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5-1



 以前も触れたように、シェイラの婚約破棄について怒りをあらわにしたのは、シェイラ本人ではなくその家族だ。


 特に母ディアンヌは代表格で、打倒ミラー家を掲げてはばからない家族のなかでも、まっさきにその狼煙を打ちあげた。――つまり婚約破棄の打診があったとき、「あちらがそのつもりなら、今後一切、ミラー家とのお付き合いはお断りしましょ」と最初ににっこり微笑んだのは、ほかでもないディアンヌである。


 だからこそ、ラウル・オズボーンとの関係を説明し、誤解を解くのは骨が折れることであった。


 そもそもの王立劇場のゴースト騒ぎのこと。シェイラの『勘』が見込まれて、協力者となったこと。前日の探索の最後に倒れてしまったことに責任を感じ、お詫びにケーキをご馳走になったこと。


 それらを根気よく何度も繰り返し、シェイラはディアンヌに話してきかせた。最後は残念そうに「あらそう?」なんて言っていたが、それでもきちんと理解してくれたのかは怪しい。裏返せば、それだけシェイラのことを想ってくれているというわけだから、おいそれと責めることもできないが。


 そんなわけで翌日の昼過ぎ、屋敷の前に憲兵隊の車がシェイラを迎えに停まったとき、シェイラはげっそりと疲れていた。おまけにその隣には、今日も今日とて見事なカールをビシッと決めて、ディアンヌが娘の見送りに出てきていた。


 昨日と違って憲兵隊の制服で車から降りたラウルに、母はにっこりと微笑んだ。


「主人に代わり失礼します。シェイラの母、ディアンヌ・クラークですわ。昨日、家に戻ってまいりましたの。娘がお世話になっておりますわ」


「初めまして、ミセス・クラーク。憲兵隊第二部隊長、ラウル・オズボーンです。シェイラ嬢のことですが、本来ならご両親の了承を先に得るべきところ、話が前後してしまい申し訳ありません」


「めっそうもありませんの。この子の『勘』がひと様のお役に立てることは、私たちにとっても大きな喜びですわ」


 大輪の花のような笑顔でそのように首を振った母に、ラウルも社交界の花形らしく余所行きの笑顔で一礼。


 そのあとでシェイラと共に後部座席に並んで乗り込んだ彼は、部下が車を走らせたのを確認してから、「お前のかあさん、すごいな」と感心して窓から後ろを振り返った。


「なんていうか、お前と違って社交慣れしてそうだ」


「強いですよ。なんたって我が家の影の権力握ってますから」


 もはや〝影〟なのかもわからないけど、と内心で付け加えながら、シェイラは苦笑する。


「家のこともそうですけど、父のクラーク商会でも、対外付き合いは母のほうが得意ですもの。鼻が利くっていうんでしょうかね? 母がパーティで心を摑んだおかげでビジネスチャンスを開いたことも、何度もあるんです。だから父は、母には頭があがらなくて」


「へえ……」


 何か琴線に響くことがあったのか、ラウルは興味を惹かれた様子で、もう一度屋敷のほうを一瞥。その横顔を眺めるシェイラは、ふと昨日の別れ際のことを思い出してしまい、彼が触れたあたりの髪をなんとなく撫でた。


 レイノルドがシェイラを手放したことを、感謝している。聞き間違えでなければ、彼が言っていたのはそういう意味合いのことだ。


 けれども、なぜそんなことをラウルが有り難がるのか。家族の誤解を解くのに必死だったからすっかり忘れていたが、あらためて本人を前にしてみるとさっぱり謎である。


〝シェイラが、そんなわけないって思い込んでいるだけじゃなーい?〟


 頭のなかに、唐突に母の声が蘇る。シェイラが何度ラウルとの仲について説明しても、ディアンヌは目を輝かせ、口元を扇で覆って愉快そうにこう言った。


〝いくらお礼って言っても、なんとも思っていない子をデートに連れ出すかしら?〟


(……いやいやいやいや。ないない、ありえないってば)


 ぶんぶんと首を振って、シェイラが一瞬だけ浮かんだ可能性を頭から追い出した。


 だって、ラウル・オズボーンだ。もっと美人で、もっとグラマラスで、家柄だって申し分ない娘が、彼の周りをわんさか取り巻いているのだ。そんな彼が、シェイラに目を留めるわけがない。そんなこと、わざわざレイノルドに言われなくたってわかっている。


「……なんだ?」


 では、なぜラウルはシェイラによくしてくれるのか。その答えは彼の人柄にあるに違いないと、シェイラは強く頷く。


「どうした?」


 シェイラを鬼神隊の部下に置き換えて考えれば明白だ。つまりは、こう。部下を評価すれば本人にはっきりと伝え、苦労をかければあとでフォローを怠らず、理不尽にけなされることがあれば全力で守る。これぞ、まさに理想の隊長像。どれをとっても、彼がひとの上に立つにふさわしい器だということを証明してくれている。


「おい!」


「へ?」


 気が付くと、ラウルが不思議そうに眉根を寄せて、シェイラのことを見ていた。どうやら考えるのに夢中になっていたシェイラは、訝しんだ彼が声を掛けるのにも答えず、ずっと彼を見つめてしまっていたらしい。


