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グノーシス西部にある古びたマンションの1101号室。リビングのソファに腰を下ろしたリチウムとトランが見守る中、エメラルドグリーンの瞳を閉じて立つリタルの額に、同じく瞳を閉じたクレープが片手を当てていた。
緩やかなウェーブを描いた金髪が揺れ、クレープの体が発光する。
間も無く、リタルの脳裏にある映像が浮かんだ。
「…………ここは?」
瞼を伏せたまま、リタルが困惑の声を上げる。
「集中して。アンタの転位は一度行ったトコじゃなきゃ跳べないデショ? だからアンタに見せてあげてるの。アンタは今からココに跳ぶの」
「って、冗談! 見ただけで跳べる訳がないでしょ!?」
思わず開眼しようとしたリタルを冷淡な声が押し留める。
「可能にしなさい」
有無を言わせぬ厳しい声色。
開眼したクレープは、その真紅の瞳で小さなリタルを貫く。
「一応、現状を話しとくわ。アタシ達は見張られてる」
「…………!」
「見張られてるって……まさか」
腰を僅かに浮かしたトラン。驚きに見開いた黒眼に、クレープはコクリと頷いた。
「勿論、魔界の奴等にはともかく。天界もよ、トランちゃん」
「WSPか」
険しい表情で吐き捨てるリチウムをクレープは横目で見遣る。
「ソ。三日前に、『魔眼』が破壊された事で日の目を見た『人界の巨石』の反応、そしてその消失を、爺ちゃん達も感知したと思う。
爺ちゃん達、もう間も無くトランちゃんを連れに来るわ」
「重要参考人ってか」
「それだけならまだしも。連中は今度こそ『炎帝』を取上げるでしょうね」
「だろうなぁ」
WSPとは、人界の魔石を収集する事を目的として創設された、人界の警察組織を統べる天界の巨大組織だ。
三日前。昇進しWSP勤務となったトランは、重役達が集まる会議室に呼び出された。入室する寸前でクレープに止められたから事無きを得たものの、あれは恐らくトランが所持する天石『炎帝』を回収する為のものだったのだろう。
「だからね。リタル。アンタに頑張ってもらわないと事が進まないワケ。無理でも無茶でも、なんとかなさい。でないともう、終わりだし」
「……わぁったわよ。やってはみるけど……失敗しても知らないから」
「大丈夫よ」
不満と焦りに歪んだ少女の顔を見つめ、クレープは自信たっぷりに笑む。
「アンタは、あのコの娘なんだから」
弾かれたように、目の前の整った細面を見上げるリタル。
リチウムやトランも驚愕の表情を浮かべてクレープを見た。
「知ってるわよ。っていうか。知り合いだったの。アタシ達」
注目を受け、造作も無い事のように平然と紡いだクレープに、
「よくもいままでぬけぬけと……」
観念したかのように深い溜息を吐くリタル。
が、すべてを吐き出した次の瞬間には顔を上げ、挑発的な笑みをクレープに向けた。
「……覚悟なさい。洗いざらい吐いてもらうんだから」
「上等デショ」
リタルが真っ直ぐに左腕を――転位の魔石を揚げた。
発動し室内を包む、エメラルドの光。
瞬間。
リビングから彼らの姿は消失した。
もうどこにも、いなかった。