4 『女のコは砂糖とスパイスと素敵な何かでできている』
結局、アイエスさんとの会合は飯を食べたところで終わってしまった。
処遇、とやらも教えられず、むしろ「行く当てがないなら当分ここにいるといい」と言われてしまう始末。……ぶっちゃけこちらに都合がよすぎて逆に気持ちが悪い。だってこっちに損がまったくないのだから当然だ。
うまい話には毒が盛られているのが世の常である以上、警戒するに越したことはない……のだが、哀しいかな、行く当てもない、先だったお金もない、身分の証明もないのスリーアウトチェンジ人間である俺に選択肢があるわけもなく。
そんなわけで、
「えっと、この辺だと思うんだけど……」
渡された地図を頼りに、用意したという住まいを探して集落をさまよい歩いていた。
しかし、これはちょっと無理ゲーではなかろうか?
まず地図が雑すぎる。葉に炭でミミズみたいな線を引いただけで土地勘のない俺には読み取れそうにない。まぁ人生に迷い続けてきた俺だ。道に迷うだけなら問題ない。問題があるとすればウロウロして住民の心象に悪影響を与えそうなことだろう。
でも、家を出た時に無愛想なエルフさんはいなくなっていたので一人で探すしかない。
そしてもっと深刻なのは、地図に記された文字が読めないこと。
これって結構深刻だ。地図の隅に書かれたものが飲み物をこぼしたシミでもない限り、住まいの場所を示したメモか何かなのだろうが……。
「だぁああああ!! クソ、不親切もいいところだろ。異世界に飛ばして言葉を通じるようにしたんなら文字も読めるようにしろよ! どんだけ融通がきかねーんだよ神様は!!」
「ちみ、なにをいきなり叫んどるんや」
お役所仕事な神様に不平不満を爆発させていると、独特のイントネーションがある声が空から降ってきた。声の方を見上げると、木の枝に腰掛けこちらを見下ろす小動物がいることに気づいた。
「えっと、たしか」
「もう名前忘れてもうたんか? 寂しいなぁ」
ぴょんと飛び降りたカワウソもどきは前足で顔をふいて憮然と非難の声をあげる。
「あーいや、覚えてるよ。上級精霊のスカーだっけ?」
自分でいておいて苦笑してしまう。上級精霊って、そんな言葉がサラッと出た時点で、なんか早々にこの世界に毒されている気がする。絶対元の世界じゃ日常単語には出ない言葉だよなぁ。
「案の定迷ってたんやね。アイエスはもう出たゆーてたのに来んから心配しててんで?」
「心配するくらいなら道案内つけてくれよ」
「その役目はニーフの仕事やってんけどね。ちみが挑発なんかするから悪いんや」
あーなるほど、それであの子があの場にいたのか。だとするとわざわざ来てくれていたのに悪いことをしたかもしれない。反省していると足元を駆けあがったスカーがニーフにするように首へ巻きつき耳元へ口を寄せる。
「んじゃ行こか。ちみを探すのに時間をくったし、お姫様が待ちわびとんで」
「待ちわびって、俺の住む場所にあの子も居んの?」
「ん? なんや、アイエスに何も聞かされとらんのかい?」
目と鼻の先でキョトンと小首をかしげるスカーがしっぽを持ち上げ行先を指示してくれる。その方向に歩きながら先ほどのことを思いだし俺は頬を掻いた。
「何もどころかひと言も。ただ飯喰って地図を渡されただけで途方にくれてたんだよ」
「なるほどなるほど、そのへんの説明はあっしらに丸投げってわけか。相変わらず面倒くさがりの婆さんやで」
きゃっきゃっとおかしそうに腹を叩くスカーだけど、こっちは笑いごとじゃないので笑えない。というかあの子を婆さんと言うこと自体違和感をぬぐえないのですがそれは。
渋い顔をして笑い声を聞いていると、次第にツリーハウスの姿が減りだし、緑の濃い森の中特徴的な赤い葉に覆われた大木が見えてくる。その木の途中、蔓が編まれてベランダのようにつき出したところに、あの金髪の少女が立っているのが目にとまった。
散々迷っていたこともあって見知った人を見つけ思わず声をかけようとし――躊躇する。
風もないのになびく艶やかな金髪を照らすいくつもの小さな光。色とりどりの光に囲まれる彼女はどこまでも幻想的で、出かけた言葉が喉を転がり落ちていく。
「何してんだあれ?」
「何って、森の精霊と対話しとんに決まっとるやん」
ひとり言の疑問符に、スカーが律儀に答えてくれる。
……また精霊か。もしかするとこの世界は元の世界とは違い精霊と言う存在が重要なポジションにいるらしい。俺の予想を証明するように嘆息したスカーが耳をぴくぴく動かし、
「正確には野良精霊やけどね。森で起こったことを知るならあいつらに聞くのが一番ええんよ。明日の天気みたいなものから大きな事件まで、あいつらの知らんことはないからな」
「ふーん、なるほどな。ニュースとか天気予報みたいなものか」
「ちみの言うそれが何か知らないけどな。あんまり軽く見ん方がええで。何せ精霊は自然そのものや。下手に知識もないのに手を出せば痛い目合うで」
俺の目の色が好奇心でいっぱいになったことを察し、スカーがたしなめるように短い両腕でバツの字を作る。
「そういや初めの自己紹介でもそんなこと言ってたな。具体的にどうなるんだ?」
「ニーフが呼んでいるのは下級精霊だけど、癇癪を起こしたらちみの生命力吸ってミイラにするくらいはできるんやないかな?」
「可愛い見た目してえげつないなおい!!」
「君たちだって大きな見方では自然の一部やからね。自然そのものな精霊に命の源を奪われるのは当然のことやろ。前にちみがニーフ投げ飛ばして気絶させたときは危なかってんで? あの場で捕まらず逃げとったら風ですり潰して液状化させとったかもな」
にゃはは! と当然のように答えるスカーに身震いする。
マジかよ、あのタイミングってそんな綱わたりな展開だったの?
