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眠りに付いた街に深夜、凄まじい破壊音が轟いた。
場所は――グノーシス市の中心。アイオン教会から歩いて五分の位置に建つ、東洋風の造りのマンションの方角だった。
轟音に飛び起きた近隣に住まう住人達は、慌てて見上げた夜空にありえないものを見る。
上空に、空を覆い尽くす程巨大な灰色の何かが存在していた。
大きな赤い目。申し訳ない程度に伸びているなんだかコミカルな髭が数本。緩やかな曲線を描くシルエット。
恐怖は抱かせない。驚愕に目を見開いた住人達は口々に呟く。
「……ねずみ?」
「って、なんなんだあの化け物は!」
「あたしに聞かないでよ!」
屋根の上を並んで全力疾走する。
「おまえが造った鼠だろーが!」
後方からゆっくりとついてくる鼠の化け物の立てる轟音に負けじと声を張り上げてリタルを見ると、
「あたしの可愛いネズッちゃんがあんな巨大な化け物に突然変異する訳無いでしょう!?」
生みの親はしかし、鬼の形相で怒鳴り返してきた。
「じゃあアレはなんだっつうんだ? え? あのファンシーな姿形に欠片も覚えが無いって言い張るつもりかおまえ?!」
「そ、それは……っ でもあたしの優秀なネズッちゃんが暴走なんてするはずが無い!」
「現に暴走してんじゃねぇか!」
「こ、これはナニカの間違いよ! そう、やっぱり夢なのよ!」
「逃避すんな!」
「だぁってだって! あたしの可愛い機械が暴走するはずないもの!
そりゃあ確かにネズッちゃんには、『巨大』やら『光』やら『探査』やら『熱光線』やら、その他ありとあらゆる魔石が仕込んであったけど……っ」
「……なんつった? おまえ、今、何仕込んだっつった?」
「え? だ、だから、魔石の『巨大』と、『光』と『探査』と『熱光線』……」
指折り数えるリタルの言葉を遮るように、背後に迫る巨大鼠が、赤い両目からレーザー光線を発射する!
「のわ……!」
「きゃあ!」
間一髪! 互いに高く跳躍して難を逃れる。レーザーはたった今居た足元を真っ黒こげに焦がしただけ――
――前言撤回。細い白煙が立ち込める屋根には、小さいながらも孔が開いてる。
「って、やっぱり暴走してンじゃねぇかよ!」
「そんなわけあるはずないのに~!」
「しっかり現実を直視しろ!」
「だってこのあたしが造ったモノが暴走しちゃうだなんて、信じたくない~!」
並走して次の屋根へジャンプ。
時折発射される熱光線をそれぞれ跳躍して避け。
並走して次の屋根へジャンプ。
足並みを揃えて俺様等は街中を全力疾走していた。
――時はしばし遡る。
東洋建築の内部に侵入した俺たちは闇に包まれた廊下で、ネズッちゃんの機械音を追っていた。
しかし、ネズッちゃんの姿を発見する前に、廊下の奥――ネズッちゃんの進行方向から、声がした。
「……あら?」
高音の――鈴が鳴るような、綺麗な声だった。同時にネズッちゃんの音が止む。第三者の存在に俺様達は立ち止まって身構えた。
探知機能や魔石キャプチャーなど『魔石探索』のためのありとあらゆる機能が備わっているネズッちゃんの進行方向……という事は、声の主が居る方向に、探していた『禁術封石』があると言える。タイミングが悪かった。声の主は若い女だろう。無力化は可能だろうが、万一大声を出されては敵わない。
今夜は撤退すべきだろうか。
しばし場を支配する沈黙。闇を睨み続けている俺様等。
と、唐突に、状況に変化が起こる。
……いや、変化なんて生易しい言葉では表現しきれない。
まず唐突に、地震が起こった。続いて、ぼんぼんと弾ける謎の音と、女性の上ずった声が闇の奥から響く。
「……なんだ?」
小さく呟く――その声さえ、破壊音に掻き消された。
「……!」
「リタル、来い!」
闇の奥から崩れる足場。
反応の遅れたリタルの腕を掴んで、真上の天井の孔に向かって跳躍する。
「……!」
同時にフック付きのロープを投げ、孔の淵に引っ掛けた。持ち手についているリモコンを押すとするすると上がっていく。
「……なんなの?」
脇に抱えたリタルの漏らした疑問は、果たして外に出てみて判明した。
屋根の上に降り立つとその場も崩壊の最中だった。慌てて二人それぞれの方向に散開する。
ようやく、事態を凝視する事が出来た。
地震ではなく、揺れているのは、この東洋家屋だけだった。粉塵を上げ、積み木で出来たお城のように崩れゆく東洋家屋。次々と地に落ち派手な音を立てて割れる瓦。倒壊する柱、壁、窓ガラスの割れる悲鳴のような音。
