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 リタルがその場に転位した時、リチウムと共にいたグレープは発狂していた。


『リチウム!?』

『リタルか!?』

『一緒にいるの、グレープよね!? 一体どうしちゃったの!?』


 広大なシャボン玉の宇宙を、慌てて二人に近寄る。

 リチウムの腕の中で、グレープがいやいやをしながら泣き叫んでいた。


『どうしたもこうしたもねぇよ! いきなりクレープがどうの言って……この有様だ! 何言っても聞きゃしねぇ!』

『! グレープ……あんた……』


 リタルが触れようとすると、グレープはその手を払いのけた。


『おい、グレープ! リタルがわかんねぇのか!?』


 リチウムに両手首を掴まれるも、激しく泣き叫んで暴れる。

 しばらくグレープの様子を神妙な面持ちで見ていたリタルは、リチウムに視点を移した。


『……リチウム。トランの事なんだけれど――』

『悪いが野郎の話なんざ後にしてくれ……っ この状況見りゃ……!』

『――先に、クレープの所に行ってもらった』


 リタルの言葉に、グレープの動きが止まる。


『…………グレープ?』


 リチウムの声もその耳に届かない。

 蒼髪を乱し、赤い瞳を見開き、呆然と虚空を見ている。


『……グレープ』


 今度こそ、リタルはグレープの手を優しくとった。

 声にゆっくりとリタルを振り返るグレープ。

 涙に濡れた顔に頷いてみせた後、リタルは激情を堪え、努めてゆっくりと口にした。


『……あいつは。ちゃんと間に合ったから』

『……うぅ……っ』


 強張っていたグレープの体から力が抜ける。

 そばにいたリチウムのシャツを掴んで、グレープは声もなくすすり泣いた。


『…………どういうことだ、リタル。……まさか……!』

『………………』


 リチウムの声に、リタルは見返すと、首を横に振る。


『……あたしも過去に跳ばされてたから詳しい状況はわからない。一緒に居たチビクレープがいきなり弾けたから、なるべく急いだつもりだったけど……その間もクレープの奴、今にも消えそうな気配してた。

 ……トランを見つけて、跳ばすだけで精一杯だった。あんたたちは……』


 リタルの低い声に、リチウムは慌てて周囲を見回した。


『……ごめん』


 そういえば、いつの間にか、あのミニチュアクレープの姿が消えているではないか。


『…………ごめんなさい。あたし……もっと早く行動すべきだった』


 呆然と立ち尽くすリチウムとすすり泣くグレープに向かって、リタルは頭を下げた。

 下げたまま、震えて動かない小さな体にリチウムが手を伸ばす。

 されるがまま、リタルはリチウムの胸に顔を埋めた。


『……今まで。どこに居た?』

『…………………………スマラグド』

『………………そうか……』


 リチウムが頭をぽんぽん叩くと、堪え切れなくなったか、リタルはそこで初めて泣き喚いた。

 限界だった。




『……リタルさんが……謝る必要なんて……ないです……っ』


 しばらくして、グレープが顔を上げる。


『悪いのは、みんな、みんな……私なんですから……』

『……グレープ?』


 リチウムが、泣き腫らした顔を上げたリタルが、今にも消え入りそうな鈴声に彼女を見る。

 グレープの赤い瞳に強い光が戻っていた。


 ――おまえいらない。

 ――おまえさえいなければ、こんなことには。

 いつか聞いた誰かの声。それは。

 かつての自身の叫びだった事に、グレープはこの時ようやく気づいた。

 目の前の青瞳を見る事なく、リチウムから離れて、背を向ける。


『ククミスを死なせ、フェニックスも消失し、トピアもおかしくなって……ソフィアやリタルさんたちの村も炎に消え、その魔石さえも砕けてしまった……。……全部、私のせい』

