4-2
「時間があるなら、少し付き合ってくれないか」
そうラウルが言うので、特に予定もなかったシェイラは了承した。ゴースト関連だろうと、彼女は思ったのである。
考えてみれば、根拠はなかった。霊感令嬢に頼むことなんてゴーストに関わることぐらいだという先入観が、そう思い込ませただけだ。
だから、こんな展開はまったく予想していなかった。
「庭園なんざ、呑気な貴族をカモにするスリどもの温床になるから面倒だと思っているが、この時期だけは悪くない。木が色づくのは、風情があっていいよな」
黄色に染まったイチョウの木を見上げて、ラウルは満足げに笑う。後ろに鮮やかな黄金色を背負った、美丈夫がひとり。まるで舞台の1シーンのような光景に、道行く令嬢たちもきゃあきゃあと声を上げる。
「あのひと、すごく素敵じゃない?」
「バカ! ラウル様よ、オズボーン家の」
「やだ、本物見れちゃった。ていうか、隣の子だれ?」
じっと不穏な視線が突き刺さり、いよいよいたたまれなくなったシェイラは、肩に落ちたイチョウの葉を手にとって眺めているラウルに詰め寄った。
「ラウル隊長! これはいったい、何なんです!?」
「イチョウだろ。珍しいな、見たことないのか」
「ありますよバカにしてるんですか。そうじゃなくて、なんで私たち、ふたりで庭園を歩いてるんですか!」
シェイラにとっては当然の疑問なのだが、問われたラウルはきょとんとシェイラを見下ろす。そして彼は首を傾げた。
「駄目だったか? ちょうど一昨日ぐらいに見頃になったと隊の奴に聞いてな。体調も問題なさそうだし、詫びのひとつにお前に見せてやろうと思ったんだが」
「ああいえ、そこに文句はないというか、むしろお気遣いありがとうございます嬉しいです……。けど、そうじゃなくて」
ちらりとシェイラが後ろに視線をやれば、つられてラウルもそちらを見る。ルビー色の双眼が自分たちに向けられたことに気づいた令嬢たちが、黄色い声を上げて互いの手を取り合った。
すると彼は合点したように「ああ」と呟いたあと、腰に片手をあてて眉をくいと上げた。
「あんなの気にしてたのか。霊感令嬢ってバレたときのほうが、よっぽとジロジロ見られるだろ」
「そうですけど! ……なんていうか、種類が違うんですよ。もっとこう、嫉妬と欲望がいりまじるというか」
「だろうな。なんせ、相手が俺だから」
事も無げに言ったラウルは、ふいに手を伸ばしてシェイラの髪に触れようとする。きゃあと令嬢たちが悲鳴あげるなか、彼はシェイラの髪についたイチョウの葉を摘み上げ、令嬢たちに向け魅惑的に微笑んだ。
真っ赤になった彼女たちがその場にへたり込んでしまうのを見届けてから、彼は枯葉をぽいと地面に捨てると、呆れて見上げるシェイラを促して歩き出した。
「気にするな。声をかけてこないところを見ると俺の知り合いというわけでもなさそうだし、仮に知り合いだとしてもどうこう言われる筋合いはない」
「隊長はそうかもしれませんが……」
「なら聞くが、お前は俺とふたりで歩いていたことが噂になったとして、言い訳をしなければならない相手がいるか? 俺の記憶によれば、今現在、そういう人間はいないはずだが」
痛いところを突かれて、シェイラは唇を尖らせる。社交界の人気者だけあって、婚約破棄騒ぎのことは一応知っていたらしい。少しだけむくれて、シェイラはそっぽを向く。
「いません。ええ、ご存知のとおり」
嫌味を込めて返したのに、ラウルは「だろ?」と肩をすくめただけだった。
「なら、堂々としてろ。いたずらに恥じれば、噂好きの連中を喜ばせるだけだ。だいたい、噂のネタは毎日ゴロゴロしてる。一過性の騒ぎに、いちいち付き合ってたらキリがない」
ばっさり言い切った彼の髪を、木々を吹き抜ける風が揺らす。深い藍色の髪が黄金色の景色にくっきりと浮かび上がり、まるで彼の確固たる存在を象徴するかのようだ。
なんという自信だろうと、シェイラは唖然とした。けれども、他人の目など気にするに値しないと言い切ってしまう様は、小気味よくもある。
