古の影
目の前の地面に女性が横たわっている。
鬼島加奈子だ。
広瀬信行はじっと青白くなった彼女を見つめていた。
鬼島加奈子は長い歴史の中で生きてきた、純血種の日本吸血鬼だ。
友達に小野小町、契約者(血を貰う代わりに特殊能力を与えるという契約を行った者)に、連綿たる歴史の重要人物が存在する。
源頼朝、織田信長、坂本龍馬……名前をあげたらきりがない。
加奈子は不老不死の吸血鬼だったはずなのだが、今信行の眼下にある身体は呼吸すらしていない。
死んでしまったのだろうか?
信行は跪いてその生死を確かめようとした。
加奈子の腕を取り、脈を測る。
無音だ。
今度は頸動脈に指を当てて確かめると、やはり何の変化も見られなかった。
連綿と闇に紛れて生き続けてきた日本最古の吸血鬼が死んだ。
原因はわからない。
ただ分かるのは、契約者である信行は、ただの人間に戻ったということだ。
彼は加奈子の死体を抱き上げて、夜の公園のベンチへと横たわらせた。
傍に跪き、その白い右手を掴んで握りしめる。
「加奈子……」
彼は愛しい人を呼ぶかのように、小さく呟いた。
これからどうしようか。
加奈子を葬らなければいけない。
それも人知れずに。
人気モデルとして活躍していた加奈子の突然の死は、マスコミに嗅ぎつけられるとセンセーショナルなものになるだろう。
そして、「やつら」は遺体となった加奈子の体を切り刻んで研究するべく、まもなくやってくるに違いない。
守らなければ。
信行は加奈子を抱き上げ、幹線道路に出るとタクシーを拾った。
「そのお客さん、大丈夫ですかね?」
加奈子の異変に気づいたらしいタクシーの運転手が聞いてくる。
「酒を飲み過ぎたんだ。急いでマンションまで頼む」
「わかりました」
運転手はそれ以上聞かずに、車を走らせる。
加奈子のマンションへは20分程で着いた。
ベッドに彼女を寝かせて、信行は考える。
加奈子を誰にも知られずに弔う方法はあるのか。
それも今すぐにだ。
いきなり公園で倒れた加奈子の様子をスローモーションで思い出し、信行が眉間に皺を寄せた。
難しい問題だが、加奈子を生き返らせる事はできないだろうか……。
彼は加奈子の部屋を漁って、1つの鏡を見つけ出した。
それは加奈子が大事にしつつも、一度も使用したことのない物だ。
古代中国の文様みたいな飾り文字と、装飾が印象的だ。
信行はそれを加奈子へとかざしてみる。
何も怒らない……と思われたが、加奈子の投げ出された指がかすかに動いた。
「え?」
信行が鏡をベッドに置くと、それは派手な音を立てて割れた。
「加奈子、大丈夫か?」
信行の声に彼女のまぶたが震える。
ゆっくりと目を開けた加奈子は、じっと彼を見た。
「アレを使ってしまったのね……」
加奈子は傍で砕けている鏡を一瞥して、起き上がった。
「一応、お礼を言っておくわ。でも……」
「何かまずかったか?他に何も思い浮かばなくて……」
「構わないわよ。気にしないで」
「しかし……」
加奈子はベッドから降りて信行を振り返る。
赤い唇が静かに事実を紡ぎだす。
「何もないわよ。あなたも私もただの人間になただけだもの」
加奈子は気だるそうに一言だけ呟いた。