上がる土埃の中で光る赤い目。上空を目指して昇ってゆく半円の巨大な影を目にした。
果たして、崩壊の後に君臨したのは――ネズッちゃんだった。
ただし、先程垣間見たこじんまりとした小型機械の印象はなりを潜めていた。それは破壊音をBGMに、圧倒的な存在感を携えて、ラスボスのように堂々と夜空を占拠している。月明かりをバックに、驚愕の表情を浮かべる俺様等と対峙するかのように、ついにその丸っこい巨大なシルエットの総てを現したのである。
想像を絶するほどに、それはデカかった。
たった数分前までパソコンのマウス程の大きさだったソレは、今や空を覆うほどの……野球のドーム程の大きさに変化しており、倒壊した東洋家屋の残骸の上に浮いたまま静止している。
……いや。今、赤い目が怪しく灯り、巨大ネズッちゃんは品定めするように俺様等を見下ろした。
「……うそ」
崩れきった表情のままリタルが微かに声を上げる。
「……おまえ」
ジト目でそちらを見遣ると、その視線に気づいたのか、リタルは蒼白の顔でこちらをゆっくりと振り返った。
「冗談……よね……?」
「これでも冗談って……」
巨大ネズッちゃんは、重音を立てて、ゆっくりと空を動き出した。
魔石キャプチャー機能の付いた両前足を振り下ろす。
――俺様達に向かって。
「――言えるのか……!?」
再び、轟音が耳を劈く。
寸でで跳び避けた俺様がさっきまで立っていた屋根をネズッちゃんは削り取った。
俺様と同時に、同じ屋根に着地したリタルは、
「なら夢よ!」
往生際の悪い言葉を吐き捨てると第二破を跳躍して避ける。
こうして怪獣映画よろしく、街は戦場と化し、人間が鼠に追いかけられるという俺様が知る限り史上最悪の鬼ごっこの火蓋がきって落とされたのだった――
「どーしてあの巨大鼠は律儀に俺様達を追ってくる!? 恨んでるのか? 恨まれてるのか俺様達!?」
「ンな訳ないでしょ! 恐らく……ネズッちゃんに仕込んだ『魔眼』――『魔石探索機能』が働いてるんでしょう。『魔眼』からしてみれば、禁術封石に指定されるあたしたちの魔石がここいらじゃ一番魔力の強い石だと思うし……けど、『死球』と『魔眼』と『転位』は除外するよう予め設定してあったのに……」
「だから。暴走してんだろ? 何が原因か知らねぇが。壊れてんだろ? あのネズ公は。だから。勝手に『巨大化』を発動させた挙句、俺様達が狙ってた『浮遊』をも発動させちまったんだろ?」
「あ~もう! まだ信じらんない! 機能、装甲の強度、耐久性、どれも最高傑作だったのに~……きゃあ!」
熱光線が闇を切り裂く。辛うじて避けたリタルは、勢い余って顔面から屋根に着地した。
「いったた……ったくもう! 親の顔も忘れたわけ!? この親不孝鼠!」
すぐさま飛び起きると、擦って真っ赤になった顔をさらに赤くさせてリタルが地団駄を踏んだ。
「癇癪起こしたガキンチョに何言っても無駄だ! リタル」
リタルの腕をとって、次の屋根に飛び移るとくるりと向き直り体勢を整える。
少し先に着地したリタルが息を切らせたまま振り返った。
「って、どうする気!?」
「決まってンだろ! 言っても解らんネズ公には、俺様の『死球』で……っ」
「――やめなっさい!!」
俺様が左手を巨大鼠に向けて翳した――直後、リタルのジャンピング拳固が後頭部に飛ぶ。
因みにジャンピング拳固。おもちゃの水鉄砲を改良したリタルの武器で、銃身の先に俺様のソレより大きな赤い拳骨が付いている。その名の通り引き金を引くと目標に飛んでいくオーソドックスなタイプだが、嫌な改造が仕込んであるのか、当たれば相当痛い。
「~ぬぉ!? ……って何をする!」
後頭部を摩りながら涙を滲ませて抗議すると、
「『何をする』じゃあないでしょーが! 周りをよく見なさい! 周りを!」
リタルが腰に両手を当てたお決まりのポーズで俺様を凝視した。
「んぁ?」
言われて言う通りに見渡してみる。辺りは真っ暗だが、はた迷惑な鬼ごっこのおかげで深夜だと言うのに大勢の人間が口々に叫びながらも避難していた。
大分町外れの方まで走ってきたが、ここはまだまだ住宅地の一角だ。
「あんたの死球なんて、せいぜい膨らまかしてもこの位が限度でしょ!?」
俺様の不満げな視線に対し、怒鳴りながら、リタルは両腕を使って輪っかを造ってみせる。
