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【電子書籍化】魅惑の鬼隊長は、ゴーストがお嫌い。  作者: 枢 呂紅
4.ひょっとしなくても、デートです。
15/63

4-3



 ラウルがシェイラを連れて行ったのは、庭園のなかにある有名なパティシエが開いたパティスリーだった。庭園内でももっとも人の集まる大運河と呼ばれる人工池の目の前にあり、店の奥は大運河を望めるカフェとなっていることから、都でも人気の店だ。


 シェイラもケーキを食べたことはあるが、店内はいつも混みあっているため、いつもテイクアウトのみである。カフェ利用限定のケーキもあるとのことだったので、ぜひ一度利用してみたいと思っていたのだが、思わぬ形でそれが叶うことになった。


「ラウル・オズボーンだ。使いは遣ったが、問題はないか?」


「もちろんでございます。お待ちしておりました、ラウル様。さあ、こちらへ」


 ラウルがドアマンに声を掛けると、彼はすぐに笑み崩れてふたりを店内に招き入れた。そして、壁のデザインに紛れ込んだ隠し扉のようなものをスルスルと開いていく。


「会員制の、特別なサロンだ」と、驚くシェイラにラウルは囁く。


「店を出すときに、母が王家時代の繋がりで、この店に出資をした。だからこの先のサロンは、王家とオズボーン家、あとはその紹介を受けた者でないと入れない。ちょっと、秘密基地っぽいだろ」


 まるで少年のように無邪気な笑みを浮かべてラウルはそういうが、これは「秘密基地」なんて可愛らしいものでない。王家ご用達の有名パティスリーから独立した人気店に隠しサロンを持っていて、まるでその辺のカフェに誘うような気軽さで友人――打ち解けたとはいえ、はたしてラウルとの仲が『友人』なのかも怪しい――をサロンに連れていく。


 なんというか、やはり。


(いろいろと、ぶっ飛んだひとなんだなあ)


 あらためて、そんなことをシェイラはしみじみと思う。いくら本人が貴族らしくない竹を割ったような性格をしていても、名家オズボーンの三男だけあってしみついた感覚は完全に上流階級のそれ。シェイラたち中流貴族とは、住む世界がまるで違う。


 とはいえ、それを笠に着て見下すようなところがないのは好感が持てる。はじめは傲慢な性格をしているのかとも思ったが、この二日行動を共にした今ならわかる。彼は社交界を賑やかす噂といった、いわゆる貴族的なアレコレに純粋に興味がないのだ。


 いまだって、彼にしてみれば確実に席を用意できる使い勝手のいい店があって、そこの菓子が上手いから食べさせてやろうと思い、ここにエスコートしたのだろう。


 ある意味で純粋。駆け引きのない真っ向からの善意は、一緒にいて心地よい。


(ちょっと、かわいいかも。なんてね)


 くすりと笑ってから、シェイラはすぐにぶんぶんと首を振り、考えを頭から追い出した。うっかり忘れてしまいそうになるが、何度もいうが、彼はラウル・オズボーンだ。シェイラごときが「かわいい」だなんて、考えるのもおこがましい相手だ。


「何、ひとりで百面相してんだ。いくぞ」


 見れば、いつの間にかドアマンは完全に扉を開け終えて、ふたりが中にはいるのをにこにこと笑ったまま待っている。我に返ったシェイラは、ラウルに背中を押されて、サロンへと足を踏み出そうとした。


 そのときだった。


「――――シェイ?」


 聞き覚えのある声も、その呼び方も。シェイラを引き留めるには十分だった。なぜならその呼び方は、この世でただひとりだけが使うものだったからだ。


 思い切って、シェイラは振り返る。そして、彼女は見つけた。


 ケーキの箱を腕に抱えて店の入り口に立つのは、まぎれもなくシェイラの幼馴染で元婚約者、レイノルド・ミラーそのひとだった。






〝はじめまして。ワタクシ、シェイラ・クラークです〟


 そう言ってシェイラは、母に教わったとおりにスカートの裾をつまみ上げ、ちょこんとお辞儀をする。ちゃんと習った通りに出来た。そのことに得意になったシェイラは、目を輝かせて相手の返事を待つ。


