7-1
更新が空いてしまいすみません。
新パートスタートです。
「シェイラが、ラウル・オズボーンからプロポーズされたー!?」
後日、両親から衝撃的な事実を知らされたシェイラの兄、キース・クラークの第一声はそれだった。
彼は屋敷中に響き渡る叫び声をあげるに飽き足らず、ズダダダダと足音高く響かせシェイラの部屋に飛び込んできた。
「シェイラ!! どういうことだよ!?」
「兄さん!?」
手紙に目を通していたシェイラは反射的にそれを伏せ、立ち上がって隠すように机の前に立った。
「ノックくらいしなさいよね! 突然入ってくるなんて……」
「それより、ラウル・オズボーンと将来を誓ったって本当なのか!? あ、本当なんだな! ちくしょう!!」
「まだ、なにも言っていないじゃない」
聞いた途端ぽっと顔を赤らめたシェイラに、キースは頭を抱えて叫ぶ。当然自覚のないシェイラはしらを切ろうとするが、後の祭りだ。
かわいい妹を心配するキースは、妹の肩をがしりと掴むと詰め寄った。
「いいか、シェイラ。正直に答えるんだぞ。あいつに何か脅されているのか? たしかにオズボーン家はうちなんかよりずっと名家だが、お前のピンチなら僕もだまっちゃいない。商家のネットワークを使って、あれやこれや手を尽くして……」
「待って、待って。何の話!?」
「バカねえ、キース。あなた、勘違いしているのよ」
話の途中で飛び出していったキースを追ってきたのだろう。いつの間にか扉の側には、面白そうにふたりを見守る母ディアンヌと、その後ろでのほほんと微笑む義姉クリスティーヌがいた。
「キースったら、シェイラがオズボーン様に〝お囲い様〟になることを求められているんだと、勘違いしちゃったの」
「お、おかこっ……!?」
仰天したシェイラは耳まで真っ赤に染めた。お囲い様というのは、つまりは愛人である。
「ち、違うわよ! 何考えてるのよ!?」
「え……? じゃあ、プロポーズってのは」
「そう。シェイラは正真正銘、本物の『プロポーズ』をされたの」
キースはぽかんと、完全に呆けた顔をする。彼は母、そして妹の顔を交互に見た後、「えっ!?!?」と改めて叫んだ。
愉快そうにそれを眺めながら、母はしみじみと頷く。
「まあ、無理もないわね。最近じゃあまり聞かなくなったけど、ちょっと前までは上流の家はお囲い様を抱えているのがステータスみたいなところがあったし? 私もラッドと結婚するまでは、たくさん声を掛けてもらったわあ」
「うわ、知りたくなかった事実! じゃなくて、ってことは本当に、シェイラはラウル・オズボーンと結婚するのか!? そんなこと出来るのか!?」
「オズボーン様は、シェイラを正式に妻として迎える方向で、ご家族とも調整をはじめてくださっているわ。それに万が一、不誠実な関係でしかシェイラを傍に置けないならこの話は白紙に戻させていただくというのはお伝え済だし、オズボーン様も納得しているわよ」
両親とラウルの間でそこまで話し合われていたとは露知らず、シェイラもこれには驚く。ラウルの人柄を知るシェイラには想像も及ばなかったが、たしかに一般的に考えれば、そういった可能性を心配して然るべきだろう。
ちなみに母によると、ラウルからは「妻として迎える以外に、選択肢はない」と固く約束されている上、時間が掛かろうとそれが確約されるまではシェイラを手元に置くこともしないと返答があったという。なんというか、彼らしい答えだ。
オズボーン家の調整はどうなっているかと言うと、とりあえず直接会ってシェイラの人となりを確かめてから、となっている。ただ彼の父は北部国境を任される北方隊総司令であるため距離的な問題があり、具体的な日程までは落とされていない。
とはいえ前例がないことだから慎重さはあるものの、オズボーン家からの反応はかねがね悪くないものだったと、ラウルから聞いている。
彼が最初に予想したように、古参貴族と新興貴族の隔たりを無くすという現王の方針に賛同する彼の両親は、新興貴族の娘との縁談ということ自体には問題ないという反応だったらしい。
それはつまり裏を返せば、シェイラ、およびクラーク家が信頼のおける相手だと確証が得られるかどうか、ということが争点となってくるということだ。
(それはそれで、プレッシャーなんだけど……!)