うわ~、うわ~~。首に巻きつく小動物が首輪型の爆弾に見えてきた。
そんなことを考えていると、次第にニーフの周りから光は消え、なびく髪も大人しくなる。そして気づいていたかのようにこちらを見下ろした。
「やっと来たのかい。自分を捕縛した相手の集落で呑気に観光とは、ずいぶん余裕があるみたいだね。それともお婆ちゃんに取り入るのに成功した余裕かい」
「ひと言目から噛みつくとか、根っからの負け犬属性だなこいつ」
思わず頭を掻いた。妹と同じ顔でそんなことを言うものだから違和感がすごいことすごいこと。
敵対心を隠そうともしない彼女になんとなく視線を外したら負けだと思って見つめ返す。微妙な緊張感をぶち壊したのは、カワウソもどきの笑い声だった。
「いっこうに来ない彼を心配していろんなところに連絡したり精霊たちに探させたりしていたのはどこのどのコやったかなぁ?」
「っ! ……スカー? 寝言は寝て言うんだよ。僕はお婆ちゃんから任されたお仕事を滞りなく済ませるために仕方なくしていただけだから」
「それにしちゃあっしへしつこいくらい話しかけてたよね? 『見つかった?』とか『今どこ居る?』とか。あんなに焦った声で聴いておいて今更とりつくろうのは――」
「ス・カ・ア? 今日の晩ご飯は果実の搾りカスでいいんだね?」
「と言うことらしいから、ごめんね。ニーフはちみのことをまったく完全に心配してないかったみたいや」
適当という言葉を形にしたみたいな掌をくるくる回す物言いだった。
それにしても、マジで心配してくれてたのか? 意外と言えば意外だ。アイオスさんの家での様子を見ていると、無視されてもおかしくないと思ったんだけど。
「勘違いしないでくれよ。あくまで仕事だから探していただけさ。他意はないよ」
「う~ん元の世界でその反応はテンプレツンデレ娘の台詞なんだけどなぁ」
はたして異世界でもそのテンプレートは適用するのだろうか。ファンタジーのお約束を今のところほぼほぼ網羅してる世界だしあるいは――あ、違うわ。いまニーフちゃんがしてる鍋底にこびりついた黒ずみでも見下すような視線は、ツンデレとかとちゃうわ。マジだわ。マジ物の嫌悪だわこれ。
…………なんか、想像以上にショックでかいな。
「なんにせよこれでわかっただろ? この集落に居る限り君は監視の目から逃れられない。だから怪しいことはできない。僕がさせない。もし何かしでかしたら――覚悟するんだね」
そう言い残し長い髪を払って背を向けると、颯爽と家の中へ入っていこうとする。その姿は見た目の華やかさも相まってすごく胴に入ってるのだけど、
「ちょっと待てよ」
だからこそ、俺は見逃すことができなかった。
きっと黙って黙するのが賢い選択肢なのだろうと思う。好感度はマイナスへ突き抜けているのに余計な荒波を立てるのはバカのすることだ。
それでも、我慢できなかった。
「かっこつけてるところ悪いんだけどさ、ひと言いわせてもらえるか?」
「へぇ、何かな?」
高飛車に鼻を鳴らし再びこちらを見下ろす。その姿は自分が上であると誇示するようで鼻につくけれど、俺たちの力関係を顧みれば、ここに居させてもらっている人間である俺の方が立場が断然低いのは当然なわけで。
そうわかっていても男には言わなければいけない時がある。だから俺は、今日一番真剣な顔を浮かべ言い放つ!
「パンツ、見えてるぞ」
「へ?」
ぱちくりと大きな瞳を瞬きする。自分と俺の位置関係を確認する。
彼女の身を包む裾の長いマントだったが、ほとんど真下から見下ろす俺からはその内部を隠匿するには荷が重かったらしい。白い腰布の奥、男にとっての見果てぬエデンがそこには広がっていた。
理解が追いつくに従い、ニーフの顔はボンッと瞬間沸騰。
「ちみ、バカなのかい?」
いつの間にか肩から飛び降りたスカーの呆れた声が聞こえた。
うるせぇ! 他人とはわかってるけど、肉親似の女のコがパンツ丸出しでキメ顔ドヤってんだぞ! そりゃお兄ちゃんとしたら注意するだろ! と心の声を乗せて睨みつけた直後だった。
「~~~ッッッ!?!? こ、この――っ!」
キッと睨めつけると、手前に生っていた木の果実を掴んでちぎりとる。
そのまま流れるような所作で全力投球でブン投げた。一拍おいて果実は俺の額に命中。視界が果肉で真っ赤に染まる中、肩を嘶け家の中へ入ろうとする二ーナは肩越しに振り返ってひと言吐き捨てた。
「変態厭らしいっ!!」
……だから変な造語を作るなっちゅーに。