どちらにせよ、やつに取り憑いているというほどのものじゃないだろう」
「……と、これだけなら、あたしもわざわざシェイラさんにお伝えしようとは思わないんですけどね?」
明らかに含みのある言い方に、シェイラは思わずラウルと顔を見合わせる。嫌な予感がしつつ、シェイラは恐る恐る先を促した。
「何かあるんですか?」
「いえいえ、大したことじゃあございません。とっても瑣末な、気にした方が負けといった類いの問題でしてね」
「勿体つけてないで早く話せ」
「あらまあ。隊長に言われちゃあ、お話ししますが」
わざとらしく考え込むように小首を傾げてみせてから、エディはけろっと打ち明けた。
「実は先日も、体調不良を理由にカトリーヌ嬢がパーティを欠席したんです。おかげでね、あたしに話してくれたご令嬢は、かの悪名高き『霊感令嬢』がおふたりに悪いゴーストをけしかけたんじゃないかと疑っていて……」
「……………はい!?」
「のわっ!?」
聞き捨てならない台詞に、シェイラは勢いよく立ち上がる。おかげで、後ろから彼女に腕を回していたラウルは、あわやぶつかりかけたシェイラの後頭部を避けて大きく仰け反る羽目になった。
だが、シェイラはラウルを気遣う余裕もない。怒りに目を見開き、のんびりとこちらを見上げるエディに向けて指を突きつけた。
「だれが! だれに! 何をしたって!?」
「ひどい話ですよねえ。あたしもね、ご令嬢に言いましたよ。証拠もないのに滅多なことを言うもんじゃありません、てね。けど、噂っていつもそういうものでしょう?」
それはまあ、そうだ。
とりあえず「ささ、お座りなさいな」とエディに勧められるまま、シェイラは渋々席に着く。とはいえ、目は剣呑に吊り上がり、手は屈辱にぷるぷる震えたままだ。
エディは余裕を保ったまますらりとした足を組むと、長い前髪の奥でにっこり笑った。
「あの子は賢いひとですから、あたしが諌めたらもう馬鹿なことは言わないと反省していました。けど、もっと多くの人がゴーストを目撃してしまったら、そのひとたち全員をお説教して回るわけにはいきませんねえ」
「……そうですね。ええ。もちろん、そうですとも」
両手を握りしめたまま、シェイラは腹の底から声を絞り出した。
つまりは、レイノルドに憑いているかもしれないゴーストの謎を解き明かして、自らの汚名をそそぐより他にはないではないか!
「いいわ、やってやるわよ!」
「あ、待て、……」
勢いよく拳を顔の前に掲げたシェイラは、ラウルが止める間もなく力強く宣言した。
「レイノルドに憑いているっていう女のゴースト、私がさくっと解決してやるわ!!」