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3

『…………ここは……』


 どれくらいの間、そうしていたのか。

 リタルは気を失ったまま、宙を漂っていた。

 開眼した瞳に、空の青は眩しくて、リタルは二、三、瞬きした後、ようやく世界を視界に入れる。

 吹き飛ばされて辿り着いた所は……どこか懐かしい雰囲気の、暖かな場所だった。

 眼下に在るのは、山奥にある小さな村。

 小さな家々の煙突から白い煙が空に棚引く。

 家や山、畑を縫うように走る細い道を、無邪気な声を上げて走り回る子供の姿。

 のんびりとした、のどかな光景が広がっていた。


『…………スマラグド……?』


 大きなエメラルドの瞳を見開いて、リタルはふるさとの名を呼んだ。

 リタル達が住んでいるグノーシス市のある島国プリムス国からさらに北に位置するウィリデ地方に、スマラグドという名の小さな村があった。リタルの故郷である。

 しかし六年前、スマラグドは原因不明の山火事で壊滅した。今や地図に無い廃村だ。

 それが、なぜ、今、目の前に。

 驚きの表情のまま、リタルは地に降り立った。

 見知った懐かしい小道を歩く。

 進行方向に小さな家が見えた。

 あの日炎に包まれ倒壊した、リタルの家だった。

 恐る恐る、近づいてみる。

 と、中から小さな黒髪の女の子が飛び出してきた。


「いってきまーす!」


 長く伸びた艶やかな黒髪がリタルの横を通り過ぎる。

 すれ違った女の子の顔を見て、リタルはあっとなった。

 自分じゃないか。

 そうだ。ここは、過去――魔界の巨石(グレープ)の内部だった。

 突如竜巻のような暴風が吹いて、自分はリチウム達とはぐれてしまったんだった……。

 現状を把握したリタルの耳に、


「いってらっしゃいリタル! 気ぃつけんのよー!」


 懐かしい声が響いて思考が消し飛んだ。

 小さな自分が元気に開け放った扉の隙間から恐る恐る中を覗く。

 声も出ない。

 何もかも。視界に入る世界、全ての物が、懐かしかった。

 そして、その中心に居るのは……、


「全く我が娘ながら困ったもんだわ。朝ご飯、折角作ったってのにロクに食べずに出かけちゃうなんて……」


 鮮やかな黄緑色の長い髪。すっと伸びた高い背。やわらかそうな白い肌。輝くエメラルドの大きな瞳。

 お玉を片手に恨めしそうに唸っているのはソフィア・ピスティスヤード。その人だ。


『…………おかーさん……』


 自分はこれまで、ソフィアを復活させるために、リチウムの後を追いかけ、魔石について学んできた。

 しかし先日。自分は自身の手で、ソフィア――『魔眼』を破壊してしまった。

 だからもう二度と、目にする事は出来ないと思っていた。

 その姿。くるくるとよく代わる表情。

 その微笑み。


「だからいつも、四歳児が夜更かしなんてしてないでとっとと寝ちまいなさいって口すっぱくして言ってるのにあの子、昔話ばっかせがむんだから……!」

「リタルの夜更かしの片棒を担いでるのは君だろ。それに仕方ないよ。君の娘なんだから」

「……何よ、テレートス。あなたそれ、どういう意味? 返答しだいによっちゃー今日の夕飯、あなたのおかずだけランクダウン……」

「……好奇心旺盛なところは君譲りだろって話だよ」

「うそつけー! さっきのテレートスの言葉には絶対悪意があった!」


 ――生きてる。

 パパも……!


 食卓で語り合う母と父。

 何気ない朝食の風景。

 幸せそのものがそこにあった――


 ――瞬間、リタルはばっと俯いた。

 ゆがむ視界。

 ぼとぼとと溢れる涙。

 もっともっとちゃんと見ておきたいのに止まらない。

 第一こんな情けない顔。

 おかあさんに見せたくない。


「それより、そろそろお兄ちゃんを起こす時間じゃないか?」

「ああ! しまったっ 今日は社会科見学の日だから早く起こすよう言われてたんだった!」

「社会化見学か……。早いもんだな、お兄ちゃんももう十四歳だもんなぁ……」

「つい、このないだまでこーんなにちみっちゃかったのに、来年成人だもんねぇ……って、こんな事話してる場合じゃなくて! おにーちゃーん!! 朝よ朝! とっとと起きろー!」

「おいソフィア、さっきから口調が昔に戻ってるぞー!」


 ばたばたと二階へ駆け上がっていく母。

 父は苦笑いでそれを眺めている。

 かすれた記憶が鮮やかにそこにある。


『……おかーさん……、おとーさん……!』


 泣き顔は見せたくない。……でも。

 リタルは涙を止める事は出来なかった。

 どれだけ両手をぎゅっと握り締めても。

 眩しい程の光景が広がる中。いまだ小さな背中は、いつまでもいつまでも震えていた。


(……ちょっと。いい加減に泣き止んだら? そこのチビガキ)


 唐突に無遠慮な女の声が間近で響いて、俯いていたリタルの耳を劈いた。


『し、失礼ね! 泣いてなんかないわよ!』


 反射的に叫んで、慌てて涙をぐいぐい拭う。

 しかし次の瞬間には、はたっとその動きを止めてしまった。

 今の声って…………?

