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6-5



 ラウル・オズボーンは、かつて初恋をした。


 少女の名前を、彼は知らない。なぜなら彼女と出会ったのは一度切りで、その一度ですら共に過ごした時間は僅かだったからだ。


 彼女との出会いは彼を励まし、支えた。勇気があって、負けず嫌いで、強くて。恐らく何気なく選ばれた言葉たちは彼の心の支柱となり、ゴーストへの恐怖に押しつぶされそうになるたびに彼を奮い立たせた。再び彼女に会ったときに失望されないように。その一心で振るった剣は彼を鍛え、気づけば神童と呼ばれていた。


 だが、少女と巡り合うことはなかった。もちろん彼は探した。子供にとっては退屈な大人の集まりにもついていき、少女が来ていないか探した。しかしながら自分と同じ貴族の子供であるはずの少女は見つからず、いつしか月日が流れるうちに、少女のことは彼にとって思い出に変わった。


 思い出は胸の奥の宝箱に、大事に鍵をかけてしまわれた。






 霊感令嬢、シェイラ・クラーク。幼き日に出会った少女の正体が彼女であるとわかったのは、シェイラが偶然に語った思い出話が原因だった。


 その事実を知った途端、がんと後頭部を殴られたような衝撃が走った。なぜ今まで可能性に気づけなかったのだと、自分に呆れたからだ。『勘』持ちの令嬢として貴族界で名をとどろかせるシェイラ・クラーク。年のころといい、貴族の家柄という条件といい、あの少女と重なる条件が多すぎるではないか。


 とはいえ、すぐにわからなかったのも無理はないだろう。シェイラが社交デビューを飾るころには少女との出会いはとうの昔に思い出と化していたし、王国随一の名家オズボーンと中流貴族のクラーク家では同じ貴族同士であろうが関わり合いもない。


 とにかくあの日の少女がシェイラだったと知ったとき、ラウルは数多の美女に騒がれてきた社交界の人気者らしくもなく、――――まるで思春期真っ只中の少年のように舞い上がった。なぜなら、彼は既にシェイラに惹かれていたからだ。


 捜査の初めのころから、好ましい相手だった。こういっては何だが、驕りでも自信過剰でもなく、ラウルはモテる。だから若い令嬢に捜査協力を依頼するとなったとき、捜査そっちのけで色目を使ってくるような人間だったら面倒だなという、一抹の懸念があった。


 けれども実際の彼女は真逆だった。『勘』持ちとして真剣に考え、意見をくれる彼女は頼もしかった。それでいて『勘』のことで褒められれば途端に照れて張り切りだす彼女は、微笑ましくかわいいとすら思えた。


 もちろん極めつけは、地下通路での一件だ。情けなくもゴースト嫌いをあっさり暴露し、おまけに怪人を目の前にして気絶するという醜態ぶり。もう少しなんとかなるだろうと思っていただけに、彼は落ち込んだ。久しぶりに項垂れた。


 自分の不甲斐なさのために捜査協力者であるシェイラをも危険に晒してしまったことが申し訳なく、彼はすぐにシェイラのもとを訪れた。だが、彼女は少しも彼を責めなかった。それどころか男前にも、ゴースト嫌いのことを秘密にするとまで言ってくれた。正直、惚れた。なんてイイ女だと胸を射抜かれた。


 そこからは早かった。シェイラの喜ぶ顔が見たいと願い、彼女が笑えばラウルも得意な気持ちになった。昔の男が現れれば腹の虫がおさまらなかったし、シェイラが前を向いて一歩を踏み出すなら支えてやりたいとも思った。


 もちろん浮ついた気持ちがなくとも、捜査協力への労いとしてシェイラを連れ出しはしただろう。けれども結果として、あの日のお出かけは下心満載なものとなった。シェイラにその気はなくとも、彼にとっては正真正銘デートだったのである。


 とにもかくにも、彼はこのように、久しぶりにウキウキと沸き立つ恋心を満喫していた。生憎と言おうか、やりがいがあると言おうか、シェイラはドが付くほどの鈍感娘だ。事件もひと段落ついたし、これからはじわじわとシェイラを追い詰める算段を立てて楽しもう。


 そう思っていたのに。


(最悪だ……………)


