異世界転生したら、前世で交わした石橋の約束が神託になっていた件
冷たい。
最初に感じたのは、背中を這い上がる石の冷気だった。
目を開ける。満天の星空。知らない星座。月が——二つある。
「……は?」
橋本遼、22歳。3分前の記憶は、横断歩道を渡ろうとしたトラックのヘッドライト。それだけだ。
身体を起こす。見渡す限りの草原。そして俺が横たわっていたのは、古びた石造りの橋の真ん中だった。欄干には苔が生え、所々が欠けている。川は枯れているのか、橋の下には白い小石が月光を反射するばかり。
築何年だこれ。百年? 二百年?
右手首がじくりと熱い。見れば、橋の意匠のような紋様が青白く浮かび上がっていた。
「いや待て待て待て」
声が出る。自分の声だ。でも髪を触ると——銀灰色の短髪。俺、黒髪だったよな?
パニックを押し殺す。状況整理。トラックに轢かれた。気づいたら異世界っぽい場所。謎の紋様。髪色変化。
「……異世界転生、ってやつか」
ラノベじゃあるまいし。いや、ラノベだとしたら俺にはチート能力があるはずで——
『橋守様ァァァァァ!!』
絶叫。
振り返る間もなく、松明の明かりが草原を駆け上がってくる。十人、二十人。村人らしき集団が、涙と鼻水を垂れ流しながら橋に向かって突進してきた。
先頭の老人が杖を放り投げ、両手を天に掲げる。
「おおおおお神託は真実であったァ! 橋守様が! 橋守様がお戻りになられたァァァ!」
全員が跪く。土下座。いや、五体投地?
「お、おい、ちょっと——」
「二百年! 二百年お待ちしておりました!」
樽のような体格の老人——禿頭に見事な白髭——が泣きながら俺の足元に額を擦り付ける。銀の懐中時計がカチカチと揺れていた。
「神託の通りでございます! 『銀の髪、橋の証を持つ者、星が二つ重なる夜に帰還する』——まさに今宵!」
俺は呆然と立ち尽くすしかなかった。
状況整理、再び。異世界転生。謎の橋の上。二百年待たれていた。神託? 橋守?
「あの、俺、ただの大学生なんですけど」
『『『ダイガクセイ……?』』』
村人たちがざわめく。蜂蜜色の三つ編みの少女が、翡翠の瞳をきらきらさせながら前に出た。頬にはそばかす。泥のついたエプロン。腰には古い革袋。
「ダイガクセイいうんは、天上の学び舎のことやな? ほら村長、橋守様は神の国で修行されとったんや」
「おお! なるほど!」
違う。全然違う。でも訂正する間もなく、俺は村人たちに囲まれ、橋を背に祭り上げられていく。
月が二つ。星が流れる。そして俺の右手首の紋様だけが、まるで心臓のように脈打っていた。
——咲良。
不意に、幼馴染の名前が脳裏をよぎる。
『必ず、この橋で待ってるから』
俺が最後に彼女に言った言葉。桜並木の下、古い石橋の上で。
振り返る。苔むした欄干。その表面に、かすかに文字が刻まれているのが見えた。
『咲良』
——俺は、その場に膝から崩れ落ちた。
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村長の家は、石造りの質素な建物だった。
暖炉の火がぱちぱちと爆ぜる。俺は木製の椅子に座らされ、温かいスープを手渡された。野菜と何かの肉。ファンタジー世界の味は、意外と普通だった。
「改めて名乗らせていただく。ゴルド・バルディン、この辺境の村の長を務めておる」
白髭の老人が、居住まいを正して頭を下げる。左足を庇う仕草。古傷だろうか。
「橋守様におかれましては——」
「遼」
「は?」
「橋本遼。それが俺の名前です」
沈黙。村長の隣で、あの三つ編みの少女——リーナと名乗った——が目を丸くしている。
「ハシモト……リョウ……」
「変な名前やな」
「おい、リーナ! 神官様に失礼であろう!」
「せやかて村長、ハシモトて。橋の元? 出来すぎやろ」
俺は苦笑した。確かに。橋守で橋本。出来すぎている。
「神託について、詳しく聞かせてもらえますか」
村長が表情を引き締める。懐中時計をぎゅっと握りしめた。
「二百年前、女神サクラリア様がこの地に降臨された。瀕死の御姿で、たった一つの神託を残された」
『橋守様がお戻りになる時、この世界は滅びの淵に立つ。されど約束を守る者は、約束に守られる。石橋を信じよ、さすれば道は開かれん』
背筋が凍る。
サクラリア。咲良。
偶然か? いや、あの橋に刻まれた名前。偶然で片付けられるわけがない。
「滅びの淵、とは」
「魔王の復活でございます」
村長の声が震える。
「二百年前、女神様は己の御力の大半を使い、魔王軍を封印された。しかしその封印は永遠ではない。魔王軍の先遣隊が動き出したという噂が、王都から届いております」
「先遣隊……」
「『橋壊し』と呼ばれる魔将がおる。聖なる橋を破壊し、女神様の結界を解いて回っているとか。すでに四十七の聖橋が砕かれたと」
四十七。あの橋が四十八番目ということか。
俺は右手首を見た。紋様が静かに光っている。
「俺に、何ができるんですか」
正直な疑問だった。ついさっきまでただの大学生だった男に、世界の命運を背負えと?
