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『しかし……「炎帝」がその「蘇生」の欠片で? トランの奴がフェニックスの対だって?』
リチウムが後頭部を掻きながら、眉根を寄せる。
『なんつうか出来すぎっつうか……都合よすぎっつうか……』
(必然よ)
静かな強い声でクレープが制する。
ゆっくりと肩の上に視線を移すリチウム。
『おまえが仕組んだんじゃなくてか』
(アタシが手をまわすだけじゃ足りないトコがあったのも事実だし)
『……いまさらだけどよ。本気で全部を知っててグレープと俺様等を会わせたんだな。おまえ』
(まぁ。グレープの寮に『浮遊』を置いといたのはアタシだケド。上手くいくっつう確信はなかったし。いくら出会う様仕組んだって必ずしも、行動を共にするようになるワケじゃないデショ。縁がなきゃ)
『……ひょっとしなくても、師匠と俺様を会わせたのもお前の仕業か?』
赤い瞳がこちらを見返す。
無言を肯定と受け止めると、リチウムは大きなため息を盛大に吐き、項垂れた。
(実際そのおかげで、アンタ助かったデショ。あの時のアンタ、まっさらだったんだし)
『………………まぁ、オカゲサマでピンピンしてるけどよ』
数千年前の人界で、ソフィアとグレープが楽しげに話をしている。
リチウムにとって、それは有り得ない光景だった。
この二人が繋がるなんて、思っていなかった。
でも実際に目にして、全ての辻褄が合った。
――人界の巨石を探し出しなさい。んで、発見次第あたしに見せる事。いいわねリチウム!
リタルには黙っていたが、ソフィアはアイオン教会の創始者である。
二十二年前、子供が出来たと告げストーンハンターを引退したソフィアは、フォルツェンドという名を自分に継がせた後、買占めておいたプリムス国の土地にアイオン教会を建てた。
十八年前に教会が完成すると、協会長は人に譲り、それまでのストーンハントで手に入れたたくさんの魔石を全て教会に寄付した。
その、彼女が建てた教会の下に、巨石があったのだ。
……まるで、護るかのように。
『……俺様の事も、知ってンよな。おまえ』
(ええ。……アンタの記憶が、二十三年間しかない事も、二十三年前から全く老けない事も。その理由も、全部)
『…………』
リタルにすら、話していない事だった。
この世で知っている――知っていたのは、自分と師匠だけ。……そう思っていた。
(アンタ、グレープが髪も爪も伸びない存在だって話、人一倍衝撃受けたデショ。……自分と同じだから)
『………………』
自身の知らない所で、全てが繋がっているような気がした。
見知った全てが、仕組まれた事のように思えた。
(……面白くないのも解るケド。アンタをあのまま放って置くワケにはいかなかったのよ)
『あのままて』
(アンタ、猛獣より性質が悪い存在だったって自覚ある?)
『…………いや』
(あそ。自覚ないワケね。でも、実際そうだったの)
『……そんなに酷かったのかよ? 昔の俺様って奴は』
(酷かったっていうか。どう転んでもおかしくなかったっていうか。言い訳がましいようだけど、アンタの事は、別に仕組んだとかじゃなくてね。当時グレープの代わりに人界を管理していたソフィアに託すしかなかったのよ)
クレープの言葉に目を丸くするリチウム。
師匠が人界を管理していた……だって?
