11 『黄金』
黄金。
黄金を見た。
正確には黄金の中にたたずむ一人の女のコを。
伏せた顔の向こうで翡翠の瞳だけが爛々と闘志の炎を宿していた。おそらくその視線を向けているのはいまにも俺にナイフを突き立てようとしている女なのだろう。
なのに、どうしてこれほど恐怖を感じている?
「――」
聞こえない言葉を紡ぐように唇が動き、瞬間、ニーフは彼我の距離を殺した。
「え?」
「――」
疑問符の声など待たず、女のすぐ横に移動したニーフが拳を振りぬく。咄嗟にインパクトの瞬間ナイフで防御するが、鋼鉄の刀身は濡れた紙が破けるようにはじけ飛び、そのまま女の脇腹に吸い込まれた。
空間ごと圧殺しかねない衝撃波が突き抜ける。
たまらず女は大量の血を吐き出し、ニーナの頬を汚す。
それらすべてに無関心のまま一直線に吹き飛ぶ女を追って再び走る。黄金のライトエフェクトが線を引き曲線も描かず飛ぶ女を追駆――追い越し跳躍。踵を高々と掲げると女ごと大地を割る勢いで振り下ろす。
踏みつけた足と地面の間に挟まれた女。引き裂いた大気が元に戻ろうと二人を中心に暴風が荒れ狂う。倒壊した木々を外向きに吹き飛ばす光景は、ただそれだけで災害といっていい規模だ。
「おいおいおい……」
なんだ、なにが起きてる。
いろいろ理解の限界に挑戦するみたいな一日だったけど、これは極めつけだ。人を殴っただけで衝撃波が生まれ、踏みつぶせば小型台風を作るとか、もう意味がわからない。
動きを止めた……と言うかもはや生きているのかどうかってレベルの女を足元に転がし、正気をなくし、されど闘志はなくさないニーフが立ち上がる。その瞳と目が一瞬だけ合っただけで、ブワッと嫌な汗が浮かび背中をびっしょりにする。
「えーと、追い詰められて真の力に目覚めたとか、そんな展開?」
まさかスカーに言った冗談が現実になるとは思っておらず、疑問形で聞いてみる。
返事を期待したわけじゃない。どちらかというと現状確認の意味が強かった。
だって……見るからに会話の成立しそうな雰囲気じゃないんだもん。
「お、おーい、ニーフさん? なんか見た目がマジで目覚めた戦闘民族みたいになってるけど、大丈夫なのか?」
おずおずっと声をかけた瞬間、ぎょるんっとちょっと生物がしちゃダメな動きで首をこちらに向けるニーフ。その目は友好的とか好意的とか、そんなお世辞が入り込むスキがないくらい無機質で。むしろいましがた叩きのめした女ウルフに向けたものに近いわけで。
………………………………あれ? これって死亡フラグたってね?
「悪魔の子が目覚めた……」
背後からそんな声が聞こえた。
言葉の意味はわからないけど、よくない意味だってことくらいは伝わるし、納得してしまう。そう納得してしまうほどニーフの姿は鬼気迫るものがあった。
マントを脱いだことでエルフ族独特の踊り子みたいな衣装と、大きすぎる胸がこれでもかってくらい主張している。ここまでなら眼福と言って終わりなのだが、それを彩るコントラストが壮絶きまわりない。
まずその衣装がこれまでの戦闘でボロボロになっており、そこに赤い血が付着し固まってしまっているのが非常に猟奇的だ。さらにいましがたの戦闘で真新しい返り血を浴びたことで拍車をかけている。黄金の長い髪はもとの色よりさらに色が濃くなっている気がし、毛先の逆立ちがまるで猛獣に威嚇されている気さえする。
極めつけが鋭く伸びた爪と頭に伸びたケモミミが――ケモミミだと?
「まさかこれって……獣化なのか?」
いや、でも待って。
獣化はウルフ族の特徴だったんじゃ。いや、特徴とまでは言ってなかった気がするけど、多分そういう意味で間違いないはずだ。なのに、どうしてエルフ族のニーフがどうして……?
