13 『泣いて、食べて、歩み寄る』
9月2日のなろうサーバーアクセス状況悪化で投稿できなかった分です!
本日分は本日21時に投稿します~
つぎはぎだらけの制服を何度も羽織いなおし着心地を確かめる。
すっかりボロくなった制服だったが、最低限の補修をしてくれていたらしい。どうやら着ていて違和感がないのが幸いだ。元の世界から持ってきた唯一の衣服なのだから、今後はもっと気をつけないといけないかもしれない。
補修してくれた誰かに心でお礼を言い、エルフの集落を横切ってニーフの家を目指す。
こうして事情がわかってみると見えてくるものがあった。集落の端、まるで追いやられるようにあるニーフの家。それが意味する理由が。
たぶん、俺みたいなよそ者を囲うには、位置的にもちょうどよかったって理由もあったんだと思う。でも、それ以上にニーフのことを考えると些細な問題に思えた。
エルフ族にはなりきれない、ウルフ族にもなりきれない。
それなのに長老の孫で、上級精霊なんてものと契約したエリートで。
いったいどれほどのやっかみがあったのだろう。いったいどれほどの苦悩があったのだろう。そして、同時に思い出すのは森で出会って、すぐに分かれることになった二人のエルフ。
彼らはニーフにとって幼なじみだと聞いた。彼らの接しかたを見ても、偏見などはなかったように思う。スカーが彼らを認めていたように、彼女にとって数少ない理解者だったのかもしれない。彼らを見つけた時の明るいニーナの声音が、いまはただ辛い記憶として頭の中を残留する。
そんな、尊い理解者を、いまニーフは同時に失った。
その心境を考えると、
「ほって、おけないよな」
醜い感傷かもしれない、ただの自己投影かもしれない。それでも無視できない。
気持ちがわかる。そう自惚れるつもりはないけど、欠片くらいは理解できる。そう言っていい理由が、俺には――
「? なぁスカー」
「なんや?」
ふと、歩いていて他にも気になることを見つけた。
どこからともなく突き刺さる視線、視線、視線。それは前と変わらない。だがその質が明らかに違う気がした。なんというか……明確な嫌悪の気配というか、敵意というか。
「俺、なんかしたっけ? アイエスさんの言葉を信じるなら、俺って襲撃を未然に防いだんだよな?」
そういう意味ではむしろ反応は逆でもおかしくないと思うんだけど。
「あ~たぶんあれやな、ちみが森を壊したのが気に入らんのや」
言ってる意味が分からず眉をひそめる。その反応を「まぁそーやよな」と、首に巻きついたスカーは髭を器用に肉球にはさみ引っ張ると、困った風に、
「彼らにとっては森が家や。だからそれを壊した君をメッチャ嫌ってるんだけど、結果が結果だからなにも言えない。そんなとこやろ」
「待て、森を壊した大半はスカーだし、その他も俺が原因じゃないぞ!」
「エルフにとって精霊は尊敬の対象でしかない。そんな相手に怒りを向けることはできんからな。となると最近来たよそ者で、エルフとは関係なく、しかもニーフと関係してるちみに矛先が向くのは当然の成り行きやと思うよ」
「振り下ろす拳は、高い位置の頭より低い位置の頭の方が当てやすいってか? つくづく根暗な種族だな、エルフってやつは」
「あっしからすれば多かれ少なかれ他の種族かってそういう反応になると思うけどな」
あ~耳が痛い耳が痛い。これ以上この話題を引き延ばしても心が暗くなる予感しかないので、気持ち足を速めて目的地を目指す。人肌のスライムに絡み疲れるみたいな視線をいなし、やっとの思いでたどり着いたニーフの家は、集落以上に陰鬱とした雰囲気を漂わせていた。それこそ思わず入るのを躊躇してしまうレベルで、
「え~と、ニーフさんや~い」
とはいえ帰る家はここしかない。だったら選択の余地はないし、家の持ち主に帰宅を報告するのは義務だろう。報・連・相は社会人の常識だ。……いや、いまは未成年だけど。
だからこうして彼女のツリーハウスの扉――と言っても暖簾のような葉があるだけなので、木の部分をノックする。
「……」
「……」
「……」
「……出ぇへんな?」
もしかしてどこかに出かけているのか? と一瞬思ったがありえないとすぐに切り捨てる。彼女の精神状態と集落の雰囲気を考えると、俺なら間違いなく引き籠る。部屋の隅で三角座りして自分の殻に閉じこもって外界との距離を開ける。ついでに心の距離も一キロくらい開けると思う。
わずかに躊躇しつつ暖簾をくぐる。窓も閉めきられ光が一切入らない部屋。それでもその明るさを見逃すことができない金髪が、こちらに背を向け寝そべってベッドの上に広がっていた。
「なんだよ、いるんじゃんか」
