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3

 女はネズ公の身体の上でぺたんと座り込んだまま、華奢な両腕でネズ公の首にしがみ付いていた。

 明るい月光の下。赤い――ルビーを思わせるような大きな瞳が俺様を見上げている。

 白磁のようななめらかな肌。細く形のよい顎にぷっくりとした薄桃色の唇。整った細面を時折、風に攫われた蒼い髪が隠す。

 それは、一瞬呼吸をする事も忘れてしまう程、非常識なまでに綺麗な存在だった。


「……あ、あの……」


 おずおずと口を開いた女の声が、俺様の意識を現実へと引き戻す。

 ――その高い声にはどこか聞き覚えがあった。


「……って、あんた……」


 ――そうだ。

 倒壊する直前、東洋家屋で聞いた声だ。


「……あんた、何してンだ? そんなトコで」

「あ? え? えっと……」


 突然問われて間の抜けた声を上げた女は、少し困ったような、恥らうような表情で、ボソリと言葉を紡ぐ。


「…………けない……」

「あ?」


 轟音のせいでよく聞き取れなかった。声を上げると、女は少し顔を赤らめてから先程よりも大きな声で俺様に告げた。


「…………あの、動け、ないんです……。腰が、抜けてしまって……」




「って……なにしてんのよリチウム」


 エメラルドの光が突如ネズ公の背中に出現したかと思えば、どこか不機嫌な声色が耳に届いた。

 誰のものか、振り返らずとも判る。


「よぉリタル。おかげさまで上手くいったぜ。守備は上々……」

「何、その女。どっから持ってきたの?」


 刺す様な声に、ネス公の頭の上で仁王立ちしていた俺様は思わず振り返る。と、両手を腰に当てて同じように仁王立ちしていたリタルが、ネズ公の背中から俺様にジト目をたれていた。


「なにっておまえ……」


 背負った蒼い髪の女を振り返る。

 あのままにしておいて落っこちてもらっても寝覚めが悪いので、仕方なく俺様が背負う事になった……という訳なのだが。

 間近にあるはずの女の赤い瞳は、しかし俺様を見ていなかった。


「…………リタル、さん……?」


 瞳を零れ落ちんばかりに見開いた蒼い髪の女は、俺様の背から身を乗り出した。


「誰よあんた。なんであたしの名前を知って…………」


 そこまで言いかけたリタルが、マジマジと女の顔を凝視するや否や完全に凍りつく。


「し、し、しし……シスター……!? な、なんで、ココに……っ」

「やっぱりリタルさんです……!」

「しすたー……?」


 交互に視線を向ける。

 片やシスターと呼ばれた女は、零れるような満面の笑顔でリタルにぱたぱたと手を振り。

 片や手を振られているリタルは、間の抜けた顔のままネズ公の背で完全に凍り付いてしまった。


「……シスターって言うと……あれか? おまえが通ってるアイオン教会の……」

「ええ。わたし、学園でリタルさんの副担任をさせてもらってる者です。……あの、……ところで貴方は……?」

「俺様は、あー……コイツの保護者ってとこだ」

「保護者の方でしたか。申し送れました、わたし……」

「……あんたらね。当事者無視してそんなところで勝手に和まないでくれる?」


 いつの間にか冷凍凝固の解けたリタルが腕組みし、苛立たしげにネズ公の背中でばんばんと片足を鳴らして俺様等を見上げていた。


「でもリタルさん。どうして保護者の方とねずみさんの上に?」

「そ、……それはこちらのセリフですシスター。どうされたんですか、こんな所で」

「わたしは……えと、宿舎で可愛らしいねずみさんを見つけて……」

『……シュクシャ?』


 俺様とリタルがハモれば、一瞬きょとんとしたシスターは再び開口する。


「ええ。わたし今、教会の近くにある、教会関係者用の宿舎にお世話になっていまして。……えと、それでですね。夜中に目が覚めて何か飲もうと廊下に出たらば、かわいらしいねずみさんがいらっしゃったものですから……」

「…………リタル」


 シスターの、やけに長たらしく要領を得ないドン臭い説明が続く最中、溜息混じりに呟きつつぐるりとそちらを振り返ると、すっかりうろたえた様子のリタルが慌てふためきつつ俺様を見返した。


「な、なによぉ……! アレが宿舎なんて、あたしだって知らなかったわよ……っ」

「おまえぁ……。本当つくづく肝心なところでドジ踏むタイプだな。よりにもよってそんな所ターゲットに指定するたぁ自爆もいいとこ……っつうかおまえ、ひょっとしてわかっててかましたとか? 退学覚悟かぁ?」

「ン-な訳ないでしょう! どんな天才にだって過ちの一つや二つや三つや四つはあるわよ……っ」

「んぁ? 失敗した事あるか? 俺様」

「あんたは天才じゃなくて反則っていうの! いい? 失敗こそ天才を育てる肥料よ! めげずにそこから何かを学びとり、ものにし、大事を成す! これこそ真の天才道! 後の世に延々と語り継がれる伝記となるのよ! あたしはその地点を目指して日夜努力を……!」

