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【電子書籍化】魅惑の鬼隊長は、ゴーストがお嫌い。  作者: 枢 呂紅
4.ひょっとしなくても、デートです。
16/63

4-4

長めですが、一気に行きます。



「レイノルド……?」


 シェイラは立ち上がったまま、何も言わずに入り口にたたずむレイノルドを見つめる。対するレイノルドも、柔らかな銀髪を風に揺らし、まるで夢を見ているかのような薄水色の瞳をシェイラに向けていた。


 けれども、時が止まったような室内の沈黙とは裏腹に、複数の人間が階段を駆け上がる音が響き、レイノルドの肩越しにホールスタッフたちの焦った顔がのぞいた。そのなかのひとり、おそらくホール責任者と思われるモノクル姿の男が、泡を食った様子で声を裏返した。


「申し訳ございません、ラウル様! せっかく当店でお寛ぎいただいているのに、この始末! こちらの方には、すぐにお引き取りいただきます、はい!」


 けれどもラウルは、長い脚を組んで椅子に背をもたれたまま、そちらを見ることもせずに鷹揚に微笑んだ。


「いいや、かまわん。どうやら、こいつは、俺たちに用があるらしい」


「で、ですが……」


「安心しろ。悪いようにはしない」


 そう言ってラウルには、怪しくも魅惑的な赤い眼光を飛ばし、まるで獲物を追い詰めた獣のような獰猛な笑みを見せた。


「困っている市民を助けるのが、我々、憲兵隊の仕事だ。その男、第二部隊隊長として俺が引き継いでやる。お前たちは、下で待っているゲストをもてなしてやれ」


「っ、ラウル様……!」


 先ほどまでとは違った意味で、モノクル男が声を詰まらせる。両手を握り合わせているところを見ると、感極まったらしい。またひとりファンを増やしてしまったラウルの鮮やかさに唖然とするシェイラの前で、モノクル男は何度もぺこぺこお辞儀をしつつ、部下たちと階段を降りて行った。


 そうしてサロンは、シェイラとラウル、そしてレイノルドという奇妙な3人が残された。


「直接話すのは初めてだな。はじめまして、の挨拶は必要か?」


 口火を切ったのはラウルだった。レイノルドはいつもの調子でだんまりを決め込んでいるし、シェイラはシェイラで異色の面子で部屋に詰め込まれて大混乱の最中にあったので、ラウルが最初に口を開くのはある意味当然の流れであった。


 そうして彼も立ち上がり、不敵な笑みを浮かべて鋭くレイノルドを見据えた。


「中にいるのが俺と知ったうえで、押し入ってきた勇気は認めてやる。だが、今更なんの用だ? 彼女に会いにきたというなら……」


「シェイ。ケーキは?」


「は?」と、ラウルの口から困惑が漏れる。けれどもレイノルドはそんなラウルに一切頓着することなく、どこまでもマイペースにシェイラに話しかけた。


「ケーキ。食べたの?」


「う、ううん。いま、まだ途中」


 ペースに呑まれたシェイラがうっかり答えると、レイノルドは食べかけのミルフィーユにちらりと視線を移す。そして、小さく頷いた。


「わかった。食べ終わったら家まで送る」


「無視すんなや、この野郎!!!!」


 鬼隊長としての威厳や気迫を一旦捨てて、ラウルが叫ぶ。そして、信じられんとばかりにレイノルドを指差して、シェイラを見た。


「なんなんだ、こいつ。言葉は通じているんだよな? まさか、異国出身で言葉の半分もわからないってオチじゃないよな??」


「……ちがうんです。こういうひとなんです。ごめんなさい」


 幼馴染としていたたまれなくなり、シェイラはとりあえず謝罪。その返答にラウルは慄いたものの、ならば遠慮は不要と割り切ったのか、あらためてレイノルドを睨みつけた。


「おい。残念な知らせだが、俺はお前のファーストネームも、ラストネームも知っている。彼女とお前の関係や、お前が彼女に何をしたかもだ。その上で聞いてやる。今更どのツラ下げて、シェイラの前に立っている」


「俺もあんたのこと知ってる。夜会で女の人に囲まれてた」


 そこ!?というツッコミを、シェイラはすんでのところで飲み込む。もっとこう、オズボーン家の人間だとか、鬼神隊の隊長とか、大事な情報があったはずだ。――もちろん、シェイラは自分を棚に上げての発言だ。社交界と距離を置いてきたシェイラが、ひと目でラウルの正体を看破できなかったのは仕方のないことである。たぶん。