「女のコの部屋に無断で入るなんて、デリカシーの欠片もなんんだね、君は」
「おまえの保護者兼契約精霊は一緒なんだ。大目に見てくれよ」
「う~ん、あっしも許可したつもりないんやけど?」
「…………こんなときくらい話し合わせろよ」
文字通りの四面楚歌な状況に辟易しつつその場に腰を落とす。そんな気配に気づいたのか、ニーフの肩がピクンとはねる。
「……なんで腰を落ち着けているのかな?」
「別に、拒否もされてなかったしな」
「……空気を読むってことができないのかい」
「ご生憎、空気を読む知人が長い間いなかったからな」
「……どうやら口ではっきり言わないとわからないみたいだね」
「そうだな、でも、まだ口ではっきり言われていないからわかんねぇわ」
「……厚かましい」
「なんとでも」
拒否してるのかしてないか。
結局はっきり言わないニーフをいいことに俺はその場から離れることはなかった。
……別に、俺がここにいる筋合いはないんだと思う。というかないのだろう。
ただ、まぁ、なんだ。ここまで歩くのに、視線から逃れるため早歩きしたりして、傷だらけの体に響いたからだ。つまりこれは休憩。ニーフをかばっておった傷でもあるのだから、その責任くらいとってもらわないと割に合わない。
そんなわけで遠慮なく背を向けるニーフの後姿を見つめ続けた。どれだけそうしただろう。扉の暖簾の方に日が傾き、夕陽がわずかに部屋を射し込むみだすこと、ぽつりと、それこそずっと意識していなければ聞き逃したであろう小声が、沈黙の落ちた部屋の空気を震わせた。
「シャロと、リーフは?」
その質問に思わず胡坐をかく俺の膝の上に移動していたスカーに視線を落とす。
頭を振る姿に苦虫を噛んだ。……そんな嫌な役割まで俺に丸投げですかそうですか。
「死んだよ。聞きたいなら詳しい状況をスカーに説明させるけど?」
「……ん~ん、いい」
再び落ちる沈黙。でも今度は長続きしなかった。
ニーフの肩の震えが増す。その震えはここに来たそのときとは違い、堪えることができなかたのだろう。すぐに崩壊し、、すすり泣く音と共に耳朶を叩いた。
俺はただ、その声を聞く。慰めたりはしない、というかできない。
俺は、彼女の事情を知らない。いや、うわべだけ汲み取って想像することならできる。でも彼女とあのイケメンどもの間にどんな思い出があるのかまでは知らない。なのにわけしり顔で慰めるなんてできない。
あとは、まぁ、個人的な理由。
…………なんだかなぁ。
なんだかなんだかなんだかなぁ。
俺は俺のことが一番大切だ。なんでも一人で完結できるその凡人さも、辛いことがあってもお酒飲んで寝て起きれば復活できるアルミ板くらいには頑丈なメンタルも、異世界に飛ばされても大きく動揺しないでいられる大雑把さも。
人によっては物足りないかもしれないけれど、俺はそれで十分幸せだった。
理不尽すぎる世界に生きて三十五年。いろんなもの取りこぼしたけど、それでも残った残りカスだ。大事にしないわけがない。
でも、はじめてそのことを物足りなく感じた、後悔した。俺は俺だけしか救わない。救えない。だから、目の前で理不尽な世界に打ちひしがれる女のコさえ救うすべを知らない。持ち合わせていない。
そんな俺がいまは、心底嫌いになりそうだった。
※
「へんなところを見られたね」
それからまたしばらくたったとき、ベッドから体を持ち上げたニーフは照れくさそうにこちらを振りかえった。泣きはらって翡翠の瞳は真っ赤に染まり、頬には濡れた跡がある。それらすべてを視界の外に追い出して、俺はいつも通りの俺を思い出して厭らしく笑う。
「ま、いいんじゃないの? 強気な女のコが泣く姿ってなんかそそるし」
「……君、それは最低を通り越してゲスすぎる発言だと思うな」
「じゃあまた一つ弱みを握れたってことで」
「それでも最低と変わらないんだけど……あ~もういいや。何だか疲れた」
はぁ……と、魂が漏れそうな大きなため息をつき、乱れた金髪に手ぐしを入れるニーフ。毛先がからまりうまくいかないのか顔をしかめていると、ササッと小さな影が横切って背後に回る。
「あ~あ~こんなにボサボサのまま放置して」
スカーはそういうと、柔らかい風を送ってニーフの髪を整えはじめる。
「女のコなんやからちゃんと手入れせな」
「別に、見せる人なんて……いないし」
「目の前におるやないか」
「スカーは家族だもん」
「あっしやない。そっち」
「あれはただの居候」
こいつら、あれとかそっちとか人を物のように言いやがる。
まぁ仕事現場じゃ「あれ? 君いたの?」って具合に物どころか存在も忘れられてたし、それよりマシかもしれないけどな!