「天才育成どころか。既に発想貧困っつか、マンネリ化してんじゃ? 暗唱できる程聞いてっから。俺様。それ」

「あ、あんたが毎回毎回重箱の隅突付く様な事言って人様からかうからでしょう!?」

「隅じゃない。ど真ん中。重箱のど真ん中だから。おまえのドジは」

「……と、言う訳でして……って。お二人とも? どうかなさいました?」

『い、いいえ! なんでも!!』


 不自然なまでに口元を吊り上げて造った笑顔と、轟音の中で響く乾いた笑い声の不協和音に、シスターは首を傾げる。


 ……しかし。よりにもよって、この女。リタルの副担任ときた。

 これでも「フォルツェンド一味」と言えば、その名や噂を聞いた事があるという人間が世界中に五万といる――位には有名なのだ。初代である師匠の代から、俺様で二代目。各地で点々と活動ハントを続けてきた。

 四年前にリタルとコンビを組むようになって……この街に来たのは、一年半以上前の話。フォルツェンド一味に子供が居る、という事もきっちり噂に含まれている。だが、表立って行動するのは常に俺様で、リタルはこれまで顔を明かさないようにしていた。本人は不服そうだったが、これはリタルをストーンハントに連れて行く条件として俺様が提示した「絶対条件そのいち」なのだ。リタルと言えど逆らう事は許されない。反すればそれはコンビ解消を申し出るのと同じことなのだから。

 今はまだ奇跡的にもバレてはいないようだが、アイオン学園のシスターである彼女に、リタルが「フォルツェンド一味」だとバレてしまえば一大事である。リタルはまだ義務教育の真っ只中。すぐさま学校を変えたとしてもこの女が警察に証言してしまえば最後、めでたく全世界指名手配犯の仲間入り。この先も延々と続いているはずなリタルの人生の長い長い道路が直視できぬ程めっためたに崩壊してしまうではないか。


「先に下ろすか……」


 息吐きながら呟くと、きょとんとしたシスターの疑問面が視界の隅に入った。

 シスターの身体を下ろす。


「俺様が抱えてこっから降りてやっからさ。シスター。そっから先は自分でなんとか……」

「もー遅いわよリチウム」


 投げやりな声に振り返ると、観念したように大きな溜息を吐き出したリタルが、気を取り直して顔を上げた。

 瞳のエメラルドグリーンは俺様ではなく、進行方向に向けられている。


「街を出るわ。すぐに森に入る。幾らなんでも。深夜の森にシスター一人を置いとけないでしょう」

「……む」


 リタルの視点を追い、俺様も進行方向を視界に入れる。

 リタルの言葉どおり、ネズ公はなおも執拗にトランを追いかけ街の端を直進していた。

 風が変わり――やがて街を抜ける。

 正面には、ぐんぐん迫る、黒い大きな森。衝撃に備え、俺様は片手でネズ公の耳を掴みもう片手でシスターを抱えると腰を低く落とした。

 ネズ公は勿論臆することなく目前の太い樹木の群れにどーんと突っ込んだ。


「……っ」

「きゃあ……っ」


 でかい衝撃の後も、激しく揺れ続けるネズ公の体。しかし一体どんな造りをしていやがるのか破損箇所がまるでなく、ネズ公の進行速度は全く衰えなかった。振り落とされないようネズ公の首にしがみついていたリタルが誇らしげにネズ公完成の過程を語り出すのをシスターの耳を塞ぎつつ完無視する。

 親のゴキゲンが嬉しいのか、恐ろしい勢いで木々をなぎ倒しながらも、ネズ公は未だ猛スピードを保ったまま快調に突き進んでいる。

 夜の闇の中、目を凝らして木々の隙間を覗く、と。


「……あ、あの……!」


 俺様にしがみついていたシスターが、破壊音に負けぬ大声をあげた。


「リチウ……ムさん、でいいですよね? リタルさんも! えっと、お二人はこの暴走ねずみさんをなんとかしようとなさっているのでしょう?」

「……え!? え……え、実は、そうなんです! シスターの宿舎が倒壊したのを見て、わたし、心配で居てもたってもいられなくて。つい……!」


 上手い具合に勘違いをかましてくれたシスターに、調子よくリタルが芝居がかった声で相槌を叫ぶ。


「でしたら……大丈夫です! わたし、もう立てそうですし、一人で帰れます! ですから! どうか気になさらないで……!」

「いや」


 正面から目を逸らさずにシスターの声を遮った。


「そんな時間ももう無いみたいだ」

「……え?」


 僅かに声を漏らし、シスターが正面を向く。

 髪を攫う空気が、水気を帯びたソレに変わった。

 ――間も無く、目的の湖が見える。

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