「あの巨大な身体に死球が当たればどうなると思ってるの? 風穴が開いて、途端に爆発が起きて破片が飛び散って、この辺りの住宅街は等しく崩壊の道を辿るのよ!? 火事になるか、下敷きになっちゃうか! そのどっちか!」
「むぅ……」
「ストーンハンターにはなったけど! 破壊神になるのはごめんだからね! あたしは!」
「って、すでに破壊鼠の片棒を担いでんじゃねぇかおまえは」
「ンなもん不可抗力よフカコーリョク! どう考えたっておかしいもんはおかしいの! そう簡単に壊れる造りなんてしてないんだから!」
「ンじゃ一体何が……って!」
リタルに迫るネズ公の前足。
「危ねぇ!」
「きゃ!」
リタルを突き飛ばすと、ネズ公は代わりに俺様の体を掴み上げた。
「リチウム!」
「ぐ……っ」
俺様の体を両前足で掴んだネズ公は、そのまま俺様をお口に持っていこうとする。
「わわ! 待て待て! 美味くねぇぞ俺様不味いぞ!? 腹壊すぞ!?」
「見苦しく騒がないでリチウム! てか、じっとしてなさい!」
リタルの声が響いた――瞬間、ネズ公のお口一歩手前にまで迫っていた俺様の身体がエメラルドの光に包まれる。
……『転位』か?
瞬間。俺様はリタルの横に転位していた。
「ってて……!」
妙な体勢で落ちたおかげで腰をしたたかに打ちつけてしまった。
「さっさと立って。行くわよ」
リタルが急かす。言われるべくもない。すぐさま立ち上がると、腰を摩りながら彼女の後を追う。
「……ってか。危く鼠に食われるなんつう、世にも最悪な最期を迎える所だったぜ……。なんだ。ネズ公は食うのか? 人間を」
「違うわよ。あの子は体内に格納庫があるの」
「格納庫?」
「そうよ。手に入れた魔石は総てあの子の体内に補完されるの」
「なら、『浮遊』はすでにあの中か」
「でしょうね。暴走したのが『浮遊』を捕獲した後で本当、よかったわ。少なくとも踏み潰される心配はしなくていいもの。街の被害もまだ少なくて済む……」
「てかリタル。おまえのその『転位』で、あのネズ公、森に飛ばせないのかよ? 機械なんだから、湖にでも放り込んじまえば壊れるだろさすがに」
「無理ね。魔力が足りない。あんな巨体を転位させるなんて不可能よ」
「なら、このまま湖まで突っ切るしかねぇのか……かったるい」
「ブツクサ言わない! けど、そうすんなり行くかしら……」
「あん?」
「これだけの騒ぎよ? そろそろヤカマシイのが来ても……」
そう、リタルが言いかけた時だった。
どこからともなく、けたたましいサイレン音が耳を劈く。
『こらー!! そこの巨大鼠! 止まれー!!』
「……ほら言わんこっちゃ無い。あの声、阿呆の童顔刑事でしょう」
どこからともなく聞こえてくる声に、うんざりしたようにリタルがボヤいた。
「……ってか。俺様イイ事思いついちゃった」
「なによ?」
パトカー数台を引き連れて白のセダン車が現場に辿り着く。
降り立ったのは、案の定。黒髪に黒い瞳の古びたコートを着た青年だった。
名を……確か、トラン・クイロとかいったか。顔だけを見れば立派にペーペーかと思われるコイツは、かれこれ一年半以上、毎晩俺様達を追いかけている根性と運動神経だけはある男だ。
しかし、本来取り締まるべき立場――刑事である奴は、どういう理由か、持つ事を法で固く禁じられている禁術封石を所持している。レーダーの反応を見ると炎系のソレは相当なレアものらしくて、隙あらば盗もうとこちらも動向を窺ってきたのだが、そのチャンスはこれまで一度も訪れた事がなかった。
「よぉ! 昨夜ぶりだな。阿呆刑事! 昨日の打ち身は平気なのかよ?」
「阿呆じゃない……って、おまえは……リチウム・フォルツェンド! 昨日はよくも……じゃなくて! この騒ぎはまたおまえの仕業か!?」
ネズ公を追いかける隊列に向かって屋根の上から声をかけると、案の定、先頭を走っていた黒髪の刑事はノリ良く対峙してくれた。
ちなみにネズ公の方は、リタルが引きつけてくれている。
「すみません! 先に行っててください! 僕はコイツを!」
そして、予想通り俺様を捕らえる事を優先させる。
コイツの行動は呆れる位に一直線だ。まぁ、そう上から命令されているだけかもしれないが。
「深追いするなよトラン!」
口々に刑事に向かって叫びながら隊列が横切るのを見届けてから口を開いた。
「今日は黒いおっさんは来てねぇのか? おまえの保護者の」
「今日はニタさんは非番で……って、何言わせるんだ! このリチウム!
