祓い屋レイコと『名前を盗む狐』
『名前を盗む狐』
危険度★☆☆☆☆
突如として現れた怪異。
目の前に現れ、人間に名を問い、答えた人間の名を盗む。
名を盗まれた人間は、徐々に廃人と化していった。
拝啓
『祓い屋レイコ』様へ
日々益々のご活躍、拝見しております。
そんなレイコ様のお噂を聞き、こうしてお手紙差し上げた次第です。
『名前を盗む狐』をご存知でしょうか?
最近私、その狐に名前を盗まれてしまい、誰からも、自分でも己の名前がわからないのです。
どうかこの怪異の除霊を、お願いいたします。
敬具
祓い屋として金銭を稼ぐ橋渡黎子の元に、そんな手紙が届いたのが約一週間前。
名前も書かれていない白い便箋が、これまた白い封筒に入れて『祓い屋レイコ』の事務所のポストに投函されていた。
「チビ〜そっちどうだ」
「ある程度の情報は集まったけど、元凶については諸説ありすぎて特定できないよぅ」
最新のゲーミングパソコンをぽちぽちと弄るチビ。あれは黎子でなく、チビの私物だ。
あの肉球がありそうでない小さな手でFPSゲームをこよなく愛し、あるゲームでは世界大会で上位三名に名が連ねたとか何とか。
閑話休題。
黎子も黎子でノートパソコンをぱちぱち弄り、『名前を盗む狐』について調べていた。
ある程度時間が経ったところで、チビと情報共有を始めた。
「まあ、性質は名前の通りだな。相手の名前を盗む怪異」
「出現方法は出てこなかったよ。ただ除霊師専門掲示板によれば、忽然と出てきては名前を盗んでいくって」
「っかァ〜だるうぁ〜」
「対処法も不明だね。あ、でも、名前を知られてなければ名前を盗られることはないってさ」
「そりゃ無理だな。アタシぁ結構名前が売れてる」
「残念だね」
「誰がお前を養ってやってっと思ってんだ? アァ?」
「いだだだッ! ほっぺ抓らないで! ちぎれりゅッ!」
ぐいーっとチビの頬を引っ張って、手を離す。
バチンッと音を立てて頬がたゆんだ。
「くすん……僕もちょっと稼いでるのに……」
「黙りな」
「あい……」
ぐすぐすと泣くチビを無視して、黎子は煙草を吸う。
吸殻を山になった灰皿に押し付けて、ぱたんとノートパソコンを閉じた。
ところ変わって街中。
ふらりとコンビニに立ち寄って煙草と酒を購入した黎子は、ひとり、事務所への帰り道を辿っていた。
「電子煙草値上げってマジか。ま、アタシは吸ってねぇからどーでもいいけど」
コンビニに貼られていたポップを思い出し、ひとりごちる。
歩き煙草禁止条例? 知らん。そんなものは黎子に適用されない。
……ちなみに、例外などというものはないので、普通に条例違反である。
灰を落として再び煙草を咥えたところで、黎子は異変に気が付く。
足を止め、前方へ目を向けた。
「……狐?」
そこには、狐がいた。
ちょこんと手足を揃えて座る狐の尾は、どこかへ誘うようにゆらりと揺れる。
狐の口が、開かれた。
「名を、何という」
――コイツが、例の『名前を盗む狐』だ。
本能的に直感した黎子だが、コイツを祓うより前に、許せないことがあった。
「ハッ。怪異如きが、アタシの名前を知ろうとするって?」
黎子は胸の間から御札を取り出し、仁王立ちになる。
そうして、胸を張った。
「だがまぁ、電子煙草に浮気した奴らが悔しい思いをしているだろうから、気分がよくて心優しいアタシは教えてやる。冥土の土産に覚えておきなァ!」
「アタシの名前は橋渡黎子! アンタを滅する『祓い屋』だよ!」
女は名前を盗まれ、すごすごと事務所に帰ってきた。
「それがうちの事務所の名前が無くなった理由ですか」