「人をが心配してそばにいてやったのに! ひどい言われようだ!!」
とはいえ言われてばかりでは悔しいので、押しつけがましい文句を垂れてみる。
「まぁ、傍から見てたら、泣いてる女のコをジッと見つめてるだけっていう、ある意味一番鬼畜野郎な対応やったけどな」
「傍から見てるだけで本当に何もしてなかったお前が言うな」
「はっ! あっしはあっしの仕事をしとったで。見てみい!」
そう言って窓に視線を向けると、風の繭に包まれ何かが部屋の中に入ってくる。ゴトンゴトンと床を転がったバスケットボール大のそれは、
「木の実?」
「ホロホロの実ゆーてな。外側は堅いけど中身はやわこくお腹にたまる森の非常食や。二人とも昨日のドタバタ以来ろくに飯くっとらんやろ?」
言われて思い出したように鳴きはじめる現金な腹。ふと別のところでも音がした気がしてそちらを見ると、真っ赤な顔でうつむくニーフの姿があった。
「………………なにかな?」
「イエナンデモナイデス」
誤魔化す俺の横で風の刃を使い木の実を真っ二つにと、少し圧日表皮の下にオレンジの果実が現れた。その片割れを「ほい、どーぞ」と短い前足で差しだすスカー。
おっかなびっくり指で救う。……見た目はココナッツみたいだけど、見た目はマンゴーに近いが、触った感じはココナッツにみたいな不思議な感触。少し抵抗はあるが思いきって口に放り込む。
「……甘っ!」
やっべ! なにこれ! でら甘い!
空腹も手伝って手が止まらなくなる。手ですくって口の中へ。手ですくって口の中へ。
繰り返すこと三回目でふと視線を感じ視線をあげる。
「……」
「んだよ」
「あ、ううん。えっと、これも食べる?」
「それ自分の分だろ?」
「もう一個あるし、スカーと分ければちょうどいいから大丈夫」
ふむ、そういうことなら問題なさそうだ。おとなしく受け取り、再び食べる作業に没頭する。なぜか吹き出す声が聞こえた気がしたけど、気のせいだろう。とりあえず食べる速度を速めてみた。
カラになった木の実を床に置き一服入れる。その頃には日はとっぷりくれていた。
「それで……あのね」
そんな中、口を開いたのはなにか言いにくそうに両手を擦り合わせるニーフだった。
「お婆ちゃんから……聞いた、よね? その、いろいろ」
「……いろいろの部分が何かわからないけど、まぁ、たぶん?」
俺の物言いにニーフは困ったように首をかしげ、
「君、言いにくいことを言うとき、変に回りくどい言い方するよね?」
「それ、それな。兄ちゃん無愛想なふりして結構恥ずかしがりちゅーか、人付き合い苦手やで絶対」
「うっせぞ、ウーパールーパーもどき」
「……それ、もうすでに形しか似てなくないかなそれ?」
いや、言っておいてなんだが、むしろこっちはこの世界にもウーパールーパーがいることに驚きなんだけど?