 そして、シオン家という後ろ盾を得たとはいえ、貴族的な力関係でいえばレイノルドとラウルは同格とは言い難い。それを「あんた」呼ばわりはまずかろう。


 肝の冷える心地でシェイラは恐る恐るラウルを見たが、さすがはラウル・オズボーン。普段から凶悪犯やらチンピラやらを相手取っているだけあって、懐の大きさが違う。たかだか呼称ひとつに苛立って、揚げ足を取ることはない。


 とはいえ、世間とズレたレイノルドの性格上、この先どんなびっくり発言が飛び出さないとも限らない。頼むからこれ以上ラウルに迷惑をかけないでくれとシェイラは願うが、残念ながらレイノルドはラウルと会話を続けることを選んでしまった。


「なんであんたがシェイといるの」


「おいおい。まさかとは思うが、乗り込んできた理由はそれか? 〝元〟婚約者に悪い虫が付きそうなのを見て、慌てて口出ししにきたと?」


 それはないだろう、と。シェイラは口を挟みそうになる。シェイラの知るレイノルドは、基本的にひとに無関心だ。それは、婚約者であった頃であっても変わらない。


 けれども幼馴染のほうを見たとき、レイノルドがじっとラウルを見つめている――普段の彼から言えば、もはや睨んでいると言っても過言でない――のを見て、シェイラは驚いた。


 信じられない思いで見守るシェイラの前で、レイノルドはさらにラウルに噛みついた。


「シェイはだいじな幼馴染。あんたは信用できない」


「奇遇だな。俺もお前が信用ならんし、気にくわない」


 つまらなそうに言って、ラウルは肩を竦める。


「彼女が大事? よくそんな寝言が言えたもんだな。ほんとに大事に思っていたなら、なぜ彼女の前に立てる。自分の都合で婚約は破棄するが、幼馴染としての繋がりは保ちたい。そういうことなら、随分とめでたい頭の作りをしてるんだな」


「あんたがシェイを誘うわけない。シェイじゃ、あんたとは釣り合えない」


 ラウルの挑発に負けじと、レイノルドが言い返す。口ぶりそのものは淡々としているが、そもそも、彼が誰かと言い争うのを見るのが初めてだ。だからシェイラは素直に感心したのだが、言い合いの相手、ラウルはそのように呑気な受け取り方はしなかったらしい。


 というより、一瞬遅れて気づいたシェイラの背がゾッと震えるほどの怒気を滲ませて、ラウルは壮絶な笑みを浮かべていた。


「なるほど。こいつを捨ててシオン家の女を選んだお前なら、そう考えるだろうよ」


 鼻で笑いながら、ラウルは大股でレイノルドの前に立った。無慈悲に冷たく光る真っ赤な双眼で見下ろされて、レイノルドが怯んだように目を逸らす。しかし、逃げるのを許さないとばかりにラウルは身を屈めると、レイノルドの顔を覗き込んだ。


「いいか。俺は価値のない女は誘わない。お前が何をもってカトリーヌ・シオンを選ぼうが自由だが、勝手な物差しでこいつを侮辱するな」


「……俺は、ただ」


「ただ、なんだ? 幼馴染として彼女を守りたくて、とかか? 甘えるな!」


 レイノルドの肩がぴくりと揺れるが、ラウルの容赦のない糾弾は止まらない。低く、腹の底が冷えるような声で、ラウルは続けた。


「こいつを捨てた時点で、お前はシェイラに口出しする義務も、権利もないんだよ。まして、中途半端な誠意をちらつかせるなんてお笑い種だ。――ただ、自分が悪役になりたくないだけの偽善者は引っ込んでろ。不愉快だ」


 途方に暮れたレイノルドの瞳が、不安定に揺れる。そして、縋るようにシェイラを見た。


「シェイ」


 何度も幼馴染としてそう呼んだのと同じに、レイノルドはシェイラを呼んだ。


「シェイは俺と帰るよね。――俺を、選んでくれるよね」


 ひさしぶりの、けれども見慣れた薄水色の瞳で見つめられて、シェイラは言葉に詰まった。


 ――まったく腹が立たないわけでもないが、レイノルドを恨んではいない。振られたことを恨み、憎むに足るような感情を、彼にいだいていたわけでもない。ただ、よく知っていて、よく知られている、互いに気を遣わずにいられる幼馴染。それだけの関係だ。