元は彼女の名が書いてあったのであろう、入り口の看板には、『祓い屋―――』としか書いていなかった。
女は反省する素振りも見せず、社長椅子に座ってぐうたらと煙草を吸っている。
まるで、何事もなかったように。
「ま、名前がなくなったってどうにかなるだろ」
女は軽く考えていた。
チビは頭を抱え、女宛ての依頼書を手に、ぺらりと数枚捲った。その全てに、宛名がない。
塗り潰されたように黒く塗られているわけでなく、名前があったであろう場所が全て空白なのだ。
「これじゃあ何て呼んだらいいかわからないよ……」
「社長とでも呼べ」
「煙草臭いお姉さんは?」
「…………アリ」
「でも長いから社長って呼ぶよ」
「オイ」
女のじとりとした視線から逃げながら、チビは手に新しい紙を持つ。そこには、『名前を盗む狐』について書かれていた。
『名前を盗む狐』
忽然と現れ、名を尋ねてくる。
名を答えればその名を盗まれ、存在を残しながら、その人物の“名前”が記憶だけでなく、文書からも消えてしまう。
また、怪異としては最弱に近い。
最後の文章は、実際に相対した黎子が付け加えたものだ。
何故あの場で黎子が『名前を盗む狐』を祓わなかったか。それは狐の不安定さにあった。
あの怪異は、力が弱すぎる。
他者の名を得ることで力を得ているのだろう……それが黎子の見解であった。
また、あの場で祓ったとして、名前が返ってくる保証がない。
それは、黎子が心の底で恐れていたことでもあった。
ああして社長椅子でいつものように煙草を吸っているが、その不安は拭えないようで、いつもよりペースが早い。
それに気が付かないチビではない。これでも、付き合いは長い方だと自負している。
「んお、どうしたチビ。突然パソコンに向きやがって」
「ゲームしてちょっと気分落ち着かせてくる」
「オウ。稼いで来いよ」
今のアタシじゃ金稼ぎもできねぇからなァ。
そう呟いた黎子の声を聞きながら、チビは除霊師専門掲示板を開いた。
ぺちぺちとキーボードを叩くチビを横目に、女は煙と同時に溜め息をついた。
ゲームをすると嘘をついて自分のために掲示板を開いた従業員。その姿が馬鹿馬鹿しくて堪らない。
これからどうしたもんかねィ。
彼女はその界隈では有名な、怪異と土地神専門の除霊師だ。
名前は自己を確立する上で、最も重要な“核”となるものである。
あそこでゲーミングパソコンをいじっているチビ。あれも本名ではない。当然だが。
元の名前は女が奪った。そこには理由があるのだが、ここでは省略する。
とにかく、女があれを「チビ」と呼ぶ限り、アイツは「チビ」であり続けることができるのだ。
逆に言うならば、あれから「チビ」という呼び方を奪えば、あれは本来の力を取り戻してしまう。それは女にとっても避けたいことだった。
――だからこそ、わざと自分が名前を奪われるようにして、『名前を盗む狐』の尻尾を掴もうとしたのだが。
どうやらミイラ取りがミイラになってしまったようだ。
女は再び煙を吐く。
そして、舌打ちをひとつ。
「アタシの“自己”はいつまで持つかねぇ」
――そう。名は体を表す。
名前がない今の女には、体がないも同然だった。
暗い路地裏。空色は夜。
月が傾いたその時間に、一匹の狐がいた。
「佐藤……輝樹……小林……勇……牧野……芽依……違う、どれも違う……どれも、『私』の名に相応しくない」
狐は月から逃げるように物陰に隠れて、これまで【食べて】きた名前を思い出していた。
「神崎……幸太郎……椎名……秋奈……橋渡……黎子……」
首を振る。どれも違う。
あれも、これも、それも、どれも、どれも、どれも。
己の名に相応しくない!
