始まりの日3
「ど、どうして僕が『探索者育成学校』に?」
「え、えと、よ、よくわかりません。け、けど、なんとなく、そうしてくれたら嬉しいなと思ったんです」
勘みたいなものだろうか? とユミは思ったが、理由としてはびっくりするくらい惹かれない言葉だった。
ユミはミヤビを魔力を持たない貴重な存在とは思っているものの、そこに情は一切含まれていない。
だから「私が嬉しいなんて」言われてもまるで響かないのだ。
しかし──
(うーん……それもあり、なのか?)
少し考えてみると学校と呼ばれる場所は老人から言われた「人と関わる」ことと「老人の研究成果を世界的に知らしめる」ことに繋がるようにも思えた。
ユミは他人に不用意に能力を見せることについてはリスクありと見て避けたいと思っているが、多くの人間に意図的に見せつけるのは寧ろ目的の1つだ。
さらにいえば、それなりに大きな機関に入るのは様々な制約がつく場合が多いものの、それに応じた自由度と一定の保護も与えてくれるものが多いので、その中で力を使うのはかなり安全なことであると推測可能。
何より『学園』だ。
ユミが俗世から離れて10年余りでクーデターが起こったり、僅かな時間で組織が世界的な力を持つようになっているくらいだから、多くの知識もそれと同時に生み出されていることは容易に想像できる。
さらにいえば、ここ最近ユミは自分独自の発想で研究できればなぁと思い始めていたのだ。
その点から見ても、勉学に励むことができるというのは非常に素晴らしい場所のようにも思う。
以上のことから考えてみれば……
「あ、あの、が、学園に通うとお金とかも上手くいけば免除してもらえると思うし──」
「うん、良いかもしれないね」
「……へ?」
「ん? どうかしたの?」
「あ、い、いえ、な、なんでもないです。そ、それで結局学園に通って頂けるのですか?」
「うん、そのつもりだよ」
「そ、そうですか……」
会話の流れのせいでユミは要らぬ誤解を受けたのだが、それに気がつくことなくミヤビの案内で『探索者育成学園』の第九学園へと案内してもらったのだった。
それから少しして、
「へえ、これが学園か……」
ミヤビの案内でやってきた場所は完全に外観が要塞のようになっている場所だった。
しかしその要塞の門は現在開いており、その中にいる人々は皆、服に違いはあるものの胸に輝くシンボルをつけて、なおかつそれぞれが「次の授業は……」だとか「もっと練度を上げないと……」などと言いながら行き来しており、大抵が自分と同い年か上下に三つ程度の差だろうとわかるような若々しい雰囲気だった。
(なんか、若者が多くてすごくエネルギッシュだな……)
自分も十分若者であるはずなのに、ずっと老人と浮世離れした生活を送ってきたユミの反応は完全におじいちゃんのそれだった。
「な、なにしてるんですか?」
「いや、なんでもないよ」
まさか自分が若い人たちに気後れしているとも言えずミヤビの視線に曖昧な返事をしたユミは、
「──誰だ!」
自分の背後に立とうとした相手に拳をプレゼントした。
常人ではありえないであろうスピードのパンチをしかし相手はお気に召さなかったらしい。
ふわりとバク転で回避した。
そして相手はさらに拍手をする。
「素晴らしい反応だ」
かなりの威力であった攻撃を向けられて、怒ることなくむしろ嬉しそうに近寄ってくる人物は紫色の髪とアメジストの瞳に小麦色の肌をした40代くらいの男性。
「……それはどうも」
ユミは賞賛を素直に受け取るも、警戒は解かない。
なぜなら、女性を強制的に惹きつけるような素晴らしいダンディな美貌の他にも特徴的な部分があったからだ。
それは──
(あの尖った長い耳はエルフのもの、さらに言えば彼女はダークエルフか……突然背後に立とうとしたりして……いったい何者だ?)