『そんじゃ、グレープはどこに居たんだよ? 孤児院にいたってのか?』
(違う。グレープがヒトとして暮らし始めたのは、人界時間で十七年前。アンタがソフィアと会ったのは二十三年前デショ。その頃はまだグレープは、ヒトとしてではなく石神として、存在だけはしていた)
『あ?』
(事故があったの。二十三年前。それから人界でヒトとして暮らすまで、あのコはずっと寝たきりで目覚めることはなかった)
二十三年前。
自分の記憶もそこからだ。
師匠という存在はなにも、ストーンハントだけの話ではない。
自分は言葉、生活する術、何もかもを彼女に叩き込まれたのだ。
おかげで、今の自分があるのだが……。
『……関係があるのか。グレープの事故ってのは、俺様に』
(間接的にね。でも)
『でも?』
(……アンタしか居ないと思う)
『…………何が?』
(あのコを救えるの)
言うと、リチウムの肩から降りて、宙に浮かぶクレープ。
赤い瞳は、グレープ達に向けられている。
『トランが居るじゃねぇか。それともなにか。トランは自分のだから、グレープにはやらんってか』
(トランちゃんは、多分自分からあのコを手放すと思う)
『………………野郎が? まさか』
鼻で笑った後、無反応を異様に思い、リチウムは頭上を飛んでいたクレープを見上げる。
クレープはどこか冷めた様子でリチウムを見下ろしていた。
(このまま行くと、これからアンタは、グレープの傷を見る。知っておいた方がいいとアタシは思うケド、でもそれはアンタ自身にとっては別にどうだっていい事なの。だって、アンタに過去の事は関係ないから)
『…………ああ。そうだな』
(同時にアンタは自分を識る事が出来るケド。それでも別に気にしなくていいコトだとアタシは思う)
『…………』
(過去は必要。ケド、重要なのは過去じゃない。今と、この先だから)
『なら、なんでおまえは、俺様達を魔界の巨石に連れてきた?』
(………………あのコは全てを知っておくべきだから)
『それで、あいつが苦しんでもか』
(ええ。たとえ、あのコが壊れてもよ)
冷徹な声に、リチウムの視線が鋭くなる。
『………………マジに壊れたら、どうすんだよ?』
(心配してんの?)
『そりゃ……』
リチウムの態度に表情を和らげるクレープ。
(だったら大丈夫よ。あのコは壊れない。だってこれまでだってそうやって耐えてきたじゃない)
『これまで?』
(四週間前、になるのかしら。体をすりかえられて不安定になっても、今この時も。あのコずっと耐え続けているデショ。苦しいだろうに。さっさと自我を手放した方が楽だろうに。なんでかわかる? 自分の事を思ってくれてるアンタ達に会いたがってるからじゃない)
言われて思い出す。
数日前の不安そうなグレープの横顔。
それでも自分に見せたあの笑顔――
『……グレープは今どうしてるんだ?』
(今、トピアがあのコの中を探ってる)
『……なんだって?』
(トピアの奴、グレープの中の『アタシ』の魔力を捕まえて逆探知……っつうか、攻撃してんのね、今この間にも)
トピアに攻撃されてる?
今?
そういえば自分はずっとコイツをクレープとして喋っていたけど、確かに、唐突にクレープが苦しみ出した、あの時から一度も本体と話をしていないではないか。
『って、そりゃおまえヤバいじゃないか、なんで先にそれを……!』
思わず身を乗り出して叫ぶが、クレープは動じない。
真顔でリチウムを見返した。
(ギリギリだからよ)
『……は?』
(グレープを救うチャンス。っつっても、もう限りなくアウトに近いこの方法しか残っていないケド。まさに蜘蛛の糸ってヤツ? グレープの記憶を取り戻させるのが先か、取り戻せずに、このまま終末を迎えるか、そのどっちかしか道はない)
『終末……だって?』
(グレープが記憶を取り戻しても、もう遅いかもしれない。それでも……何もしないよりはマシデショ)
『ちょい待て、話が見えない……っつうか、おまえ大丈夫なんかよ? 今も攻撃受けてんだろ!?』
(だから。アタシは『アタシ』じゃないんだってば。……ケド、アタシが居るってコトは『アタシ』がまだ居るってコトだから……まだダイジョブなんじゃない?)