 対する相手――レイノルドは、眠いのかどこかぼんやりとした顔でシェイラを見ていた。細くてきらきらと輝く銀の髪に、薄水色のきれいな瞳。透き通る白い肌に、うっすらとピンクに染まった唇といい、ほんとうに女の子のようだった。


 そのレイノルドが、ややあって、こてんと首を傾げた。


〝……シェイ?〟


〝こら、レイノルド! この子はシェイラちゃんだ、ちゃんと教えただろう! それから名乗りなさい。お前の名前だ、ほら、早く!〟


 そばで見ていたレイノルドの父親が飛び出してきて、すぐに挨拶をやり直させようとする。けれどもレイノルドは夢を見ているようなぽやーっとした表情で、シェイラを見るだけだ。


 その時点で、シェイラは諦めた。というより、シェイラのほうが彼よりもひとつ年上だったこともあって、寛容な態度でレイノルドを許してやることにした。普段、年の離れた兄に年下扱いばかり受けていたシェイラにとって、そうすることこそ得意だったのである。


〝いいわ。トクベツに、シェイってよばせてあげる。よろしくね、レイノルド〟






「――――シェイ、か」


 ふいに届いた声に、物思いにふけっていたシェイラははっとして顔を横に向ける。すると、斜めに並んで座るラウルのもの言いたげな瞳と、視線が交わった。


 彼はティーカップを取り上げてひとくち紅茶を飲んだ後に、頬杖をついてあらためてシェイラを見た。


「随分と親しい間柄だったんだな。今時、親が決めた婚約者だなんて、窮屈で古めかしい関係だったろうに」


「レイノルドとは婚約者どうこう以前に、幼馴染でしたから。私は『勘』のせいで同年代の子には怖がられてたし、あっちはぼんやりしてて、お互いに友達も多くなかったですしね」


「へえ」


 自分から話を振ったくせにラウルはつまらなそうに答える。そして、大きく窓を開け放ったテラスの向こうに広がる庭園に視線を移した。


 パティスリーのブランドカラーであるライムグリーンのカーテンが、風にふわりと舞い上がって美しい。その奥では、太陽の光できらきらと反射する水面に恋人たちの乗る木製のボートが浮かんで楽しそうだ。


 こんなにも爽やかな光景が広がっていると言うのに、それを眺めるラウルの冷めた横顔は一体どうしたことか。彼は目の前に置かれたせっかくのフルーツタルトにも表情を綻ばせることなく、ずっとこの調子でシェイラの横に鎮座している。


 彼がこうなってしまったのは、店の入り口でレイノルドに会ってからだ。


 レイノルドは、記憶のなかにある姿とたがわず、白銀の君と呼ばれるのも納得の美貌だった。けれどもそれ以上に相変わらずだったのは、彼はわざわざシェイラを呼び止めたくせに、あとはいつものぽけっとした顔――巷では「夢見る天使の微笑」と騒がれているらしい――でシェイラを見つめるだけだったのだ。


 特に意味のない見つめ合いと、沈黙。いや、だから何の用だと。いよいよもってシェイラが突っ込もうとした矢先に、ラウルに急かされてその場を離れた。けれどもサロンに入ったら入ったで、今度はラウルの様子がおかしくなってしまったのである。


 仕方なくシェイラは会話をするのを諦め、銀フォークを取り上げた。繊細なデザインの施されたそれを向けるのは、マロンクリームをパイ生地に挟み込んだ季節のミルフィーユ。さくりと音を立て、一口ぶんを切り分ける。


 生地とクリームが舌の上で混ざり合った瞬間、シェイラは頬を押さえて悶絶した。


「おいっしいーーーー!!」


「ん?」


 さすがに何事かと思ったのだろう。ぼんやりと窓の外を眺めていたラウルが、瞬きをしてシェイラに顔を向ける。だが、当のシェイラはそんなのおかまいなしに、きらきらと目を輝かせてミルフィーユを絶賛するのに夢中であった。


「さすがカフェ限定メニュー、季節のミルフィーユ! お客を呼び込むための限定メニューだけあって、すっごく気合入っている。ていうか、そんな考察どうでもよくなっちゃうくらい美味しい! 好き!!」


