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6-2



 王立劇場を騒がせた偽の怪人がお縄についてから3日が経った。


 劇場では、今晩も『天使と怪人』の上演が行われるらしい。劇団関係者のひとりが捕まるというスキャンダルは、新聞の一面を飾り世間を賑やかしもした。しかし、アイリーンを筆頭にみんなが団結し、かつてない緊張感のなかで舞台は連日大成功。観客の入りも反応も上々だという。


 だから、また王立劇場に舞台を観に来てね、と。そう締めくくられたエイミーからの手紙を折りたたんで、シェイラは息をついた。


 一時はどうなることかと思ったが、王立劇場はもう大丈夫だ。逆境のなかにあっても、彼らはすでに前に歩き始めている。それに、活き活きした手紙の様子から、エイミーもようやく本当の意味で劇場の一員になれたようだ。


(本物の怪人も、劇場のどこかで見守っているだろうしね)


 観客席にちょこんとのっかった黒猫の姿を想像して、シェイラはくすりと笑った。


 丁寧に折りたたんだ手紙は、大切に机の引き出しのなかへ。返事は、どんな風に綴ろうか。そんな風に思いながら引き出しを閉じたとき、部屋の外から義姉が呼ぶ声がした。






「シェイラちゃんとお出かけするのも、なんだか久しぶりね」


 そう言って、クリスティーヌはほんわかと微笑む。彼女が身に着けるのは、街歩き用に選んだ青いワンピースに、お揃いの色の小さな帽子。シンプルだが上品なデザインが、クリスティーヌの柔らかな美しさをうまく引き立てている。


 その向かいに座るシェイラも、秋らしいボルドーのワンピースでしっかりとおめかし。今日はシェイラとクリスティーヌ、義姉妹水入らずの、ふたりだけのお出かけ日なのである。


「ちょっと前まで、婚約破棄騒ぎのせいでバタバタしていたもんね。ごめんね、クリス姉さん」


「そんな風に謝らないで。シェイラちゃんは、ちっとも悪くないもの。それより、またこうしてお出かけできて嬉しいわ」


 にっこりと笑みを浮かべたクリスティーヌはかわいらしく、女らしい。つくづく兄は、器量よし、性格よしのいいお嫁さんをもらったものだ。


 そんなことを思いながら、シェイラは目の前に置かれたケーキに手を伸ばす。真っ白のプレートの上に乗るのは、旬のリンゴを使ったアップルパイ。添えられたクリームをつけて口に運べば、リンゴの爽やかな酸味とコクのあるキャラメルの旨味が、クリームの優しい甘さと混じって口の中いっぱいに広がった。


「はう~。やっぱり、ここのケーキは美味しい~!」


「眺めもとても素敵ね。シェイラちゃんとオズボーン様のおかげだわ」


「うっ」


 ほのぼのとケーキを口に運ぶクリスティーヌの言葉に、シェイラは小さく呻く。そして、パティスリーに入れてもらったときのことを思い出して、ひとり赤面した。


 シェイラたちがいるのは、先日ラウルに連れてきてもらった公園内のパティスリーだ。先日食べた季節のタルトもさることながら、ほかにもたくさんの食べてみたいスイーツがあったので、入れないのを覚悟で試しに行ってみたのだ。


 すると、一番混んでいる時間帯を避けたためか、運よく中に入ることが出来た。は、いいのだが、お店のホール責任者がシェイラのことを覚えていた。そして、シェイラたちを会員制サロンのほうへ通そうとしたのである。


「ええ、はい! ラウル・オズボーン様より、ミス・クラークがいらしたときは、こちらのサロンへお通しするようにと」


 見覚えのあるモノクルを付けた男は、にこにこと笑みを浮かべて隠し扉を開けようとする。それを止めて、シェイラはサロンの使用を丁重にお断りした。


 だって、考えても見てほしい。先日はラウルが一緒だったから非日常感もあって楽しかったが、そうでもなければ会員制サロンなど恐縮してしまって寛げるわけがない。


 とはいえ、お店側もラウルに言われていることなので、シェイラに断られたからといって「はい、わかりました」というわけにいかないらしい。結局、一般席は一般席でも、外の景色が一番よく見える一等席に通されてしまった。


「オズボーン様は、シェイラちゃんのことをとても気にかけてくださっているのね」


「っ、クリス姉さん! ラウル隊長は、別にそんなつもりじゃ……」


「ふふ。安心して。お義母さまみたいに、根掘り葉掘り聞いたりはしないから」


 くすくすと笑うクリスティーヌに、シェイラはぷくりと頬を膨らませる。実際、最近の母はひどいのだ。ことあるごとに、「それで、オズボーン様はいつ家にいらっしゃるかしら?」なんて含みのある笑みを添えて聞いてくるのだ。


 唇を尖らせてケーキを口に運ぶシェイラを、クリスティーヌはティーカップを片手に、微笑ましいものを見るかのような目で眺める。芳醇なミルクティーに軽く口をつけてから、クリスティーヌは小さく首を傾げた。