『んなアバウトな……! そっち戻るから方法言え!』
(方法は前に話した通り。リタルの『転位』だけだし、リタルの位置は掴んでるケド……今『アタシ』の所に戻ってきても、アンタ達に出来ることはない。トピアの攻撃受けてるの『アタシ』の内部だし、どうやらトピアの奴、『アタシ』の場所は掴めていないみたいだし。それに、今戻ってきたらもう絶対にグレープは救えなくなる)
『…………!』
(今、アンタが一番、あのコに近いトコに居るのよ)
クレープの瞳の、強い赤の光がリチウムを射抜く。
それは強制でもあり、どこか懇願の色を含んでいるようにも思えた。
一寸おいて、険を解くリチウム。
『……わぁった。急いでグレープの目を覚まさせる。から、それが終わったらすぐに俺様達をそっちに戻せ。それでいいな』
(アンタ……ヒトの話聞いてる? アンタ達が来たってやる事ないし……まぁ、『アタシ』の位置がモロバレて、トピア達が踏み込んでこないとも限らないケド)
『だろが。意地張ってねぇで、とっとと言え。俺様はどうすればいい』
(どうすればいいもなにも)
クレープが下を指差した。
見ると、ソフィアと話していたグレープが、こちらをじっと見ている。
『…………って。なんか俺様見られてねぇか?』
(そうね。ガン見されてるわね)
『つか、ありゃ、過去の映像なんだろ? なんで実際過去に存在しない俺様の事が見える訳?』
(そりゃあ、腐ってもあのコ、石神なんだし……感知位できるわよ)
『……ってありゃ、過去なんだろ!?』
(ここは魔界の巨石の中であると同時に、あのコの中。『過去』という魔力で編まれた世界。ただの記録じゃないし、意識化の影響はちゃんと受ける)
『意味わかんねーよ! ようするに、アレは、グレープなんだな?』
(ええ。触れてやりなさい。そこに居るグレープは、石神だった頃のグレープ。余計な体に覆われていない分、直接触れればあのコ自身が感知してくれるハズ)
『触りゃいいんだな!』
言われるがまま、リチウムはグレープに向かって急降下する。
クレープはその場に留まって、その様子を眺めていた。
(アンタがここまで来るコトが出来たのは、あのコが、一番感知しやすい場所にアンタを呼んだってコト。
過去の記録であるあのコがアンタを感知できたってコトは、アンタが一番あのコの中を占めてる証拠。
誰にでも触れられるワケじゃないし、あのコが誰にでも気づけるワケでもない。
……リチウム。アンタしかあのコに触れるコトは出来ないし。
それは、アンタしかあのコを救えないってコトなのよ)
「どうした? グレープ。急に空なんて見上げて」
「みえないの? ソフィア。どんどん近づいてくるよ」
「近づいてくるって……何が」
「………………あのひと……どこかで……」
『「アノヒト」じゃねぇ!』
「………………!」
『リチウム・フォルツェンド様だ!!』
叫ぶと、瞳を見開いたままでいるグレープの手を掴んで、自らに引き寄せる。
急降下した為、勢いが止まらず、リチウムはグレープを抱いたまま、弧を描くように再び空へと上昇した。
『師匠! 悪いがこいつ、ちょっと借りるぞ!』
懐かしいソフィアの姿がどんどん小さくなっていく。
「りち、うむ……」
徐々に緩やかになっていく上昇の中、自分の胸で、言い聞かせるように反芻しているグレープを見る。
大きな赤い瞳の中に自分の顔が映っている。
確かにクレープとコイツは同じ顔だ。クレープの顔はさっきまでずっと見ていた。だけど……。
柔和な印象。優しい瞳の色。自分を呼ぶ、鈴音。
それは、守らなくてはいけない対象。
自分が手にしたのは、確かに、グレープだった。
『あぁ、リチウム様だ』
自然、表情が和らいだ。
「……やっぱり知らないよ?」
『ンじゃなんでおまえは泣いてるんだ』
「わからない……わからないけど……」
『ケド?』
「なんだかすごくあったかいの……」
呆然と自分を見上げるグレープの頬を、涙が伝う。
滴り落ちて、地に穴を生む。
『そうかよ』
「……なんだかすごくなつかしいの。なんでだろ。わたし、あなたとあったこともないのに……」
『……そうだな』
苦笑して、グレープを抱きしめた。
力を入れれば入れる程に、自分の中に何かが満たされていくのをリチウムは感じた。
この感じを、なんというのか、自分は知らない。
わからない。
このグレープは過去の記録だ。
姿形は一緒でも、自分の知るグレープではない。
それでも。
『……俺様も、よくわからん』
どうして手を離したくないと思ってしまうのだろう。
「…………りちうむ?」
『ああ』
「……りちうむ……?」
『……なんだよ』
「りちうむ……」
『…………しつこい。っつうか、呼び捨てるな』
「………………りちうむさん」
『…………!』
ぽたぽたと滴り落ちるグレープの涙。
「……りち……ウムさん」
地に落ちて、徐々に穴が広がる。
「…………りチ、ウムさん……」
徐々にひび割れる過去。
『リチウムさん……!』
瞬間、シャボン玉がぱちんと弾けた。
過去のグレープの記録体に、グレープ本人の意識が重なる。
同化した腕、指先が、今、リチウムの背中に伸び――
『……リチウムさん…………!』
広大なシャボン玉の宇宙の中、思わず仰け反ってしりもちをついた体勢のリチウムにグレープは抱きついた。
すすり泣く彼女の様子に苦笑するリチウム。
『…………思い出すの遅ぇよ……ネボスケが』