 びっくりして、声のした方を振り返る。

 果たしてそこに、小さな小さなクレープの姿があった。


『……クレープ……? って、あんた、どうしてこんなところに……ってか、なんであんた、ミニチュア……?』


 涙をそのままに、呆けた表情で小さなクレープを見る。


(違うわよ。アタシは『アタシ』の魔力の一部。アンタとコンタクトとってあげようと思ってわかり易いカタチとったダケ)

『魔力の一部? ……って、ここって、グレープの中なんじゃないの?』

(ま、ね。今じゃ魔界の巨石の魔力は、ほとんどグレープのものになってる。ケド、まぁ残りカスみたいなもんかな。『アタシ』の魔力も僅かだけど、まだ中にある)

『ふぅん……だから、小人サイズって訳ね……ってあんた。大丈夫なの?』

(なにが)

『残存魔力がそんだけしかないって事は、相当グレープに吸収されてるって事でしょう? 今思ったんだけれど、あんたの本体って巨石……結局は魔石じゃないの。魔力が無くなるって相当ヤバい状況なんじゃ…………』

(泣きベソかいてるガキンチョに心配される程アタシ落ちぶれてないわよ)

『……なんですって……!』

(トニカク! いい加減泣き止みなさいっての。アンタがいないと、リチウムのバカとか、かわいいトランちゃんがコッチ戻ってこれないじゃない)

『…………あ!』


 クレープの言葉に、大きく開けた口に手をやった。

 失念していた。魔界の巨石に入る前に、クレープに言われてたじゃないか。


 ――人には強大すぎると思う。

 見たいと念じるだけで、どの過去にも飛べる。けど……中には知らなくてもいい過去がある。

 だから、むやみに念じたりしない事。

 過去が、アンタ達を引きこむこともあるから。常に気を張っていて。

 それにもし……アタシの意識が途切れるような事があったら……生還する術はリタルの『転位』しか無い。だから、リタルとははぐれないようにして――


(……どしたの?)


 急に俯いて静かになったリタルの顔をクレープがキョトンとした表情で覗き込む。

 リタルは神妙な面持ちで、呟くように言った。


『……あたし、念じちゃったのかな』

(は?)

『意識ないけど。無意識にでも念じちゃったのかな……お母さんに会いたいって……』

(…………)


 大きなため息を吐きながらリタルは項垂れた。


『自分に失望だわ……どんだけ子供なんだって話! 『魔眼』を失って、お母さんの事はもう、割り切ったつもりだったのに…………』


 沈黙が辺りを支配した。

 さすがに無言でいたクレープだったが、リタルの落とした小さな肩を見、そのままのどかな青空に視点を移して目を閉じる。重い空気を変えようとしてか、普段より軽い口調で呟くように切り出した。


(そーとも限んないんじゃないの)

『……え?』

(言ったデショ、過去がアンタ達を引き込む事もあるって)

『…………過去が…………あたしを?』


 呆けた表情で、リタルは家を振り返った。

 眼下に、仕事に出かける父を追い越して、兄が慌てて駆けていくのを、謝りながら見送る母の姿がある。


(……ま。もう少しだけなら、時間ありそーだけど。他の二人も、過去を満喫してるっぽいし)

『……そうなの?』

(ええ。それに……やっぱりアンタは、呼ばれた理由を見ておいた方がいいのかも)

『理由……って』

(意味があるのよ。アンタがここに辿り着いたのは)

『………………意味って』


 考えてみる。

 あたしがここに……この時に飛ばされた事には、何か意味がある……?


(このままソフィア達の様子を見てたら判るんじゃないの? 過去がアンタに何を伝えたがってるのか)

『あたしに……?』

(そうよ。アンタが念じたんじゃないとしたら、別の意思がアンタをここに呼んだってコトだもの。知りたきゃこのまま黙って眺めてなさいよ。……尤も。真実を知る、その覚悟が、今のアンタにあればの話だケド)

『………………』


 自分に伝えたがっている?


『あたしが、知るべきこと……』


 「真実」。

 自分が忘れてしまった事だろうか……?

 それに「覚悟」って……。

 ……分からない。

 困り果てたリタルは、一人家に残って、家事に勤しむソフィアの元気な後ろ姿を眺める。

 ふと、ソフィアが壁に掛けられたカレンダーに目を向けた。

 頬に手を当て、ため息混じりに呟く。


「あー……明日はいよいよリタルの誕生日かぁ……プレゼント何にすっかなぁ……」


 ソフィアの困り果てた様子に、リタルの表情は凍りついた。

 ……兄が十四歳で、自分が四歳。……ってことは、これは六、七年前のスマラグドの様子だ。

 六、七年前の自分の誕生日前日と言えば――


『………………うそ……』


 呆然と呟く。

 忘れもしない。

 今日こそが、スマラグドが地図上から消えてなくなった日――

 ウィリデ地方大災害の当日だった。




『……アルコーン?』


 目前に広がる光景を直視したまま、トランが呟くように声を上げる。


(そう。トピアが作り出した人外の生命――アイオーンであるソフィアが、トピアの魔力を借りて創造した人外の生命の総称。それがアルコーン。全部で六人いたんだケド、その内の一人に精霊エレメンタルの魔力を所持しているアルコーンがいるの。その名をエローアイオス。後にエローアイオスは四つに分離し、それぞれがフロースにおける四大精霊と成った)


 肩に乗っているミニチュアクレープの声に、トランはもう一度、男の姿を上から下まで眺める。

 トランの目の前には、トピアと楽しげに笑い合う赤い髪の、背に天使のような翼を生やした男がいた。

 ただし、翼の色は白ではなく、赤。


(彼こそがその内の一人よ。トランちゃん、アナタの持ってる『炎帝』の魔力の持ち主)


 その声、その存在。何もかもにトランは衝撃を受ける。

 その男の姿は、トランと瓜二つだった。


(名を、フェニックス。……貴方の、オリジナルよ)


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