っていうかアレ!」
言ってずびしっ!とネズ公を指差す刑事。
「おまえの仕業なんだろ! 何が目的かは知らないが怪我人が出ない内にさっさと鎮めろ!」
「残念ながらな。ありゃ俺様の仕業じゃねぇんだな、コレが」
「なにぃ!? じゃあなんだって言うんだ!」
「あー……生物の突然変異? 鼠が機械化したっつう……いやー最近の生物って恐いなぁ」
「ンな訳あるか! どうしても鎮める気がないってんなら……」
「ないってんなら?」
「力ずくで止めてみせる! ついでに逮捕だ!」
今度は俺様に向かってずびしっと指を刺す刑事。
手にはしっかりビームサーベルなんて物騒な代物を携えている。
「てか、人様を指しちゃいけないって習わなかったのかよ? 阿呆刑事」
「うるさい! 行くぞリチウム!」
「これるもんなら……」
言って俺様は隣の屋根へ乗り移る。
「来てみやがれ!」
「こらー! 逃げるなんて卑怯だぞ!」
文句を垂れながらも刑事はしっかり俺様の後をついてくる。
「おらおら。こっちだこっち!」
「待て! 今日こそは逮捕だリチウム・フォルツェンドー!」
刑事の様子を見下ろしながら俺様はリタルとの合流地点に向かって走り出した。
徐々にネズ公が発する重低音が大きくなってくる。
「待てって言ったら待ちやがれ!」
俺様の後を追う事に集中している奴は気づかない。
「待てって言われて待つ奴はバカだ! 阿呆刑事!」
「屁理屈こねるな!」
「リチウム!」
程なくして。甲高い声を耳にした。
それを合図に、俺様は屋根から飛び降りる。
「な……!」
刑事の背後に降り立つと、後ろから刑事を羽交い絞めにした。
「な、なんのつもりだ、おまえ……!」
「黙ってろって! 日頃の努力に免じて、今から俺様が楽しい所に連れてってやるからよ! 鍛えられるぜ~?」
「はぁぁあ?」
「いくわよリチウム!」
と、俺と刑事の身体を包み込むエメラルドの光。
瞬時に、俺様達は宙に浮くネズ公の目前に転位した。
「…………な……!」
さすがに固まる刑事。
同じく、ネズ公の動きが一瞬止まると、その赤い双眼が怪しく光り、刑事の全身を凝視した。
ネズ公からは恐らく、刑事の後ろに控えている俺様は見えていない。
ネズ公は、刑事の姿を単純にこうインプットするはずだ。
炎の禁術封石と、『死球』という強大な魔力を持つ石を所持する男、と。
落下する俺様達の身体を、再び『転位』の光が包む。
ただし、包まれたのは俺様だけだ。ネズ公に俺様の姿を再びインプットされ直されても困る。
「うわぁああああああああ!」
刑事は、足場までまっさかさま。やがて、途中で三回転すると見事屋根の上に着地した。
「……ふぅ……酷い目にあった…………。って、あれ? リチウム・フォルツェンドは……って……!」
運動神経だけは良いのか、突然背後から発射された熱光線をすんでで避ける刑事。着ていたコートの裾がじゅっと焦げた。
「なんだ……!?」
ゆっくりと背後を振り返った刑事は、大きな黒目をさらに大きく見開いて絶句してしまった。
なんせ、今やネズ公の敵意は当人に向けられてしまったのだから。
「うわああああああああぁああああ!!」
刑事の悲鳴を他所に、俺様はネズ公の頭の上に着地していた。
程なくして、どこぞに隠れているリタルも来る事だろう。
「そーだ。いいぞ……このまま真っ直ぐ突き進め、阿呆刑事」
ネズ公の頭の上から必死に逃げ惑う刑事の姿を眺めていると、ふと、背後に誰かの気配がして振り返った。
「誰だ」
「…………!」
果たして、見下ろす先に一人の女の姿があった。