第5話:思惑
俺のマンションから駅までは歩いて20分ぐらいの距離だ。何も考えずに歩いているとあっという間の距離だったりする。
が。
今日に限っては隣に、ブラウンのジャケット、黒地のスカート姿の見慣れない榊がいる。
……なんだか直視できない。
まともに見たらじっと見つめてしまう。
というより彼女が着替えて現れたとき、俺は既にその失態を犯していた。
いや、上から下まで黒が基調の地味といえば地味な配色だが落ち着いた中に彼女らしさがあって妙にしっくりくるというかつまりとても似合っているからすっかり見惚れてしまったのである!
「冬馬様」
「はい!?」
声が裏返ってるよ俺。
「待ち合わせ場所というのはあちらですよね?」
榊の視線をたどると大衆向けレストラン『ビスト』なる大きな看板が見えた。
「ああ、あれあれ。……まだあんまり人いないな」
なんだかんだで少しばかり安堵する。
看板の下にいるのはこの企画を立てた本人の橋爪さんと、いつも彼女と一緒にいる田畑さんと安曇野さんだ。あとはちょっと離れた所に部活帰りそのままの格好の男子が数人いるだけだった。
――あ、そうだ。
今のうちに安曇野さんにタオルと水筒返さないと。
* * *
「おー来たね来たね」
やって来た冬馬と榊に挨拶代わりに橋爪香織が手を振る。
(しかし上代君てば今日も日出さんとご一緒か)
香織が心の中で苦笑するのと同様に
(……やっぱり仲良いんだなあ……)
志穂も内心うなだれていたところ
「安曇野さん」
「はい!?」
当の冬馬に声をかけられて志穂は思わず身構えた。
「これ、ありがとう。ちゃんと洗ってあるから」
そう言って冬馬は彼女に紙袋を渡した。中には先日のタオルと水筒、そして石鹸の箱が入っていた。
「上代君、これ……」
「あ、それ一応お礼なんだけど……ごめん、大したものじゃなくって。実用的なものの方が使えるかなーと思って」
お礼の品に石鹸をつけるというのは彼の母がよく使っていた戦法だ。何もつけないよりはましだろうと真似てみたというわけだ。
「そんな、いいのに!」
志穂は慌てる。タオルを渡す度にこんなお礼をされては困ってしまう、というより渡しにくくなるのだ。
「いいからいいから」
けれど冬馬は押すようにしてそれを渡す。その手が紙袋の紐を握っている志穂の手に触れた。
「! ……あ、ありがとう……」
頬を赤らめつつ志穂は俯いた。
傍目でその様子を見守る香織と幸子はそれぞれにこの状況を評価する。
「ふんふん、なかなかいい感じじゃない?」
「お返しまでつけてくるとはなかなかまめなところあるもんだね、上代君って」
「でも志穂の性格からして今後この作戦はもう使えないかもねー」
そしてもう1人、この状況を傍目で見守っているのは他でもない榊だった。
「…………」
なんとも言えない、『居づらい』空気。
高校に入学して以来ずっと皇子を見守ってきた彼女だったが、これまで彼が女子と並んで会話するところをあまり見たことがなかった。
ゆえに彼女は遠慮もなく護衛活動に専念できていたのだが、事態がこうなってくると、色々と難しい。
榊は一歩も動かなかった。というより動けなかった。
近寄れもしないし後退もできない。
妙な気分だった。
その時、後ろから
「やっほー日出さん! 昨日ぶりー」
元気な声で彼女のランチメイト、高橋里香がやってきた。
突然の大きな声に驚いた榊だったが、振り返る彼女は自身でも驚くほどほっとしていた。
「こんにちは、高橋さん。今日は野島さんと一緒ではないのですか?」
榊の中では高橋里香と野島朝子は大概行動を共にしている印象があったのだ。
「あさちゃんは家族と買い物してから来るって言ってたから、もうすぐ来ると思うよ〜」
「そうですか」
* * *
少し場が賑やかになってきたなと視線を移すと、榊が高橋さんと喋っていた。
「いやあ〜、それにしても日出さんの私服、私初めて見たよ〜! 目の保養目の保養〜」
高橋さんの声は相変わらずよく通る。
そんな彼女の発言につられて駐車場で戯れていた男子陣も榊に注目しはじめた。
どこか嬉々とした表情でひそひそ話をしている奴もいる。
「…………」
なんか減る。減ったぞ今。