村長が、ふっと笑った。初めて見せる、柔らかい表情。
「わからん」
「え?」
「正直に申せば、何もわからん。わしは神託など半分は迷信だと思っておった。四十年前、この村に流れ着いてから今日まで、石橋のことは村おこしの観光資源くらいにしか——」
「村長ッ!」
「事実だろうがリーナ!」
村長は膝を叩いて笑う。
「だがな、橋本遼とやら。お前さんの目を見てわかったことが一つある」
「……なんですか」
「お前さんは、誠実な男だ。誰かを待っている目をしておる。誰かとの約束を、守ろうとしている目だ」
——心臓を、撃ち抜かれたような気がした。
咲良。
病弱だった幼馴染。いつも窓の外を見ていた彼女。卒業式の日、やっと外出許可が出て、俺たちは近所の石橋で待ち合わせることになった。
『必ず、この橋で待ってるから』
俺はそう言って、駆け出した。横断歩道。ヘッドライト。
——そして俺は、約束を守れなかった。
「リョウはん」
リーナが、そっと俺の手に触れた。温かい。
「うちは信じとるよ。二百年、ずっと待っとったんや。ここにおる橋守様を」
その翡翠の瞳に、嘘はなかった。
俺は——拳を握りしめた。
「わかりました。俺に何ができるかはわからない。でも」
立ち上がる。窓の外、月明かりに照らされた石橋が見える。
「あの橋は、守ります。誰が来ようと——絶対に」
それが、俺にできる唯一のことだから。
咲良。お前がこの世界に何かを残したなら。
俺は、それを守り抜く。
---
村での生活は、意外と穏やかだった。
「リョウはん、今日の薬草採り、手伝ってくれへん?」
「ああ、いいよ」
「よっしゃ! ほな早よ行こ!」
リーナに引っ張られるまま、俺は森に向かう。朝露が光る草原。見たことのない鳥のさえずり。空はどこまでも青く、月が二つ——昼間でもうっすらと見える——浮かんでいる。
「この花、見たことある?」
白い花弁に、淡い桜色の斑点。どこか咲良を思い出させた。
「月下咲草や。夜になると光るんよ。傷薬の材料になるんやけど、最近は数が減ってもうて」
「へえ」
俺はその花を、そっとスケッチする。前世の癖で、常にポケットにメモ帳を入れていた。異世界に来ても、その習慣は消えなかった。
「なあリーナ」
「ん?」
「お前、なんで俺をそんなに信じてるんだ?」
薬草を摘む手が止まる。リーナは少し困ったように笑った。
「うちな、両親を五年前の魔獣襲来で亡くしてん」
「……すまない」
「ええねん。でもな、その時思ったんや。神託って、ほんまにあるんかなって。橋守様って、ほんまに来てくれるんかなって」
翡翠の瞳が、真っ直ぐに俺を見つめる。
「毎日、橋に行って祈ったんよ。お父ちゃんとお母ちゃんの代わりに、村を守ってくれる人が来ますようにって。ほんで——来たやん」
「……俺は、そんな大層なもんじゃない」
「知ってる」
リーナがにっと笑う。
「リョウはん、ダイガクセイやもんな。天上の学び舎の」
「だからそれ違——」
「でもええねん。うちは、リョウはんがリョウはんやから信じてるんやから」
——この子は、強い。
両親を失って、それでも笑える。誰かを信じられる。俺よりよほど、強い人間だ。
昼食は、村の広場で取ることになった。
石造りのテーブルに、パンとチーズと干し肉。村人たちが次々と挨拶に来る。最初は畏れ多そうにしていた彼らも、三日も経てば慣れたもので。
「橋守様、この芋どうぞ!」
「あ、ありがとう」
「橋守様、うちの娘が年頃でして——」
「いや待ってそういうのは」
「橋守様ァ!」
神様扱いと、近所のお兄さん扱いが、混在している。カオスだ。
「おい若造」
村長が、どっかりと隣に座った。手には酒瓶。
「飲むか」
「……いただきます」
注がれた液体は、蜂蜜酒のような甘い香り。一口含むと、喉を温かさが滑り落ちていく。
「慣れたか」
「まあ、なんとか」
「そうか」
村長は、遠い目をして空を見上げた。
「わしはな、若い頃は王国騎士団におった。中隊長まで上り詰めた」
「……聞きました」
「四十年前、左足をやられてな。引退した。行く当てもなく彷徨って、この村に辿り着いた」
懐中時計を、そっと撫でる。