『…………グレープ、おまえ……!』


 リチウムは瞳を見開いた。

 彼女の言葉に驚愕する。

 記憶が戻ったのか。


『……今度は、ダヴィ――

 ――クレープさんまで……!』


 思いつめた様子のグレープの肩に手をかけようとした――その時だった。


「……いいえ。貴女が気に病む必要はありません」


 どこからともなく聞こえてきた男の声に、リチウムとリタルは瞬時に反応した。


『――ファーレン……!!』

『グレープ、こっち!』


 リタルが慌てて手を伸ばすが、しかしグレープはその手をとらない。

 リチウムもその腕を掴もうと伸ばすが、しかしその手は彼女に届かなかった。

 間に、金髪の天使が現れたからだ。


『……おまえ……!』


 同じ顔。同じ背格好。慇懃無礼で潔癖症。どこか憎みきれない天使。

 しかし、嫌に鼻につく存在。

 こうして対峙するのは何度目だろうか。

 ファーレンは殺気立つ二人ににっこりと微笑むと、それには取り合わず、背後に居たグレープを自分の下へ引き寄せた。

 グレープの表情はファーレンの黒衣に隠れて見えない。

 ファーレンは歌うように楽しげに口を開いた。


「……グレープ。もう怯える必要はありません。唯一の障害であったダヴィ様が消えた今、この世界はトピア様のもの。なぜならば。

 ……貴女ですら、彼女は取り込もうとしているからです」


 囁くような優しい声。

 導かれるように、彼等の背後に天界の石神が現れた。


「……トピア……!」


 自分と同じ顔の、紫の髪の少女の姿を視界に入れたグレープの細身が、弾けるように震える。

 暗い赤瞳を直視したその時。

 グレープは、全てを悟った。


『どういう意味だそりゃ!』

『グレープを離しなさいよ! この……!』


 叫んで、リタルが光り輝く左手の『転位』の魔石を翳そうとした……その時。


『――やめてください!』


 激しい鈴声が耳を劈いた。


『……グレー……プ……?』


 驚いて、エメラルドの光が消失する。

 左手を翳したまま、放心状態でリタルが呟く。


『おい、グレープ、おまえ……!』


 リチウムの鋭いバリトンが響いて、グレープはそちらを振り返った。

 そこには、なんの感情も読み取れない、無の表情があった。

 呆然と自分を見つめるリタルと、それからリチウムを見上げて、一言。


『…………ごめんなさい』


 抑揚のない声で、グレープはそう呟いた。


『おい、どういう意味だそりゃ……!』

『私、行かないといけません』


 泣いてもいない。

 かといって、にこりともしない。

 完全に無の表情。


『……うそ、でしょ……?』


 突き放されたような気持ちになって、リタルが思わず小さな手を伸ばし、かける。


『……冗談よね? だって……全部思い出したんでしょ? あたしたちのこと! ……あたしたちと一緒に、帰るのよね……?』


 戸惑いの表情に浮かべた空笑い。

 掠れた声に、グレープは、


『本当にいままで。ありがとうございました』


 静かに笑ってペコリと頭を下げた。

 リタルの左手がだらりと下がる。

 完全に動きを止めたリタルを見つめた後、グレープは、その隣にいた銀髪の男を見た。


『…………グレープ』


 男の感情は読み取れなかった。

 ただし、自分のような無ではない。

 怒っているような、心配しているかのような、悲しんでいるような。

 入り乱れた激しい感情の渦が宿った青瞳が自分を見ている。


『リチウムさん……』

『…………………………』


 しばらくその強い瞳を受け止めた後。


『私を、信じて』


 静かに、一言だけを残して、グレープは二人に踵を返した。


『……グレープ!!』


 リタルの絶叫にも足を止めない。

 グレープはトピアの下へ、一歩、また一歩と足を進め――


「まさか、自分から我が下に来るとは」

『……………………』


 無言のグレープ。

 強い瞳に、僅かに眉をひそめたトピアだったが、


「……来い、グレープ。我と、再びひとつに」


 ゆっくりと。グレープに手を差し伸べた。


 トピアの手をとり、トピアの体に吸い込まれるようにして消えるグレープ。

 ……瞬間。