「ねえ、シェイラちゃん。シェイラちゃんは、オズボーン様のことどう思う?」


「だから、そういうんじゃないって……」


「あら。変な意味じゃないわ。お知り合いとして、どんな方なのかしらと思って」


 早とちりで慌ててしまったシェイラはまたしても赤面。……いや、絶対に、シェイラの早とちりなんかじゃない。その証拠に、答えを待つ義姉はとても楽しそうである。


「どうって、素敵だと思うわよ? かっこいいし? 守ってくれるところとか凛々しくて男の方っぽいし? あとは、そうね、意外とかわいい……」


「ごめんなさい。最後、よく聞こえなかったわ」


「あ、いや。最後は間違いだから気にしないで」


 うっかりゴースト相手に形無しとなっているラウルを頭に思い描いてしまっていたシェイラは、慌てて否定。クリスティーヌは不思議そうな顔をしていたが、彼のゴースト嫌いは限られたひとだけが知る秘密なのである。


「とにかく! あのひとがモテるのも、すごく納得したわ。遠くから眺めていただけじゃわからなかったけど、全然気取ったところのない、それでいて筋の通ったひとだもの」


 そうだ。強くて、勇ましくて、優しくて。とても魅力的な人物だと、素直にそう思う。事件のことがなければ、――大のゴースト嫌いという意外すぎる苦手分野がなければ、こんなにも彼と親しくなり、魅力を近くに感じることはなかっただろう。


〝約束だ。必ずまた近くに、お前に会いに行く〟


 別れ際のラウルの声が、耳に蘇る。


 あの約束は、果たされるのだろうか。いや、彼はリップサービスであんなことを言わないだろうし、約束を簡単に反古にする人間でもない。会いに行くと言ったら、本当に近々来るに違いない。


 けど、そのあとはどうだ。おそらくラウルは、捜査協力のことで改めて御礼を言いにくるのだろう。もしかしたら、感謝状をくれるかもしれない。それはそれで嬉しい。


 けれども、その次は。


「シェイラちゃん? どうしたの? なんだか、悲しそうよ」


「……ううん。なんでもないわ」


 シェイラは誤魔化して笑うが、その笑みには力がない。


 気づいてしまったのだ。たまたまラウルの苦手なものがシェイラの得意分野だったから親しくなったが、怪人騒ぎが解決した今となっては、ふたりの間に特別なつながりはない。鬼神隊がゴースト騒動に乗り出すことなど二度とないだろうから、シェイラの捜査協力もきっとこれっきりだ。


 別に、好きとか嫌いとか、そんな次元の話ではない。けれども、ラウルを手伝って謎を追いかけた数日間はきらきらしていて――これでおしまいだと考えると、寂しかった。


 しょんぼりと肩を落としてしまったシェイラを、向かいに座るクリスティーヌは心配そうに眺める。それから義姉は、空気を変えようとするように手をぱちりと合わせ、「そうだわ!」と声を弾ませた。


「あの新聞。オズボーン様にも、ぜひ見ていただかなくちゃね」


「え!? だ、だめよ、だめだめ! 恥ずかしいから、絶対にだめ!」


 クリスティーヌの狙い通り、途端にシェイラは真っ赤になって慌てだした。


 新聞というのは、昨日、キースが道で買って持って帰ってきたものだ。その中面で、先日の怪人騒ぎについて特集が組まれているのだが、問題はその見出しである。


「どうして? 〝偽の怪人確保の陰に、ゴーストのプロの力あり。お手柄、霊感令嬢!〟とてもいい見出しだと思うけれど」


「いーやー、わすれてー! 暗唱なんかしないでー!」


 得意そうにそらんじた義姉に、シェイラは耳を塞いでイヤイヤをした。


 そう。記事はなんと、シェイラのことまで触れているのである。なぜそんなことになっているのかと言えば、犯人はエイミーだ。関係者として取材を受けた彼女が、自分は霊感令嬢に守ってもらったのだと、熱っぽく記者に語ったようである。


 もちろん、シェイラの個人名は伏せてある。けれども、『霊感令嬢』なんてけったいな二つ名を持つ令嬢が、ほかにいるわけもない。当然、王都に住むひとたちは、それがシェイラのことだとわかってしまうだろう。


 羞恥に悶えるシェイラだが、クリスティーヌはにこにことしている。それどころか、シェイラを励ますようにぐっと両手を握りしめた。


「自信を持ちましょう、シェイラちゃん。この新聞は、変な噂に惑わされたひとたちを見返して、本当のシェイラちゃんを知ってもらうきっかけになるわ」


「い、いいわよ! 『霊感令嬢』なんて、ただでさえ恥ずかしいのに、これ以上有名になるなんて……」


「よくないの!」


 思いのほか強く否定されて、シェイラは驚いてまじまじと義姉を見た。するとクリスティーヌはスカイブルーの瞳でまっすぐにシェイラを見つめ、のんびりした普段の彼女らしくもなく、憤慨した様子で続けた。


「シェイラちゃんは自慢の義妹だもの。誤解されたままなんて、とっても悔しいわ」


「……ありがとう。そんなこと言ってくれるのは、クリス姉さんぐらいよ」


「そうかしら。キースやお義母さま、お義父さまだって。それに……なんとなくだけど、オズボーン様も同じように言ってくださるのではないかしら」


 問いかけるように微笑んだクリスティーヌに――シェイラも、そのような気がした。レイノルドの一件のとき、あんなに真剣に怒ってくれた彼なら、シェイラの『勘』が評価されたことも一緒に喜んでくれるかもしれない。そう思えたのだ。


 否定をしなかったシェイラから、何かを読み取ったのだろう。クリスティーヌは満足げな様子で、紅茶を一口飲む。それから彼女は、「やっぱりオズボーン様は素敵な方ね」と、嬉しそうに言ったのであった。




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