そう、その男性はエルフの特徴である長い耳をしており、そんな彼がここにいること自体がかなり異常の事態であると過去の情報から警戒したのだ。
──一触即発。
あたりをチリチリとそこにいるだけで皮膚が火傷しそうなほどの緊張感。
常人であればその領域に入ることは出来ず、野生の獣なら即座に逃げ出すであろうそんなおそろしい空間が出来上がっていた。
しかし、それを破ったのはなんとミヤビだった。
「が、学園長、やめてください!」
「………………は?」
言葉の意味を理解したユミは驚きのあまりほんの少しだけ意識がそれる。
そして、今意識が分散されることは死を意味することになり……
「隙あり!」
「しまっ──」
一瞬の隙を突かれてユミはダークエルフの男性に懐に入り込まれて、
「ハァッ!」
──ユミは羽織っていた外套を脱がされて、心臓に何かを押し付けられた。
「………………は?」
あたりを静寂が包み込む。
「よし! これで君はこの学園の生徒だ!」
「………………は?」
本日三度目の「は?」がユミから飛び出した。
「え? が、学園長? な、なぜユミさんに校章を?」
ミヤビの視線の先にはユミの胸についた緑色の正十二角形の中に六芒星と三又に割れた槍が組み合わさったシンボルが付いていた。
これが『探索者育成学園』第九学園の生徒が付けていたものと一致しているとユミも認識し、同時にミヤビが質問した通りのことを思った。
(ってそういえばさっき、このダークエルフ『君はこの学園の生徒だ!』とか言ってたような……)
全く展開についていけないユミは持ち前の冷静さをここにきて取り戻して状況把握に入ると、ユミのその思考を見透かすかのようにダークエルフの学園長と呼ばれた男性がうんうんと頷いた。
「落ち着きをすぐに取り戻すところといい、先ほどの対処の仕方といい、君はやはり素晴らしいな」
「……つまり僕がこの学校に通うということに反対はないと?」
「そういうことだ」
ダークエルフの男性はまたうんうんと頷く。
そして、キッとそのやや冷たい印象を受ける切れ長の目でユミを見つめると、
「私は『探索者育成学園』第九学園の学園長である。ヤンバル・E・ナハトマだ。不思議な森の住人くん、君の入学を歓迎しよう」
「──ッ!」
まるでユミが今までどこにいたのかを知っているかのような口ぶりに警戒しんを一段階上げる。
……変な名前も警戒心を高める要因だった。
しかし、学園長ヤンバルはそれすらも嬉しそうにして受け流すと、ついて来いと言って要塞のような外観の学園の中へと入っていった。
(行くしかないか……)
なんとなく逆らえそうな雰囲気が今は無かったので、ユミはそれに仕方がなくついていった。
***
「さて、あらかた学園内部は見てもらったわけだが…………どうだった?」
「いや、どうと言われても……」
場所は学園長室。
ヤンバルが執務机を挟んで対面にいるユミに尋ねるも、その返答は戸惑った顔だった。
ヤンバルについていったユミだったが、なぜかわざわざ学園内部の施設を学園長自ら案内してきたので、はっきり言えば意味がわからないといった感じだった。
まあ、ユミは特殊な体質をしているため施設内を案内してもらえたのは僥倖とも言えたのだが、それはそれであり、施設について「どうだった?」と言われても返答できるわけがない。
「ここは君がいるに値する場所かなと思って聞いて見たのだが……流石にすぐには判断できないか」
一人で勝手に自己完結しているヤンバルを見てユミはもう訳がわからないと言った感じで首を振り、仕方なく反撃することにした
「……どういうことですか? そろそろ教えてくださいよ覗き魔さん?」
ユミが放った「覗き魔」という言葉にぴくっとヤンバルが反応するのをユミは見逃さなかった。
ここが勝負所と畳み掛ける。
「そもそも僕が森に住んでいるということを知っていること自体が違和感でしかないんですけどね?どうやって見ていたんですか? もしかしてあなたと同じように人形だったりしたんですかね?」
その言葉によって、一瞬部屋の空気が冷たくなった。
「……ふう、これはどうやら君を侮っていたようだ」
ヤンバルはそう言うと目線で付いてくるようにと訴えかけて来たのでユミは「また歩くのか……」と思いながら後に従った。
***
(どれくらい歩いただろうか?)
