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リタルの所持する魔石『転位』に導かれて彼らが降り立った場所は、太い円柱に支えられた真白の神殿だった。
周囲は暗く照明も無かったが神殿自体が淡く発光していた。互いの表情が近づいてようやく見れる程度の明るさだったが、敷き詰められた白い石畳にも神秘的な光を帯びている為、歩く分には困らない。石畳はここから左右にずっと伸びていた。丁度中央に位置しているのか、果ては見えない。
「ここは?」
薄明かりにぼんやりと照らされたトランの顔が、大人達の中心に居たリタルを見下ろす。
「訊かないでよ。あたしにだってわかるわけないじゃない。クレープの見せた場所に跳んだだけなんだし…………今は『魔眼』もないし」
いつも強気の甲高い声はしかし、最後は消え入りそうな程小さく響いた。
『魔眼』とは、リタルが所持していた魔石だ。リタルの母親である魔族ソフィアの魔力が結晶化したもので、あらゆる空間を解析し、所持者に視せる事が出来る。
魔石化した母親を元に戻す事を目標に、リチウムの元でストーンハントに明け暮れ、研究を続けてきたリタル。しかし『魔眼』は、つい三日前、ファーレンに操られたリタル自身の手によって破壊された。
「……悪い」
頭を下げたトランに、不機嫌な表情を見せるリタル。ふんと鼻を鳴らしそっぽを向く。
「別に、謝る程のことでもないでしょう。あんたが無知で無謀で無神経なのは今に始まった事じゃないし…………って、なにすんのよ」
リタルの頭に、ぽんと大きな手が置かれた。見上げると背後に立っていたリチウムが無表情で自分を見下ろしている。無言の青い瞳に心中を見透かされたような気がして顔を赤くしたリタルは、最初こそその手を払いのけようと両手で掴んでじたばたしていたが、その内わしわしと乱暴に撫でられると、観念したか、頭を下げて沈黙してしまった。
「上等よ、チビガキ。やればできるじゃない」
細い腰に手を当て辺りを伺っていたクレープは、ふとリタルの様子に気づくと挑発するような笑みを向けた。
「……チビガキじゃないって。何べん言わせれば気が済むのよ」
拗ねたように呟くリタル。その内、頭に乗っていたリチウムの手を払うと、伏せていた顔を上げ、エメラルドの瞳はクレープを睨み上げた。
相当落ち込んでいるはずなのに平常心を保とうとするその様子と、普段となんら変わらぬ言動。たった十一歳の負けず嫌いに、クレープは内心苦笑しながら言葉を続ける。
「人が久方振りに褒めてやったってのに。ガキは素直に喜んでなさいよ」
「おあいにくさま。自分のことは自分で褒めるわ。……それよか、どこなのよここ。朝だっつうのにこの闇の中。どうせ人界じゃないんでしょう?」
言って、リタルが辺りを伺う。彼女の言葉に腕を組んだリチウムも胡散臭げに辺りを見渡した。
「空気からして、魔界でもなさげだな」
魔界は人界に比べ、希薄な大気が満ちている。三週間前に魔界へ足を踏み入れた事のあるリチウムとリタルは未だ肌で覚えていた。この場のそれは明らかに魔界の感覚と異なっている。ひんやりとしてどこか荘厳な空気はしかし、閉めきられた室内のように流れを止め、重たく沈んでいる。
リチウムは泳がせていた視線を一点に留めると、不機嫌に青眼を細めた。
「クレープ、おまえ。ここに来る前……確か、"アイオン"に行くっつってたよな? 『世界で一番安全な場所』だとか」
「そうよ」
「"アイオン"っつったら、グノーシスのさ……」
「ええ、アンタの予想通り。ここはアイオン教会」
淡々と告げるクレープの言葉に、リタルとトランはそれぞれ驚きを示した。
アイオン教会とは、リタルの通うアイオン学園や様々な施設をを敷地内に持つマンモス教会だ。グノーシス市の観光スポットでもあり、誰でも見学の出来るよう開けている。
