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「たすけてくれてありがとう」
闇に向かってたどたどしい言葉を紡ぐ少女。
少女の思考から言語を識った『無』は言う。
「ここはあぶない はやくもとのせかいにかえれ」
「どうやったらかえれるの?」
「あっちだ」
「……あっちて、どっち?」
『歪』と呼ばれるこの闇の世界には、目印となるような……如何なる物質も存在しない。
出口を指し示すために、何か形が必要だった。『無』は少女の思考から人間の形をとる。
少女の前に、少女と背丈の同じ人影が現れた。
真っ黒な人間。
否、それは人間を模った『無』だ。
「どうしてまっくろなの?」
「ほんらい おれにかたちはない このかたちはおまえがあたえたものにすぎない」
「かたちがない?」
「そうだ おまえにあわせてせかいがうごいたんだ」
「へんなの」
「へんなのは おまえだ」
言うと、『無』は歩き出した。少女もその後を追う。
「おまえは『石神』だろう」
「『石神』? なにそれ」
「おまえをさす『な』だ」
「わたしのなまえは とぴあっていうの」
「とぴあ?」
「でも、とぴあは3にんいるから。わたしは、とぴあだけど、ぐれーぷってよばれてるの」
「……ぐれーぷ。『グレープ』。『軍神の片割れ』。『慈悲と自己卑下の象徴』か」
「なぁに?」
「『彼女』のきおくのいちぶだ。おれは、『石神』につくられた。『彼女』のきおくをもっている」
「わかんないよ。ねぇ、あなたのなまえはなんていうの?」
「『な』はない」
「じゃあなんてよべばいい?」
「…………おれを、よぶのか?」
「そうだよ」
「それはあまりいみがない」
「どうして?」
「おれは、この『歪』の『番人』だ。ここからでることはないから、よびなをきいてもつかうことはないだろう」
「どうしてここからでられないの?」
「そういうふうにできているからだ」
「わからないよ」
「おまえこそ、『界』の『番人』だろ?」
「…………?」
「なにもしらないのか?」
「しらなくてもいいって、とぴあが」
「……そうか。だからおまえみたいなものが『歪』にまよいこんだのか」
人影は少女――グレープに合わせて先を歩く。
グレープも人影の後を追う。
「ここはどこなの?」
「『石神』は『歪』とよんでいる。『石神』が創った『世界』の『歪』。『自然発生した無の塊』だ。つうじょう、ここにまよいこんだ『生体』は、かたちをうしなう。おまえは『石神』だからだいじょうぶなんだろうが、それでもおれがいないとだめだ」
「そうなの?」
「まぁ、まよいこむ『生体』なんて、おまえくらいのものだろう。おれもはじめてだ」
「なにが?」
「こうして、『言語』『形』『意思』をもったのは」
「…………?」
「へんなのはおれか。『無』が『有』になってはいけないのに」
『無』の言う事がグレープにはさっぱり解らない。
だが、『無』の放つバリトンの……その響きがどこか哀し気なことに、グレープは気づいた。
やがて、二人が歩いてゆく方向に、光が見えた。
「むかえがきてるぞ」
「え?」
光は徐々に大きくなってゆく。
微かに少女を呼ぶ声が聞こえてきた。
影は、歩を止めた。
「どうしたの?」
「おれがすすめるのはここまでだ」
「え?」
「あのひかりにむかってあるけば、もとのせかいにもどれる」
「なんで? あなたはこないの?」
「いっただろう。そういうふうにできているんだと」
「…………」
「はやくもどれ。ここはまぶしくてかなわない」
「……また!」
「…………?」
「また、あそびにくるからね!」
そういって少女は光に向かって駆け出した。
後ろで、影が何かを叫んでいたようだったが、自分を呼ぶ声が大きくなった為に聞こえなかった。