始まりの日2
森の中をユミは少女を背負って歩いていた。
七頭の腐狼を一撃で屠った後、実にめんどくさいと思いながら少女のところまで行き、応急処置を施したユミはこのまま放置するのもどうかと思い、背負ってこの森を出ることにしたのだ。
と言っても、本音は別のところにあったりする。
(さっきから僕を監視してるヤツにあまり悪感情を与えたくないからな……)
刀使いの少女を助けて以降ずっと何かに後をつけられていると感じたユミは今後のことを考えて行動していた。
(そもそもこの子はある種特別だ。魔力がない存在なんて初めて見た)
この世界では人間は必ず魔力を持っているのだ。
それが無いという状況は世界的に見てもこの少女ただ1人ではなかろうかというほど貴重な存在であり、研究大好きな老人に引っ張られて少々知識欲が強くなってしまったユミからしてみれば、これほど興味深い存在もなかなかない。
(うまく恩を売れれば良いんだけど……)
「う、ん……」
ユミが実にゲスな発想をしていると、刀使いの少女が背中で起きる気配を感じた。
「……ここは? ミヤビは怪我をして…………あっ!」
起きた刀使いのおそらくは名前をミヤビという少女はユミに背負われているという状況に驚いて固まってしまう。
そんな少女に対してユミは「上手く恩を売ることが出来るように……」とゲスい考え方を本当に心の内に秘めながら優しく語りかける。
「やあ、大丈夫かな?」
「あの、あなたは……」
「僕の名前はユミ。君が倒れているのを見つけてね、怪我をしていたようだったから治して街に行こうかと思ってね」
「……そ、そうなんですか、あ、ありがとうございましゅ」
ユミは「あ、噛んだ」と思ったものの、特に気にすることなくそのまま会話を続ける。
「しばらくは安静にしていた方がいいと思うから、森を出るまではおとなしく背負われてくれるかな?あと、武器を持ってたみたいだけど、あれはもう完全にダメになってたから置いてきちゃったけどいいよね」
「は、はい、ありがとうございます……あの、あの魔獣はどうなったんですか?」
「魔獣?」
「はい、7つの頭をした狼みたいなものだったのですが」
「ああ、アレのこと……」
ミヤビの質問にユミは苦笑した。
理由はユミとこの世界の普通の人間との認識の差だ。
魔獣という言葉はこの世界の一般人にとっては恐怖の象徴を意味するのだが、その存在の前に『瘴魔領域』についての知識が必要である。
『瘴魔領域』とは、世界中に存在する『聖気』が、腐敗することによって負のエネルギーの塊となった『瘴気』で満たされた領域のことであり、この『瘴気』で満たされた空間はまるでそこだけ別世界のように特殊な地形、及び生態系を形成する。
そのような『瘴魔領域』に住まうのが『魔獣』と呼ばれる、その地域に住んでいた獣たちを『瘴気』によって変化、及び進化させた通常よりも遥かに強い生き物なのだ。
あの七頭の腐狼も『魔獣』の一種であり、少女の反応は正しいのだが、ユミにとって見ればあそこはホームの庭みたいなもので、あそこにいるやつらは基本的にユミのペット見たいなものなのだ。
それこそ、今の自分と対等に成り得そうなモノたちのことを賞賛の言葉として『魔獣』と使うことはあるのだが、ユミにとってみればあの程度では『魔獣』などと呼ぶに値しない。ただの獣と一緒である。
「あれなら一応倒したよ」
そんな認識の齟齬にやや戸惑ったユミは、今後の展開を考えて誤魔化すか、はっきりと自分がやったと言うかしばし迷った末に、あの忌々しい子供時代の経験から、あまり嘘をつきたくないと決心して正直に話すことにした。
「そ、そう、ですか……すごいですね、あんなバケモノを倒すなんて……」
「そ、そうかな?」
ミヤビはボソボソと賞賛の言葉を述べると、ユミのことを尊敬の眼差しで見つめてくる。
ユミとしては他者に褒められる経験など過去に無かったため、掛け値無しの賞賛に思わず照れてしまった。
老人などは「え?こんなこともわかんないの?バッカだなぁ」という軽いノリでガンガン上からものを言われたので、ユミは褒められなかったのだ。
