第18話:再逢魔が時
日付が変わる前に、魔王と母さんは魔界へ帰っていった。海星さんはもうしばらく事後処理で残るらしい。
去り際
「また来るわ」
なんて爆弾発言を、母さんはそっと俺に耳打ちした。
けど、それもいいと俺は思った。
そして深夜、俺は榊と一緒にこっそりと合宿場へ戻ってきたわけだが。
「遅かったね」
真っ暗な建物の中で唯一明かりがついていた正面玄関で、國生が待っていた。
その手には何か怪しい香りが漂う壺があった。
「1人残らず暗示かけるのに建物中歩き回ったんだよ? 全く、海星将軍も面倒を押し付けるね」
そう言う國生は少々不機嫌なようだ。
「海星さんがこれを貴方に、と。『お駄賃』代わりだそうです」
榊がそう言って國生にマカロン1個を手渡した。國生は呆れた顔をしつつも
「まあいいや。ありがたく受け取っておくよ」
そう言ってそれを受け取った。それから奴は俺たちのボロボロさ加減をひとしきり眺めて
「じゃあ俺もう寝るから。風呂はまだ稼動してるみたいだから入るなら入れば? 誰も見てないし、混浴しても平気だよ?」
そんなことを言いながら手をひらひらさせて去っていく。榊はそれを聞いて一気に顔を赤らめた。
「おい! さりげに変なこと言うな!」
俺も顔が熱くなるのを感じつつ、つい叫んでいた。
そして翌朝、まだ眠気を感じつつも俺が目を覚ますと、他の男子は皆すでに起きていたようで
「あれ? なあ、昨日の晩って何してたんだっけ?」
「ん? トランプするって言ってたよな……あれ、したっけか?」
なんて曖昧な会話をしていた。どうやら昨晩の記憶は無事飛んでいるらしい。
俺のほうも結局昨晩は何かと疲れていたからさっと風呂に入ってそのまま寝た。
ただ、今思えば少し勿体無いことをしたかもしれない。
皆寝静まってたわけだし、榊とあの告白の件についてゆっくり話せたかも……。
とかなんとか考えていると、向かい側にいた國生が意味深に笑いやがった。
「まだ今晩があるよ」
朝っぱらからそんなことを爽やかに言ってのけた國生を俺は反射的に睨みつけたが
――……あれ?
あいつはいつの間に、俺と榊を応援するようになったんだ、ということに疑問を覚えた。
合宿所で迎える最後の夕暮れ時、俺は部屋の連中がトランプで盛り上がっている中をこっそり抜け出した。無論、榊に会って、時間があまり経たないうちに昨日のことをちゃんと確認しようと思ってのことだ。
しかし目的を持って抜け出したはいいんだが。
――どうやって榊を呼ぶんだよ、俺の馬鹿。
俺は女子寮に繋がる、外に面した渡り廊下に踏み込む手前でうろうろしていた。
いい加減こんなとこでうろうろしてたら余計怪しいとなーと周りを気にしていると。
「冬馬様?」
それはもうナイスなタイミングで、榊が向こうの棟からやって来た。
「さ、榊! どうしたんだ?」
だから俺、声ひっくりかえってるって。
「いえ、その……廊下の窓から冬馬様が見えたので。女子寮に何か?」
「いや! 榊に用があったんだ! ちょうど良かった」
俺は手招きして、渡り廊下から彼女を外へ連れ出した。
そのまま合宿場の建物の裏側に面する木陰へ移動する。
ちょうど今の時間、山々を浮き立たせる夕焼け空がとても綺麗だった。
「あのさ、榊。昨日の……その、返事なんだけどさ」
俺はかなり単刀直入に切り出した。あんまりのろのろしていると、夕飯の時刻になってしまうのだ。
榊の頬は夕焼け色で染まっているのか、それとも自然に染まっているのか、どちらにしろ朱に染まっていた。
「その…………」
榊は夕焼けに向き直って、俺に背を向けた。
逆光が、眩しい。
「冬馬様は覚えていらっしゃいますか? 私が貴方の前に赤誓鎌を構えて現れる、前のことを」
榊はそう尋ねてきた。
「……あの日の、朝のことか?」
俺がそう言うと、彼女は小さく頷いたようだった。
あの日の朝、俺は彼女の机に掛かっていた鞄を少しばかり蹴飛ばしてしまったのだ。そして慌てて掛けた言葉が『ごめん』、だった。
「あの時、貴方に声を掛けられるなんて思いも寄りませんでした。実際、いつもの術を行使していましたから」
彼女はどこか笑みを隠したような声で語る。俺もつられて照れ笑いをした。
「だからあんなに驚いた顔してたんだな」
あの時の彼女の顔は、忘れはしない。そりゃあ、最近でも俺は突飛なことを言って、よく彼女にあんな顔をさせるが、やはり1番驚いていたのはあの時だっただろうと今でも思えるくらいなのだ。
榊は照れているのか、少し俯き加減になった。
長くて繊細な髪が、逢魔が時の風に揺れる。
「申し上げる機会がなかったのですが……」
