第13話:Notice
そんなこんなで、日曜日。とにかく出掛けることにした。
行き先は近所のスーパーだ。なんとも色気のないデートだが、一応の目的は合宿の準備なので仕方がない。
「歯ブラシがなかったんだよなー。化粧品売り場か……榊は何か買うものあるか?」
「私もそこで事足ります」
……で、買い物は半時間も経たないうちに終了してしまったわけだ。
適当に店内をぶらついて、フードコートに入り込む。
「……え、と、なんかのど乾いたな。何か買ってこようか」
「でしたら私が参ります。何をご所望でしょうか」
榊はすかさずそう言ってくれるが、これに乗ってしまうといつもの主従パターンになってしまう。
出来れば今日は、『デートっぽく』。
せっかくの2人きりなんだ。
「俺が買ってくるから、座ってろよ」
「ですが……」
反論される前に俺は売店に向かって飛び出していった。
* * *
榊は1人、フードコートの丸いテーブルを囲んだ椅子に座って溜め息をついていた。
すると
「元気ないね、しーちゃん」
ここ2日、聞くことのなかった声がした。
「どうして貴方がここに……」
見上げた先にいたのは、國生永輝。
彼はあの水曜日以来、学校を休んでいたのだ。
(……もう現れないと思っていたのに……)
そう思いつつ、それでも心のどこかで安堵したことに、彼女は気付いたが認めなかった。
けれどそのあたりを微妙な表情の変化で悟った永輝は
「俺も買い物くらいするよ」
笑顔で彼女の前の席に陣取った。
「当たり前のように座らないでください」
「まあまあ。ところでさ、ちょっと気になってることがあるんだけど」
そう言った彼は、何やら真剣そうだったので榊は耳を貸すことにした。
「なんですか?」
「ライオン騒ぎがあった火曜のことなんだけどね、あの日俺、犬と戦ってたわけ。結構な数だったよ、あれ」
「……! それは……」
あのライオンと同種の刺客が他にもいたということだ。しかし皇子を狙ってきたのはライオン1体だけ。
その犬というのは何を狙っていたというのだろう。
(まさか……)
彼女の脳裏に真っ先に思い浮かんだのは王妃、楓の顔。
現在人間界にいる魔界の要人など、皇子の他には彼女しかいない。
「しーちゃん、知ってるみたいだね」
「…………」
榊は永輝を睨んだ。
「気をつけたほうがいい。今のしーちゃん、かなり抜けてるよ」
彼は嗤う。
「……な」
榊が反論する前に
「合宿の夜、何か起こるかもしれない」
そんな、予言めいたことを彼は言った。
「……なに、か?」
* * *
俺が飲み物を買ってテーブルに戻ろうとすると、榊の前に誰かがいた。
よく見ると、それは知った顔で。
「……國生」
俺が唸るようにその名を呼ぶと、あいつはこっちを振り返った。
「や、上代君。元気してた?」
「……そっちこそ元気そうだな」
皮肉で返してやった。こいつが病欠していたとは考えにくい。
「まあね。さてと、しーちゃん、今からどうするの?」
「はい?」
「どこにも行く予定ないなら今度こそ俺とデートしない?」
國生は笑っているが、あれでいて結構本気なのだろう。
「私が貴方とデートなどするはずないでしょう! 私は冬馬様の……」
そう言いかけて、榊は急に口を閉ざした。
「……?」
困惑する俺を傍目に、國生が嘲るように言う。
「護衛役だから? 上代君の側を離れられないって?」
……そんな言い方をされると癇に障る。
それじゃあまるで俺が榊を縛り付けてるみたいな言い方じゃないか。
「……貴方は、何が言いたいのですか?」
榊も怒っているようだ。
時間帯のせいか周りにあまり客がいないのは幸いだ。このテーブルの空気だけ、妙に険悪になりつつある。
「だからさー、しーちゃんみたいな若い女の子が、魔王様の息子っていってもこれからずっと人間界で暮らす皇子様に護衛として始終付く必要があるのかってこと」
若干呆れたように、いや、どこか怒ったように國生は言う。
……悔しいが、奴の言うことは筋が通っていた。
「國生君、それは冬馬様に対して失礼では……」
「そう? 上代君だって『そうかも』って顔してるよ?」
國生が俺のほうを親指で指す。
――う。
榊がこちらを一瞥する。
どこか、淋しそうな眼で。
「……冬馬様も、そう……お思いですか?」
榊が俯きつつ俺に尋ねてくる。
俺は突然求められた答えを必死に探す。
「え……いや、あの……その……俺は、榊を……俺の護衛として縛るつもりはないんだぞ? 榊だって普通の……」
『普通の女の子として、側にいてくれたら』
そう言いたいのに、最後の最後で躊躇して、喉につっかえてしまった。
すると。
「…………」
白いテーブルの上に、ぽた、ぽたと何かがこぼれている。
あれは…………
「さか……き?」
俺が声を掛けた途端、彼女は勢いよく立ち上がり、踵を返して走っていってしまった。
「え、あ……」
泣いて……たのか?
