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蜜の掟  作者: ぺぺ
2/14

女王誕生①

「ねえみつきの幼馴染また出てるよ!」

「え?」


興奮気味に駆け寄ってきたユリカは、私の机の目の前に立つなり、バサバサと騒ぎ立てながら雑誌をひらいて置いた。ユリカが指し示す場所を見るとなるほど、そこには私の幼馴染がいた。


「本当だ」

「なんでそんなに興味なさそうなの!」

「だって他人みたいなものだもの」


阿藤棗。


ユリカが言うように私たち三姉妹の幼馴染。しかし、先ほど言ったように私たちは他人同然の関係。小中と私たち三姉妹と一緒で、家族ぐるみで仲が良かった。しかし、棗も他の人達と一緒で、普通の私に興味などなく、両家集まっても私に目もくれず、まり姉と唯奈としか話さなかった。


そんな棗が最近モデルとやらを始めたそうで、面食いなユリカは棗を見つける度私の元へとやってくる。


「あーこんなイケメンが幼馴染だなんていいなあ」

「性格悪いよ」

「いいわよ。イケメンだったら何言われてもいい」

「そうですか…」


うっとりと夢見るユリカを放っておいて私は次の授業の準備をする。ユリカも普通の女の子。普通にイケメンに夢をみて、普通に恋を語って、普通に暮らしている。


ただそれだけのことなのに心地よい。


これが私の世界。


私も「普通」がいい。

イケメンに恋い焦がれるけれど、幼馴染がイケメンだけど性格悪いと、顔がいい人ってみんなこうなのかと敬遠してしまいそうになる。やっぱり私はイケメンじゃなくてもいいから普通に恋してみたいものだ。


「うわ、気分わりい」

「…」


そう、もう一度言うがイケメンじゃなくても普通の人がいい。こうして人に対して平然と暴言を吐く性悪男なんかではなく。


「まり子さんと唯奈に会い来たのにお前しかいねえの?」


人の家に入ってきて何様だ。

本当に昔からこいつは私に対しては愛想のあの字すら見せない。だから嫌いなんだ。


「まり姉は仕事。唯奈はレッスン。あんたならわかってるでしょ。この時間家には私しかいないって」

「スケジュール把握してなかったわ」


やっちまったなーなんて言いながら、棗はチョコレート色の髪の毛をがしがしと掻く。こっちだって学校から帰ってきて早々に棗の顔なんて見たくなかった。


「…お前なんか変わった?」

「は?」

「ブスの癖に香水つけてんだろ。唯奈の真似したって、一ミリも近づけやしねえよ」

「意味わかんない。つけてないし、近づこうとも思ってない」



見の程くらい知ってるってば。


それもまだ棗の視線はしつこく私に注がれている。

なんなんだ。こいつ難癖つけたいだけじゃないのか。


「…甘ったるい匂いがする」

「だからつけてないってば。耳鼻科でも言ったら?」


そういいながら、今まで後ろの棗を振り返る。すると棗は真後ろに立っていたので、ホラー映画さながらの驚きかたをしてしまった。


「び、っくりした…こ、こんな近くに立ってないでよ」

「…」



いまだどっどっと乱れる心臓を抑えながら、軽く怒るも、棗は私の言葉なんて聞いてないかのようにじりじりと距離を詰めてきた。



「な、なに…」

「マジで生意気」

「は?」


棗特有の少し釣りあがった猫目がこちらを見据える。何をそんなに怒っているのかまるで理解できずに、たじたじとしてしまう。



「ブスの癖に発情でもしてんの?」

「はあ!?最低!」


どうしてここまで人に、しかも女の子に最低の言葉を吐けるのか。いくら自覚しているとはいえ、ここまで言われたらさすがにずきりと胸も痛むわけで。


「というか近寄ってこないでよ!なんなの!?」


棗のしたい事が今一つわからなくて、ヒステリー気味に声をあげてしまう。それでも棗の足は止まらなくてついには目と鼻の先まで顔を近づけられてしまった。


(まじで何こいつ…)