怒りに身を任せて目の前のネズミを食い殺した。
鉄臭い匂いが辺りに充満し、口から滴る血が毛皮を汚していく。
名が欲しい。
自己を確立する名が。
生まれてすぐに消滅なんて、真っ平御免だ。
狐は鋭い目に、煌々と輝く月を映した。
あれから数日が経った。
女は日に日に、煙草を吸う本数を減らした。
それはまるで、彼女自身の“自己”が失われていくように。
チビは焦った。
チビにも名の重要性はわかる。
だからこそ、何故あの場で『名前を盗む狐』を祓わなかったのかが理解できなかった。
あの手の怪異は、祓えば起こった全ての現象が一に戻る。
女の名も帰ってくるはずだった。
だのに、女は祓わなかった。
その考えが、人でないチビには理解できなかった。
チビは掲示板をひたすらに巡回する。
何度もキーワードを変え、新着順を流し見て、何か一つでも情報がないかと、目を皿のようにして探し回った。
けれど何ひとつとして、情報は得られなかった。
寝ずにパソコンと向き合うこと、一週間。
遂に女は、自分を認識することすら難しくなってきた。
今朝起きてきた女がチビを呼んだ。そして、言ったのだ。
「アタシって、毎朝何してたっけ?」
と。
チビは震えた。
女が、消えかかっている。
もう、なりふり構っていられなかった。
普段は一人での外出を禁じられているチビだが、既に自己が崩れかかっている女からは簡単に外出許可が下りた。
それに一抹の寂しさを感じながら、確かな覚悟を胸に、チビは『祓い屋―――』を飛び出した。
白猫の姿になって街を周る。
人々は変わらず生活を送っている。まるで怪異も、この街を守る土地神の存在にも気付いていないように、酷く優雅に、悠々と。
今のチビには、その景色すら憎たらしく見えた。
自分はこんなにも焦っているというのに、どうしてこの人間共は、日々を享受しているのだ。
女の存在は今にも消えそうなのに、どうしてお前たちは、そうして簡単に死にたいと、消えたいと願うのか。
ならばお前が、お前らが、お前たち人間共が、まとめて女の代わりになればいい。
しかしそんな些細な願いも、空には届かない。
そうしてただ街を巡回して事務所に戻る、その道だった。
目の前に、狐が現れた。
「名を、何という」
それは、『名前を盗む狐』だった。
チビは先程までの激情を押し込め、悠々と答える。
「僕の名前はチビ」
「それは真の名ではない」
「それはそうさ。だって僕の本当の名前は、社長に盗られたからね」
「だから僕は、今ここにいる」
「きみが社長から名前を盗んだおかげで、僕の存在も危ういんだ」
「少し手荒な真似をしても、いいよね?」
チビの影が蠢く。
それは泡のように、電子レンジの中のケーキのように、ぶくぶくと膨らんでいく。
狐の顔色が変わった。
「貴様、『私』と同じモノか!」
その言葉に笑顔を浮かべたチビは首を振る。
その姿はいつもの、背に羽を生やした猫のような兎のような生き物に変わっていた。
不意に、マスコットのように可愛らしい容姿が歪んでいく。
兎のように長い耳は無骨な双角に。
猫のように長い尾は三叉槍のような先に。
白い毛皮は鱗に変わり、愛らしく丸かった瞳は鋭く。
半角数字の3を横にしたようなふにゃふにゃ口は狼のように突き出て、鋭い牙の間からは銀糸が垂れる。
それは「チビ」であって、「チビ」でないモノだった。
狐は怯えて立ち尽くしてしまう。本物の狐であるのなら本能的恐怖から逃げ出すだろう。けれど相手は狐の姿を模した怪異。偽物。
理性があるからこそ、逃げることができない。
逃げられないと、悟ってしまったから。
食い殺される。
「チビ」が口を大きく開いた。
それが、狐の最後に見た景色だった。
「はーいストップ。やり過ぎだぞ、『チビ』」
狐の目を塞いだ女が、「チビ」を見る。
そこにいる「チビ」は、いつも通りの可愛らしい「チビ」だった。
チビは不服そうに唇を尖らせて抗議する。
「ぶー。それをどうにかすれば社長の名前は返ってきたのに」
「言ったろ。こんな弱い怪異を祓って、名前が返ってくる保証はないって。……はー、マジでギリギリだった。自分が祓い屋だって思い出してマジでよかったわ」
「ちょっと脅かしただけじゃん……」
「こんな弱っちぃ怪異にはとんでもねぇバケモンに見えるだろーが、アホチビ」
女は胸の間から取り出した御札を狐に貼り付ける。それは狐を祓うものでなく、動きを止めるだけのものだった。
「で、『名前を盗む狐』さんよ。全部話してくれるよな?」