「自分はじぶん、人はひと」とばかりに、堂々と我が道を闊歩する貴族界の異端児。彼が、女だけではなく男からも絶大な人気を誇る理由が、今更のようにわかった気がする。
だが、そのように感心しかけたところで、シェイラは彼の放った盛大なブーメランに気づいてしまった。
「ゴーストのことも、それくらい堂々としてればいいのに」
シェイラが小声で言うと、横を歩くラウルがぎくりと肩を震わせた。
「それはまた別の話じゃないか」
「何が違うんですか。他人の目を気にしている時点で同じじゃないですか」
「いいや、これはプライドの問題だ! 男の沽券に関わる大事な!」
腕を組んだラウルは、苦し紛れ全開に胸を張る。せっかくさっきまで格好いいことを言っていたのに、台無しである。
「そもそも、どうしてラウル隊長はそんなにゴーストが苦手になっちゃったんですか? トラウマって言ってましたけど、隊長をそこまで怯えさせるゴーストって一体……」
「それは……」
足を止めたラウルは、明らかに顔を強張らせている。ゴゴゴゴと効果音がついてしまいそうなほどの重苦しい沈黙のなか、ラウルは鬼神モードを深めていった。いまならわかるが、彼の鬼神モードは恐怖に抗っている反動だ。……いや、普通に鬼神隊の隊長として気迫も纏うこともあるだろう。たぶん。おそらく。
下手にトラウマを突っつくのもよくないかとシェイラが質問を撤回しようとしたとき、ラウルは深いため息とともに髪をかきあげた。
「今更、お前に隠し事もないな」と、彼は観念したようにシェイラを見下ろした。
「あれはまだ俺が7、8歳のときだ。その頃の俺はまだゴーストにまったく苦手意識がなくて、むしろ兄貴連中にはない『勘』が自分には備わっていることに得意になっていた。しょっちゅう、ゴーストがそこにいるぞって嘘をついて、兄貴たちが怖がる様を見て喜んだよ。ま、大抵のガキと同じで、俺もクソガキだったわけだ」
その兄貴たち、つまりオズボーン家の長男・次男のふたりが、あるとき逆襲に出た。
それは夏のバカンスで、家族そろってとある景勝地を訪れたときのことだ。豊かな水で満ちた美しい湖水地帯にある、ひと際大きな湖。その湖の最大の特徴は、中心にある島を埋め尽くすように石造りの古城がそびえることだ。
今は使われていないその城は、管理する古参貴族が観光のためだけに一部開放している。まるで湖に浮かんでいるような幻想的な見た目に惹かれた多くの画家が筆を走らせてきたこともあり、ハイシーズンには多くのひとが城を訪れていた。
だが、その城にはひとつだけタブーがある。新月の夜、西の塔に近づいてはならないというものだ。なぜなら300年ほど昔、塔で非業の死を遂げた姫君がいたのだ。
「『ルグランの悲恋歌』を知っているか。数年前に、王立劇場でもやっていたが」
「もちろん知っています。ルグラン大戦で引き裂かれてしまった、若い恋人たちの悲恋物語。……まさか、その塔で亡くなったのって」
「そう、もとになったふたりだ。姫には将来を誓った相手がいたが、大戦の平定のために人質として隣国に差し出されることになる。隣国へ向かう前夜、彼女は恋人の騎士と逃げ出そうしたが、実の父親に企みがばれて殺されちまった。……劇中では自殺したことになっているが、とにかくその舞台となったのが例の城なんだよ」
以来、城では不可解な現象が続いたという。石造りの床を剣でひっかくような耳障りな音、何度変えても浮き上がるカーペットの血の染み、真夜中に窓に映るドレス姿の影。
何人ものゴースト祓いが城を訪れ、彷徨える若い恋人たちのゴーストを宥めようとしたが、上手くいかなかった。だが、歴史に名を遺すとある偉大なゴースト祓いが、ゴースト現象をいくらか鎮めることに成功した。
けれども、彼の手をもってしても完全にゴーストを消すことは出来なかった。彼は次のように言葉を残している。月の光が弱まる新月の夜だけは、決して西の塔に近づいてはならない。みだりに近づけば、哀れな魂を呼び起こすことになる、と。
「……って話を、どこで聞いたんだか兄貴たちが仕入れてきてな。それをネタに、いつも自分たちを脅かす憎たらしい弟に仕返しすることを決めたらしい。そしてそれは、お誂え向きにめぐってきた新月の夜に決行されたんだ」
