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第10話:街中の獅子

「……っ!」

 思い余って榊は彼の頬をはたき飛ばした。

「ぃって!」

 見事な音が箱に響く。

「随分と嗜虐的な趣味をお持ちのようですね。なんでしたら被虐趣味とやらも味わってみますか?」

 そう言って立ち上がる榊は赤誓鎌すら構えそうな勢いである。

「……いや、遠慮しとくよ……」

 流石に慄いたのか永輝は大人しくもとの位置に戻った。

 気がつけばもうすぐ地上である。

 榊は思わず胸をほっとなでおろしていた。

 そんな様子を見て、永輝は苦笑を浮かべる。そして

「……でもさ、しーちゃん。楽しい時間なんていつかは終わるよ。……君が変わらない限り、ね」

 彼は最後に、そう呟いた。




 * * *

 観覧車が折り返し地点に入った。

 時間が残り少ないことに焦りを感じ始めた安曇野志穂は、思い切って切り出した。

「上代君、覚えてる? 春のこと」

「え?」

 突然話が飛んだことに冬馬は多少驚いたが、志穂はそのまま続けた。

「高校の合格発表の日、なんだけどね。私、その日お母さんも仕事で出掛けてたから1人で見に行ったんだけど、時間を間違えて早く着きすぎちゃって」

「へえ……。あ、そういや俺も確かその日、早く着きすぎた記憶があるな」

 思い返すように視線を上に泳がせる冬馬を確認し、志穂は続ける。

「でもね、一旦家に帰ってまた来るのもなんだし、ずっと掲示板の前で待ってたんだけど、その日雨だったでしょ?」

「あ、ああ。そういえば……」

 冬馬の中でも記憶が段々と鮮明になってきた。


 慣れない高校の校舎の前で傘を差し、緊張しながら番号が貼り出されるのを待っていた。

 飾り気のない、使い込まれた木製の掲示板の前。

 傍らには、他中学の制服を着た女子生徒が同じく緊張の面持ちでずっと立っていた。


「まだ3月だったし、寒かったんだよね」

「うん、そういえば。俺、まだその日カイロ持ってて……」


 そこで、とても寒そうに濡れた手を組んでいたその女子生徒にそのカイロを渡したのだ。

(……て、あれ? これって……)


「やっぱり上代君だったんだ!」

 志穂は顔を綻ばせた。

「…………って、ええ!? あのときの、安曇野さんだったんだ!?」

 冬馬は思わず指をさして声を大きくした。

 こんな偶然があるのかと、何が嬉しいのかよく分からないが自然と顔が綻んでいる。

 そんな彼の反応を見て、志穂は満面の笑みで頷いた。

「うん。あの時は本当にありがとう、上代君」


 ぶっきらぼうにカイロを渡してきた少年の顔を、彼女はあの時しっかりと目に焼き付けていた。

 他に人が集まりだしても彼を目で追っていた。

 やっと合格者一覧が貼り出された瞬間も、自分の番号を見てからすぐにその少年の反応を見た。彼も笑っていたので合格したのだと確信した。

 入学式の日、自分のクラスに彼の姿を見たとき、どれほど胸が高鳴っただろう。

 あの日からずっと、志穂は冬馬に想いを寄せていたのだ。



 ようやく話が盛り上がり始めたところで、しかしながらあともう少しで終点というところまで来てしまっていた。

 それでも志穂は満足していた。

 かの少年が、『自分に向けて』笑顔を見せてくれたのは、さきほどが初めてだったのだから。




 * * *

 空が夕焼け色に染まる頃、今日のプランは終了した。

「はい、お疲れ様でした!」

 橋爪さんは最後まで元気がよかった。

「さて皆さん、何か言い残したことがあるなら今のうちにどうぞ。私はっと……市橋、あんた火曜に予定されてる中学の同窓会行く?」

 とかなんとか橋爪さんはいっちゃんを手招きして何か相談をしだす。


 ああ、そういえば来週の火曜日って祝日だったな、なんてことを思っていたら、いつの間にか安曇野さんが俺のほうにやって来ていた。

「あ、あの、上代君! 良かったら今度の火曜日、一緒に映画見に行かない?」

「映画?」

「うん。お姉ちゃんから2枚券をもらってね。今流行ってる映画なんだけど……」

 彼女はそう言って鞄からチケットを取り出した。

 ハリウッドの有名監督が手がけ、今注目株の女優が主演を張ったアクション大作である。ちょうど見てみたかったタイトルだ。


 ……ってちょっと待て。

 チケットは2枚ってことは2人で行くってこと、だよな?

 これって……もしかして。

 ……デートのお誘い、なのか?


