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10 『生き汚い男』

ヤバい。

ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい――――――ッ!!


なんだこいつ、なんだこいつ、スカーはどうなった、ナイフ、肉を裂く、白髪、なに笑ってやがる、ニーフを逃がさないと、二本のナイフ、離れていたウルフ族、でも来るまで時間がかかるって、ナイフ、白い死神、黒い死神、スカーが死んだ、ニーフまだ寝てんのか、月明かり、白、黒、ナイフ――……ここで死ぬのか?


「ッ!!」


 頭の中を意味のない単語が飛び交う。それでも必死に現状を理解しようとする冷静な自分が最後に浮かべた言葉が、思考の洪水を押しとどめた。


 逃げないと。でも、なにができる?

 相手との距離は五メートルもない。人間なら多少安心できる距離だけど、ウルフ族とやらが相手の場合どこまで安心できるかは未知数。

 背中にはニーフを背負っている。彼女を放り出せば多少生存率が上がりそうだけど、たぶん誤差の範囲だ。なによりスカーのことを考えるとさすがにその選択はとれない。枯れてる自覚も腐ってる自覚もあるけど、クズではいたくない。

 

 だったら戦うか?

 ……愚問だ。二人倒せたからって調子に乗るな。アレは不意打ちとだまし討ちが功を評しただけ。しかも目の前の敵はナイフ持ち。下手に近づけば――


「うっ」


 ああ、そうだ。スカーが助けてくれなかったら死んでいた。間違いなく死んでいた。

 この世界に来てはじめて味わう明確な死の気配に吐き気がこみ上げる。


「あ~ら? 逃げない、逃げないの? 勇敢、それはとても勇敢だわ~」


 恍惚と興奮に濡れる赤い瞳。舌なめずりした唇に指をそえる艶っぽい仕草に、ぞっとした。精霊とはいえ、遺体がないとはいえ、一つの命を奪ったばかりの人がする表情かよ、それ。


「あ~あ、それとも怖い、怖くて動けない? それは醜い。ひどく醜い判断よあなた」


「ッ! あ、あいにくこちとら殺し合いとは無縁の世界から来たばっかりでね。おまえみたいな異常者ともはじめて出会ったんだ。ビビるのも仕方ねぇだろ?」


 辛うじて吐き捨てた言葉に、女はキョトンと首を傾ける。


「ん~、異常、あたしが異常? 違う、それは違うわよボーヤ」


 すらりと逆手のナイフを鷹揚に持ち上げる。刃渡り二〇センチほどのそれは、月明かりの下鈍い紫色の光を放っている気がした。その姿に鎌首をもたげる死神を再び幻視する。


「狩る狩られるか、生き物本質、そうこれは本質なの。それともあなたはお肉を食べたことがないのかしら~」

「生憎ベジタリアンでもないし、その手の詭弁を言う連中がマンガに登場して、異常者でなかったためしがないんだよ、な!!」


 会話をしながら後退していた俺は、足元に転がっていたこぶし大の石を蹴りあげる。生身の人間にぶつければ重症待ったなしなそれを、女は腕を振りおろし向かい打つ。一閃の斬線のあと、石は二つに分かれ女の背後に消えていった。

 ……マジかよ。


「ん~それが抵抗、抵抗はお終い? それは寂しい、寂しくて――つまらない」


「――ッ!!」


 逃げた。わき目もふらず、背中を向けて逃げた。

 一秒でもあいつと目を合していたくない。ただその一心で走る。まわりはスカーの一撃で見渡しがよすぎる。まずは破壊をまのがれた森に飛び込んでかく乱を――


「あ~ら、いいの?」


 ありえないほど近く、それこそ耳元で女の声が聞こえた。


「背を向けたら、背中のコのお肉、裂いちゃうわよ?」


 確認なんてする余裕はない。ニーフを気づかってる暇もない。ただがむしゃらに飛び込む勢いで地面を転がる。視界が上下左右に振られる。ほとんど無意識に背中の重みを庇うように転がった。理由はない。あえて言えば女の言葉を聞いて狙われていると思ったから。

 一瞬上空を向いた視界の先で凶刃が交差する光景が見えた。もし判断が一瞬でも遅れていたらニーフは眠りながら永遠に寝ていただろうと確信し、ほっと安堵する。


 そして、その捨てみの回避行動のツケはすぐに訪れた。


 切り残った切株に頭をぶつける、パッと視界が赤くそまって激痛が額を割ったことを教える。左肩をぶつけて鈍い音が脳に響くと同時に、強烈な激痛が神経を蹂躙した。全身を打撲していながら背中は庇い続けたのは半ば意地だったと思う。