兄ふたりは城にまつわるゴースト話を伝えたうえで、ラウルを焚きつけた。自分はゴーストが怖くないと豪語するなら、歴史上最悪と言われるゴーストだって平気なはずだ。つまり平たくいうなら、肝試しを持ち掛けたのである。
ラウルがこれに引くわけなかった。ゴーストに関しては絶対的な自信を持っていたし、なんなら西塔のゴーストを手懐けてやろうぐらいの意気込みで、誘いに乗った。
兄たちはほくそ笑んだ。仕込みはばっちりだった。
たいそうな噂が流れるわりに、城ではもう長いことゴースト現象が起きていない。だから若者たちを中心に、新月の夜にわざわざ城に向かうひとはそこそこいて、小遣い稼ぎに地元のひとが主催するツアーまで組まれていた。兄たちはラウルを連れ、そうしたツアーのひとつに参加した。もちろん、両親には秘密である。
といっても、その城は跳ね橋を渡ってしか入ることが出来ないため、橋を上げてしまう夜には中に入ることは出来ない。だから彼らが向かうのは、西塔がよく見える湖沿いの高台だ。
兄たちも、何も本当に歴史上最悪のゴーストが弟を襲えばいいとは思っていない。所詮は、幼い兄弟同士の小さな嫌がらせ。ただ、ちょっぴり怖がればいいと思っただけだ。
兄たちの作戦はこうだった。到着したらまず、オペラグラスで順番に西塔を確認する。そのあとで、もう一度兄たちでオペラグラスを覗き、ゴーストが見えると騒ぐのだ。
当然、ラウルは興味を持つに違いない。だが、すぐには見せてやらない。怯えるふりをして散々じらしたあとで、満を期してラウルにオペラグラスを渡す。そして、弟がすっかりオペラグラスに意識を向けた瞬間に、ふたり揃って後ろから脅かしてやるのだ。
「作戦は上々、兄貴たちが噂のゴーストを見たと信じた俺は、自分より先にゴーストを見つけられた悔しさで、夢中でオペラグラスを奪ったよ。予定と違ったのは、そのあとだ。まんまと俺はオペラグラスを覗き、――『アレ』を見た」
彼ははじめ、オペラグラスについたゴミかと思った。けれども形の定まらない白い影は、まるで朝靄のようにゆらゆらと揺れながら、まぎれもなく西塔の窓の中に浮いていた。
目を凝らした幼き日のラウルは、ふいにその影が――顔などないくせに、こちらを見た気がした。
途端、真冬の湖に飛び込んだかのように、頭のてっぺんから爪の先まで全身が粟立った。
「その先は、記憶がないんだ」
蒼ざめた顔を片手で覆ったまま、ラウルは続ける。なお、もう片方の手は、隣に座るシェイラが握っている。昔を思い出しているうちに気分が悪くなったらしいラウルを近くのベンチに座らせたのだが、その際にあまりに見ていられなくなって、うっかり繋いでしまったのである。
「気づくと俺は宿泊先のベッドに寝かされていて、高熱にうなされていた。意識が朦朧として、何度も悪夢を見た。夢には決まって顔のない女が出てきて、俺を追いかけてくるんだ。叫んで、起きて、また夢に落ちて。まさに、地獄のような日々だった」
ラウルもあとから聞かされた話だが、兄たちは突然倒れてしまった弟を大慌てで連れ帰り、泣きながら両親に事の次第を包み隠さず話したそうだ。一応は町医者に診てもらって熱が原因不明であることを確かめた両親は、直ちにゴースト祓いを呼んだという。
「けど、ゴースト祓いに伝手なんかありゃしない。だから、近くに住むゴースト祓いに片っ端で声を掛けたが、ことごとく外れでな。おかげで俺は10日も高熱と悪夢にうなされて、あわや本気で死にかけたんだ。……最終的に、たまたま町を通りかかった流しのゴースト祓いに救われて、こうして生き延びることが出来たがな」
「流し……そのひと、どんなひとだったんですか?」
「知らん。俺の意識がはっきりした頃にはとっくにいなくなっていた。両親は奴を厚くもてなそうとしたらしいが、それすらも断られてな。謝礼だけもらって、名乗りもせずにふらっと消えちまったそうだ」
ふうと長く息を吐きだして、ラウルはベンチの背もたれに身を預ける。浅い呼吸を繰り返す横顔は血の気が引いてしまっているが、恐ろしい体験のすべて吐き出したせいか、いくらかの達成感が滲んでいた。
