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グレープを人界に送り込んだのは、自分だった。
しかし、当時のグレープの身体は魔力で編まれた人形のようなもので、人体のように成長する事がない。
では、グレープはどうやって、身体を成長させていったのか。
単純な話である。過去を司る石である自分が彼女を見守って、周りの人と同じだけ成長した身体になるよう、その都度同じ魔力を用いて創り替えていたのだ。
(だから、あのコのことは半年前に会う前も、ずっと見守ってきた)
孤児院で一人、掃除をしているグレープの小さな背中を見ている。
今リチウム達が見ているのは、十数年前のグレープの過去だが……こんなあのコの姿は別に懐かしくもなんともない。四ヶ月前より以前、グレープはずっとこうだったんだから。
人界へ送り込んだ小さなグレープを、自分はすぐに、『巨石』――地下空間の上にソフィアが建てた教会、アイオンの孤児院にソフィアを通じて入れた。
入れるより他なかった。
人と違う存在が、人として、人の中で暮らす事。これがどんなに過酷なことだったか。
髪も爪も伸びず。石化製品を次から次へと暴走させる。
しまいに疎まれて蔑まれて孤立して。そんな世界に曝されて、自然、グレープは、空気のように希薄でいる事を処世術とした。
……いや。処世術ではなく。希薄になる事をグレープ自身が望んだ。
理由の一つに、周囲に嫌な感情を齎す存在である自分自身をグレープが嫌ったこと。
それと、もう一つ。
グレープは、自分という存在が希薄である事で心労をかけるような存在が一人もいない事を、識っていたからだ。
『……おまえ。これ見てなんとも思わなかったのか』
ある雪の日だった。
孤児院の子供が温かい室内で笑い声を上げる中、グレープは一人、庭にしゃがみ込んでいた。
小さな肩に、徐々に雪が積もっていく。
(そりゃできれば周りから浮かないような身体に創り変えてやりたかったわよ。ケド、アタシの魔力は『過去』。アタシは自身に記録した過去から取り出したモノを実体化させる事しか能がないの。アタシには、かつてのトピアの身体をトレースしたものをあのコに与える事しか出来なかった)
『……トピアって。あの……紫の髪の?』
(えぇ。アタシ達の本体のことよ)
『って事は……巨石なのに、人間と同じように成長するのか? その……トピアって人は』
(いいえ。アタシがトレースしたのは昔のトピア――あのコがヒトだった時の記憶よ)
『人!?』
一同の声がハモる。
大声を出した直後、三人はハッとしてグレープを見た。当たり前の事だが、実体のない彼等の声はグレープには届かない。変わらぬ後ろ姿にホッと胸を撫で下ろした時に、クレープの声が届いた。
(あのコは"元"人間よ)
『……人間だったのが、また、なんでカミサマなんぞに……』
(このまま遡れば、そこまで見せられるわよ。尤も、アンタ達にこの話が必要かどうかはしらないケド)
『………………』
突き放すような物言いに、一同は顔を見合わせる。
別に必要な訳じゃない。けれども……気になるものは気になる。
『でも』
リタルが切り出した。
『その人間だった身体を正確にトレースしたのなら、爪や、髪だって伸びるんじゃないの? 伸びなかったとしても、人間だった当時のものをこまめにトレースして創り替えてあげれば髪の伸びたバージョンとか……』
(ヒトの身体に入れたトコロで髪も爪もグレープのデフォルトに変化しちゃうのよ)
『……うわ』
(その後は一緒。ヒトとは違うから。髪も爪も伸びることはない)
『…………………………』
クレープの言葉を耳にしたリチウムが、何かを言いたげに口を開いた。
(アンタの質問には後で答えたげる)
遮られて、押し黙る。そんなリチウムの様子を見ていたリタルが口を開こうとした時。
(リタル。アンタ、あのコの髪がいきなり伸びた事、知ってるデショ)
再び遮るように降ってきたクレープの声に、意識を奪われた。
『え? ……えぇ。それが……』
一体どうした、と問おうとした所ではたっと疑問にぶち当たった。
クレープの話によれば、あの時。グレープの身体は既に魔界の巨石であったという。
…………伸び続けているじゃないか。あれ以来。グレープの髪。
(元アタシの身体だからよ。アタシの髪、長いから。短く切った所でデフォルトまで伸びるの。爪も同様ね)
『それにしちゃ髪の色……っていうか髪質はグレープのままだったけど……』
(身体にグレープが入っちゃったから。人界の魔力と、魔界の魔力とが合わさった結果じゃない?)