「ごめん、忙しいならいいんだけど……」

 そう言う安曇野さんは目に見えてしょんぼりしている。

 慌てて俺は

「え、あ、いや、予定は……ないんだけど……」

 そう言いつつ榊のほうを窺う。

 彼女はなんとも言えないような表情をしているが、手を使ったジェスチャーでは

『私のことは気にせずどうぞ』

 と言っているようだ。

 ここで下手に断ると後々気まずいかなあとか思ったりするわけで。

「じゃ、じゃあ、行こうかな」

 そう、返事をしてしまった。

「ほ、ほんと!? あ、ありがとう!」

 安曇野さんは本当に嬉しそうだった。

 しかしそれを見て、さもタイミングを狙ったように國生が榊に近づいた。

「じゃあしーちゃん、俺たちも火曜日、どこか出掛けない? 俺がエスコートするからさ」

 んな!?

「誰が貴方と出掛けますか。身の危険を感じます」

「ふふ、じゃあ火曜日、迎えに行くからね」

 榊の返事は元から気にするつもりがないのか、國生は笑って去っていった。

「な! 國生君! 迎えに来られても私は外には……」

『出ません』と言いたかったのだろうが、俺が外出するなら榊も外出することになる。それに気付いたのか榊は溜め息をついていた。


 といった感じに後味悪く、今日はお開きとなった。





 その日の夕食時。

「ごめんな、榊。火曜日のこと……」

 俺は榊に謝っていた。

 けれど榊は気にも留めていないようで

「いえ、冬馬様が謝る必要はありません。そもそも私は空気のようなものと考えていただいていいのですから」

 なんて言いのけた。

「く、空気?」

「はい。貴方は確かに魔王様のご子息ですが、今はここで普通に生活されている御身です。私のような護衛がこうして貴方の前に目に見える形で侍っていること自体がそもそもの間違いかと…………」

「な……」


 今の彼女は、彼女らしくないような気がした。

 というよりその言い草だと、存在感を薄くしていた6月の頃の彼女に戻ってしまったみたいで。


「榊、何か怒ってるのか?」

 そう言うと、榊は目を丸くした。心底驚いているときのあの顔だ。

「え……? そう、見えますか?」

 え、いや、そう見えますかって……俺に訊くのか?

「怒ってないのか?」

「そんなつもりは、なかったのですが……」

 そう答えつつも、彼女は少し狼狽しているように見えた。

 少し、といっても彼女が感情の揺れ――特にマイナスの――を表に出すこと自体が既に只事ではない。

「榊? 疲れてるんだったら、もう部屋で休むか?」

「……その、すみません。今日は下がらせていただきます……」

 そんな、どこか覇気のない後姿を、俺は無言で見送ることしか出来なかった。





 翌日をまた休日として控えている月曜日は気の抜けたままあっという間に過ぎて行き、安曇野さんと出掛ける火曜日がやってきた。

 昨日の帰り際に、榊は例の術を行使して俺の護衛をすると言っていた。

 ――何もそこまで徹底しなくてもいいのに。

 そう思いつつ支度をして、マンションを出る。


 待ち合わせは駅前。映画館は駅の近くにあるのだ。

 少し早めに家を出たため、駅に辿り着いてもまだ安曇野さんは来ていないようだった。

 しばらくぼけっと突っ立っていたが

 ――今もどこからか榊が見てるんだよな。

 そう思い直して少し顔を引き締める。が

 ――……何やってるんだろ、俺。

 なんだか自分が滑稽に思えてまただらりと待機する。


 そんなことを繰り返しているうちに若草色のワンピースを着た安曇野さんが小走りにやってきた。

「ごめんね上代君! 遅れちゃった!」

 遅れたと言ってもほんの数秒だ。

「いいよ、いいよ。そんなに待ってないし」

「ほんとごめんね! 私かおちゃん達がいないとほんとだめだめで……」

 安曇野さんは数秒の遅刻を相当気にしているのかガックリとうなだれている。

「? かおちゃんって、橋爪さん?」

「いや、その! いつも一緒だからこう、一緒にいないと心細かったりしてその、準備に色々時間がかかっちゃって……」

 彼女は手をぱたぱたさせて見るからに慌てている。

 そういえば今までずっとあの3人でいるところしか見たことがなかったから、その心細さは分からないでもない。

 となると、ここは男の俺がちゃんとしないとな。

「もうすぐ映画始まるし、行こっか」

「う、うん」

 そうして映画館のほうへと足を進めた。



 * * *

 そんな2人を物陰から見守る人影があった。

「しーちゃん、今術かけてるんでしょ? なんでそんなこそこそしてるの?」

「……貴方のせいです」

 榊は傍らにいる國生永輝を睨んだ。

「貴方が目に付いたら安曇野さんが不審に思うでしょう! まったく……」

「じゃあこんなのやめて俺とデートしようよ」

「要りません! 結構です!」

「なんで? 他人のデートなんか見てたって無粋なだけだよ? ほら、いつもあの子と一緒にいる2人も今日は流石につけてきてないみたいだし」

「私には冬馬様を見守る役目があるのです」

 そう言って榊は冬馬たちの後を追って映画館に入っていく。

「……まったく、意地っ張りだなあ」

 苦笑しつつ、永輝も彼女に続いた。



 * * *

 映画は話題作なだけあって、やはりそこそこ面白かった。

「あっという間だったね」

 席を立ちながら、まだ映画の余韻に浸っていそうな安曇野さんが言う。

「うん。やっぱヒロインが格好良かったなあ……」

 俺は正直な感想をこぼした。

「上代君て、格好良い女の人が好きなの?」

 え!? なんでそんな話になるんだ!?