つい先ほどまで目を通していたラウルからの手紙を思い出し、シェイラはぱちんと頬を押さえる。
ちなみに手紙は今朝届いたもので、1通はシェイラ宛、もう1通は両親宛だった。おそらく両親の手紙でも同様の報告がなされて、それを踏まえて母は兄夫婦たちにもシェイラのおかれている状況を説明することにしたのだろう。
「シェイラちゃん、本当におめでとう!」
「クリス姉さん!」
それまでにこにこして成り行きを見守っていたクリスティーヌだったが、するりと夫からシェイラを取り上げるとその手をしっかと握った。
「私ね、シェイラちゃんはきっと、ううん、絶対にオズボーン様のことを好きなんだと思っていたから、ふたりの想いが通じてすっごく嬉しい!」
「す、っ……!? そんな風に見えてたの?」
思いがけない義姉の言葉に、シェイラは慌てる。するとクリスティーヌは「わかるわよー」と、心底幸せそうな笑顔でさらりと告げた。
「オズボーン様とお出かけしてきた日、シェイラちゃんとっても幸せそうだったもの。それに、オズボーン様についてお話するとき、いっつもシェイラちゃん笑顔なのよ?」
「そうなの……?」
これっぽっちも気づいていなかったシェイラは、今更のように赤面。というより、ラウルに想いを告げられるそのときまで、彼の気持ちどころか自分の気持ちにすらまったくの無自覚だったのだ。
けれども、ラウルに好きだと言われたとき。とてつもなく嬉しくて、幸せで、きゅっと胸が締め付けられるようにときめいて。いままで一度も感じたことのない、甘酸っぱい感情でいっぱいになって。気づいたら、彼の求婚を受け入れていた。
自分でも大それた返事だったと思うが、衝動的に頷いてしまったのだから仕方がない。とはいえ、やはり早まったのではとちょっぴり不安になって、シェイラは弱々しく義姉に問いかけた。
「クリス姉さん。私、本当にそうなのかな? つまりね、その、本当に、ラウル隊長のこと……す、すき、なのかな」
「あら」
「まあ」
「おい」
義姉と母、おまけに兄まで、三者三様の反応が返ってくる。続いて、兄は呆れた顔で首を振り、母はにんまりと三日月の形に紅い唇を吊り上げ、義姉は無垢な子犬かなにかを前にしたようにほわほわと微笑んだ。
「ちょ、ちょっと! なんでみんな黙っちゃうのよ!?」
「……ま、いいんじゃないか」
「あちらのご家族と会うのが待ち遠しいわねえ」
「なんだか私まで幸せな気持ちになっちゃう」
「ねえってば!」
シェイラは焦れて、もう一度声を上げる。けれども、3人が3人、誰一人としてその問いに答えてくれなかったのであった。
そんなある日、シェイラはなぜか、ラウル・オズボーンが構えるとある邸宅でタイムリー社の記者エディ・ハーディと顔を合わせていた。
そわそわ落ち着かないのは、もちろんシェイラのほうだ。なぜ、自分はラウルの家にいるのか。なぜ、そこでエディと会っているのか。どう考えてもちぐはぐな状況に少しも身が休まる心地がしないが、対するエディは先日と少しも変わらぬ調子である。
彼は捉えどころのない笑みを張り付けたままティーカップを取り上げると、上品な仕草で一口それを含み、ほおと息を吐いた。
「いやはや。オズボーン家で淹れていただいた紅茶といいますと、それだけで他と違う、高貴な香りが漂う心地がします。ありがたいですねえ。シェイラさんのおかげで、貴重な一品を味わわせていただきました」
「あ、あの、はい。なんていうか、すみません」
ますますいたたまれなくなり、シェイラはちんまりと縮こまる。けれどもエディは相も変わらず摑みどころなくにへらと笑うばかりだ。
「シェイラさんが謝ることじゃあございません。いえね。シェイラさんとあたしの個人的なお約束になぜか隊長が首を突っ込もうが、おふたりの関係を記事にしたら以後の事件現場への出入りは一切認めないとか脅されようが、みーんなお嬢さんのせいなんかじゃあ……」
「おい。全部聞こえているぞ」
そう口を挟んだのは、言うまでもなくこの家の主、ラウル・オズボーンだ。彼はシェイラたちと同じテーブルを囲むのではなく、本棚の近くに椅子と小机を用意し、そこに腰掛けている。
膝の上には伏せた読みかけの本、その手に上品なティーカップと、今日も今日とて絵画のワンシーンのようにキマッた姿を見せつけていた彼だか、今は若干の不愉快さを滲ませてエディを睨んでいた。
「俺の屋敷にあげてやっただけでも喜べ。なにせ、俺がシェイラとふたりきりで過ごすはずだった貴重な時間を、貴様に分けてやっているんだからな」
「ですからねえ、隊長。あたしはシェイラさんとお話できれば満足なんです。隊長のお時間を割いたうえ、こうしてお宅にあげてもらうのはどうにも」
「バカか。この俺が、大事な恋人をうさん臭い男とふたりきりで会わせると思うか」