いくら嫌いな相手とはいえ、整った顔がこんなに近くにいるとなれば私の心臓は普通じゃいられない。ましてや男性に免疫がない私にとってはかなりのシチュエーション。



「…生意気だなー本当」

「もうそれはわかったから、え…っ、」



棗は私の腕を抑えこむと、何を血迷ったか私の首筋に顔をうずめた。棗の髪の毛がちくちくと触れ、身をよじるもバカ力によって棗から逃れられない。



「な、ななにして…っ、いった…!」



かぷり、と棗は私の首筋に歯を立て、鋭い痛みを与えた。まるで動物に襲われたような錯覚を覚え、軽く恐怖する。


「はぁ…もっと色気のある声出せないのかよ」


そういつもの悪態をつきながら顔を上げた棗は、いつもと違う、どこか目が据わっているような気がして、軽く危機感を覚える。


「ね、ねえ棗…本当におかしいよあんた…」

「てめえ見てるとムカつくんだよ」

「まり子さんと唯奈が可哀想だよな。こんな出来損ないが妹と姉で」

「…そんなこと言われなくたって…」



やっぱりこの男は最低だ。

わざわざ人のうちに来て、わざわざ傷つく言葉を吐く。人の気持ちなんてわからない男なんだ。昔から棗は口が悪くて、私を前にすれば無視か酷い言葉を吐くだけ。だから慣れたもんだと思っていたけれど、今日はなんだかいつもと違う。


だって言葉はナイフのように鋭いのに、私の頬に触れるその手つきと視線はなんだか、まるで、恋人に触れるような優しさなんだもの。


(私の勘違いでなければ、だけど…)


ゆえに、そのちぐはぐさが私を混乱させる。


「目が潤んでる。泣くの?」

「…泣かないもん」

「…泣けよ。俺に酷いこと言われて、傷ついて、俺の為に泣けよ」

「…棗の為になんか泣かない」


棗が、私の涙を望んでいるのならば私は絶対泣かない。少しでも気を抜けばぽろりと零れ落ちそうな涙をぐっとこらえる。


「…くくっ、やっぱりかわいくねえな、お前」

「…もういいじゃん、いい加減帰ってよ…!」

「…そうだな、お前しかいねえんなら時間の無駄だから帰るわ」



そういうと、棗はゆっくりと、それでも私から視線を外さずに離れた。それにホッと安堵するも、棗が帰るまで気は抜けなかった。



気だるそうに玄関に向かう棗。それから彼は外に出る前にちらりと一度だけ私を顧みて、それからパタンと家を出て行った。


(なんなの…)


訳の分からぬ恐怖からようやく解放され、私はソファーに座り込む。普段の彼とはどこか違うあの雰囲気に少しだけ恐怖を感じる。



(…もう棗に会いたくない)



これから、極力棗に会わないようにしよう、と心に決めながらそっと息を吐いた





その日はなんだか一日中ぼうっとしてしまった。


(昨日の、何だったんだろう…)


考える必要ないと自分に言い聞かせても、ふとした瞬間にあの光景がよみがえる。私にとって刺激が強かったからだろうか。棗の豹変ぶりに衝撃を受けたのも事実だ。



「じゃあー…花園ー」



(ただの新手の嫌がらせ…?でも嫌いな人間にそこまでする?)



「はなぞのー」



(私だったらなるべく近づかないようにするのにな…性悪の人は嫌がらせをするためなら手段を選ばないのかも…)


「おーい聞いてんのか」

「え?…わぁ!」

「寝てたんかお前」

「す、すいません…話しかけられてましたか…?」

「話しかけたっつーか、次の問題、お前」

「えっ…」


はっと周りを見渡すとクラスメイトの視線が私に注がれていた。思わず顔が赤くなる。


(人の視線って苦手…)



くすくすと笑っている人もいるようで、私は赤い顔のまま立ち上がった。今日はもうだめかもしれない。早く家に帰りたい。恥ずかしい思いをしてそんなことを思った。

いざ黒板を見てみるとこれまた訳の分からない数式が並んでいた。



(…数学苦手なんだよね…)



イコールの先の答えを述べなくてはいけないのに、恥ずかしさや難しさにパニックになって、私の頭はフリーズしてしまった。


「えーと…」


(わかんない…)


素直にわからないというべきだろう。ちらりと困ったように藤先生に視線を送ると、気だるそうな視線とかち合った。



「…すいません、ちょっと…」

「なんかこの数式顔文字に見えねえ?」

「え?」



いきなり隣から飛んできた声にぱっと顔を向けるとそこにはニコニコとしている葵君がいた。



「…何バカみてえなこと言ってんだ」

「うわあ、教師の癖に辛辣ー」



葵君と藤先生のやりとりに教室からくすくすと笑いが漏れる。皆の意識はやがて二人の会話に行き、やがて私への問題はおざなりとなった。



(…葵君助けてくれたのかな…)