「は、橋爪さん! そういや今日の主役は?」
その注目を払おうとわざと大きめの声で俺は彼女に尋ねた。
「ああ國生君? 勿論来るって。あ、ほら来た来た」
橋爪さんが向かいの横断歩道を指差した。
……て。
その場にいた全員が唖然としただろう。
あいつはクラスの残りの女子のほとんどを引き連れてこちらへやってきたのだ。
「うわあ何皆、前座でもやってたの?」
そのハーレムっぷりに少しひきつつ橋爪さんが尋ねた。
「うちらテニス終わってからそこのマッグでだべってたんだけど、ちょうど國生君が前通ったから合流しただけだよ〜、ねー?」
取り巻きのちょいギャル系のテニス部女子が賑やかに喋りだす。そういやうちのクラス、やけにテニス部員が多いんだよな……。
「や、遅れてごめんね。わざわざ企画してもらったのに」
へらりと笑う國生永輝。
「いや、まだ集合時間前だし……。それにまだ男子があんまり来てないから……ってあれか」
橋爪さんがまたその後ろを見るとサッカー部と野球部の男子がぞろぞろとやってきた。いっちゃんが先頭をきっているようだ。
「ういーっす」
「じゃあこんなもんだね。中入りますか」
橋爪さんが店の戸を開けた。
わいわいと店内へ入っていくテニス部女子達。
それを見送りながら國生永輝は初めて俺と目を合わせた。
「……」
「……」
ちょっとした沈黙。
「……上代君、だったかな」
名前を呼ばれて俺はぎくりとする。
「あ……うん……。名前、覚えるの速いんだ……?」
そう言うと
「ううん、君は特に、知ってる人と名前が同じだったから」
彼がそう言うと、すかさず榊が割って入った。
「國生君、今日は貴方のための会です。どうぞ中へ」
と言いつつ彼女は彼を睨んでいる。
「へえ、しーちゃんが来てくれるとは思わなかったな。何か目的があるんだろうね」
警戒心を顕にされても笑みを絶やさず、彼は中へ入っていった。
「……」
あの言動からして、あいつはもう俺のことを知っている気がする。
「冬馬様、私が申し上げるのもなんですが、彼とはあまり関わらないほうが。貴方に悪い影響を及ぼさないか心配です」
榊が至って真面目にそう進言してきた。
「え……あ、うん」
俺だって出来れば関わりたくないけどな?
そして。
その歓迎会というのは実質、合コンめいたクラス会と化していた。
1つのテーブルに向かい合わせに3組の男女が座らされて、他愛もない会話を繰り返す。
こんな機会はめったにないから、特に引っ込み思案な人以外は結構楽しんでいるように見えた。
俺はいっちゃんの隣に座っていて、俺の前には最近何かと縁がある安曇野さん、その隣は安曇野さんといつも一緒にいる2人、という構成だった。
「なーんでここに来てまでお前と向かい合わせに座りゃならんのかね」
いっちゃんは冗談交じりに橋爪さんを攻撃。
「こっちだって好きであんたの前に座ってんじゃないんだから。誰かと席交換すれば?」
「じゃあそうしよっかなー。上代、移動しようぜー」
っておい俺も巻き込むのかよ。
「ってちょっと待てい! 上代君まで連れて行かなくてもいいでしょー」
すかさず橋爪さんがストップをかけた。
「?」
俺が首を傾げていると、いっちゃんはやれやれと再び腰を下ろした。
* * *
皆が和気藹々と談笑する中、一箇所だけ明らかに険悪な空気が流れているテーブルがあった。
まさしく1対1の2人がけの席。
そこに座っているのは本日の主役、國生永輝。そして、無理やり座らされてふてくされている日出榊だった。
「ははは、いやあ面白いことになったね、しーちゃん」
非常に愉しげに永輝は笑う。
「全く面白くありません」
榊はきっぱりと、しかしどこか憮然として答える。
「でもさ、この会、結構長引くと思うよー? 皆楽しそうだしね」
「ならば私は早めに失礼しましょう」
「ふーん? 皇子様を置いて?」
榊は永輝を睨む。
「まあまあ。カミシロ、か。音が同じっていうのは偶然なのかな? ていうかしーちゃんの行動見てたらすぐに分かるし」
「気付いたからどうだというのです? 貴方が皇子に危害を加えるようなら私は容赦しませんが」
「おー怖い。なんにもしないよ。……でも」
(……でも?)