 痛い、シャレにならないくらい痛い。

 ぶっちゃけ泣きたい。こんなに痛い経験、寝技で勢い余った先輩に腕を折られて以来だ。とくにぶつけた肩が痛すぎて、全身痛点になったみたいな錯覚すらする。


 それでも、生きてる。

 痛みを感じるってことは生きてるんだ。

 だったら抗え、自分の可愛い命を守るために抗え!


「あ~ら、まだ立つの、立つんだ。生き汚い、あなた生き汚いのね?」


「はっ! そう簡単に殺されてたまるかよ! 文句あっか!」


「い~え、素敵」


 すぐさま立ち上がった俺は、力の入らなくなった左腕を庇い右腕だけでニーフを支えて走り出す。その背中を再び襲う女の凶刃。


「牙を剥いて牙を折られて、四肢も二〇の指もその爪も。全部全部切って剥ぎ取って潰して。それでもあなたは抗うことをやめない、やめないのかしら? もしそうならあなた、最高に素敵よ」


「いやさすがにそこまでいったら諦めてると思う――うぉ!!」


 なにかに足をとられる。世界が横倒しになる中、辛うじて避けれてきた刃が迫るのを見た。今まで光の軌跡を見るだけで精いっぱいだったことを考えると、ナイフが迫る姿を見れただけでも奇跡だ。

 でもそれを避けられるかどうかと言われると別な話なわけで。


「――っらぁ!!」


 だったら避ける選択肢は選ぶだけ無駄。避ける動作に使うはずのコンマ数秒間を、ニーフを投げ捨てることに使う。森の方向に投げたが上下も左右もあやふやな中だ。俺みたいに切株で全身打撲になるかもしれないけど、それくらいは勘弁してほしい。


「――勇敢」


 迫る凶刃を視界に収め、いましがた足をとられたものを蹴りあげる。無理な体勢だったせいで全身を鋭い痛みが走るが、そこは尻に力を入れて根性で我慢。蹴り上げたものを空いた右手で鷲掴み、目算もなしに振りぬいた。


「……あ~ら」


「バケモノには丸太が最強武器って言うけど、マジで役立つとは思ってなかったな!」


 スカーの風の刃で破壊された木々の一本。ギリギリ片手でも扱える程度の大きさだったその幹に二本のナイフが食い込み、女の両手から奪い取っていた。大質量の丸太を片手で持ち続けられるわけがなく、振りぬいた遠心力で食い込んだナイフごと遠くへ投げ捨てる。


「はっ、どうよ!」


「意外、すごく意外だわ。すこし遊び過ぎたかしら?」


「舐めプするからだよ! これでお互い無手、次は拳で会話としゃれこむか!?」


「う~ん、それも素敵、素敵だけど、あなたは腕一本でいいの?」


「……………………思い出させるなよ、痛くなってきちゃうだろ」


 だらんと力なく垂れ下がる左腕を意識して眉をひそめる。折れては……いない、と思う。でもこれ、間違いなく脱臼してるよな? なんか視界も赤いし、立ってるだけで後ろに引っ張られている感覚があってバランスもおぼつかない。

 襲われて数分たってないのにこれって……マジ絶望的じゃん。


「で~も残念、ほんとうに残念。武器は二本とは言ってないの」


 そう言って背中に回した両手が引き抜いたのは、さっきと同じナイフ。

 うっわぁ……絶望の倍プッシュっすかマジっすか。


「あ~楽しかった、久しぶりに楽しかったわあなた」

 死神が笑っている。苦労の末に捕まえた得物を前に調理方法を想像して笑っている。

 こんな時にまで必死で生きることを考える頭がいまは恨めしい。もう、痛いくらいわかっていた。手は出しつくした。捨て身に捨て身を重ねて何とか繋ぎ止めた命だけど、これで完全なチェックメイトだ。