これはユミの持つ異常性に、ユミの保護者であった老人が愚かなことをしないようにするためのものだったのだが、ユミからしてみれば知らないことを「あー知らないのー(笑)」と言われ続ける毎日であったため、一時は呪いの人形を作って釘を刺したりしていたこともあったくらいだ。
翌日本当に老人が一日中腹痛で苦しんだことでユミは知らない……
呪われた本人はまるでこの世の地獄を体験しているかのような顔をしていたが「この人なんでこんなアホな顔してるんだろう」と思っていたくらいだ。二重で酷かった。
「あ、あの、つかぬ事をお伺いしますが、一体どのように倒したのでしょうか?」
ユミは照れたと言っても表情自体はポーカーフェイスよろしく無表情に近かったため、刀使いの少女はに気がつかずに質問を重ねる。
しかしこれはユミを驚かすものだった。
(凄いな、この子。あれだけの目にあったのに、もう次勝つための対策をしようとしてる)
ユミもかつては少女と同様にボッコボコにされた経験があり、一時期外に出るのが怖かったことがあったのだ。
もちろんユミは当時かなり幼かったとはいえ、魔獣との対面というのは普通は恐ろしいものだろうと、しばらく森にいて俗世に疎いユミでも過去の経験から想像できたので、背中にいる少女のようにやられてすぐさまその対策に打って出るメンタルの強さは賞賛に値した。
「…………」
「……あ、あの、何か不都合でもありましたか?」
「あっ、ああいや、大丈夫だよ。あいつは首の付け根を断つと倒せるんだ。僕は弓で遠距離から狙撃したからね」
「そ、そうなんですか。……なぜそこまで詳細を知っているのですか? 『探索者育成機関』でさえもあの『冥途の森』の表層の情報すらまるでないのに」
「…………」
ユミは内心「やはり聞かれたか……」と思いながら、どうするかなぁと考えていた。
先ほど誤魔化すか本当のことを言うか迷った理由はここにあったのだ。
ユミは『冥途の森』というネーミングを知らないし、『探索者育成機関』なるものも聞いたことが無かったが、それでも文脈や言葉から「なぜ『瘴魔領域』についての専門知識がある組織ですら知らないあの森の情報を知っているのか?」と言っていることはわかった。
だが、ユミが正直に「実は10年間その『冥途の森』とやらに住んでいました」などと言った場合に、信じてもらえるのかも怪しいし、例え信じてもらったとして『バケモノの住む森から出てきたからバケモノだ』という展開になったら非常に困る。
何せこれから多くの人間と接しようとしているところだったのにそれがいきなり出来なくなるかもしれないのだ。
これでは命の恩人であり、心の中では師匠と仰いでいる人物との約束を果たすことはユミの今の人生の目標の様なものなのだ。これがなくなったらユミとしてみればもうどうすればいいかわからない。
それに──
(もしもあの家との繋がりが疑われたら……あそこと関わるなんて二度とごめんだ)
「あ、あの……」
「ん?」
「な、何か不都合なところがありましたか?」
「へ? ──あ、ごめん。別にそういうことじゃ無いんだけどね。まあ、あれを倒せた理由は長年の経験だよ」
思わずネガティヴな方向に思考が走ってしまっい、ミヤビの質問を放置していたことに気がついたユミは慌てて答える。答えも結局核心ではないが嘘は言っていない曖昧なものになった。
「そ、そうですか、スゴイですね。『冥途の森』は全てはランク7の超高難度区域なのに……」
「ら、ランク7? 何それ?」
「え? あ、あれ? あ、あなたは五つ星以上の探索者の方ではないのですか?」
少女の言っていることがユミには全く理解できないものに変化していったため質問したら、少女が変なものを見る目で見つめてきた。
「えーと、実は僕は師匠にずっと鍛えられてきた経緯があって、殆ど俗世に着いて知らないんだ」
「あ、そ、そうなんですね、すみません」
「別に謝ることなんか1つも無いよ──っと森を出たね」
「あ、も、もう大丈夫だと思いますので下りますね」
ミヤビはストッとしっかりと地に足をつけて立った。
(フラつく様子もないし、大丈夫かな?)