訳の分からないままそっと、隣を見ると葵君とばちりと目が合ってしまった。



「あ、ありがとう…」



ついお礼を言ってしまったが、もし私の勘違いだったら恥ずかしい。けれど、助かったのは事実で…。

葵君は黙ったまま私を見たかと思うと、ニコリと爽やかに笑った。


「いいよ。お礼はデートで」

「え?」



葵君の言ったことに聞き返そうとするも、いいタイミングでチャイムが鳴り響いた。結局葵君の真意を問いただせないまま、四限が終わってしまった。



(…まあ、冗談か)



そう解釈し、私はパタンと教科書とノートを閉じた。葵君はクラスのムードメイカー的な存在で、またサッカー部のエースとして校内ではちょっとした有名人。爽やかな容姿と明るいその正確に男女両方から人気がある。



(今も私を助けてくれたし、本当葵君っていい人)



葵君が彼氏だったら、さぞかし大事にしてくれそうだ。


「あ、花園は昼休み準備室に来るようにー」

「えっ、」


お弁当箱を鞄から取り出す手がぴたりと止まる。何の用かと藤先生を見やるも、既に藤先生は教室を出て行ってしまったようだった。



「…はあ」



ユリカとご飯食べる約束してたのに、断りを入れなくてはならなくなってしまった。きっと今の授業について叱られるのだろう。私は憂鬱な気分になった。


私はのろのろとユリカの教室へと向かい、藤先生に呼び出しを食らったと謝るが、ユリカは目を輝かせていた。むしろ自分が行きたいとも妙なことを言っていたので、私は呆れたようなため息を吐いてまたもやのろのろと準備室へと向かった。



(そりゃあ藤先生と二人きりになれるって、大半女子生徒は喜ぶかもしれないし、普段だったら少なからず私も心躍ってたけど…)



なにせ用事がすでに分かり切っているこの状況では手放しに喜べない。むしろかなり憂鬱だ。



普通に歩いて、五分で着く道のりが十分もかかったのは自分の気持ちの表れだろう。私の体はなんて正直なんだと思った。気持ちを静める為、ふう、と一呼吸して気の進まないまま扉を開ける。古びた教室の為、扉の立て付けも悪いようで、中々固くて重かった。


「こんにちはー…」


消え入るような声で恐る恐る部屋へと足を踏み入れる。中は埃ぽくて、むわっとした空気が一気に私を纏った。


「おーこっちだ」


どこからか藤先生の声が聞こえた。くぐもっている様子からして、この奥にいるのだろうと慎重に足を進める。通路も狭く、資料も積まれている為、少しでも体が当たったら今にも崩れて落ちてきそうだ。

資料の山を抜けると、そこにはデスクと椅子があり、藤先生はたばこをくわえながら、気の抜けた様子で椅子に座っていた。


「来たか」

「ええ…用件は…」


そこまで切り出して、藤先生の返答を待つ。



「あー…そういえば今日の授業、全く集中していなかったな」


(やっぱり)


予想通りでがっくりとうなだれる。小言というものはやはり聞きたくないものだ。



「…アレが原因か?」

「…?アレ?」



アレとは何のことだろう。思いもよらぬ言葉が飛び出してきて、私は顔を上げて首をかしげる。



「…実は俺、植物学も好きで学んでるだけど」

「…はあ、」



急に何の話をしだすかと思えば植物学?今回の説教にそれは関係あるのだろうか。



「植物って数えきれない種類があって、今認知されている植物よりもっと多くんも種類が存在するんだとよ」

「はあ…」



普段の気だるそうな藤先生とは裏腹に、楽しそうに話す先生はあまり見たことがなかった。こんな藤先生はレアだ、もし先生のファンが見たらきゃあきゃあと騒ぎ立てるだろうな、なんて考えながら、私は先生の話に眉をしかめてしまう。


それもそうだ、突拍子もない話に困惑しているから。


「だから植物学ってのは底がないわけで、面白いもんばかりでよ、」

「そうなんですね…」

「最近はミツバチの生態について学んでるだけど」

「ミツバチ?」


私は思わず表立って顔をしかめてしまう。昆虫は苦手だ。触るのはおろか、見るのも拒絶してしまうほど。


「ミツバチってのは、男女共に哀れな生涯を送る生き物なんだ」

「そうなんですか…」


興味ない、なんて誰が年上の人に言えよう。ましてや教師に意見なんてあまりできるものではない。ただ説教よりは遥かにましだから、私はミツバチとやらの話を黙って聞くことにした。