「あは、あははは……ははは――は!」
哄笑が森の中にひびく。女の狂気なものとはまるで違う、無邪気で明るい笑い声だ。
なのにその声にある不たちも俺も動くことさえできない。圧倒的強者を前に、生存本能が動くことを拒否していた。そんなはずがないのに、彼女の意識下に入り女と同じ末路になることを想像してしまっい、
「――森精霊よ!」
なかば覚悟したとき、そんな声が聞こえてくる。発生源はさっきまで意識を失っていたアイエスさんだった。額から流す血に片目をつむりながら、掌をニーフに向けている。
四肢に巻きつく蔓。あの驚異的な戦闘力を誇った女の動きを止めたそれを、笑い続けていたニーフは鬱陶しそうに一瞥し、
「……マジかよ」
その鋭い爪であっさり引き千切った。自分の力が足止めにすらならない、その現実に愕然とするアイエスをニーフの瞳がロックオンする。
そこにお婆ちゃんを慕い甘えるあのニーフの温かさはない。ただ冷酷で冷徹で容赦のない、鋭利な殺意のみ。咄嗟にニーフがなにをしようとしているのかわからなかった。理解したくなかったと言ったほうが正しいかもしれない。
ただ確かなことは、このままニーフを衝動のまま動かしてはいけないということ。
それだけは現状についていけていない頭でも理解できた。
「クッソ根性ぉおおおおお!!」
まだニーフは動いていない。たいして俺はアイエスさんのすぐそばに居る。動きだすに考えれば動き出すには早すぎるタイミングだ。
それでも、勘が正しければいまから動いたところで間に合うか怪しい。さっきの瞬間移動みたいな速さを思いだし、彼女がどう動くかまで想定し、握った拳を振りかぶり、
「っ!?」
アイエスさんの目の前の空間。なにもない場所めがけて振り下ろした。
ふっと風が肌を叩く。一瞬の瞬きのあと、目の前には右手の爪を振り上げるニーフが出現する。タイミングはドンピシャ、いくら相手が常軌を逸した相手でも、
「目ぇ覚ませってんだぁああああ!!」
先に頬をとらえた拳がペチッと気の抜けた音を鳴らす。いままでの攻防を考えればあまりにささやかなでも予想外の方向からの一撃は効果があったらしい。
理性を失った瞳に色が戻り、笑みは戸惑うように開閉を繰り返す。最後に逆立った金髪が落ち着きケモミも霞みなくなると、そこには泣き出しそうな少女だけが残った。
「お婆ちゃん……セイくん……」
迷子の子犬みたいな震える声。
あ~もしかして、こいつに名前を呼ばれたのってこれが初めてじゃね? などと余計なことを頭の片隅で考えたのを最後に、
ブツンと、酷使に酷使した体が、強制シャットダウンする音が聞こえた。
※
深い深海から不蔵するような感覚に自分が夢の世界から目を覚まそうとしていることを自覚する。いや、正確にはまだ起きてない。目を覚ましかけるって感じが近い。
「…………」
浮いては沈む、そんな微睡みの中で誰かが俺の手を握り話しかる声。覗き込むように話しかけているのか、張った声じゃないのに妙に近くに声の主を感じられる。
細くて小さな手の感触。なのにごつごつした俺の掌といい勝負をする、女のコなのに勿体ないと思わせる手。
誰の手だろうと記憶を探っても、微睡む頭はうまく動いてくれなくて。一番鮮烈で、一番記憶に深く刻まれた一人の女のコを思い出していた。
小さくて、固くて、細くて、でも力強くて。
――あぁ、本当におまえは似てる。
よく見たら全然違うのに、その仕草ひとつひとつがあいつを思い出させる。そのせいで、見た目だけじゃなくて、中身まで若返ったみたいな勘違いをしてしまいそうになる。
自分のことだけ考えて、自分のことだけ見て、自分のためだけに生きる。
そうして理不尽な世界に抗ってきた俺を、昔の青臭かった自分に戻されてしまう。おかげでこの世界に来てから踏んだり蹴ったりだよ。
「…………」
また誰かの声がした。どこかうわずった声がした。
もうやめてくれ、静かに寝かせてくれ、これ以上変なことを思い出せないでくれ。そんな俺の思いが届いたのか、握られた手が離れていく。
ああ、これでやっとぐっすり眠れる。安堵した俺はゆっくり現実へのリンクを断つように、再び夢の世界へと沈んでいった。
※
トトト……と、固いものを叩く音に目が覚める。
眩しい朝日が蔓のカーテンをスリッド状に射し込んで、眩しく顔を照りつけた。窓枠にはつがいの小鳥が二羽。どうやらさっきの音は彼らが窓枠をつつく音だったらしい。
天井の模様になっている年輪の数をぼーっとした頭で数えていると、再び襲った睡魔に身をゆだねたくなってくる。
「――ッテェ……」
でもその睡魔も肩を貫く痛みにあっさり手放してしまう。何事かと起き上がると今度は腰と脇と首と額とetc……。もうなんかどこが痛いのかわからない激痛が走りぬけた。
思わずクネクネ体をよじる。よじるたび激痛が走ってまたよじる。何だかできの悪いダンシングフラワーにでもなった気分だ。誰も手拍子してくれていないあたりが俺らしい。