しかし、グノーシス市に住むリチウムやトランは勿論、学園に在学しているリタルでさえ、このような場所は知らない。
「アイオン、教会ですって!?」
「ここが……まさか……?」
詰め寄ろうとして、しかし上手く言葉が出ないのか、口をパクパクさせるリタル達を脇目に、リチウムは淡々と続けた。
「……んでさ。一応、訊いとくけどさ。ありゃ……」
言葉を切って、リチウムが顎で指したものを、一同も追って視界に入れる。
薄く発光する神殿の奥に、鈍い紫光を抱く物が鎮座していた。
「……モノホンの『人界の巨石』、か?」
それは、ネットで調べた際にリチウムが目にしたもの――太古に描かれたという巨石の絵の再現だった。
石と言うよりも、大きな岩と言った方がしっくり来る。縦に長く、百九十近くあるリチウムを二人並べた位の高さがあり、幅は大人三人が手を繋いでやっと囲える程だろうか。石畳の三段上に祀られたそれは、深々と地に突き刺さっていた。荒々しくそぎ落とされたような断面からは神秘的な紫の光を発している。
近づいた一同はしばらく巨石の放つ荘厳な魔力に圧倒されると同時に、静かな紫光に見惚れてすらいた。
これだけ異質な物を何故すぐに気づけなかったのか。その存在も帯びる魔力も、人にとっては何もかもが巨大過ぎて、それが何であるのか、すぐには認識できなかったのだろう。
半ば放心状態の彼等の視界を横切るクレープ。彼女は無言で巨石と同じ段上に立った。
と、彼女の背――全身が、金色の光に包まれた。
腰まで伸びた金髪がふわりと靡き、巨石のそれに呼応するように光を放つ。
「……クレープ?」
「なに? トランちゃん」
「あんた、……気づいてないの? 光ってんのよ?」
「そーね」
「そーねってあんた……増幅の魔力でも使ってるわけ?」
クレープはこれまで、グレープの身体に入り、幾度も『他者の魔力を増幅する』魔力を使用してきた。その際にもクレープの身は金の光を纏っていたのだが。
クレープは首を振る。
「知ってンデショ。アレはグレープの自身の魔力。アタシんじゃない」
「てか、ここって本当に教会なのか? それにその岩って……本当にマジモノ……?」
「ンな訳あるか。ストーンハンターだけじゃない。これまでずっと警察や、天界だって探してきたんだぜ? それが、なんでこんな目と鼻の先にあるってんだよ?」
「悪いけど。信じられないわ。アイオンには二年間通ってるけど、こんな場所『魔眼』使用時にも感知した事ないもの」
詰め寄る一同に、クレープは振り返るとすっと左腕を伸ばした。
注目の中で、真顔のまま地を指す。
「ココ。アイオン教会」
呆気にとられた面々が沈黙するのを見届けると、
「ンで」
今度は岩を指すクレープ。
「コレは確かに巨石だけど。『人界の巨石』ではない」
「じゃあ、なんなのよ」
腰に手を当て、苛立たしげに眉根を寄せたリタルが不機嫌な声色を投げる。
特に気を害した様子も無く、クレープは平然と答えた。
「『天界の巨石』って、アンタ達は呼んでるわね」
「『天界の巨石』!?」
一同の声が見事にハモる。
「『天界の巨石』って……WSPにあったんじゃないのか? ずっと、アイオン教会にあったのか?」
驚愕に見開いたトランの黒瞳に苦笑を浮かべて頭を振るクレープ。
「いいえトランちゃん。教会にあったのも本当なら、WSPにあるというのも本当」
「……どういう事よ? さっきからあんたの話、意味不明なんだけど」
リタルの訝しげな視線に頷くと、クレープは巨石を見上げた。
「正確に言えば、ココはアイオン教会の真下になる」
「真下って…………地下ってことか?」
「そ。地下っつっても、相当深い所に在るんだケドさ。
そんでもって、この石は……そうね。
世界って――天界、人界、魔界って、三つに分離しちゃってるデショ? コレは、その三つの空間を繋げる要石……って言えばわかるかしら」