「オスは子孫を残すことだけが仕事で、後はメスたちに任せてぐうたらしてるんだとよ。まあ、役割を終えたら巣を追い出されるんだが」

「まあ…働かなかったら追い出されますよね」



そこは人間と同じだ。夫が働かないで家でぐうたらしていたら、妻は追い出したくもなるだろう。



「女王蜂もかわいそうな使命を持っていてな」

「どうしてですか?」

「女王蜂と言えば聞こえがいいが、年がら年中子孫を残すために産卵しなければならない。役割を終えたら、新しい女王に追い出されちまう」

「へえ…なんか可哀想ですね…女王だってなりたくてなったわけじゃないのに」

「他にもいろいろな事したかったかもしれないしな」

「ふふ…確かに…」

「それでどうして急にミツバチの生態なんか?」

「…もしヒトの世界にもミツバチみたいな役割があったら?」

「え…?」


たとえ話のはずなのに、なんだかどきりとした。別に特に意味はないだろう。けれどなんだか無性に焦りが込み上げてくる。


「…わかりません」

「…一説によると、人間にもミツバチに似たような遺伝子があるって話だそうだ」

「似た遺伝子…?」

「そう。そいつは女王蜂のようなフェロモンを作りだし、周りの奴らを引き寄せる」

「…そうなんですか」


ただ話を聞いているだけなのに、嫌な汗が噴き出してくる。私には関係のない話のはずなのに。



「その遺伝子は後天的なものだから、突然開花するらしい」

「…」

「…フェロモンが周りの男を狂わせる。…例えば突然今まで近くにいた奴の態度が変わったり」

「…!」



瞬時に棗の顔が思い浮かぶ。


(…まさかね)


平々凡々の私が女王蜂の遺伝子とやらを持っているわけがない。

ないない、と首を振る。そんなのあり得るわけない。こんなファンタジーみたいな話。


「…例えばこうして誘惑されたり、とか」

「…え?」




ふと影が降る。ぱっとはじけるように顔を上げると、気づかぬうちに藤先生の真っ黒い双眸が、鼻が触れ合ってしまいそうな近さでこちらを見つめていた。


「せ、先生…?」


いきなりの接近に思わずのけぞる。ふわり、とたばこのにおいが私を纏う。校内なのにたばこなんていいのか、と頭の中をよぎるも、今はそんなことを考えている場合ではないと悟る。


「ちょっと近い気が…」


しかし先生は私の言葉が耳に入っていないかのように、私との距離を縮める。あと少しで先生と距離が0になりそうで、私の心臓が暴れ狂う。急にどうしたというのか。


「せ、先生!」

「災難だなあ…お前も」

「…え?」

「お前の人生に同情するよ」

「どういう、っ!」



私の耳たぶに先生の冷たい指先が触れる。ひやりとした感触に思わず体を震わせる。獰猛な色がちらちらと見え隠れするその瞳にじっと見つめられたあと、先生は私の耳たぶに唇を寄せ、ちゅ、っと熱を落とした。先生の吐息とか熱い唇を感じて、体がぞくぞくする。まるで何か強いフェロモンを浴びたみたいに。


「せんせ、」

「…ふうん、そういう表情もできるんだ」

「…え?」

「ま、何かあったら俺を頼れよ」


先生はゆっくり私から離れ、煙草やライターをしまい込むと準備室を出て行ってしまった。いまだ放心している私を置いて。


(…なんなの…?)


昨日からなんだというのだ。

周りの人、特に男の人の反応がおかしい。

ふと先ほどの話を思い出す。


(ミツバチに似た遺伝子…まさかそれが私の中に宿っているとか…?)


それってただの都市伝説みたいなものじゃないの?そんなことありえるの?もし私がその遺伝子を持っていたとしたら、どうすればいいの?


わからないことだらけで、疑問や不安が私の胸の内を渦巻く。

私はただ普通に暮らしたいだけなのに。



「…どうすればいいのよ…」



私のつぶやきに応えてくれる人もいるはずなく、私の暗い呟きはことりと音を立ててすぐに消えてしまった。




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