榊は彼を睨み続ける。
「彼が俺の邪魔になるようなら、何か意地悪しちゃうかもしれないな」
冗談のようでそうでないような、真意の掴みにくい彼の言動に榊は戸惑う。
「それは、私が冬馬様の護衛を続ける限り、という意味ですか」
永輝はその問いに笑みを湛えて頷いた。
「……でしたら、そのときは私が消えます」
榊がそう言うと、永輝は目を丸くした。
意外な言葉だったのだろう。
しかし彼は次の瞬間、腹を抱えて笑い出した。
「しーちゃん、それ本気?」
あまりに彼が可笑しそうに笑うので、周りのクラスメイト達まで注目し始めてしまった。
あの委員長が彼を大笑いさせるような冗談でも言ったのだろうか、と。
真面目に言ったつもりの言葉をここまで笑われると流石の彼女も頭にくる。
「……本気ですが何か?」
「はは、いや、君らしいといえば君らしいかも。ほんと、君は自虐的だな」
「……?」
その『自虐的』という言葉に榊は眉をひそめた。
護衛役である自分が側にいることによって皇子を危険に晒すのであれば、自分がいなくなればいいだけのこと。魔王が信頼する兵は、まだ城に沢山いる。
そう、替えなどいくらでもいるのだ。
これは合理的な考え。
―――一体どこが、『自虐的』なのか。
しかし馬鹿にされているのは目に見えているので、彼女はそれを尋ね返すことなどしなかった。
「もういいです。貴方は大人しく茶でも飲んでいなさい。私はもう喋りません」
そう言って、榊は目の前のお茶を飲み干していた。
「しーちゃんが飲んでるじゃん。……まあいっか、たまにはこういうのも」
永輝は満足そうに、不機嫌な榊を見つめながらコーヒーを飲みだした。
* * *
と、そんな『仲の良さそうな』2人のやりとりを気にしつつ、俺は安曇野さんと会話していた。
「上代君、最近部活どう?」
「え、ああ、うん。最近やっとメニューに慣れてきたよ。最初はやっぱりきつかったんだけど。……そういや安曇野さんて何部だっけ?」
「茶道部だよ。かおちゃんもさっちゃんも」
「うっへー。お前小中とバリバリにソフトボールやってたくせになんで今更茶道なんだ?」
いっちゃんがまた橋爪さんに食いかかる。
「なんだっていいじゃないのよ! 私だってたまにはおしとやかなことするんだから!」
てな反論をする彼女がおかしくて一同一斉に笑いだした。
……これはこれで、楽しくなくもないのだが。
やっぱり俺は、始終榊のことが気にかかっていた。
日も落ちた頃、ようやく会はお開きになった。
「今日は上代君と沢山喋れて楽しかったよ。また学校でね」
安曇野さん達はそう言って帰っていった。
で、俺の隣にはいつの間にか榊がいて。
「……榊、お疲れ……」
とりあえずねぎらいの言葉をかけてみる。
「……いえ、ほとんど喋りませんでしたから」
そう言いつつもどこかぐったりしている榊。
確かに、ちらちらと様子を窺っていた感じでは榊はずっと黙ってお茶を飲み続けていたようだった。
そんな様子を奴がずーっと真ん前で見ていたのは気に食わないが。
「……冬馬様は、楽しかったですか?」
榊が尋ねてきた。
「え……」
いや、楽しくなかったわけではない。普段喋らない女子と随分長いこと喋れて新鮮だったといえばそうだ。けど反面、ずっと國生と榊のことが気になってのんびり出来なかったというのも事実で……。
「冬馬様?」
なんて本人に言えるわけがないし!?
「え、あ、まあ、うん……」
結局そんな風に答えると
「……そうですか。なら私は構いません」
彼女は少し寂しげに笑って、そう言った。
……え、それってどういう意味……?