「すみません」と首を振ってから、シェイラは晴れやかに笑った。


「隊長はいいひとだなって、再確認していました」


「……ちょっと待て。何がどうして、その結論にたどり着いた」


 瞬きをしたあと、なぜか不意に彼は嫌そうな顔をしてそう言った。


「いい奴ってのは不憫な役回りだって、昨日言ったよな」


「? それは恋愛物語の場合ですよ?」


 シェイラはきょとんとして答えるが、ラウルは何をこだわっているのか不服な顔。ややあってから、彼は溜息を吐き、諦めたように前方に視線を向けた。


「まあ、いい。部下から概要を聞いているだろうが、今日の流れをもう一度説明しておく」


 その言葉に、シェイラは姿勢を正した。距離は縮まったとはいえ、仕事は仕事。鬼神隊の隊長として彼が話すときは、シェイラも協力者として真面目に聞かなくてはならない。


 そんな彼女のケジメが伝わったのか、ラウルは僅かに口角を吊り上げてから先を続けた。


「今夜から、劇場では『天使と怪人』の公演が再開される。だが、また前回と同じように怪人が姿を現さないとも限らないし、エイミー・ダーエの安全も保障されたわけじゃない。そこでお前には、俺たち憲兵隊と共にミス・ダーエの警護を行ってもらう」


「わかりました。けど、警戒するのはエイミーさんの周りだけでいいんですか?」


 シェイラの問いかけに、ラウルは頷く。


「もちろん劇場の至るところに第二部隊を配置し、警戒に当たる。奴がどこに姿を現すかは読めないからな。しかし脅迫状や照明の落下が怪人の仕業なら、もっとも危険なのはエイミー・ダーエだ。だから彼女の安全を最優先とし、奴を確実に感知できるお前を側につけることにした」


 なるほど、わかってはいたが大役である。つまりエイミーを狙うのが本当に怪人であるなら、彼女の命運を握るのはシェイラの『勘』ということになる。


 けれども地下通路の一件のように、また怪人に眠らされてしまうかもしれない。そんな不安が顔に滲んだのだろう。ラウルはふっと短く笑うと、シェイラの肩を叩いた。


「心配するな。お前にエイミー・ダーエの命を背負わせるつもりはない。シェイラはただ、奴の気配を察知して教えてくれればいい。あとは俺がなんとかする」


「けど、隊長は……」


 トラウマのことを聞いた以上、最後まで言うのは申し訳なくて、シェイラは言葉を飲み込む。しかし、それだけでラウルは内容を察したらしく、苦笑した。


「前回は奴をもろに見たから意識を飛ばしちまったが、視界に入れなければ問題ない。それに念を入れて、俺のほかにも警護の人間をつけるつもりだ。――目的を怪人の排除としなければ、いくらでも手は打てる。大丈夫だ」


 確かにそういう作戦なら、仮にラウルが恐怖で動けなくなったとしても支障ない。それにシェイラは、ゴーストが完全に姿を現すより先に気配に捉えることができる。ある程度、こちらに勝機がありそうだ。


 とはいえ、ラウルにとっては負担の大きい作戦だ。ゴーストを直接見なければいくらかマシとは言うが、怪人の気配と、それによって呼び起こされる恐怖と戦いながらエイミーを守らなければならない。


 すこし考えてからシェイラは突き出すようにして、右手を掲げた。


「手、ちゃんと空けときますから」


 ゴースト嫌いを知る鬼神隊の面々は事情を知れば納得するだろうが、何も知らないエイミーの前で堂々と手を繋ぐわけにはいかない。だから、地下通路のときのように万全の体制で怪人に備えることはできない。それでも。


「ゴーストが出た瞬間だけとか、ちょっとぐらいなら、変じゃないと思うんです。どうしても怖いときとか……もちろん、怪人の様子を探るためとか。とにかく、私はいつでも大丈夫です。だから無理、しないでくださいね」


 真剣な顔でそのように告げると、ラウルは驚いたようにシェイラの顔と手とを交互に見た。それからなぜか吹き出し、愉快そうに笑いだした。


「え、どうしたんです? 私、何か変なこと言いました?」


「いーや。ただ、あまり純真すぎるのも考えもんだと思ってな」


「どう言う意味ですか? ていうか、これでも私、隊長のこと心配したんですよ!」


「わかっている。ありがとな。――ありがたく、この手は借りておくぞ」


 そのように言うや否や、ラウルはなぜかシェイラの手を包み込んだ。


 予想外の行動に、シェイラはきょとんと首を傾げる。念のため車内を見回してみるが、当然ながらゴーストの気配はない。怪訝に思いながら、澄ました顔で前方に視線を戻したラウルに、シェイラは問いかけた。


「あの、ラウル隊長? ここにはゴースト、いないと思いますよ?」


「ああ、そうだな」と、ラウルは平然と頷く。


「だがお前は、いつでも手を繋いで構わないと言った」


 そう言ってラウルは形の良い唇を吊り上げて、試すようにシェイラを見た。明らかに面白がっている様子の赤い双眼は、それでも誤魔化すことを一切許してくれず、どこまでも冷静にシェイラを見定める。


 それでシェイラも釈然としない心地がしつつも、仕方なくありのままに答えた。


「いいました、けど」


「じゃあ、貸しておけ。これは前借りだ」


 ラウルが満足そうに笑って、シェイラの手を包む力が増す。その横顔がなぜだか喜んでいるように見えたので、シェイラはまあいいかと諦めた。もちろん、うっかり言いくるめられてしまった感は否めないが。


「――おい。チラチラ後ろ見てないで、しっかり前見て運転しろ」


「はい、すみません隊長!」


 そりゃ、気になるでしょうよと。


 若い部下を叱責するラウルに内心で突っ込みつつ、それでもシェイラは到着するまでの間、大人しく彼と手を繋いでいたのだった。




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