 ……でも

「まあ、そうかも……」

 そう答えると、なぜか安曇野さんはまた1人うなだれていた。

「もうお昼か。どこか食べに行く?」

 俺がそう言うと

「え? あ、うん!」

 彼女はぱっと元気を取り戻したように頷いた。



 * * *

 その席より数列後ろに、榊と永輝は座っていた。

「うーん、派手だったけどストーリーにもうちょっと捻りが欲しかったかな。ねえ、しーちゃん」

「いえ、捻りがない分主人公の心理描写が上手く描かれていましたしアクションものとしてはそれなりに良作……ってどうしてちゃっかりポップコーンまで買って鑑賞しているのですか貴方は!」

「いいじゃん、せっかくなんだから楽しまないとね。あ、ほら、皇子様どっか行っちゃったよ」

「な」

 日出榊、最大の失態である。

 といっても、彼に預けているブレスレットで居場所はすぐに分かるのだが。

(この男といると、どうもリズムを崩される……)

 榊は頭を抱えたい気分だった。



 * * *

 結局お昼はパン屋が副業で開いているようなカフェを使った。もっとちゃんとした店に入りたかったのだが、この時間はどこもいっぱいなので仕方がなかったのだ。

 でもまあ、ここのカフェは屋外にテーブルが置いてあって開放感があり、雰囲気は悪くない。


「今日はありがとう。付き合ってもらって」

 食後のお茶を飲みながら、安曇野さんは言った。

「いや、こっちこそチケットありがとう。おかげで見たかった映画見られたし」

 俺も照れをかくそうと茶をすする。

 ふと空を見上げると、眩しいばかりの青空が広がっていた。気温も今日は穏やかで、本当に秋らしい日だった。

 そんな時、安曇野さんが急に

「かみ、しろくん……!」

 緊張しているのか、どこか震えた声で俺を呼んだ。

「ん?」

 俺は空から目線を戻す。

 安曇野さんは俯きつつも、姿勢をきっちりと正していた。

 そんな、只ならぬ空気にこちらも背筋を伸ばさざるを得なくなる。

「あの、ね……! 私……」

 そう、彼女が何か言いかけたとき。

「!?」

 衝突事故でも起きたような、そんな派手な音が辺りに響いた。

「なんだ!?」

 他の客も立ち上がって、音がした方向に目を向ける。

「お、おい! あれ……」

 誰かが叫ぶ。

「ライオンじゃないか!?」

 目の前で、有り得ない光景が繰り広げられていた。

 立派なたてがみをもつ雄のライオンが、堂々と道路を走っている。

「こっち来るぞ! 逃げろ!!」

 パニックを起こした客や通行人は慌てて逆方向へ走り出す。

「ら、ライオン!?」

 安曇野さんも大分パニックを起こしているようで、顔を蒼くして震えている。

 けれど俺は6月の経験からか、まだ平静を保っていた。

「安曇野さん、こっち!」

 彼女の手を引いて、とにかく走り出す。

 しかし

「!?」

 背中に嫌な空気を感じて、思わず俺は彼女を前に突き飛ばした。

「きゃ!?」

 少々乱暴だったが、結果的にそれは正解だった。

「っ!?」

 俺はいつの間にか仰向けに倒れていた。

 そしてその上には、ライオンの巨体が覆いかぶさっていたのだ。

「か、上代君!」

 安曇野さんの泣きそうな声が聞こえるが

「お嬢ちゃん、危ないよ! 早く逃げなきゃ!」

 そんな誰かの声がしてから、俺の名前を呼ぶ声は遠ざかっていった。


 俺はライオンの目を見据える。

 その目は尋常なものではなく、赤い光を宿していた。

 ――なんだ、こいつ……?

 ライオンが咆哮を上げて俺に噛み付こうとした、その瞬間。

 一陣の風が吹いたかと思うと、いつの間にかライオンはいなくなっていた。


「え……」

 この感覚、前にも1度……。


 大きな銀色の鎌、はためく黄巾が視界に入る。

「大丈夫ですか!? 冬馬様!」

 彼女の声だ。

「榊」

 俺はどこか、こんな状況に懐かしさすら覚えていた。


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