「要石?」
「そう。アンタ達は知らないかもだけれど、三つの空間の地形って共通なの。人界と全く同じ地形が、天界にも魔界にも存在している。例えばココ。人界ではアイオン教会が建ってるこの場所には、天界だとWSPの敷地内の一部。魔界だと……深淵って呼ばれている場所が在る。でも全部同地点よ。
今言った三箇所には共通して地下があって、こんな風に巨石が祀られているの」
「じゃあマジにこれが……」
コクリと頷くクレープ。
「で、十八年前。アタシは、とある人物と、人界の――アイオン教会の地下にだけ、ある細工を施した」
「細工だ?」
「十八年前って……アイオン教会が建った年じゃない……」
「そ。……まぁ、細工って言っても、元からあったこの地下空間に、とある魔力を大量に注いで満たしてやっただけなんだけどさ。でもこれだけで天界や魔界からは勿論、人界からだって、如何なる魔力を用いてもこの場所を見通す事は出来なくなってしまった。……リタル。アンタになら解るでしょ? この魔力」
振り返ったクレープの視線に、細い眉を僅かに寄せながら、それでもコクリと頷くリタル。
「…………そこの巨石のせいかとも思ってたんだけど……この場所。異様だわ」
「異様?」
「確かに魔力が充満してる。濃厚で、酔いそうなくらいよ」
「俺様は何も感じないが……リタル。おまえ、なんでそんなことがわかるんだ?」
首を捻るトランと、訝しげに問うリチウム。
リタルにはもう『魔眼』は無い。体内に残っていたその魔力も、『魔眼』破壊時に消失してしまったはずなのだ。
リチウムの言葉を受け、今度こそリタルは確信に満ちた表情でクレープを見上げた。
「ここ。細工したのってお母さんでしょ?」
「……!」
「なんだって?」
驚愕の声に、リタルは意外にも落ち着いた表情で振り返った。
「この魔力は『魔眼』の魔力だもの。だから、所持者であったあたしだけ感知できる」
リタルの答えに満足げに笑んでみせたクレープ。
「ゴ名答。
この魔力は、アンタのママ――ソフィアとアタシとで造ったモノよ」
神々しさをも感じさせる優美な微笑。しかし一同の困惑は益々増していく。
「どういう事? この魔力、あたしが揮っていたものとは比べ物にならないくらい……いいえ、別物のように濃い。それにお母さん――『魔眼』の魔石は確かに、三日前に消失した。魔石が消えればその魔力も……例え発動させていたところで消失するはず。なのになんで、これだけ濃厚な魔力が、未だ現存していられる訳?」
リタルの疑問に対し、クレープはあっさりと、なんでもない事のように答えた。
「当然デショ。だってここは、時を止めてあるんだから」
「……時を、止める?」
「ええ、そう。三週間前からアタシが仕込んどいたのよ。来るべき時に備えて、ってヤツ。
十八年前、ココに魔力を注いだ時に、この空間の反応が消失した事を連中に気づかせない様、予めダミーの空間を練り上げといたから、アタシとソフィア以外の連中は――幾らお偉いさん方だって、当分はこの空間の存在や、一部だけ時が止まっているなんて異常事態に気づく事もできないデショ。だからココは『世界で一番安全な場所』なの」
「……時を止める? 空間を練り上げる? ……そんなことをクレープが……?」
未だに現状を受け止めきれないといったトランの表情に、クレープは一瞬、寂しげな表情を見せる。が、瞬きの間には、余裕たっぷりのいつもの彼女の顔に戻っていた。
「魔力が激減している上に、急ごしらえだったけど。今ン所ボロは出てないみたい。監視の目もココではまだ感じないから」
「…………」
「おっまえそれで、ここん所姿消してたって訳か」
「ま、ね」
「それならそうと、なんでさっさと言ってくれなかったのよ? 知ってたらあたしだって……あんな奴に話を聞くなんて愚かな事、しなかったわよ」