「あーあ、しーちゃん泣かせたの、上代君だからね」
傍らの國生が言う。
「お、俺?」
「そうだよ。ほら、早く追っかけないと取り返しつかなくなるよ」
どことなく不機嫌に國生が言う。
――それは、嫌だ。
「榊!」
俺は手に持ったままだったカップを乱暴に置いて、急いで彼女の後を追いかけた。
* * *
『楽しい時間はいつかは終わる』
私が変わらない限り?
このままでは彼が言ったように自然に崩壊してしまう。
でもどうすれば変われるのか。
私は、どうしたらいいのか。
「…………っ」
息が切れて、彼女はようやく立ち止まった。
無我夢中で走ってきたため、今現在自分がどこにいるのかすらも分からなかった。
無意識のうちに跳躍力を使ったのだろう、振り返っても先ほどまでいたスーパーは影も形も見えず、前方には石材で出来たいくつもの円柱の柵越しに、海が広がっている。
磯の香りが程よく漂う休日の海浜公園は、若いカップルで賑わっていた。
「…………」
取り合えず涙をぬぐって、榊は誰も座っていないベンチに腰掛けた。
(……不覚だ。冬馬様の前で涙を見せるなんて……)
――また、逃げてきてしまった。
その事実が既にぼろぼろだった自尊心を今度こそ粉々にしてしまった。
そろそろ彼も、自分に愛想が尽きただろうか。
いや、もう必要ないのかもしれない。
(冬馬様にはもう……私なんて……)
そう思うとまた、押さえていたものがあふれ出してきた。
何度泣き止んでもまた嗚咽を繰り返す。
「……っく……ぅ……」
周りにいるカップル達の好奇の視線を感じたが、今の彼女にはもうそんなことを気にしている余裕など無かった。
……そうしてどれくらい経っただろう。
やっと少し落ち着いてきたところに
「君、君。そんなに泣きはらして、どうしたの?」
見知らぬ男が彼女の隣に座って声を掛けてきた。
似合わない金髪で、下卑た笑い方をする男だった。
「もしかして失恋? 君すっごい美人なのに。振った男の顔が見てみたいよ、ほんと」
「…………」
榊はただ黙っている――むしろ完全に関わりたくないオーラを発しているが、相手は構わず続けた。
「実はさ、俺もさっき振られてさー? 見てよこの顔! あの女、別れ際に思いっきりこの顔ぶったんだぜ? ひどい話だよ、ほんと」
「…………」
ずっと榊が黙り込んでいるのでとうとう痺れを切らしたのか、男は立ち上がった。
「ね、ここで今会ったのも偶然じゃないと思うんだよね? どう、俺と今からお互いの傷でも舐めあわない?」
男は無遠慮にも榊の腕を掴んだ。
これには流石に黙っていられず、彼女が口を開きかけたその時。
「……ごめん、お兄さん。その子俺の連れだから」
「……!」
男が振り返った拍子に、視界が開ける。
そこには肩で息をしている少年が立っていた。
「ち、なんだよ」
金髪の男はそう吐き捨ててそそくさと去っていった。
榊は泣き腫らした目で彼を見据える。
「……冬馬……様……」
「……ったく、男くらい払ってくれよ、頼むから」
彼はもう限界とばかりにその場にしゃがみこんだ。
「……あの、冬馬様……」
必死に追いかけてきたのだろう。随分と息が上がっている。
榊が何か言おうとすると、彼は片腕を突き出して『ちょっと待って』の合図をした。
呼吸をなんとか整え、
「……その、ごめん。俺、なんかまずいこと言った……? んだよな」
彼は不安げに、どこか泣きそうにも見える顔で、彼女に尋ねた。
「あの……! いえ、私が悪いのです。冬馬様は決して……」