『グレープちゃんの髪って……元々肩までだったのか?』
トランが首を捻った。
『……いや、どうでもいい事かもだけどさ。少し気になって。クレープも……その、トピアって人も、二人とも髪が長いのに……』
(……昔は違ったケド。事故があって。記憶の喪失と共に、グレープの髪も短くなった。だからグレープの姿はあのまま。二度と変わる事もない)
『事故?』
(………………事故よ。とても哀しい事故)
それっきり、クレープは押し黙ってしまった。
自然、全員の視線が、立ち上がったグレープにいく。
小さなグレープは、雪の降る中、シスターに引っ張られるように室内に入っていった。
後に残されたのはリチウム達と――先ほどまでグレープが居たところに、小さな雪だるまが四体立っていた。
大きい雪だるまが二つと、中ぐらいの雪だるまが一つ。それから、小さな雪だるまが一つ。
『その「事故」とやらも、このまま遡れば……』
(……ええ。見れるわ。
現状の発端も。……トピア。あのコが変わってしまった理由も。
それから、グレープが失くしたものも……全部)
(グレープが失くしたもの……?)
(記憶だけじゃなくてか?)
アイオン教会の下――不可視の地下空間でクレープは一人、寂しげな微笑を漏らした。
「……思い出させたら、またあのコは自分を責めるんでしょうケド」
困惑した表情を見せるリチウムに、クレープは言ってやりたい事が鬼ほどある。
例えば、『死球』という石の正体。
例えば、グレープが記憶を失くした理由。
例えば、リチウムのその姿と、声。瞳の色――その存在。在り方について。
でも、それは、リチウム当人には何の関係もない事なのだ。
いつか……そう、リチウムを弟子にとったというソフィアに釘を刺された事がある。
――見てて苛立たしいのは解るけれど。それって本当にグレープが望んでいる事なの?
ソフィアは言った。
グレープが、守ろうとしたもの。守ったもの。
リチウムが、リチウムとして存在しているのはきっと、必然。
彼は自分達に、まだ可能性がある――そう、信じさせる存在なのだ、と。
「……ねぇ。アンタ達。一コ、訊いときたいんだケド」
滴る汗を拭わずに、クレープは声を上げた。
「もしも世界が壊れたらさ。どうする?」
(なんだよそりゃ)
(こんなときに何かの心理テスト?)
(…………世界が壊れたら、かぁ……うーん……)
また一つ、記録という名のシャボン玉から抜け出てきた三人のあげる声に静かに笑うクレープ。
「っつーか、くれぐれも真面目に答えなさいよ? ヒトがわざわざ訊いてあげてンだから……」
(まー、なんとかなるんじゃねぇ?)
リチウムの声。
次いで、深い深い溜息が聞こえてきた。
(…………つくづく適当な男よね……あんたって)
(なにをう! 壊れちまったもんを嘆いたってしゃーねぇだろ!)
(たまにはもうちょっとカッコいい事とか言ってみなさいよ。言うだけタダなんだし。折角の容姿も宝の持ち腐れよ)
(そう思ったんだから仕方がないだろう! これが俺様だ!)
(威張るなっての! ……でも……そうだな。なんとかなるよ。だってそういうもんだろ)
「……そういうものって?」
(把握しきれない程の命があるんだ。それら全部で生きたいって望むのならきっと終わらないよ。壊れても、ずっと続く)
(質問の答えとしては微妙にズレてる気がするけど、トランにしちゃいい事言うわね。あたしも賛成)
(まぁ、壊れたままが嫌ならまた誰かが作り直せばいいだけの話だからな)
(……って、あんた。機械じゃないんだから)
連中は連中らしく、自分に答えをくれた。
壊れても続く。
誰かが創ればいい。
「…………そうね。なんか、ダイジョーブって気がしてきたわ」
(って、クレープ? 何かあんた、様子変じゃない?)