そんな言葉がユミの中に出てきた。
別段長い距離を歩いていたわけではない。
歩いた時間も大したものではないだろうとユミ自身も思ったのだが、ヤンバルに続いて迷路のような場所に足を踏み入れた瞬間に距離感や時間の感覚がおかしくなったように感じたのだ。
それどころかどこで曲がったのか、どちらに曲がったのかすらわからない。
(……多分、幻術の類なのだろうなぁ)
実はユミは原因をちゃんと理解しているし、この幻を解除しようと思えば出来てしまうのだが、おそらく理由があるのだろうなと思ってなすがままになっていた。
そして気がついたら一つの実に地味な扉の前までやって来ていた。
ユミが思わず「地味だな」と声に出してしまったものの、ヤンバルは気にすることなくノックもせずに扉を開けて部屋へ入る。
ユミも慌てて中に入ると、そこにはたくさんの人形が並べられた棚があった。軽くホラーである。
ユミがもはや何が何だか本当に分からなくなってきたところで、又しても後ろから気配を察知して受け身を取りながら前転で移動した。
「これを躱すか。素晴らしいな本当に」
すぐさま気配のあった方を見ると、そこには透き通るようなエメラルドグリーンの髪に黄金と白銀のオッドアイをした、尖った耳を持つ女性がいた。
「……あなたが本物の学園長ってことでいいんですかね?」
男としてのさがか、思わず視線が女性の顎の下、ビックリするくらい存在を主張してくる大きな兵器に吸い寄せられそうになるのをこらえながらユミが尋ねると、それに女性がイタズラっぽい笑みを浮かべて答える。
「いや、学園長はヤンバルだ。私は『探索者育成機関』の方の人間だよ。おっと、一応名乗っておこうか。
私の名前はシャリス・アルスフェア。
私の存在に気が付いたことを賞賛しよう、『冥途の森』に住まう賢者の弟子君よ」
「……それはどうも」
ユミは「どういうことか説明しろ」という視線をシャリスに向ける。
それはかなりの威圧感を持っていたのだが、向けられた当の本人は特にかにすることもなく部屋に備え付けられていたソファに座って、ヤンバルが用意していたのであろう紅茶を優雅に飲み始めた。
よく見てみるとカップがもう一つあるので、一度仕切り直しと行きたいということだろうと判断したユミはため息をつきながらシャリスと対面になるように座って紅茶を飲む。
(……なんか落ち着いてきたかも)
紅茶の温かさや落ち着く香りによって張り詰めていた緊張感がやや和らいできたユミが「ほぅ」と一息つくと、それを待っていたかのようにシャリスが話しはじめる。
「まずは驚かせてすまなかったな。かの森に住む賢者の教え子だったから試してみたくなってしまったのだ」
「いえ、別にあの程度なら大したことはないですけど、どうしてそのことを知っているのですか?」
そう、ユミがここまで大人しくしていたのはユミが森に住んでいたことを知っているような発言をしていたからだ。
そしてそれは、もしかするとユミの過去の経歴なども知られているかもしれないということであり、関わりたくないと思っているユミからしてみればそれは死活問題にも等しい。
緊張感をまたしても高めていくユミに対して、しかしシャリスはなんてことの内容な感じで、
「そりゃ、賢者様が私にあなたをよろしくと言って来たからだもの」
「……へ?」
「私はハイエルフなのだけど、かなり昔に賢者様にお世話になってね。そのツテでよろしく頼むって言われたわけ。あなたが世間知らずだから助けてやってくれってね」
(あのジジイ、無駄にお節介なんだよなぁ)
予想外の理由であったが、かの老人は結構お節介焼きなところがあったので、なるほどなぁと納得してしまった。
シャリスのあの物騒な歓迎も、あの老人とつながりがあると聞けば受け入れることができてしまう部分があった。かの老人はイタズラ好きだったのだ。
そして、シャリスもなんとなく同じように思っているかのような表情をしていたため、ユミは目の前にいる、あの老人の昔を知る女性と話をしたいと思ってしまった。
「あの、学園長とあの人の話を聞きたいんですけどいいですか?」
「ええ、いいわよ。その代わり私もあの人がその後どうなったか教えてほしいわね」
「わかりました」
二人はその後共通の人物の話で盛り上がった。主に悪口が多かったのだが……
ユミは久しぶりに老人以外の人物と話したのだが、それがとても楽しいと感じていた。
最後に学園についての話を少ししたあと、シャリスは笑顔で言った。
「まあ、これからは私が母親がわりみたいなもんだから頼ってくれると嬉しいわ」
これにユミも久しぶりに笑顔で「はい」と答えて、ヤンバルの案内で学生寮まで案内してもらい、その日を終えることになった。
これがのちに『彩星の魔術師』とユミが呼ばれるようになるきっかけとなった始まりの日なのだった。