 これ以上きれるカードはない。もう立って逃げるのだって心もとないのに、相手はまだ元気いっぱいとかどんな無理ゲーだよ。

 だから俺は黙って膝をつく。わずかでもナイフが体を捉えるのを遅らせるために。


「あ~ら? 諦めた、諦めてしまったの?」


「……」


「……そ~う、それは残念、残念だわ」


 狂人が悲しげに首を振る。それこそ人生を添い遂げようとした相手に、突然別れを突きつけられたかのように言う。


「さようなら」


 そして、無慈悲に死は振り下ろされた。

 おそらく首を垂れて無防備にさらされている俺の首に向かって。直後、



「――森の精霊よ!」



 そんな声が聞こえた。同時に女の足元がめくりあがり、腕ほどもある蔓が伸びる。ヘビのように女の四肢に絡みついたそれらは、まさに首を落とす紙一重の位置で振り下ろすナイフを止め、女を拘束する。


「いやはや、犬っころどもめ。ずいぶん物騒な刺客をおくってきたものだね」


 その声は草葉の音の中、凛とすずのように響くその声を知っている。同時に待ちわびた声音でもあった。


「大丈夫かいセイ。……ずいぶん手ひどくやられたねぇ」


「あはは……でもなんとか首は繋がってますよ、アイエスさん」


 エルフ族の長老――アイエスさんはその黒い髪と黒い服をなびかせ立っていた。


          ※


「あ~ら、彼との逢瀬、逢瀬を邪魔するの? 無粋、それはひどく無粋よ」


 完全に捕縛された狂人がそれでも笑う。

「せ~かく綺麗に、それは綺麗にお肉を剥げると思ったのに。あ~それとも」


 身動きはとれない、そうわかっていても感じる底しれない不気味さに、俺は痛む体を引きずってアイエスさんの傍まで這いずった。


「あなたのお肉、裂かせてくれる?」


「黙りな、『皮剥ぎリエリー』」


 狂人の狂言の一切を切り捨て、アイエスさんが一歩前に出る。そして手をあげると、


「悪いが遊んでやらん。君みたいに獲物を前に舌なめずりする趣味はないんでね」


 勢いよく振り下ろす。瞬間弾かれるように森の方から矢の雨が降り注いだ。同時に女の周囲から拘束したものよりはるかに太い――と言うかもう木と見間違うほど太い蔓が襲う。集落のエルフたちだ。彼らが森に切れ間から精霊術を発動させていた。

 月明かりを消すほどのそれらはたった一人、捕縛され動けない女へ降り注ぐ。


「――素敵」


 最後まで笑みを浮かべていた女を飲み込んだ。粉塵が舞う一帯に顔を庇ってやり過ごすが、第二射、第三射とたて続けに降り注ぐ攻撃に最後は呆然とするしかない。しばらく続いた攻撃が止み、あたりに静寂が戻ると、たちのぼる土煙だけが爆心地を支配していた。それがいかにエルフたちの攻撃がいかに過剰だったのかを物語っていた。


 ……一人を倒すだけにしてはオーバーキルすぎませんかね?


 とはいえ、これで倒していないということはない、という安心感が今回ばかりは先に立った。俺はうまく事が運んだことに大きく嘆息し仰向けに倒れ込む。


「ずいぶん手ひどくやられたね、セイ」


 と、そんな俺のもとにアイエスさんが近づいてきた。背後にはあの無愛想なエルフが控えていて、その腕には、


「ニーフ……」


 これだけドタバタしているのに気を失ったままのお姫様が抱かれていた。それを見て一気に肩の力が抜ける。


「遅いっての。マジ死ぬかと思った」


「おや? まるであたしたちが来るのがわかっていたみたいな口調だね?」


「これだけバカスカやって気づかないってんなら、この場にいても戦力にはならなかっただろーよ」


 なんのことはない、連中をスカーと退けた時から俺の役目は決まってる。もしスカーが討ち漏らしたとしても、森の種族を名乗ってるエルフたちが自分たちの森を荒らされて気づかないわけがない。それを見越したうえでの時間稼ぎだ。

 とにかく意地汚く、見苦しく、他力本願に終始した。それだけである。


「ふふ、この場合考え方は後ろ向きのくせに諦めが悪いと褒めるべきかな? なににせよよくあの『皮剥ぎリエリー』相手にニーフを守ってくれたね。礼を言う」


「いや、そいつを守ったのはもののついでで――いや、まぁいいや。それよりさっきも言ってたけど、その『皮剥ぎリエリー』って――」


「アイエス様!!」


 ふいに聞こえた切羽づまった叫び声に、俺の視線は反射的に土煙へ向く。


「――なっ!?」


 土煙を割って、白髪の死神が現れた。

 ――ありえねぇ、ありえねぇだろ! 