悔しげに吐き捨てるリタル。彼女は、自らファーレンに会いに行った事を失態であったと、誰よりも自身を責めている。
「んじゃ訊くケド。知ってたらアンタ達、ファーレンの攻撃を防げたっての? 身体操られないよう自己防衛出来たって?」
「……………………」
「ファーレンの目的は最初から、『魔眼』の破壊とグレープよ。知っていようが知らされてなかろうが何も変わらなかった。……デショ?」
「だけどさ……!」
今度はトランが口を開いた。
「知っていたなら、もっと他に対処の仕様があったんじゃないか?」
「……そうね。もしアタシが話してたら、アンタ達は全力であいつらに抵抗したでしょう。ケド……」
「でも、敵わなかった」
クレープの言葉を遮って響いたバリトンに、リタルとトランは反論しようとして振り返り……閉口した。
腕を組んだままいつものように仁王立ちしていたリチウムの、奴にしては静か過ぎる青瞳から、激しい怒りと悔恨を感じ取った為だ。
「リチウムの言う通りよ。きっと犠牲が増えてた。あいつら相手にして全員無傷でピンピンしてる今が奇跡よ。受け止めなさい」
クレープの言葉には説得力があった。ここに居る全員が直接肌で感じ取った事実だった。
ファーレンは勿論、トピアの醸し出す魔力は感覚が麻痺するほどだった。
リチウム単独ではファーレンに手も足も出なかった。
トランだって、グレープを抱えていたトピアを相手に掠りもしなかった。
リタルがノーマークだったからよかったものを、そうでなければ、少なくてもリチウムは死んでいただろう。
リタルの精神が守られた事はよかったにしろ。結局彼らが成した事は……不意打ちでファーレンを追い払った、ただそれだけだった。
「ま、とりあえずここは安全地帯。さすがにその内気づかれるだろうけど、少し長い話してもダイジョブみたいだから答えてあげるわ。
……で。巨石の話に戻るけど」
「そこの巨石が、三つの空間を繋げている『要石』だ……ってヤツか」
「そ。天界、人界、魔界。三つの空間は別の世界でありながら、それぞれの存在は互いを影響しあっている。
さっき話した地形に関してももそうだし。天候も、自然災害に至るまで三つの空間では同じように起こるの。
そして、この『天界の巨石』は本物だけど天界にあって、人界にも魔界にも存在する。
ケド、一つしかないものなの」
「…………?」
「それぞれの空間に在るのに、か?」
「そうよ。つまりコレは、世界の中点なのよ。
解りやすく言うと、この石は画鋲ね。三つの空間っていう三枚の絵を世界に留めているの。
逆に言うと、この画鋲があるから、それぞれの空間が影響しあえるの。こうして留めてあるから、同じ世界として存在出来るのよ」
「なら何か。
俺様等ストーンハンターが躍起になって探してた『人界の巨石』や、魔界にあるっつう『魔界の巨石』ってのは、この『天界の巨石』の事だったのかよ? 結局、巨石ってのは分離してた訳じゃなくて、最初から一つだけだったっつうオチ?」
「そうであるともいえるし、違うともいえるわね。
人界や魔界の連中が現在に至るまでそれぞれの呼び方で崇めていたのは確かにこの石――『天界の巨石』だけど。彼等が崇めている『人界の巨石』と『魔界の巨石』っていう存在は確かに在るのよ。
巨石は確かに五千年前に種族間条約の結ばれた後三つに分かれている。だから、アタシ達が在る」
「あたしたち?」
「そ。……てか、アンタ達。いい加減もう気づいてるデショ?
アタシとグレープは、巨石。
魔界の巨石と、人界の巨石だって事に」
神妙な面持ちのトランとリタル。面倒臭げにそっぽを向いたリチウムの表情を肯定と受け止めると、クレープはもう一度巨石を仰いだ。
「アタシ達は、五千年前にトピア――『巨石』から分離した。
巨石を身体に持つ、トピアの心魂の一部よ」