 思えば、たくさんのことをレイノルドに許してきた。シェイと呼ぶこと、口下手の彼の代わりにシェイラが話し手となること、天気の良い日は庭に出て芝生で転寝すること。


 何かお願いをしたいとき、レイノルドはじっとシェイラを見つめた。そうされると、年下の弟分に甘えられているようで、シェイラは仕方ないなと受け入れてしまうのだった。


 けれども。


 いつものように頷いてしまいそうになる自分を押しとどめて、シェイラは頭を振る。それから、レイノルドの隣で同じように答えを待つラウルを――シェイラのために怒ってくれた、お人好しの鬼神隊隊長を見た。


「ううん。私は、レイノルドと一緒には帰らない。だから、レイノルドはもう帰って」


 それを聞いたレイノルドは、息を呑んだ。


 シェイラが自分を突き放すわけがない。彼はもしかすると、そう思っていたのかもしれない。困り果てたように立ち尽くす彼は、発すべき言葉を見失ったかのように何度もぱくぱくと口を開いては閉ざした。


 やがて彼は、すとんと肩を落とした。


「わかった」と、気落ちした様子でレイノルドは頷いた。


「今日は先に帰る。……またね、シェイ」


「『また』って何だ、『また』って。おい! ……いっちまったか」


 登場したときより気持ち少しだけ背中をしゅんと縮ませて、どこまでもマイペースにレイノルドはサロンを出て階段を降りていく。それを見送るラウルは、やれやれと前髪をかきあげて眉根を寄せた。


「最後まで訳の分からない奴だったな……。っ、おい! どうした!?」


 異変に気付いたラウルが、すぐにシェイラの前にしゃがむ。というのも、レイノルドが姿を消した途端、シェイラがその場に座り込んでしまったのである。


「大丈夫か、シェイラ。まさか、また気分が?」


「あー、スッキリした!」


 突然、膝を抱えたままケラケラと笑い声を上げるシェイラ。彼女を心配して肩に手を置こうとしたラウルは、ぎょっとしたように動きを止めてそれを見守っている。しばらくシェイラの笑い声が響いたあと、彼女はホッとしたように息を吐きだした。


「私、婚約破棄のことで、レイノルドに文句を言ったことなかったんです」


 ぽつりと零れ落ちた言葉に、ラウルが僅かに目を瞠る。彼は何かを言いかけたが、いまはシェイラの好きに吐き出させたほうがいいと判断したらしい。彼の沈黙をありがたく思いながら、シェイラは膝を摑む自分の手を見つめ、ぽつぽつと先を続けた。


「どっかで、格好つけてたんです。ただの幼馴染だから、恋人でもなかったから。仕方ないよねって納得して、好きなひとが出来たならよかったなんて応援しちゃって」


「けど!」とシェイラは拳を高くつき上げる。そして、目を丸くするラウルのほうへ身を乗り出し、両手を握りしめて力説した。


「冷静に考えて、ひどいですよね!? 婚約破棄のせいで、もともと居づらかった社交界がますます居心地悪いんですが!? 遠巻きに恐々みられる上に、哀れみやら同情やら、ものすごく腫れ物扱いなんですよ!? 私、怒る権利めちゃくちゃありますよね!」


「あ、ああ。当然だ」


 若干シェイラの勢いに気圧されつつも、ラウルが頷く。するとシェイラはふっと力を抜いて、憑き物がおちたように柔らかな笑みを浮かべた。


「隊長のおかげで、そんな当たり前のことにようやく気づけたんです。バカみたいだけど」


 どこかで、臆病になっていたのかもしれない。


 幼いときからずっと近くにいたレイノルドを嫌いになることが。マイペースでひと付き合いに不向きな彼にとって特別な、『いいお姉ちゃん』でいられなくなることが。


 けれども、まだ出会って二日の自分のために、あんなに真剣にラウルが腹を立ててくれた。そんな彼の怒りに触れて、ようやく本当の意味で婚約破棄を――自分のなかにある『怒り』を、受け入れることができた。