「な? ざまあないだろ?」と赤い瞳をシェイラに向けて、彼は力なく笑った。
「おかげで俺はこんな年になってまで、ゴーストの気配を感じると、あの夜の恐怖が蘇っちまう。おまけに一度憑かれた反動なのか、以前に増してゴーストの気配には敏感になっちまった。連中の姿は、あいも変わらず大して見えないくせにな」
まるで茶化すような軽い口ぶりだが、たしかにこれは、相当なトラウマである。同じ『勘』持ちでありながら、ありがたくも一度もそうした恐ろしい体験をせずにここまできたシェイラは、素直に彼に同情をした。
「なんというか……災難な目にあいましたね」
「災難、か。そうだな。一方で、あんな体験でもしなけりゃ、死に物狂いで剣を振り回して自分を鍛えようとはしなかったかもしれない。皮肉なもんだ」
若干、記憶をさかのぼることに時間を要したが、シェイラは思い出した。そういえば、王立劇場の地下通路でゴースト嫌いについて打ち明けられたときにも言っていた。
ゴーストが怖くて、まともに立っていられないほど全身が震えて。そんな自分の弱さを克服するために、夢中で稽古に励み、剣の腕を磨いたのだと。
「隊長はすごいですよ。十分、ただものじゃないです」
思わずおかしくなって、シェイラは笑う。それを見たラウルは、怪訝そうに目を細めた。
「言ったろ。ガキんときのトラウマから抜け出せない、情けない男だって」
「けど、それが原因で、まだ子供なのに大人を剣で打ち負かしちゃうような、とんでもない神童になっちゃったんですよね。しかも、今では鬼神隊の魅惑の鬼隊長。就任式あとのパレード、ちゃんと見てましたよ。ありえないくらい若いのに、納得しちゃうほど強そうで、一瞬で街のひとたちを虜にしてしまいましたよね」
街頭に出て、話題の新隊長を一目みようと集まったひとたちの間で精一杯背伸びをしたことを思い出す。無数に並ぶ人々の頭の隙間から、ラウル・オズボーンの姿を捉えたのはほんの一瞬だった。
それでも、大きな馬の上に堂々とまたがり、深い藍色の髪の隙間から真っ赤に燃える炎のような瞳でこちらを見下ろす姿は、言い様のない衝撃をシェイラに与えた。気づけば、野次馬気分で広場にきたことも忘れて、ほかのひとたちと一緒に歓声を上げていた。
「トラウマはひとつのきっかけになったかもしれないけど、それが無くたって、隊長はいまの地位を手に入れたんじゃないですか。だって、ものすごく強いですもの。あ、剣の腕前の話じゃないですよ? 私が言っているのは、心の問題です」
「心?」
「はい。隊長は人一倍負けず嫌いという意味で、とっても強いです」
断言してシェイラが笑えば、ラウルは驚いたように目を瞠った。突然、まじまじとシェイラの顔を覗き込んできた彼を訝しんでいると、彼ははっとしたように瞬きをした。
「すまない。似たようなことを、ひとに言われたことがあったんだ」
「へえ。きっとそのひとも隊長の身の上話を聞いて、同じように感心したんですね」
「そんな最近の話じゃない。それこそ、俺がまだガキの」
言いかけて、ラウルは眉をひそめる。それから彼は、先ほどとは比べようもないほど真剣な様子で、シェイラのことを穴が開くほど見つめた。無言で見つめられること数秒。ついに耐え切れなくなったシェイラは、音を上げて彼から距離をとった。
「なんですか! ものすごい圧を感じるんですが!?」
「……まさか、な」
何かを呟くと、ラウルはすっと立ち上がった。そして、まだ怪しんでいるシェイラに向かって手を出すと、打って変わって明るい調子で唇を吊り上げた。
「少し冷えてきたな。先を急ごう」
「急ぐって、どこにです? それに気分が悪いんじゃ……」
「問題ない。大分楽になった。ありがとな」
そう言って、思わず重ねたシェイラの手を引いて立たせると、鮮やかな黄色に染まったイチョウの並ぶ道の先をくいと顎で示して歯を見せた。
「庭園にお前を連れてきたのには、もうひとつ目的がある。この季節はとくにいいぞ。旨い物が選り取り見取りだからな」