じゃれ合う俺たちに今度は苦笑したニーフは、真剣な面持ちで切り出した。
「じゃあ知ってるよね。あのときの姿の理由も」
「ああ、ウルフ族とのハーフだから、だよな?」
「正確にはすこし足りないんだけど、うん。間違ってないよ」
うつむき両手の指先をからめては解き、からめては解きを繰り返し、
「あ、そうだ。まずはお礼が先だよね! 意識はなかったけど、命がけで助けてくれたみたいだし!」
「とりあえず落ち着いて言いたいことをまとめろよ。話があっちこっち飛んでなにを言いたいかわからなくなってんぞ。あと、俺は命なんて賭けてない」
「あ……うん、ごめん」
困った。こりゃこいつ、思ってた以上に情緒不安定だ。なにもできないならできないなりに、せめて傍にくらいいた方がいいのかとも思ったけど……もしかして逆効果だったか?
本気で考え直しはじめたとき、ニーフは意を決したようにうなずいた。そして、思い切った様子で、
「ねぇ、一つ聞かせて」
「なんだよ改まって」
「どうして、必死に守ってくれたの?」
彼女が不安がらないように努めて即答してきた口がこの時はじめて言いよどんだ。その間隙を突くようにニーフは続ける。
「君の印象は正直あんまりよくなかった。人を食った物言いも、傍観者気取った態度も。本音を言っちゃえば僕の想像するクズが形になったみたいな人だなぁって思った」
「ひっでぇ言い方だなおまえ! さすがに泣くぞ!」
「でも――君の技には心があった」
「なっ……」
なにをこっ恥ずかしいこと言ってんだ! といつもの調子で言おうとした。でも言えなかった。そう言ったニーフの視線があまりに真剣だったから。あまりにも真剣に悩んでいたから。
「はじめて君に投げ飛ばされたとき、僕は不覚にも見惚れてたんだよ。いままでいろんな手練れな人と手合せしてきたけど、そのどれとも違ってた。すごく愚直で、ひたすら真摯で、思わずあぁ綺麗だなぁって思っちゃうくらい、こんなに人って純粋に強さだけを求められるんだって。そんな風に思わせられたから」
「……」
「でも、だから疑問もあったんだ。だって、普段の君からはそんな匂いは欠片も感じられなかった。それがすごく歪で、僕には納得できなかったんだ」
「……」
「なかば勘違いだったのかなぁって思ってたよ。でも、君が僕を助けてくれたって聞いたとき、やっぱり勘違いじゃないのかなとも思った。……ねぇ、本当の君はどこにいるんだい?」
――正直驚いた。
事情を知らないはずなのに、ニーフの言葉はあまりにも的を射ていたからだ。俺が武術に――柔道に夢を見て必死に走っていた『今の肉体の天河星』と、夢破れ三十五年で腐った『元の世界の天河星』。その差異に気づいていたから。
いや、それも驚きだけど、それ以上に。
しかもそれが、人生で唯一『命を賭けた』と言っていいものから垣間見てくれた。
そのことが、何年も枯れていた俺を震わせた。
「っ!」
感極まった頬が強張って、声が出ない。こんな感覚は何年ぶりだろう。少なくとも思い出そうとしても思い出せないくらい昔のことのようだ。
まずい、ダメだ、やめろ。
これ以上この話はしちゃいけない。そんな危機感めいた確信に首を振る。これ以上続ければ戻れなくなる。いまの、何事にも動じない自分に戻れなくなる。弱かったあの頃に逆走してしまう。
だから、咄嗟にニーフの言葉を遮るつもりで面を上げた。でも彼女が口を開けるのと、出遅れた俺がさえぎるのと、どっちが早いかなんて一目瞭然で。
だから、それを遮ったのは予期せぬ方向から発せられた声だった。
「あ~ら、甘い、甘いわ。これはすごく甘い会話だわ。とろけてしまいそう」
スラリ――と、耳を削ぎ落とされるような感覚に心臓が鼓動を止める。
あまりに場違いで、ここで聞こえるはずのない声に悪寒を覚え振り返る。
そして、それを見た。部屋の入り口、もっと正確にはニーフの背後に、
「で~も、残念、残念だわ。ボーヤと甘い時間を過ごすのはあたしなのよ、お嬢さん」
二本のナイフを大鎌のかわりに携える、黒くて白い、白くて黒い、血だらけの死神が立っていた。