 だからここが、シェイラのリスタート地点。体の奥底からむずむずと沸き起こる爽快感に任せて、シェイラは宣言をした。


「私、人生楽しんでやります。美味しいものたくさん食べて、見たいものもたくさん見て。笑ってはしゃいで好きなことして、そんで見返してやります。レイノルドだけじゃない、私を気の毒な娘だと思ったひとのこと全部、ひとり残らず!」


 おーほほっ!と、シェイラは景気づけに高笑いをする。いささか芝居じみていたかもしれない。芝居じみているどころか、随分前に読んだファンタジー物語の魔女の真似である。なんであれ、笑うことはたいへん気分が良かった。今なら、なんだって出来そうな予感がした。


 そんなシェイラの頭の上に、大きな手がぽんと置かれた。思いもよらない仕草に笑うのをやめて前を見れば、やはりというか、手の主はラウルだった。


「いいんじゃないか」


 ぱちくりと瞬きをするシェイラをまっすぐに見つめて、ラウルはにっと笑った。


「たくさん楽しんで、たくさん笑え。お前には、笑顔が似合う」


 ……このとき、シェイラの胸の内に生じたざわめきを、どのように表現すればいいのだろう。とにかく言えることは、ラウルはシェイラを「いい奴」と言ってくれたが、むしろそれは彼のほうだ。ラウルこそ、「底なしのいい奴」だ。


 ラウル・オズボーン。

数々の輝かしい肩書で、シェイラとは住む世界が違う、遠くのひと。


 けれども、そんなあれこれの一切を吹き飛ばすほどの満面の笑みで、シェイラは「はい!!」と大きく頷いたのだった。







「今日は楽しかったです。本当にありがとうございました」


 夕方、クラーク家の屋敷の前まで車で送ってくれたラウルに、シェイラはぺこりと頭を下げた。するとラウルは、何てことなさそうに首を振った。


「楽しませてもらったのは俺のほうだ。こんなに休日を謳歌したのいつぶりだろうな。少しでも礼が出来たらと思って誘ったが、お前と過ごしたのは俺にとっても正解だったらしい」


「またまた。上手に言いますね。そうやって、女の子を落とすんですか?」


「ひとを見境なしのプレイボーイみたいに言うな。言っただろ。あっちからくるだけで、俺から手を出した女はいない。俺が女を口説くときは、ちゃんと見定めたあとだ」


「はいはい、モテるひとの自慢は結構ですー」


「こいつ……」


 軽くシェイラを睨んでから、一瞬遅れてラウルは笑みを漏らす。それにつられて、シェイラもくすくすと笑った。


 そうして彼は、別れを惜しむように軽く片手を上げた。


「じゃあな。次の捜査の予定は、部下に届けさせる。手間をかけて悪いが、また王立劇場で会おう。最後まで、よろしく頼むぞ」


「はい。ではまた。連絡、待っています」


 そのように返すと、ラウルは形の良い唇を吊り上げて、背を向けて車へと歩き出す。それを見送るシェイラは、つい頬がにやけてしまった。


 だって、「また」だ。レイノルド以外、これといって親しい友人がいなかったシェイラに、別れ際に「また」と手を振る相手が出来たのだ。これは快挙だ。ひとが見れば些細な出来事かもしれないが、シェイラにとっては天と地がひっくり返るほどの躍進だ。


 と、そのとき。〝友人〟が出来た喜びをシェイラが噛みしめていると、ふと、ラウルが足を止めて振り返った。そして、夕陽が沈んだばかりの澄んだ宵の空に似た藍色の髪をなびかせ、慌てて頬の緩みをごまかすシェイラを見つめた。


「なあ、シェイラ」と、彼はまっすぐにシェイラに視線を向けたまま言った。


「俺がレイノルド・ミラー相手にキレたのは、お前のためだけじゃない。俺が、奴に腹が立ったんだ」


「隊長がレイノルドに、ですか? なぜです?」


 不思議に思ってシェイラは問いかけるが、ラウルははじめ、「さあな」とはぐらかして頭を振った。けれどもすぐに思いなおしたのか、彼は大股で近くまで戻ってくると、手を伸ばしてシェイラの髪に軽く触れた。


