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「…………」


 二、三、瞬いた後で目を開けると、世界は真っ暗だった。

 遠くの方に小さな薄明かりが見れるだけで、周囲に照明は無い。この空間が一体どれだけの広さがあるのか、目覚めたばかりの少女は把握できないでいた。

 起き上がろうとして地に手を付けると、無機質な、ひんやりした感触が全身に伝わって身震いする。

 少女は硬い石の台の上に寝かされていた。


「目覚めましたか。グレープ」


 声に闇を振り返った。

 薄明かりと共に、緩やかな足音がこちらへ歩み寄る。やがて姿を現したのは、繊細な造りのランプを手にした長身の男だった。腰まで伸びた金髪を無造作に垂らし、整った眉目に柔和な笑みを浮かべて少女――グレープを見つめている。


「……ファーレンさん」

「どうか昔のように呼び捨てにしていただけますか。グレープ。でないと、貴女が私の元に戻った気がしない」


 苦笑するとファーレンは台座にランプを置きその場に跪く。目前に座るグレープの手を取ると恭しく口付けた。

 グレープの反応の無さを不思議に思ったか、顔を上げたファーレン。暗がりの中心に居る少女の憂鬱な面持ちを視界に捉えると、濁った色の瞳を少しだけ見開いた。


「……泣いて、いらっしゃったのですか」

「…………え?」


 ファーレンの言葉に、グレープは不思議そうに瞼を瞬く。ファーレンはその頬に触れ、優しく拭った。冷たい感触が骨張った長い指を濡らした。


「夢でも見ていらしたのですか」

「ええ……でも、起きたら忘れてしまって」

「……そうですか」


 瞼を伏せるとファーレンはゆっくりと立ち上がる。

 その様子に、グレープがすまなさそうに頭を下げた。


「ごめんなさい。貴方の夢だったのかもしれないのに……」

「大丈夫ですよ」

「まだ、思い出せないんです。……何も」

「どうか、焦らないでください。グレープ」

「…………」


 グレープの手を引いて立ち上がらせると、ファーレンは悲しみに染まった赤い瞳を覗き込む。


「急いで思い出そうとしなくてもよいのですよ。グレープ。

 こうして、貴女は私の元に戻って来てくださったのですから。それだけでもう、十分です。貴女の居ない数年間は、私には長過ぎました」


 不安げなグレープに、ファーレンは慈愛に満ちた表情で笑んでみせた。


「そうですね……他に私が望む事があるとすれば、後二つ。

 早く貴女に微笑みが戻るようにと」

「…………」

「その微笑を、私にくださるように……」


 グレープの華奢な身体は、されるがまま、ファーレンに抱かれた。

 その腕の中で、グレープは複雑な表情を浮かべていた。

 己の中で、隙間が大きく広がってゆく――そんな違和感が増していくのをただ、感じていた。




「グレープの様子はどうだ」


 闇の中にある魔界の深淵。


「……変わりませんね」


 闇色の玉座に座る己が主に、跪いたファーレンは告げる。


「連れ帰ってからこちらの時間で既に丸一日が経過している。しかし、記憶の混乱は未だそのまま。ダヴィの力の総てを吸収したかと思えばそうでもない。……少し、心配になってきましたよ」

「なにがだ」

「グレープは本当に、『ダヴィ』を継ぐ事が出来るのでしょうか」

「…………」

「グレープの心魂が、ダヴィの身体に完全に定着したのは確かでしょう。彼女は|魔眼の石《ソフィア》を破壊された時に起きた衝撃――人界と魔界を循環する魔力の流れの渦――に精神を消失する事なく耐え切った。故に今現在は記憶の混乱が生じているようですが……。

 しかしながら昨日、リチウムのホームに進入した際にダヴィが見せた力は未だ衰えを知らないようでした。本当に、彼女はもうすぐ……?」

「…………」

「あの様子からは、俄かに信じ難い話です」

「だが、真実だ」


 トピアは瞼を伏せたまま答える。


「作り物の体を失くしたグレープは、ダヴィの身体を自身の身体として、魂を完全に定着させた。それは即ち、身体うつわの力をも物にしたという事。

 そして、ダヴィが未だ力を行使する事が出来るのは、グレープが制御できないで漏らす屑のような魔力を横から掠め取っているだけの事」

「ええ。ですが……」

「まだ、なにかあるのか」

「……これは私の推測ですが。

 ダヴィはまだ、何かを企んでいるような節があります」

「…………」

「グレープが、自身かつての身体を持っている。ダヴィがその事に気づかぬはずがありません。

 私達が行動を移したのは、人界時間で言えば、ダヴィの身体にグレープの心魂を移してから3週間経過した後のこと。その間、あのダヴィが、何の手も打たずただ傍観していたとは到底思えません」