「まあ、そこは同感です。あたしももし可愛らしい恋人がいたら、あたしみたいな得体のしれない男からは出来るだけ遠ざけますんで。――しっかし、まさかおふたりがお付き合い、ねえ」
「っ、エディさん! 話! そう、仕事の話をしましょう!」
話の雲行きが怪しくなってきたのを感じたシェイラは、慌てて軌道修正。エディはどうしようかと考え込むように仕事道具のペンをくるくると回していたが、ぱたりとそれを辞めるとペンを胸ポケットに戻した。
「そうしましょう。さっそくですが、先日のお話、少しは考えていただけましたかねえ」
――もともと、今日の顔合わせが実現したのは、エディからクラーク家に連絡が入ったのだ。曰く、新聞連載の件について改めてシェイラに依頼したいのだと。
たまたまシェイラは、ラウルに宛てた手紙のなかでそのことについて触れた。すると、数日のうちにラウルがシェイラの家まで来て、「だったら、俺のうちで奴と会えばいい」と勧めたのだ。
エディはひざのうえで両手を組み、身を乗り出して答えを待っている。シェイラは気を引き締めてぐっと背筋を伸ばすと、彼に向けて頭を下げた。
「お話、ぜひ受けたいと思います。よろしくお願いします」
エディは珍しく、口をぽかんと開けて驚きを露わにした。シェイラの家ではなく、わざわざラウルの家を指定してきたことから、てっきり断られるものと踏んでいたのだろう。
彼はラウルに顔を向けると、「よろしいんで?」と首を傾げた。
「どうして俺に聞く。シェイラが決めたことだ」
「けど、隊長は反対したかったんでは?」
尚も食い下がるエディに、ラウルは溜息をひとつ。かちゃりと音を立てて、ティーカップとソーサを小机に戻すと、呆れたように目を細めた。
「あのな。心配しないわけがないだろう。だが、シェイラは俺の女だが、俺のモノじゃない。彼女がやりたいというなら、パートナーとしてそれを尊重し、守る。……幸い、お前はうさん臭い男だが、悪い奴じゃないしな」
「私が隊長にお願いしたんです。連載コラムの話、やらせてほしいって」
顔を上げたシェイラは、エディをまっすぐに見つめてそのように告げた。
新聞のコラムについては、家族はもちろん、ラウルとも事前にたくさんの話し合いをしている。その上で出した答えだ。
するとエディは興味深そうに、顎を撫でた。
「あたしが言うのもなんですが、こりゃまたどうして」
「うまく言えないのですけど……。純粋に、興味が湧いたんです」
そのきっかけを与えてくれた人物――ラウルをちらりと見てから、シェイラは口を開いた。
「王立劇場のことがあるまで、私、『勘』を何かに役立てて使おうだなんて思ったこともなかったんです」
それは、小さい時からの経験のせいだ。
ゴーストが見えるたびに、気味が悪がられる。怖がられる。疎んじられる。そんなことを繰り返していれば、誰だって他人の前で『勘』を使うことが嫌になる。
「けど王立劇場のことがあって、せっかく持って生まれた『勘』なんだから、それを活かして色々チャレンジしたほうが世界が広がるんじゃないかと思ったんです」
怪人騒ぎだってそうだ。
ラウルの要請に応えて怪人捜索を引き受けた結果、ラウルやユアンら憲兵隊、そしてエイミーなどの舞台関係者まで、シェイラは様々なひとと新たに関わりを結んだ。それと比例するように、自らが持つ『勘』のことも前よりずっとポジティブに捉えられるようになった。
これは、『勘』を理由に他者と関わることを出来るだけ遠ざけてきたシェイラにとって、革命的な変化である。
「それに怪人と同じように、もしかしたらちゃんと調べたら、本当はゴーストのせいじゃないこともゴーストの仕業だと思われているかもしれません。本物のゴーストかどうか、白黒はっきりさせるひとがこの街には必要でしょう?」
ね? とシェイラがにっこり微笑めば、つくづく感心したとういように「へえ」と声を漏らした。
「いやはや参りました。シェイラさんのアイディアはとても面白い。霊感令嬢の『勘』を使って、ゴースト騒ぎが本物か否かを暴く! なるほど。着地点をそことするならば、仮に本物のゴーストじゃなかったとしても、謎解きを終えたような爽快感すら生まれます」
何度もうなずくエディだったが、長い前髪の奥でにたりと目を細めたような気配がした。
ぞわりと背筋が震える心地がして、シェイラはそれとなく腕をさする。ラウルも室内の空気が僅かに変化したことを感じ取って、眉根を寄せた。
ただひとり、エディだけは調子を崩さない。彼は白く長い指を組んだ足のうえで絡め、「いえね」とのんびりとした口調で切り出した。
「さっそくですがお耳に入れたいお話があるんです。本当いうと下調べもまだですし、シェイラさんには酷なお話かと思い、触れずにおこうかと思ってたんですがね。……シェイラさんの元婚約者のレイノルド・ミラー。その彼に、女の霊が憑いているかもしれないと言ったら、お嬢さん、どうしますかねえ?」