 あれでまだ形を留めた女の足が変質し、大地を割りそうな踏み込みでこちらへ跳ぶ。――獣化だ。その手には半分ほどに折れたナイフが一本。血だらけの全身と同じ鮮血色の双眸が、エルフたちの攻撃直前の笑みをそのまま形取ったまま迫る。


「ッ! させない!!」


 完璧な不意打ち。動けない俺と違いアイエスさんはすぐ行動した。白色の黒い風となる女を前に拘束につかった蔓を眼前で編み込み、それを壁に防御を試み――


「あ~あ、見た、それは見たのよ~」


 一閃。一息の凶刃を前に真っ二つに叩き斬られる。

 同時に襲う突風に俺も、アイエスさんも、無愛想なエルフも、彼に抱かれていたニーフも吹き飛ばされた。二度バウンドし木にぶつかった俺は咽ながら前を見て――絶句する。


「おいおい、マジか」


 ――風だった。彼女が纏っていたのはスカーが俺を包んだ風の繭と同じ、精霊が作る風。その青い輝きの中心で、女は相変わらず歪な笑みで、振り下ろしたナイフを構え直す。


「あ~あ、ボーヤ、いいわボーヤ。弱いくせにちゃんと頭が回ってる」


「――」


「いまこうしている間も……うん、考えている、ちゃんと考えているわ。あぁ素敵、なんて狩りがいのある弱者なの!」


「――」


「それに比べてエルフたちはひどい、ひどすぎるわ。あの程度で勝った気になって、予想が外れれば茫然自失。……あなたたちの長老はあたしの足元で寝ているのにね~」


「――ッ!」


 すっと女の目が細まるのを見て、俺は咄嗟に走り出していた。さっきの衝撃でアイエスさんは気を失っている。あんな狂った奴の傍で無防備をさらすことがどういう意味なのかわからないわけがない。

 接敵する間に手ごろな棒を掴む。あれにどれだけ効果があるかわからないけど、無手で挑む勇気はさすがにない。激痛で飛びそうな意識の中、なんとか注意だけでも俺に――、


「あ~知ってた、あたし知ってたわ。こうすればボーヤから近づいてきてくれるって」


「っ!」


 

 女の矛先はあっさりアイエスさんから俺に向き迎え撃つ構え。瞬間、罠にはまったことを理解する。

 一瞬の邂逅、そして後悔。元の世界では見ることの叶わなかった走馬灯の変わりに、世界がゆっくりと流れ、そして思う。あ~こりゃ死んだぁなと。


 ……たっく、運命の神様ってやつは俺に恨みでもあるのか? 元の世界で死んで、なんとかこっちでは生き残ろうと必死こいて、念には念を入れた他力本願で窮地を脱したと思ったら、とんでもないチート狂人に殺されるとか。いつから無理ゲーはマゾゲーになったんですかね? 


 それでも……結局どんな思惑があったのかわからなかったけど、この世界で初めて手をさし伸ばしてくれたのはアイエスさんだ。その彼女を庇って死ねる。それだけで少しは意味があったと諦めるしかないか。


 文字通り命がけで稼いだ数秒で、他の連中がアイエスさんを助けてくれればそれでいい。どんな手を使ってあの攻撃を生き残ったのかはわからないけど、少なくとも重症は負わせているのだからもう一度繰り返せば……って、ダメか。


 視界の端ではいまだ茫然としているエルフたちの姿が映っている。あと数秒で我に返るとは思えない、辛うじて無愛想なエルフさんはこちらに走り寄ろうとしているけど、彼一人じゃ状況は変わらないだろう。


 どこか、どこかにいないのか? この状況を打破できるなにかが。


 ゆっくり流れる世界をぐるりと見回し、ある一点で目が留まる。どうして目にとまったのかわからない。だって他のエルフたちと同じで、それはただ立ち尽くしているだけなのだから。しっかりこちらを向いているだけマシだけど、それだけだ。


 それでもそのエルフに――彼女に目を奪われたのは、


 いや、でも、なんで。








 ――なんで、ニーフがこのタイミングで立ち上がってくるんだ?


うん、週6投稿していきます(白目

とりま休みは木曜日で予定!


ブクマなどよろしくお願いします!

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