表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/63

6-6




 窓の外はすっかり暗くなり、先ほどまで混ざっていた茜色も消えて空は完全に藍色となる。時の流れを裏付けるように、シェイラのお腹はぐぅーと鳴った。


(……お腹すいた)


 こんな時ですらも空気を読まずに空腹を主張する己の体を恨めしく思いつつ、シェイラはベッドの上で膝を抱えていた姿勢をのそのそと解く。これでも人並みに落ち込んでいたつもりだが、やはり現実は物語のようにはいかない。気落ちしてもお腹は減るし、怒りを通り越せば涙も出ないのだ。


 怒り。それはもちろん、先ほどのラウル・オズボーンの発言が原因だ。


シェイラは彼を信頼していたし、彼も友人と呼べるほどにはシェイラのことを気に入ってくれていると思っていた。少なくとも、好きでも恋人でもないのに「結婚しよう」だなんて馬鹿げたことを言いだすほど、軽んじられているとは思わなかった。


 だが、改めて何がそんなに腹立たしかったのかと自分に問いかけると、途端に心の中にもやもやと霧が立ち込めたように答えは見えなかった。レイノルドに婚約破棄されたときよりもよほど苛立ったし、悲しかった。


そうだ。悲しかったのだ。


(隊長の、バカ)


 シェイラは唇を噛み、目尻をごしごしと握った手で拭う。


 なぜ彼が急にあんなことを言いだしたのかはわからない。ただ言えるのは、せっかく緩やかながらに続くと思われた彼との交流が途絶えてしまったということだけだ。


 さて、いつまでも落ち込んでいても仕方がないし、そろそろ階下に降りよう。母によると、ラウルは館のなかに通されて父と話をしていたらしいが、これだけ時間が経てばさすがに帰ったはずだ。


 そのように考えたシェイラが、ベッドから床に足をのばしたときだった。


 コンコン、と。控えめに自室の扉が鳴る。それだけで沈黙してしまった扉に、シェイラが首を傾げた。


 執事のブラナーであれば続いて声を掛けるだろうし、母は返事を待たずに戸をあけ放つ。兄夫婦は出かけているから残るは父の可能性だが、それにしたって黙り込んでいるのは不自然だ。


「どうぞ?」


 疑問を感じながらも、シェイラは部屋の外に向かって声を掛ける。それでも部屋の外の誰かは迷うように沈黙を貫く。ややあって、その誰かは探るように声を上げた。


「……俺だ」


 途端、シェイラはぱっと立ち上がると、目にもとまらぬ速さで自室の扉にしがみつく。そして、ラウルが不用意に扉を開けてしまわないようドアノブ――生憎、シェイラの部屋には鍵が付いていない――を握りしめた。


「本当に入っていいのか?」


「ダメに決まっているでしょ!?」


 思わず素の調子でシェイラは大声を上げる。扉の外では「だよな」などとラウルが呟いているが当然だ。一体どこに、家族でも恋人でもない男を自室――それも寝室に通す貴族の娘がいるものか。たとえいたとしても、兎にも角にもシェイラはそのタイプじゃない。


「まだ帰っていなかったんですか? ていうか、私に何の用です?」


 驚きも相まって、つい険のある物言いになってしまった。案の定、扉の向こうが再び沈黙に呑まれる。だが相手もそれで引き下がるつもりは露ほどにもないらしく、しばらくして言葉を選ぶよう慎重にラウルは切り出した。


「シェイラ。俺の言葉が足りないばかりに、君を傷つけてしまった。そのことについて謝罪をしたい。ここを開けてくれないか」


「謝罪って……。そんなの結構です。ていうか、伝え方云々の問題じゃありません」


 ぐっとラウルが息を飲む気配があった。彼の困った顔が瞼の裏に浮かぶようだが、一度は静まったはずの怒りがふつふつと沸いて止められない。それでシェイラは、ドアノブを握りしめたまま扉の向こうを睨みつけた。


「すぐ口説き文句みたいなこというし、女の人にも囲まれているけど、隊長はもっと誠実なひとだと思っていました。なのに、弱みに付け込んで好きでもない相手に結婚を申し込むなんて最低です! 見損ないました!」


「ちょっと待ってくれ! どういうことだ? 君は誤解を……おそらく俺のせいだが……、とにかく誤解をしている!」


「だって、それしか考えられないじゃないですか!」


 感情が爆発して、ぎゅっと胸が痛くなる。ついに涙がこぼれてしまいそうになるのを堪え、シェイラは俯いたまま声を絞り出した。


「隊長がどういう意味で、結婚が人の役に立つことに繋がるって言ったのか、自分なりに考えてみました。それで……隊長は私の『勘』が便利で、傍に置きたいと思ったんですよね」


「……そんな風に捉えたのか」


 後悔と、若干の苛立ちと。ラウルはそのように、苦しげに呻る。だが、今にもあふれ出してしまいそうな涙の洪水と戦っているシェイラは、それに気づくことなく続ける。


「名案ですよね。私は隊長の秘密を知っているから気兼ねもいらないし、手をつなげばゴーストがちゃんと見えるってオプション付き。しかも婚約破棄されたばかりの訳アリで、相手の家にとってはオズボーン家との縁談は万々歳……。ものすごく都合がいいですよね、私」