「……今さら。何が出来るというのだ。あの心魂のみの存在に」

「わかりません。ですが、警戒しておいた方がよろしいのではないかと」

「…………」

「貴女には、未来が見えているのかもしれません。ですが……聊かダヴィを侮り過ぎる。もうお忘れになってしまいましたか? 彼女は、貴女でもあるのですよ」

「…………忘れる訳がない」

「ならばもう少し意識された方がよろしいかと。グレープがこちらの手にある今、ダヴィは唯一、現状を……貴女を覆す事が出来る存在なのですから」

「……わかっている。

 だが、今さらダヴィがどのような手を打とうが、もう未来は変わらない。すでに定まっているのだ」


 トピアは顔を上げると、ゆっくりと立ち上がった。

 足元まで届く長い紫糸から覗く顔はグレープそのものだ。

 憂いを秘めた大きな真紅の瞳が、跪いたままのファーレンを捉えた。


「第一、奴に何が出来るというのだ。

 ダヴィが司るのは過去。現在……況してや未来に影響し得るものではない。

 しかも、その力はもはやグレープのもの。

 アイオーンは既に消え、アルコーンは既に我が配下にいる。

 奴の下に居るのは……」

「彼等ですね」


 ファーレンの浮かべる笑みに、トピアは細い眉をピクリと動かす。


「ククミスの力を持つ存在、ソフィアの対、そして……貴女が求める男ですか。面白いように揃っている。これが、ダヴィの策略でないとどうして言い切れるのですか」


 まるで状況を楽しんでいるかのような表情と物言いに、トピアは僅かに不愉快の色を滲ませた。

 気づいたファーレンが、恭しくトピアの手をとる。


「私が進言するのは、ただ、心配しているからですよ。

 私のグレープを、失う事を」


 挑発するように見つめる濁った瞳。

 トピアは無表情のまま、ファーレンの手を払った。


「……グレープが総てを思い出したら、おまえはどうする気だ」

「別に。どうもしませんよ」


 ファーレンは口端を上げた。


「貴女がダヴィやトラン・クイロにした事と同じ事です。雁字搦めに縛って側に置いておくだけですよ」

「…………」

「貴女が事を成した後は、彼女はもう用済みでしょう。その後私に頂けるのでしたら、私はいつまでも貴女に忠誠を誓いますよ」

「……好きにするがよい」

「では。ダヴィの件はどうなさいますか」

「おまえが出る必要はない。今はサバオートに見張らせている」

「成る程。既に手を打たれていましたか。いやはや。どうも余計な物言いだったようです。失礼しました」

「トピア様」


 低音と共に、場に鷹の頭をした人型魔族――サバオートが出現する。

 サバオートは、主の側に居たファーレンに胡散臭げな一瞥をくれた後、トピアに向き直った。


「ダヴィの反応が消えました」

「……どこへ」

「解りません。同時にリチウム・フォルツェンド達の反応も消失しました。恐らく、既に人界には居ないものと思われます」

「いわんこっちゃ無い」


 サバオートの報告にファーレンは立ち上がると、大袈裟な身振りで肩を竦めて見せた。


「さて。いかがなさいますか? トピア様」


 ファーレンの様子に、眼光鋭く睨みつけるサバオート。

 一方トピアは、表情を崩さぬまま淡々と声をあげた。


「サバオートは引き続きダヴィの捜索を。天界、魔界にもその千里眼を働かせよ。なんとしてでもダヴィと奴等を見つけるのだ」

「は」

「では、私は」

「ファーレンはここで待機していろ。サバオートがダヴィを発見次第、動き、可能であればダヴィを抹消しろ」

「……了解しました」


 恭しく頭を下げるファーレンに一瞥くれた後、トピアは足音も無く、闇を奥へと歩き始めた。


「トピア様はどちらへ」


 すれ違い様にかけたサバオートの問いに、トピアは体ごと僅かに彼らを振り返る。


「グレープの下へ行く」


 頭を下げたままのファーレンが、その名に僅かに反応を示した。

 構わず、トピアは続けた。


「今のダヴィに何かが出来るとは到底思えないが、何かを仕掛けてくるとすれば……奴等の目的はグレープだ」

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