 ずーんと、重苦しいほどの負のオーラを纏って項垂れる男がここにひとり。例えるならば燃え尽きて灰になった哀れな敗者といったところで、うっかり声を掛けることすらはばかられる。まさかこれが、今を時めく鬼隊長とは誰も思わないだろう。


 浮かれすぎた。完全に、我を忘れた。


 けど、考えてもみてほしい。ようやく夢中になれそうな女が現れたと思ったら、昔焦がれた初恋の相手だったのだ。そりゃあ浮かれるだろう。運命とか感じるだろう。勢いあまって求婚のひとつもするだろう。


(………………しないか)


 組んだ指に額を付けて俯いたまま、ラウルは重く澱んだ溜息を吐きだす。


 10代の世間知らずな若造ならともかく、自分はいい大人だ。それが節度も何もなくあのように暴走すれば、当然シェイラは不審に思う。からかわれたのだと、――バカにされたのと怒るのも自明の理だ。


 先ほどより深く長く、禍々しい何かが混ざりこんでいそうな重いため息をラウルは吐いた。そんな彼を、向かいに座って見守る者があった。


「あの、オズボーン様? 大丈夫ですか?」


 困った顔でそのようにラウルに問いかけたのは、シェイラの父ラッド・クラークだ。「大嫌い」発言をして娘が家のなかに消えたあと、その場に凍り付いて動けなくなってしまったラウルを見かねて、館に招き入れてくれたのだ。


「…………申し訳ない、ミスター・クラーク。突然に失礼なことを申し上げたうえ、家にまで上げていただき」


「どうぞお気になさらず。それよりも、その、娘がご無礼を」


「いや。悪いのはすべて私です。シェイラ嬢の反応は当然だ」


 ラウルがきっぱりと首を振ると、ラッドは再び困ったように曖昧に微笑む。ここまで深く落ち込んでいるラウルを目の前にして、多少は先走ったものであったにせよ、求婚は本気も本気、大真面目なものだったことを察したのだろう。


 とはいえ「どうして最近出会ったばかりのラウル・オズボーンが娘に求婚を?」という思いはあるらしい。気遣わしげな表情を浮かべつつ、ほんの少しばかり疑いの色を乗せてラッドはラウルに問いかけた。


「失礼ながら、先ほどの申し出はオズボーン様の本心だと考えてよろしいでしょうか。うちのシェイラを妻に迎えたいというのは……」


 するとラウルは、それまで力なく項垂れていたのが嘘のように素早く顔を上げると、真剣な顔で頷いた。


「もちろん本当です、ミスター・クラーク。いえ、お義父上」


「ああ、はい。案外堪えていないようで安心いたしました」


 半分呆れた顔をラッドはラウルに向ける。だが、ラウルも必死だ。シェイラに拒絶されはしたが、彼女を諦めるつもりは毛頭ない。ここで家族にまで誤解されたらおしまいだ。たった一本残った命綱を守るため形振りかまっていられない。


「彼女を妻に迎えたいというのは本当です。……伝え方を誤り、彼女に不審を抱かせてしまったのは不徳の致すところです。ですが、私の気持ちは変わらない。シェイラが私を信じられないというなら、信じてもらえるまで頭を下げる所存です」


 いくつもの死線を潜り抜けてきた男の凄みすら滲ませて、ラウルは誠心誠意、想い人の父に訴える。まったくもって鬼隊長の威厳の無駄遣いである。


 そんなラウルに、ラッドはやれやれと肩を落とした。どうしてそこまで。彼の顔にははっきりとそう書いてあったが、その疑問が彼の口から放たれることはなかった。


「そこまで想われるなら、それをシェイラに伝えてあげるのが一番ですわ」


「ディアンヌ……」


「ごめんなさいな、あなた。やっとシェイラが落ち着いたから戻ってきたのですけど、面白いお話をしているのでつい口を出してしまったわ。けど、ラッドもそうするのがいいと思っているのではなくて?」


 いつの間にか部屋の入口に立っていたディアンヌは、そう言って苦笑をする。ちなみに彼女はこれまで、自室にバタバタと駆け込んでしまった娘を追いかけ、シェイラの側に付き添っていたのである。