榊はそう言いつつ、やっと振り返る。
「私はあの時、貴方に感謝していました」
その顔は、とても晴れやかなものだった。
ついうっかり、じっと見惚れてしまうほどの。
「感、謝……?」
俺は頭が半分停止した分、口だけで尋ねていた。
「はい。私はそれまで世界から隔絶されて……いえ、自ら世界を拒絶して生活していました。ですが心のどこかで『寂しい』と感じていたようです。けれどあの時、貴方が私の存在に気付いてくれたから……」
榊は懐かしむように目を閉じた。
「私は今の『幸せ』を知りました。私は貴方が与えてくれた日常、貴方と過ごす生活、そして何より……」
そして目を開く。
あの日から変わらない、真っ直ぐな瞳で、彼女は俺を見た。
「貴方のことが、好きです」
そのひと言で、俺の頭は全停止した。
自分がどんな顔をして聞いていたのかもわからない。
もしかすると、すごく間抜けな顔で聞いていたかもしれない。けれどこれだけは言える。
今この瞬間、俺はかつてないほどの喜びに浸っている、と。
* * *
神代楓は約1ヶ月ぶりの自室のベッドで、様々な想いを巡らせていた。
レイト・サーベリアのことは確かに辛いことだった。
しかし、今までこの城から1歩も外に出たことのなかった彼女が、人間界という未知の世界に足を踏み入れ、そしてそこにいる1人息子と言葉を交わすことが出来ただけで、彼女の胸は幸せな気持ちでいっぱいになっていた。
侍女が運んできてくれたお茶を飲んでいると、彼女の夫が部屋に入ってきた。
「楓、身体のほうは大丈夫か?」
どうやら心配して来てくれたらしい。
実は、息子を守ろうとして少しばかり無理をしたせいもあってか、楓は帰ってきてから少しばかり熱を出してしまったのだ。
「ええ、もうすっかり熱も下がりましたわ」
楓はティーカップを棚に置く。彼女の夫、炎騎はベッドの傍らに座り込んだ。
「人間界は楽しかったかい?」
「ええ。とっても」
楓は心から答える。
それから少しばかり、炎騎に人間界で見たことや体験したことを話した。炎騎は向こうでの彼女の行動力に驚きつつ、それでも始終にこやかに聞いていた。
彼女が自ら体験したことについて喜びを語ることは、今までにあまりなかったのだ。
そしてその話もひと区切り付くと、やはり息子の話になった。
「冬馬、背も高くなって。貴方にやっぱりちょっと似てきたのが悔しいわ」
楓は冗談半分に笑う。それを聞いて炎騎は少しばかり困った顔を見せた。
「あの子はまだ少し幼い感じの顔だから、その辺りはお前に似ているよ」
「まあ! 私が童顔ですって?」
楓はぷりぷりと怒ったような素振りを見せたが、すぐに落ち着きをはらって話題を変える。
「でもほら、あの子の能力。貴方と同じ『馬』ってあたりが血を感じると思わない?」
炎騎はさらに苦笑する。
「まあね。けれどあの子は『氷』、私は『炎』。真逆なのが皮肉じゃないか」
楓は「あら」と不思議そうに声を漏らし、どこか可笑しそうに笑った。
「いいえ、その2つは真逆なようで似たものだと思うわ」
炎騎は首をかしげる。
「どうして?」
「炎と氷は表すものが同じなのよ。炎は人に『温もり』を与えるでしょう? それに比べて氷は冷たいけれど、その冷たさによって触れた人の『温もり』が分かるのよ」
楓が得意げにそう言うと、炎騎は笑った。
「だから冬馬はあんなに優しい子に育ったんだね」
楓も微笑む。
「そうね。やっぱり、貴方にそっくり……」
そう言いながら、楓は炎騎の頬に手をやった。
「貴方も、本当に優しい人」
その手が触れると、炎騎は今にも泣きそうな、そんな表情になる。
楓には分かっている。
彼が常に憂いを帯びた目をしているのは、常に泣きだしたいほどの重圧に苦しんでいるからなのだと。
厳格なことで知られた前魔王――楓の父も、私室ではそんな顔をしていたのだ。
一国の王となることが、一体どれほどの重みを持つのか。
常に側にある楓ですら、その全てを量ることは出来ない。
けれど。
「私は貴方と一緒になれて、本当に良かったと思ってる」
彼女は心から、そう言った。
しかし炎騎は切なげな顔で彼女を見つめる。
「……本当に? 私は君からあの子を取り上げてしまったのに」
楓は首を振る。
「それでも貴方は私に人間界へ行く許可をくれたじゃない。本当に、嬉しかった。それに、貴方はやっぱり立派な父親だった。わざわざあのタイミングでやって来たのは、冬馬と榊ちゃんのためだったんでしょう?」
楓も榊と同じく、そのことを察していたようだ。
炎騎は万感の想いで妻の手をとる。
「私も、君と一緒になれてよかったと思っているよ」
2人は静かに抱擁を交わした。