「えーと、ここはどこで、なにがあって、私は誰?」
とりあえず重症から目覚めた青年風にぼやいてみるけど答えは返ってこない。どうやら俺一人のようだ。そうすると疑問が残る。夢現でさだかじゃないけど、誰かがそばで看病してくれてたはずなんだけど……。
「お、っと……」
どうやら勘違いではなかったらしい。
俺が横になっているベッドの横、正確には足元付近にイスを置き、朝日を浴びるうたた寝する黒髪の幼女の姿があった。
「アイエスさん、か」
「悪かったね、こんな婆さんが相手で」
起こすつもりのなかった呟きにナチュラルに反応されて飛び上がりそうなほど驚いた。というか飛び上がった。ついでにその拍子に痛めた体に激痛が走って悶え苦しんだ。
「なにを一人でしとるんだ」
「いや、これは、その……俺の地元じゃこうして挨拶を――」
「それだけ軽口を叩けるのなら、無事峠を越したということじゃろうな」
面白くなさそうに鼻を鳴らしふんぞり返ったアイエスさんを見てふと気づく。いつもの黒の民族衣装ではなく、ゆるりと羽織るタイプの服を着ていた。とはいえ残念ながらネグリジェ的なものじゃない。どちらかというと入院服みたいな、デザイン性を無視したもの。
それでも華やかさに見劣りはないあたり、さすがの合法ロリだとふしだらなことを考えるが、そこから覗く手足に巻かれた包帯がわりの葉や細かな切り傷を見て押し黙る。
「えっと、その格好って」
「気にすることはない。君の傷は色々ひどすぎたからね。あたしくらいじゃないと治療できなかったのさ。なにせ流した血の量がひどくてね。草精霊の薬草では間に合いそうになかったから、傷口を結界で防ぎながら傷口の縫合、殺菌、骨の接着とてんやわんやだ。正直よく息をしてるなと感心したよ。繊細なあたしたちエルフなら生死をさまよっていたかもしれないね。あっはっは!」
「笑いごとじゃねぇだろ! え? なにそれ、そんなにひどかったの?」
「大丈夫。言ったろ? 峠は越えたって」
なんでもないように言っているが、どれだけ手を尽くしてくれたのかは想像に難しくない。彼女も傷ついていたはずなのに俺の看病を優先して、イスでうたた寝させてしまった。そう考えるとさっきの態度……さすがに良心が痛んだ。
「えっと、なんかすいません。あと、ありがとうございます」
「気にすることはないよ。過程はどうであれ、君は集落に迫った危機を未然に防いだともとれる。だったらその功労者にあたしが恩を報いるのは当然だろう?」
片目だけ閉じていたずらげに答える姿に苦笑する。
「功労者、ね。ただ逃げ回って傷だらけになっただけなきもしますが」
「それでもさ。物事には体裁ってものがあるだろ?」
「――……あ~」
なるなる。そーいうことね。
要するに誰のおかげかを明確にしておかないと、ことがおこるまで気づくこともできなかった自分の立場がないってことか。
そういう意味じゃ祭り上げられているのと変わらないな。
「だったらニーフにその役は譲りますよ。ぶっちゃけ最初もスカーのおかげだし、最後も――」
と、そこまで話して一気にあの夜の記憶を思い出す。
スカーの死、狂人みたいなウルフ族、そのときの会話、そして、ニーフのあの姿。
「聞きたいことが山ほどある、って顔だね」
「――」
「いいよ、むしろそのつもりだったしね。証拠に、今この場には君とあたししかいない。こうなった以上、もう隠しごとはしないさ」
長い髪を後ろに払い姿勢を正すアイエスさんに、自然と俺の姿勢も伸びる。ついに来た腹を割って話せる機会に、大きく深呼吸を一回。そして「じゃあ」と前置きし口を開いた。
「ニーフのあの姿はなんなんだ?」
俺の質問になぜか驚いた顔で目を見開くアイエスさん。あの夜のことを思い出せば、真っ先に出る質問だと思うのだけど、なにか変なことを言っただろうか?
「意外だね、もっと他の質問を先にされると思っていたんだけど」
「どういう意味です?」
「いやなに、第一印象だけで人を判断してはいけないなと、この歳で再確認しただけさ。……薄々勘づいていると思うけど、あたしたちエルフとウルフ族は交戦中で、仲がとんでもなく悪いと言っていい」
「その件については気づいてますよ。……スカーが教えてくれましたから」
ふと、あっけなく消えるスカーの姿を思いだし唇を噛んだ。
「なら話は早い。単純な話さ、あの子はエルフ族の高い精霊と契約できる資質と、ウルフ族の身体能力。その両方を持って産まれたのさ」
ぼかした言い回し。だがそこまで言われればどんなに鈍い奴でもその可能性に気づける。
つまるところ、
「ハーフ……」
そのときアイエスさんが浮かべた、嫌なことを思い出したように苦々しい顔が誰に向けられたものなのかはわからない。ただ、少なくとも。重々しくついたため息が、彼女の心情を表している気がした。
「そうさ、あの子は……エルフ族とウルフ族、他種族の混じり者――悪魔の子なのさ」