 生じた激しい光に、一同は視界を奪われた。




 震える大気。

 裂ける大地。

 荒れ狂う海。

 黒い太陽と血のように赤い月が廻る。

 この時、フロース全域で天変地異が起こっていた。

 天界でも、魔界でも――そしてここ、人界でも。




『職員に告ぐ! 緊急対策マニュアルA-magnaを発令! 該当する職員は直ちに所定の位置に急行し、次の指示まで待機せよ! 繰り返す! ……』


 中央警察署からけたたましいサイレンと放送が鳴り響いていた。

 世界中に突如として起こった災害のオンパレードに署内は完全に混乱していた。

 それはここ、グノーシス市も例外ではない。


「落ち着いて持ち場につけ! 該当しない者は一般市民を指定避難場所に誘導! ――とにかく、今すぐ署から離れるんだ!」


 未だ激しく揺れ続ける署内。ニタバーニ・ゼネラックが低音を張り上げ部下達を誘導している所へ、警視総監ダニエル・クイロが数人のSPを連れ、場に現れた。

 短い白髪に黒ぶちの眼鏡。中肉高背で切れ長の金の瞳。物々しい雰囲気にその場にいた全員が一斉に足を止め彼の姿に注目するが、次の瞬間には筋肉だるま、マルトリック・ゲイザーの野太い声で一括され、一同は慌てて移動を再開した。

 部下の波が引くのを見届けてから、早足でダニエルに歩み寄るニタバーニ。

 ダニエルは、律儀に反応するSPを片手で制す。


「失礼します。総監。これは一体……」

「時が来たのだよ、ニタバーニ」

「………………ダニエル?」

「我々警察官は今この時の為にこそ、存在している」


 ニタバーニの糸目に僅かに浮かぶ困惑の色を受け止めた鋭い金の眼光は、やがて正面を射抜いた。

 いつの間に場に現れたのか、黒い特殊な衣服を身に纏った集団が、ダニエルに向かって敬礼している。


「…………これは……!?」


 ニタバーニの驚愕の声に、ダニエルは視線だけを彼に向けると、力強く頷いた。


「さて。救うぞ。人界を」




 リチウム達の居る、魔界の巨石の内部でも異変が起こっていた。

 宇宙に幾筋もの亀裂が走り、出来た隙間に、夥しい数のシャボン玉が瞬く間に吸い込まれていく。

 それはリチウム達とて例外ではなかった。


『……リタル! このままじゃシャボン玉の道連れだ! 一旦戻るぞ!』

『わ、……わかった……っ』


 急かされるままにリタルが『転位』の魔石を掲げる。

 瞬間、石に宿り辺りを照らすエメラルドの光。意識集中のためか、いつもなら瞬時に移動を果たす所をしばらくリチウム達はその場に留まっていた。

 不思議な事に、『転位』の光が満ちているこの場だけは、亀裂の隙間に吸い込まれる事もない。


「リチウム・フォルツェンド!」


 よく通る男の声にリチウムは振り返った。

 既にトピアの姿はなく、眼鏡を外したファーレンが蛇のような毛束を暴風で揺らしながら、悠然と漆黒の十二枚の羽を広げ、宙に佇んでいた。

 金の瞳は愉悦に満ちている。


「私の目的は果たされた。貴方にはもう何の用もない。見苦しい顔を見せるのは今日で最後にしてもらいたいものです」


 上機嫌に語るファーレンの様子にリチウムは舌打ちする。


『そっちに用が無くても、こっちにゃありまくりなんだが』

「まだ懲りていないようですね。……以前お世話になったよしみです。最後に忠告しておいてあげましょう」

『いらん』

「まぁ、そう言わずに。私に戦いを挑んでも無駄です。貴方では私に勝てない」

『………………なんでそう言いきれる?』

「……おや。まだご存知ありませんでしたか」

『リチウム! あんな奴相手にしてないでとっとと行くわよ!』


 リタルの声と共に、爆発的に溢れたエメラルドが、リチウム達の全身を包み込む――その直前で。


「何。簡単な事ですよ」


 ファーレンの甘い声が、蛇のようにリチウムの脳裏に纏わりついた。


「貴方は人間ではない。

 この私の血が入り混じって出来た、ククミスの魔人なのです。

 故に、貴方は私にだけは勝てない。

 貴方の身は生まれ出でたその時からずっと、私の支配下に在るのですから」




 [終]

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