 ディアンヌはゆっくりとソファに近づいて夫の隣に腰掛けると、そっとその肩に手を置く。それが引き金になったようにラッドは息を吐き、改めてラウルに顔を向けて微笑んだ。


「そうだな。オズボーン様、あなたの意志は堅い。本物だと信じましょう」


「ただし、」と、喜びかけたラウルを制して、ラッドは続ける。


「結婚ともなれば本人たちだけの問題じゃありません。ご両親は、うちみたいな新興貴族が相手では反対されるのでは?」


 娘を想う父親としては当然の疑問である。オズボーン家は古参のなかでもピカイチの上流の家柄だ。彼の母親が現王の妹であることからしても、クラーク家とは住む世界がまったく違うと言えるだろう。けれどもラウルは自信を持ってきっぱりと首を振った。


「心配ありません。幸い私は三男で、家もうるさく言いません。それに現王は古参貴族と新興貴族が分断された現状を憂いており、両親もそれに賛同しています。私とシェイラが結ばれることは古い慣習を正すシンボリックなものとして歓迎されるでしょうし、仮に反対されたとて私がふたりを説得するまでです」


「なんだか大事になってきたわあ」


 呆れたような口ぶりだが、ディアンヌの顔は嬉々として輝いている。世渡りの上手い彼女にとって、ひと波乱の予感はむしろ闘争意欲を掻き立てるのだろう。それを「こらこら」と諫めつつ、ラッドは頭を下げた。


「そこまでの覚悟があるのでしたら、もう何も言いません。シェイラが頷くならば、喜んで娘をオズボーン様に差し上げます」


「それは……!」


「ですが、娘がどうしても首を横に振るときは申し訳ありません。失礼ながら、私共が間を取り持つこともありません。この話はなかったものとしてお引き取りください」


 打って変わって厳しい言葉に、ラウルは姿勢を正し表情を引き締める。もちろんラウルは家の威信を盾に無理やりシェイラを嫁がせるつもりなどなかったが、それが出来てしまうほどに両家には格の違いがある。ラッドが心配に思うのも無理はない。


 ラウルは強く頷くと、真っ赤な双眼でまっすぐにラッドを見つめた。


「彼女が私の妻となるとき、それはシェイラが自分の意志で頷いたときです。彼女に対し、卑劣な真似は決してしない。約束します」


「それを聞いて安心しました。ありがとうございます」


 ラッドはホッとしたように肩の力を抜いた。彼は妻と顔を見合わせて苦笑をする。


「オズボーン家との縁談など、クラーク家には願っても無いこと。それなのに何を渋るかと呆れられたことでしょう……。どうかご容赦ください。私たちは今度こそ娘に幸せになってもらいたいだけなのです」


「ラウル様もご存知でしょうが、私たちは人を見る目がないばかりにシェイラに屈辱的な経験をさせてしまいました。あの子のためを思ってしたことですが、判断を誤った私たちの責任に違いありません」


 憂いを帯びた表情で瞼を伏せたディアンヌは、さすが親子だけあってシェイラとよく似ている。続いて彼女は、母親らしい慈愛に満ちた笑みを浮かべた。


「ですので、とても嬉しいですわ。あの子のことをこんなにも大事に想ってくださる殿方が現れて。あの子のこと、どうぞ幸せにしてくださいね」


「もちろんです。私の生涯をかけて、シェイラを幸せにすると約束を……」


「その約束をいただくには、少し早いのではないかな」


 ラウルを遮ったラッドは、妻と顔を見合わせる。続いてクラーク夫妻は、夫は気の毒そうに眉を八の字にして、妻は愉快で仕方ないというように笑いを噛み殺して、同時に天井――おそらく上階を指さした。


「いってらっしゃい」


 声をそろえた夫妻に、ラウルはごくりと唾を飲み込む。


 そう――。一般的な恋愛結婚なら、本来ならラスボス的存在は相手の親で然るべきだ。だが、ラウルの場合はそうではない。本当の戦闘はこれからである。


 すくりと立ち上がったラウルは軽く全身を整える。幸い、仕事上がりである彼が身を包むのは鬼神隊の制服だ。これ以上に身が引き締まる服はなく、まさに戦闘服と言えるだろう。


 そうしてピシリと全身を決めた男前、ラウル・オズボーンは、若干の緊張を滲ませた面持ちで重々しく告げた。



「――――行って参ります」




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