「いや、でも……」
冬馬としては、なぜ彼女が泣いて飛び出していってしまったのかをどうしても知りたいのだ。
「……訊いていいか? その、理由……」
少々目線を泳がせながら、改めてそう尋ねる。
「……あの……それは……」
そう言っている間にまた、榊は涙腺が高まるのを感じた。
「さ、榊! 嫌なら言わなくていいから! ごめん! ほんっとごめん!!」
彼は怒涛の勢いで謝りだす。
それで彼女は余計に戸惑ってしまった。
本心を伝えるのは辛い。
本心を尋ねるのは怖い。
けれどここで誤魔化せば彼はこのままずっと謝罪を続けるだろう。
それも、困る。
「……ま、さまには……」
榊は必死に言葉を搾り出す。
「……冬馬様には、もう、私は必要ない、ということでしょうか……?」
怖くて訊けなかった問いを、ここで問う。
「……え?」
「いつか、私が邪魔に思える日が来たら、そう仰ってくださいと申しましたね……。その時は、私は潔く消えようと思っていました」
「榊……?」
「國生君のことも……彼が私のために冬馬様の邪魔をするなら……私は消えようと思っていました。……なのに……私は……」
その勇気が出なかった。
今も勿論出ていない。
だから2度も逃げ出した。
いつかここに居られなくなる日が来るかもしれないと感じたその日から、どこか彼女は怖れていた。
どうして怖れていたのか?
ずっとここに居たいと思っていたから?
ならそれを伝えればいいのに、その勇気すら持てない。
壊れるのが怖い。
けれど最近、どこかおかしい。
今までの形で満足していたはずなのに、壊れるのが怖いはずなのに、いつの間にかまだ何かを求めている。
そう、彼に――……
* * *
「……っ貴方といると自分が分からなくなる……! 頭で考えていることと、心が思っていることが、全く一致しないんです……!!」
彼女はそう、ひどく苦しそうに叫んだ。
間違いなく、俺に向けて。
「……榊……」
悔しいけど、國生の言ってた通りだった。
勉強も、料理も、他のことだってなんでも、完璧にこなしてしまう彼女。
全く隙がない、高嶺の花。
けど、そんなのは全部、彼女の能力が作り上げた外壁でしかなくて。
いつだったか、
『名前を覚えられていない、ということを「悲しい」と思うのでしょうか、この魚達は』と、彼女は問うた。
あの時のあの言葉は、やっぱり彼女の気持ちだったんだ。
結局彼女は、本当は誰よりも臆病で、寂しがりやの女の子だったのかもしれない。
「俺が言いたかったのは、榊はもう必要ないって意味じゃないんだ……」
手を伸ばして、彼女のか細い肩に触れる。
「……え?」
その肩が、少し緊張気味に強張ったのが分かった。
「俺は、榊にずっと側にいてほしいと思ってる。けどそのときは、出来れば……」
そのまま手を背中側に回して、俺は彼女を抱き寄せた。
「……もっと普通に、側にいてほしかったんだ……」
護衛とか、そんな、『役目』じゃなくて、ただ当たり前に。
腕に力を篭める。
「え……あの、……冬馬、さま……」
彼女が困惑気味にそう呟いたが、俺は気にせずしっかりと彼女を抱きしめていた。
今までで1番近い距離で、彼女を感じる。
抱きしめて、彼女の身体の小ささを改めて思い知った。
あんなに俺は、榊に『普通の女の子』でいて欲しいと思っていたのに、そう思うこと自体が間違いだったんだと今更ながらに思い知る。
國生に、あんなに大胆に言い寄られたら赤くなるのは当然だし、お化け屋敷を怖がるのだって、当然のことだったんだ。