女の言葉に、狐は動くこともできない。
しかしその目に、既に敵意はなかった。
「つまり、お前は名前を持たずに生まれた怪異ってことか」
女の言葉に、狐は頷いた。
曰く、目が覚めたらこの街の裏道にいたと。
けれど己には『名』がなかった。
『名』がないと存在が証明できない。
だから、ほかの名前のある存在から『名』を奪って己の物にしようとしたのだと。
しかし名を集めるにつれて、欲が出た。
せっかく『名』が無い状態で生まれたのだ。なら、自分に最も合った名前を付けたい。
その思考は奇しくも、人間と同じものだった。
欲しいものが手に入れば、その次が欲しくなる。そして更にその次も、と。人間の欲求は留まることを知らない。
「つーかさ、お前の存在って、もう確立してんじゃねぇの?」
それは女の言葉だった。
女は煙草を咥えながら言う。
『名』を持たずして生まれたなら、それが既に完成形であると。そうでないのなら、この数週間もの間、存在していられるはずがないと。
それは女の、長年の“祓い屋”としての経験上の判断だった。
「怪異っつーのは、生まれた瞬間から在り方が決まってるモンなんだよ。例えばほら、有名な都市伝説とかあるだろ。名前を求めて彷徨う……みたいな。それはもう【そういうもの】として成り立ってんだ。お前もソレだと思うぞ」
女は吸殻を靴の裏ですり潰しながら言った。
狐は目を見開く。
つまり、自分がしてきたことは全て無駄だったのだ。
それを理解した途端、ぼろり、と水の塊が眼から落ちた。
しかし女もチビも、それを掬おうとはしない。
「なら私は、私は……間違えて、いたのか……全て、気の所為だったのか……?」
「それは違うんじゃないかな」
今度はチビが言った。
「社長が例に挙げた都市伝説みたいに、きみは『名前を求めて彷徨う怪異』だっただけだよ。だから、間違った生き方はしてこなかった」
僕はそう思うなぁ。
先程までの威圧感は消滅し、チビは朗らかに笑った。
「きみも名前を元にした怪異ならわかると思うけど、生き物が存在するのに『名前』ってすごく大切なんだ。それを本能的に求めていたきみは、きっとそういう怪異なんだよ」
「……名前を求める怪異……それが、『私』だった……」
「アタシもそう思うね。で、だ。『名前を盗む狐』さんよ」
女の声がワントーン下がった。
「アンタがアタシの存在を曖昧にしてくれたおかげで、チビが元の姿を取り戻し始めちまった。責任、取れるよな」
言葉の最後に疑問符なんて可愛いものはなかった。
事務所に連れて来られた狐は、誠心誠意、今まで名前を盗んできた人々に名を返していった。
それは当然、女――橋渡黎子にも適用される。
途端、黎子は今まで吸い足りなかった煙草を吸うように灰皿の前から動かなくなった。
それを呆れたように見るチビが、狐に声をかける。
「災難だったね……自分の存在意義を奪われるだけじゃなくて、うちの新しい従業員にまでされちゃうなんて」
「……うむ……貴様とあの女……社長には、頭が上がらぬ……」
「僕のことは気にしないでよ。レイコが帰ってきたなら、僕のあの力はもう封じられるからさ」
「…………チビ殿、貴様は一体――」
「チビィ! テメェ、この電気代どーなってやがんだゴラァ!」
「ヒィッ! ご、ごめんよレイコ! 毎日夜遅くまで調べ物してたから……」
「夜遅くまでだぁ? 嘘つけテメェ寝てねぇだろ。おいコン、ソイツ寝かせて来い」
「……コン? 私の名か?」
「あ? ほかに誰がいんだよ。テメェも口答えするってんなら一緒に気絶させてやってもいいんだぞこっちは」
「こ、コン、行こう! 僕たちの寝室はこっちだよ」
「あ、あぁ……」
寝室に移り、敷きっぱなしの布団に横たわるチビと『名前を盗む狐』……もとい、コン。
初めて味わう布団の柔らかさに驚いているコンを前に、チビはくすりと笑った。
「レイコのネーミングセンス、最悪でしょ」
「……あぁ。まさか、狐の鳴き声を名前にされるとは」
「でも悪い気分じゃないよね。名前をくれるって」
「ああ。……とても、いい気分だ」
そう言って、コンは幸せそうに目を閉じた。
翌日、例の依頼書の差出人がコンだと知った黎子に散々絞られることになるのは、明日のコンしか知らない。
『祓い屋レイコ』の看板は、今日も事務所の入り口に飾られている。
コンコンコン。
ノックをしてやってきた青年。
彼を事務所に上げ、茶を入れる。
彼は語った。
「恋人がおかしくなった」と。