「こんなことを言うと、お前は怒るかもしれないが」と、ラウルは苦笑した。


「俺はひとつだけ、奴に感謝している。奴のひとを見る目がなかったこと。お前を、手放したことだ。――今は、それだけ言っておく」


 それは、どういう意味だと。シェイラはそれを尋ねようとしたが、間に合わなかった。くるりと背を向けたラウルは、今度こそ車へと歩みよると、実に憲兵隊らしい無駄のない所作でそれに乗り込んだ。


 車が完全に大通りに吸い込まれたのを見届けてから、狐につままれた顔でシェイラは屋敷の戸を開ける。ぱたりと後ろ手に扉を締めながら、最後のラウルの台詞はなんだったのだろうかと彼女は首を傾げた。


 けれども、彼女はすぐに、のんびりと考えに浸る時間を奪われた。


 屋敷の奥で戸の開く音がし、複数名の足音が慌ただしく玄関へと近づく。そうして姿を現した兄キースと兄嫁クリスティーヌに、シェイラは瞬く間に詰め寄られた。


「おかえりなさい、シェイラちゃん。デートは首尾よく運んだかしら?」


「へ?? でーと??」


「あんにゃろ、ひとの家の前で妹にぺたぺた触れやがって……。いったい、長々と何を話していたんだ!?」


「ちょっと、見てたの!?」


 特に後ろめたいことがあるわけではないが、仰天してシェイラの頬が赤く染まる。それを違う意味で受け取ったらしいキースが、己の髪を掻きむしった。


「なんだ、その反応は!? くっそー、ラウル・オズボーンめ!」


「どうだったの? オズボーン様とは、どんなデートをしてきたのかしら?」


「っ、ち、ちがう! 一緒に出掛けたのは、そういう意味じゃなくて……」


 すっかり早とちりをしている兄夫婦を宥めようと、シェイラは大声を上げる。けれども兄夫婦の奥で、遅れて登場した執事のブラナーが優雅にお辞儀をするのを見て、なぜか嫌な予感がしたシェイラは言葉を飲み込んだ。


 ブラナーはにこやかに、シェイラに告げた。


「おかえりなさいませ、お嬢様。ちょうどよろしゅうございました。ご主人様と奥様が、首を長くしてお嬢様のお帰りをお待ちでございました」


「ええ、シェイラ。帰ってきてくれて嬉しいわ。もっとも、話を聞くのは楽しみだけれど、もっと二人の時間を楽しんでから戻ってきてもよかったのよ」


 廊下の奥から響いた声に、シェイラは飛び上がる。


 色々あったからすっかり忘れていたが、そういえば今日はふたりが帰ってくる予定だった。今更のように思い出しながら、恐る恐るシェイラはブラナーのさらに後ろを窺って――見つけた。


 豪華にカールする真っ赤の髪、春の野のような緑の瞳、目鼻立ちのはっきりした気の強そうな美人顔に、不敵な笑みを浮かべる紅くふっくらとした唇。


 どこかで悪役でも張っているのかと突っ込みたくなる容姿だが、彼女こそシェイラの母、ディアンヌである。なお、母の後ろから僅かに顔を出し、小さく手を振る口髭をはやした茶髪の紳士は、父ラッド・クラークだ。


 シェイラとそう変わらない年齢としか見えない、若い外見をした母は、小道具だけは妙齢の奥方感を満載に、扇をふぁさふぁさと扇いでにっこりと微笑んだ。


「クリスが教えてくれたわ。商談のため私がラッドと家を空けている間に、とっても色んなことがあったのね。それも、素敵な殿方が関わっているとか」


「違うの、お母さま。ラウル隊長は、そういうつもりで誘ってくれたんじゃなくて……」


「グッジョブよ、シェイラ! この機をモノにしなさい!」


 勘違いを正そうとするシェイラの努力も空しく、ディアンヌはぴしりと扇をシェイラに突き付ける。そして目を白黒させるシェイラの前で、盛大に高笑いをした。


「ラウル・オズボーン様がその気になってくれれば、もうこっちのもの。ミラー家の坊やと馬鹿親父が悔しがる様子が、目に浮かぶようだわ!」


 おーほほ!と、扇を口元にあげて見事としか言いようのない悪役笑いをする母を見て、そういえば高笑いを参考にするなら、まずはこのひとがいたなと。


 そんなことを、現実逃避のようにシェイラは考えたのだった。




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