俺が気付いてなかっただけで、
彼女は最初から、ただの女の子だったんだから。
「……と、冬馬様、あの……人目が……」
榊が相変わらず困惑気味に呟いている。
けれど俺はまだ彼女を離したくなかった。
「……冬馬様……その……少し、苦しいのですが……」
…………。
「……ごめん……」
そう言われると離すしかなくなってしまう。
俺はしぶしぶ腕を解いた。
「…………」
榊は顔を真っ赤にして俯いている。
そんな彼女を見ていると、さっきまでは平気だったのに、こっちまで顔が熱くなってきてしまった。
そんな俺たちを見てどこのミーハーなカップルかは知らないが『ひゅー、かーわいー』なんて冷やかすものだから
「……榊、帰ろう」
「……そう、ですね」
俺達は逃げるようにしてその公園を後にした。
結局、俺も『移動力』を使って跳んできたから、ここまでどうやって来たのか、道順なんてさっぱり覚えていなかった。
仕方なく最寄り駅を探して電車で帰ることにする。
実際、3駅くらいの距離を移動していたらしいということが判明した。
「……冬馬様、それにしてもよく私の居場所が分かりましたね……?」
電車で、絶妙な距離を置きつつも隣に座った榊が不思議そうに尋ねてくる。
「ああ、なんていうか榊の気配、みたいなのを追ってきたんだけど……」
……って自分で言ってて訳がわからん。
ただなんとなく、『こっちだ』と思ったのだ。
「気配、ですか」
榊も不思議に思っているようだ。
……ああ、もうこの際愛のパワーとでもなんとでも解釈してくれればいいんだが。
「と、とにかくこんな追いかけっこはもう嫌だからな!何かあったらびしっと俺に言ってくれ!」
まだ胸に罪悪感が残っている。
あそこまで女の子を泣かせたのは初めてだ。
しかもよりによってその相手が1番泣かせたくない子だったのに。
「あの、いえ……今回のことは、私の勘違いが原因ですから……その、すみませんでした……」
榊は更に顔を赤くしていた。このままじゃほんと、倒れてしまいそうなくらいに。
けれど俺は頭の中で1つのワードを反芻していた。
――勘違い……?
それは、俺が榊のことを必要ないって言ったと勘違いしてたってこと……だろうか?
それで泣いたんだろうか、彼女は。
……ということはつまり、その、榊は、俺の側にい……
「ですが冬馬様、私に『普通に』側にいてほしい、というのはどういった意味なのでしょうか?」
当の本人にいきなりそう訊かれて俺はどきりとする。
「え?」
そのあたり、どうやら榊は分かってくれていないらしい。
――あう……。
内心がくっとする。
いや、これはもうはっきりと言わなければいけない時なのだろうか。
けれどここでまたヘマしたらせっかくこうやって帰ってきたのにまた水の泡に……と、どうしようかと逡巡している間に地元の駅についてしまった。
「お、降りるぞ」
「あ、待ってください、冬馬様!?」
帰宅するまでにも『私に何か至らないところがあるのでしょうか』とか色々訊いてくる彼女に随分と困ってしまったが、今日のところはこれで勘弁して欲しい。
彼女にちゃんと告白するのは合宿の時ということで俺は腹をくくった。
それに。
――安曇野さんに、ちゃんと断りを入れてからじゃないと、悪いしな……。
前触れもなく間が空いてしまって申し訳ないです。
気合を入れなおして次話からクライマックス合宿編突入です。
いつも読んでくださっている方々、ありがとうございます。