 きゃあきゃあとはしゃぐシェイラに、ラウルはしばし呆気にとられた様子。やがて彼は、ふっと短く息を吐き出すと「そーかよ」と柔らかな笑みを浮かべた。


「よかったな。お前がそんなに気に入ったのなら、俺もつれてきた甲斐がある」


「マロン味が好きで、秋の限定ミルフィーユはどうしても一度食べてみたかったんです。夢が叶っちゃいました。本当に、ありがとうございます!」


 今日一番の笑顔でシェイラが力強く礼を言うと、ラウルは吹き出し、続いておかしそうに笑いだした。


「お前、ゲンキンなやつだな。ケーキひとつでそんだけ上機嫌になれるとかガキかよ」


「失礼な! それに、食は偉大です。『美味しい』は世界を平和にするものです」


「ああ、そうだな。少なくとも、そのミルフィーユはひとりの女をめちゃくちゃ幸せにした。とんでもなく尊い偉業と言えるだろう」


 クツクツと笑うラウルに、先ほどまでの翳りはない。イチョウ並木を並んで歩いてきたときと同じ、シェイラを連れて気ままに休日を謳歌する彼だ。


「やっと元通りになりましたね。さっきまで様子が変だったから、気になりましたよ」


「変? 俺がか?」


 ラウルはどうやら、自覚がなかったらしい。けれどもすぐに何か思い当たる節があったのか、「あー……」と視線を泳がせ、前髪をかきあげた。


「まあ、たしかに、ちょっとばかし変になっているのは認める」


「大丈夫ですか? もしかして、さっきトラウマについて思い出させちゃったのが、今更ダメージで出てきちゃってます?」


「ち・が・う」


 口をへの字にして、ラウルはきっぱりと否定。けれども彼は、なかなか先を続けようとしない。シェイラが大人しく待っていると、彼はぽりぽりと頬を指で掻いた後、なぜかがらりと話題を変えてきた。


「好きだったのか? あいつのこと」


「え?」


 完全に予想していなかった種類の問いかけをされて、シェイラはぽかんと口を開けた。


 あいつ、というのはレイノルドのことで間違いないだろう。しかし、なぜラウルはそんなことを聞くのだ。これまでの会話から、彼がゴシップネタに露ほども興味がないのはわかっている。会話の流れを変えたかったにせよ、もう少しマシなネタ振りができたはずだ。


 そんな風にシェイラが戸惑っていると、彼は不機嫌そうに眉根を寄せた。


「まさか、もう忘れたってことはないだろ。どうなんだ? あいつとは、親が定めた許嫁以上の関係に――つまり、恋人同士だったのか?」


「違いますよ!」


 驚いて、シェイラは思い切り首を振った。


「レイノルドとは仲は良かったですけど、気心の知れた姉と弟って感じです。といっても頻繁に会っていたわけでもないし、会ったら会ったで、私が一方的に話すばっかりでした」


「しかし、さっきはあんなに見つめ合っていた」


「誤解です! 彼、いつもああなんですよ。ミステリアスだなんだと騒がれてますけど、要はぼーっとしているんです。何かいいたいことがあるのかな、なんて待っていると、あんな感じに変な沈黙になっちゃうんです」


 なんとなく言わんとしていることがわかって、シェイラは彼を安心させるためにも、明るい調子で笑いかけた。


「もし心配してくださったなら、大丈夫です。婚約破棄を聞いたときも、たしかに最初はイラっとしたけど、ある意味自由になれたんです。だって、そうでしょ? 本とか戯曲みたいなロマンチックな恋愛をしたって、誰も文句を言わないんだもの。――まあ、『霊感令嬢』の噂があるから難しいかなあって、そっちの意味で諦めてますけど」


「そんなことはないだろ」


 強い口調で遮られ、シェイラは虚を突かれる。対するラウルは真剣な眼差しで、シェイラのことをまっすぐに見ていた。


「お前はいいやつだ。霊感令嬢の噂に惑わされてお前の良さに気づけない男がいたら、そいつが阿呆なだけだ」


 嘘偽りのない深紅の眼差し。強い意志を感じさせる、引き結ばれた唇。それらを正面から受け止めて、シェイラは今更のように恥ずかしくなった。というより、今の流れで照れずにおられる人間がこの都にどれくらいいるだろう。