尋ねられぬまま、俺たちは帰路についた。
* * *
「へい、らっしゃーい」
扉が開くと同時に、店主の威勢の良い声が店内に響く。
ここは夜の繁華街から少しばかり離れたところにある小さなラーメン屋。知る人ぞ知る名店だったりする。
この時間、店内にいるのは中年の常連客数名のみ。
そんな彼らが、皆ぽかんと入り口を凝視していた。
「お邪魔します」
そう断って店内に入ってきたのは女性客2名。
2人は優雅な足取りで奥のテーブルに腰掛けた。
店主を含め、この場にいる全員がいまだ彼女達を凝視している。
女性客が珍しい、というわけでは決してない。
これまでも評判を聞きつけてやって来るグルメな女性は星の数ほどいた。
だが、この2人は別格だ。
1人はふわりとした栗色の髪の女性。気品溢れる顔立ちで、年齢が全く読めない。
「お冷を2つ、頂けますか?」
小鳥の囀りのような美しい声に、男達は皆聞き惚れた。
店主だけが慌ててコップに水を注ぎ持っていくと
「ありがとう」
陽の香りが漂ってきそうな温かな笑みを返されて、思わずお盆を取り落としそうになった。
「ちゅ、注文は決まりましたかね!?」
緊張のあまり声が裏返りながらも店主が尋ねると
「特製ラーメン2つで。あと裏メニューのチャーシューおにぎりもいけます?」
今度は向かい側の女性に尋ねられて店主はこくこくと頷くことしか出来なかった。
その女性は髪がベリーショートで、遠目から見たら男性に見えなくもない。年齢は向かいの女性より幾分若いようだ。右目の黒い眼帯にどうしても目が行ってしまうのだが、顔立ちは端正な上に中性的なそれで、凛とした雰囲気が漂っていた。
しかしそれにも関わらず、彼女はとてもにこやかなので、親しみやすそうな印象すら与える。
「さっきそこで松じいさんって方にこのお店のこと教えてもらったんですよー」
その印象の通り、気さくに話しかけられて店主も少し緊張が和らいできた。
「松さんにはいつも来てもらってるからねえ。あっはっは、今日は裏メニュー分サービスしとくよー!」
「わーおじさん太っ腹!」
「ありがとうございます。この町の方々は本当に親切な方ばかりですのね」
美女2人に褒めちぎられる店主を客達は羨ましげに見つめつつ、
「なあ、あれ絶対ミシュランの人だろ」
「だな。バレバレだって噂だったけど確かにバレバレだな」
「すごいバレバレだな」
ひそひそと、そんな会話を繰り広げ始めた。
透明な鶏がらスープの特製ラーメンを口にしつつ、栗色の髪の女性は微笑む。
「美味しい。こういった食事は普段はとれないから新鮮だわ。今日のお昼ご飯もとても美味しかったし」
「楓様がラーメンやハンバーガーをお気に召したと聞いたら魔王様や城の料理人達がどんな反応をするのか、少し見てみたいものです」
「ふふふ、キャシーったら」
そんな光景を思い浮かべたのか、魔王の妻、神代楓はにこやかに笑った。つられて向かいに座るキャシーこと海星キャサリンも微笑む。
下の名前を名乗る機会が少ない彼女を、『キャシー』と親しみを込めて呼ぶのは城の中でも王妃だけだ。
海星は魔王直轄軍の隊長の中で唯一の女性だということもあってか、今までもよく魔王に王妃の世話や護衛を頼まれたりしていた。
今回彼女が王妃とここにいるのも、そういった事情だ。
王妃の人間界滞在は1ヵ月間。
その間海星は王妃の護衛を基本1人でこなさなければならない。王妃は只でさえ人目を引く容姿であるし、部下をぞろぞろと引き連れていては余計に目立ってしまうからだ。
これまでこなしてきた数多の任務の中でも、最も責任が重いものと言っていい。
しかし。
(まあ、楓様と人間界観光なんて、こんな機会まずないわよね……)
可愛らしいナルトを箸でつまんで喜んでいる王妃を眺めながら、海星は微笑んでいた。
* * *
自室の電気をパチリと点けて、ふうと一息溜め息をつく。
土日は特に榊と食事を共にすることが多かったのだが、今日はさすがに榊が疲れていそうだったのでマンションに入ってからすぐに別れることになった。
晩飯をどうしようかと一瞬悩んだが、先ほどの会で軽食を取ったせいかあまりお腹は減っていない。
――……もういいか。
俺はベッドにぱたりと倒れこむ。
枕に顔を埋めながら、帰り道の会話を振り返った。
『……冬馬様は、楽しかったですか?』
『え、あ、まあ、うん……』
『……そうですか。なら私は構いません』
少し寂しげに笑った彼女の顔が忘れられない。
あれって、自分は楽しくなかったけど、俺が楽しかったならそれでいいってことか?
そんなのは……男としてどうも納得がいかない。
「よし」
俺は決心した。
明日は榊と2人で、どこかに出かけようと。