初めは一応様子を見ながらかなりゆっくり歩いていたものの、少女の足取りに特に問題がないことを確認すると、ユミは今後のために少女に質問することにした。
「えっとまず君の名前は?」
「あ、み、ミヤビと言います。す、すみません名乗りもせずに」
「そうか、別にいいんだけど。さっきも言った通り僕は俗世に疎くてさ、いろいろと教えて欲しいんだよね」
「あ、は、はい。わかりました」
先程から必ず話し始めで言葉に詰まっているミヤビという少女にユミは「まず」と言って目下の問題を解決することにした。
「えーと、まずなんだけど、この森から一番近くにある街ってどこなの?」
「へ? そ、そこからですか? あ、いえ、一番近くの街はアーリアと呼ばれる場所です。基本的には『探索者育成機関』が全てを運営している場所で、『探索者育成学園』の第九学園があります」
ミヤビはおそらく一番わかりやすい説明をしたつもりだったのだが、いかんせん説明する相手が悪かった。
「そもそも『探索者育成機関』っなんなの?」
「へ? え、えっと……『探索者育成機関』というのは8年ほど前から作られた組織で、近年増加傾向にある『瘴魔領域』への対策として、今まで貴族だけで対応していた『瘴魔領域』の探索を一般市民たちも出来るように作られたものです」
「ふうん……なるほど、じゃあ『探索者育成学園』とやらはその探索者を生み出すための教育機関で、なおかつ第九学園があるってことは結構いろんな場所に学園があるってことか」
「は、はい、なんと言いますか、本当に何もご存知ないのですね。『探索者育成機関』は創立わずか5年で『瘴魔領域』を2パーセントも浄化したことからものすごく有名なのに」
まあ、10年間も森の中でサバイバルをしていた自分が知るわけが無いよなぁとユミは苦笑いを浮かべる。
(それにしても、『貴族だけでは対応出来なくなった』、か……)
自分が逃げたあの家のことがどうしてもチラついてしまうユミはその後もいくつか情報を得た。
この第九学園があるアーリアと呼ばれる場所がある国はメイアルト王国と呼ばれる場所で、ユミがいなくなってからわずか1年後家臣の一人がクーデターを起こして建てた小さな国らしい。
同時に今や世界の平和維持に多大な貢献をしている『探索者育成機関』とのコネクションを機関が発足する前からとっていたために手が出せない状況になっているのだとか。
『探索者育成機関』の本部がメイアルト王国の王都であるマアトという場所に存在するらしく、今や敵に回してはいけない組織である『探索者育成機関』をうまく利用する形で他国を牽制しているとのこと。
機関としてはここが一番『瘴魔領域』のレベルが高い場所が多くあるために、その近くに本部を置いておきたいということもあったため王国とは持ちつ持たれつの関係であるとはミヤビの話。
自分が住んでいた時とはびっくりするくらい変わってしまっていてユミは驚いたものの、人と新たに関わるに当たって非常に好都合のような気がしたため、その足取りは軽く、そのままアーリアまであっさりとたどり着いてしまった。
「ありがとうミヤビ。お陰で大体のことはわかったよ」
街に着いたのでユミはミヤビに別れの意思を遠回しに告げると、ミヤビは「あ、あう、あ……」とここまでの会話で一番歯切れの悪い反応を見せたので、不思議に思うも、とりあえず待つことにした。
「あ、あの!」
「なに?」
ここまでは基本的にボソボソ喋っていたミヤビが大声を出したことに驚いたユミだったが、すぐに穏やかな笑みで尋ねると、返ってきたのは予想だにしない言葉だった。
「あ、あの、『探索者育成学園』に入りませんか?」
「へ?」