 案の定、本人が自覚するよりよほど初心なシェイラが耐えられるわけもなく、彼女はぷいと顔を背けて苦し紛れの強がりを言った。


「おだてたって何も出ませんからね。それに『いい奴』って、恋愛物語では一番不憫な扱いを受けるキャラじゃないですか」


「どうしてそう、ひねくれた受け取り方をする。俺はそういう意味で言ったんじゃ……」


「ラウル隊長はどうなんです?」


 無理やり話の矛先を変えれば、今度はラウルが虚を突かれる番だった。首を僅かに傾け、続きを待つ彼に、シェイラは興味津々に身を乗り出した。


「いつもたくさんの女性に囲まれて大人気なのに、決まった誰かと付き合っている感じでもないですよね。どうしてです? ……もしかして表向きはプレイボーイでも、実は許されない禁断の恋のお相手がいるとか?」


「馬鹿野郎、本の読みすぎだ。鬼神隊の隊長にどんなスキャンダル背負わす気だよ」


 即座に否定されてシェイラは考え込む。ならば、別の美味しい〝設定〟はないだろうか。そう考えを巡らせていると、シェイラが何を真剣に悩んでいるのかそこはかとなく察したらしいラウルが、やれやれと肩を竦めた。


「別に大した理由じゃない。ただ、真剣に付き合おうと思える女がいなかっただけだ」


「あんなに綺麗なひとたちが、毎回取り巻いているのに?」


「あいつらは単に、周りできゃあきゃあ騒ぐのが好きなだけだ。いるだろ。劇団員の追っかけやっているのと同じだ。たまに踏み込んでくる女もいるが、俺の後ろにあるオズボーン家か、俺の地位に目が眩んでいるだけ。軽く相手はするが、それ以上は面倒だ」


 心から厄介そうな口ぶりで言って、ラウルは紅茶に口をつける。遠目に見ていたときは、華やかな世界の中心にいてさぞ気分がいいだろうと思っていたが、彼には彼の気苦労があるらしい。「モテ」の対極にいるシェイラにとっては、「モテ」る者の贅沢な悩みにも聞こえてしまうが。


「わがままですね。じゃあ、隊長はどういうひとだったら満足するんです? 気になるひとはいないんですか?」


「お前なあ」と、ラウルはいよいよもって呆れた顔をした。「そういうのは、女同士でやれ。茶会のひとつにでも参加すれば、いくらでも話が広がるだろ」


「お茶会を開く相手がいないんですよ察してください。いいじゃないですか。どうせ霊感令嬢は友達がいないのです。誰にもばらしませんよ」


 うずうずとシェイラが強請れば、ぶつくさ言いつつもラウルは一応真剣に考えることにしたらしい。腕を組み「気になる相手、ねえ」と宙を睨む。そのまましばらく黙り込んでいたと思ったら、ふいに彼の双眼がシェイラに向けられた。


 なんだろう。まるで大いなる謎に囚われたような、なんとも言えない表情を向けるラウルに、シェイラは首を傾げる。そういえばこの店に入る前も彼は、シェイラのことを食い入るように見つめていた。あのときと何か関係があるのだろうか。


「シェイラ」


 半信半疑。彼自身そういった様子で、ラウルはようやく口を開く。


「覚えはないか? お前、5歳くらいのときに、王立劇場で――――」




 そのとき、ガタガタっと隠し扉が開かれる音がして、「お客様、困ります」と店員が誰かを懸命に引き留める声が遠くに聞こえた。


 店員たちは隠し扉の向こうにその「誰か」を通すまいと粘ったらしいが、「誰か」は無理に入ってきてしまったらしい。シェイラたちのいる二階へと階段を上る足音が響いて、サロンの前でぴたりと止まった。


 カチャリと。無理やり押し入ってきた割に、静かに開けられた扉の向こうに立つ人物を見て、シェイラは今度こそ目を丸く開いた。


「……レイノルド!?」


 立ち上がってその名を叫べば、元婚約者レイノルド・ミラーは、ゆっくりと瞬きをしたのであった。




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