「そんなわけがあるか! どれだけ信用がないんだ、俺は!?」


 どうやらラウルは業を煮やしたらしい。ドアノブに力が籠められる気配があり、シェイラは扉が開かないように慌ててそれを握りなおした。


 もちろん憲兵隊であるラウルと一介の令嬢でしかないシェイラでは、腕っぷしの力など雲泥の差だ。普通ならすぐにでも戸が開いてしまうものだが、ラウルもそこは貴族界の紳士。無理やり開けてシェイラが怪我をすることを躊躇してか、扉の向こうから叫んでくる。


「開けてくれ、シェイラ! 思った以上に壮絶な誤解だ!」


「何が違うって言うんですか!? それしか考えられないじゃないですか!」


「違う!!!!」


 叫んだラウルは、覚悟を決めるように一瞬の間を空ける。そして彼は息を吸い込むと、一言一句シェイラが聞き漏らすことのないよう大声を上げた。


「それは俺が、君を好きだからに決まっているだろう!!!!」


「……………え?」


 思わずドアノブを持つ手から力が抜けてしまった。そんな彼女の反応を見透かしていたかのように、ぱっと外側に扉が開かれる。シェイラは体勢を崩し、部屋の外に倒れ込みそうになる。だが、彼女は廊下に立つたくましい身体に抱き留められた。


 そうして彼は、呆気にとられたままのシェイラをきつく抱きしめた。


「君が好きで、必要だ。側にいてほしいと願っている。それ以外に、どんな理屈があるっていうんだ」


 言い聞かせるように、ゆっくり、はっきりと。頭の上から降ってくる、熱くも落ち着き払った声音とは裏腹に、押し付けられた胸から伝わる鼓動は力強く、早い。


「……ここ、すごくドキドキ聞こえるんですけど。大丈夫ですか?」


「解説しなくていい!」


「ああ、くそ。締まらない!」とやけっぱちのように嘆いたラウルは、そっぽを向いて前髪をくしゃりと掴む。抱きしめられたシェイラはそれを見上げ、彼の耳が恥じらいに紅く染まっているのを目にし――ようやく事態を飲み込んで、みるみる顔に熱が集まった。


「え……? あ……?」


「信じられないなら、もっと言ってやろうか」


 目の下を僅かに赤く染めて、ラウルがじろりとシェイラを見下ろす。そうして彼はどこか悔しげな表情を浮かべたまま、硬直して動けないシェイラに次々に爆弾をぶつける。


「君の優しいところが好きだ。まっすぐで飾らないところが好きだ。素直じゃないくせに表情に出やすいところや、頼られると放っておけないお人好しなところ、それから甘いものに目がないところも……」


「きゃああぁぁっ! もういいですーーっ!!!」


 いたたまれなさに負けたシェイラは、彼を遮って悲鳴をひとつ。腕のなかから逃れようとジタバタともがくけれども、シェイラの細腕がラウルに敵うわけがない。それどころかラウルは腰に手を回してますます彼女を引き寄せると、顎に手をかけて真っ赤に染まったシェイラの顔を上向かせた。


「そういう初心なところもだ。……正直、その表情も堪らない。唇を奪ってやりたくなる」


「へ、変態!!」


「悪かったな」


 憮然とラウルが眉根を寄せる。一拍おいて、彼は困ったように苦笑した。


「初めてなんだ」と、彼はシェイラの髪を撫でた。


「俺の弱いところを知られても嫌じゃない……そういうところも含めて、もっと知ってもらいたいと思える。そんな女は、君だけだ」


「どうして、私なんかを……」


 戸惑いの色を浮かべて、シェイラは視線を泳がす。


 だって自分は、これと言って誇るべきものを何も持たない人間だ。唯一秀でたものがあるとすれば人より強い『勘』ぐらい。その『勘』のせいで社交界と関わりを絶っており、貴族の娘としての処世術だって長けていない。


 みんながみんな、霊感令嬢を遠ざける。それなのに、あのラウル・オズボーンが霊感令嬢に惚れ込むなんて、そんなこと――。


 だがラウルは怒ったように「なんか、じゃない」と言うと、大きな手のひらでシェイラの頬を挟み、切なさと緊張の入り交じる瞳で彼女の顔を覗き込んだ。


「君がいいんだ、シェイラ。――お願いだ、俺の妻になってくれ。お前がどうしても欲しいんだ」


 バクバクと心臓が音を立てて、息苦しさをおぼえる。けれどもその痛みはなぜか、ひとりで膝を抱えていたときとはまったく違って嫌じゃない。


 はくはくと陸にあげられた魚のようにシェイラは唇をわななかせていたが、ぎゅっと目を閉じてから、消え入りそうな声でどうにか答えた。


「……私で、よければ……」


 それを聞いたラウルの顔に、みるみるうちに喜色が広がる。男前としか言いようのない整った顔を喜び一色に染めて、彼は勢い込んでシェイラに顔を近づけた。


「本当だな? 女に二言はないな?」


「ほ、ほほ、本当ですから!!!」


 近い近い近い!!! と、シェイラは声には出さず悲鳴を上げる。だが、そんなことじゃラウルは留まってくれない。ふいに彼はシェイラを両腕に抱き上げると、俗にいうお姫様抱っこの姿勢でその場でくるくると回り始めた。


「きゃっ、きゃあぁぁぁ!? 隊長下ろして!?」


「やった、やったぞ!! シェイラが俺の妻だ!!」


 甲高い女の叫びと、年甲斐もなくはしゃいだ男の歓声。それらはしばらく――いい加減目を回したシェイラがラウルをしかりつけるまでの間、クラーク家に響く。


 とにもかくにも、ラウルはこうして念願の、シェイラとの婚約(仮)を果たしたのであった。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