「そ? 別に、なにも……」
声を絞ったその時だった。
『…………!』
クレープの視界が激しくブレた。
たまらず、その場に崩れる。
魔力で編み上げた身体が、半透明に透けていた。
……魔力切れか?
クレープは舌打ちして…………目を見開いた。
………………違う。
これは。
「………………トピア……!」
『おい、どうした!?』
『クレープ? 何かあったの!?』
『クレープ!』
これまで過去に向って動いていた、シャボン玉の宇宙の流れが突然、ピタリと止まった。
訝しげに、辺りを伺いながら宙に漂っていると、クレープが苦しげにトピアと呟いた。
……まさか、こちらの居場所がバレて、トピアが乗り込んできたのか?
三人は必死にクレープに呼びかけた。
『おい、クレー…………!』
(……悪いわね。どうやら、タイムアウト……みたい……)
三人の脳裏に、クレープの苦しげな声が響く。
『どうしたクレープ! なんかあったのか!?』
(トピア……あのコに感づかれた。居場所までは特定されてないみたいだケド……多分、グレープを通じて、アタシに直接仕掛けてるみたい……)
『何があった!?』
(アタシは平気よ。それよかアンタ達、早く戻ってきなさい……! いつ、トピアがココに気づくか……!)
『どうやれば戻れるの!?』
(リタル。アンタの『転位』で戻ってくればいい。……ケド、今は精神だけの状態で不安定だから、普段以上の意識集中を忘れないで)
『わかったわ! すぐそっちに行くから! 待ってなさいよ!』
(なるべく早いトコ……頼むわ…………うぁ……!)
『ちょっとクレープ!?』
苦悶の声に思わずリタルが叫ぶ。が、それっきり、クレープの声は聞こえなくなった。
『……うそ……うそどうしよう、クレープが……!!』
『落ち着け、リタル!』
両肩を強く掴まれた。
はっと見上げると、トランが厳しい顔つきでリタルの顔を覗き込んでいた。
どこまでも真っ直ぐな瞳の黒。……その時、リタルの視界で、トランの顔に何かがダブって見えた。が、それはほんの一瞬の事で。リタルは掻き消えていくそれを上手く掴めなかった。
見上げるリタルに、こっくりと頷いてみせるトラン。
『…………ありがとう、……トラン』
素直に礼を言うと、トランは返事の代わりに微笑んでみせた。
『平気か?』
リチウムの声にそちらを振り返るリタル。
『ええ、もう大丈夫。すぐに跳ぶ。……けど、集中するから数秒……』
数秒ちょうだい。
リタルがそう答えようとした時だった。
宙に浮いている一同を、猛烈な風が襲う。
『うわ……!』
『……な、なんだ…………これ!』
『きゃあ!』
あまりの風圧に、目を開けていられない。
三人は、まるで竜巻に巻き込まれたかのように、ぐるぐるぐるぐる天高く振り回された。
木の葉のように舞い踊る。
身体を弄ばれながら、リチウムの意識で一瞬、トピアの赤い目が過ぎった。
……あの女の仕業か!
『……リタル! トラン!』
なんとか目をこじ開けて叫ぶ。
トランが、近くに居たリタルの小さな身体を守るように抱えたところで、こちらに気づいた。
距離は……そう離れてはいない。手を伸ばせば届きそうだ。
『……手ぇかせ!』
『ぐ…………っ』
暴風に煽られながら、それでもなんとか互いに伸ばした二人の手が、指先が、届く…………寸前。
さらに強烈な横殴りの風が、三人を襲った。
『――うわぁああああああああああああああああ!!』
無限に感じられる空間を、台風のような強風が吹き荒れる。
三人の身体は紙くずのように果てまで吹き飛ばされた。