「女房と出会ったのも、この村だ。石橋の上でな。あいつ、橋の伝説が大好きで。いつか橋守様が来たら、一緒にお茶を飲むんだって——馬鹿なことを言っておった」
「……亡くなられたんですか」
「十年前にな」
沈黙。
村長が、俺の肩をバンと叩いた。
「だから若造、あまり気負うな。お前さんは神様じゃない。ただの——何だっけ、ダイガクセイとやらだろう」
「……はい」
「神託も使命も知らん。だが、お前さんが誠実な男だということは知っている。それで十分だ」
俺は、黙って酒を飲み干した。
夜。
俺は一人、石橋を訪れていた。
月明かりが橋を照らす。二つの月。片方は青白く、片方はほんのり赤い。
欄干に刻まれた『咲良』の文字。
俺は、そっとその文字を指でなぞった。
「……咲良」
声が震える。
「お前、ここにいたのか。二百年も、ずっと」
返事はない。当然だ。
でも、紋様が温かかった。右手首の橋の意匠が、まるで誰かに触れられているかのように。
「俺、待てなかった。約束、守れなかった」
涙が溢れる。止まらない。
「ごめん。ごめんな、咲良。俺が——俺がもっと早く走ってれば」
風が吹いた。桜の香り。この世界に、桜なんてないはずなのに。
その時、声が聞こえた。
——りょうくん。
幻聴だ。きっと。
でも、確かに聞こえた。あの儚げで、でも芯の強い声が。
——まってる。
俺は、崩れ落ちそうになる膝を必死に支えた。
「……俺も、待つよ」
石橋を見上げる。二百年の風雨に耐えた、古びた橋を。
「この橋で、お前を待つ。だから——」
月が二つ、静かに輝いていた。
「——今度こそ、約束を守るから」
---
その日は、朝から空気が違った。
「リョウはん、なんか変やない?」
リーナが、不安そうに空を見上げる。雲が黒い。嫌な風が吹いている。
俺の右手首が、断続的に熱を発していた。警告だ。何かが、来る。
「村長!」
「わかっておる!」
ゴルドが、杖をつきながら走ってきた。息が荒い。
「斥候が報告してきた。魔獣の群れが——数は三百以上。こちらに向かっている」
三百。
村人は、せいぜい五十人。戦える者は、その半分もいない。
「避難は」
「間に合わん。速すぎる」
村長の顔が、蒼白になっていた。元騎士の彼でさえ、絶望している。
「リーナ、村人を石橋の向こうへ」
「え、でも——」
「頼む」
俺は、リーナの肩を掴んだ。真っ直ぐに目を見る。
「お前は、村人を守れ。俺は——」
「あかん! リョウはんも一緒に——」
「俺には、やることがある」
石橋。あの橋を、渡させるわけにはいかない。
俺は走り出した。
石橋の手前で、俺は立ち止まった。
地鳴りが聞こえる。木々がなぎ倒される音。そして——咆哮。
森の奥から、黒い波が押し寄せてくる。魔獣の群れ。牙と爪と殺意の塊が、一直線にこちらへ。
そして、その先頭に——ソレがいた。
身長二メートル四十センチ。灰色の罅割れた肌。四本の腕。頭部には砕けた石の冠。
「見ィ〜つけたァ」
低い声が、夜空に響く。
「四十八番目ェ、聖なる橋ィ。そしてェ——橋守様ァ?」
ヴァルゴ・ザ・ブリッジブレイカー。橋壊し。
俺の全身が、恐怖で震えた。こんなものと、どう戦えというんだ。
「二百年待ったのかァ? 可哀想にィ。お前の女神はもう死んでいるゥ」
「——黙れ」
声が出た。自分でも驚くほど、冷静な声が。
「咲良は、死んでない。ここにいる」
右手首の紋様が、激しく明滅する。
「ほォう?」
ヴァルゴの四つの目が、愉悦に歪む。
「面白いィ。ならばァ、お前を殺してから橋を壊すとしようゥ」
四本の腕が、振り上げられた。
「——こいよ」
俺は、石橋の上に立った。
「この橋は、渡させない」
---
ズドォォォン!!
四本の腕が、同時に振り下ろされた。
衝撃。轟音。土煙が舞い上がる。
「——ッ!」
俺は吹き飛ばされ、石橋の欄干に叩きつけられた。背中に激痛。骨が軋む音。
「弱いィ、弱すぎるゥ」
ヴァルゴが嗤う。
「これが橋守ィ? 笑わせるゥ」
立ち上がる。膝が震える。口の中に血の味。
「まだ、だ」
「往生際が悪いィ」
再び、四本の腕。
俺は——避けられなかった。
バキィッ!
肋骨が折れる感触。身体が宙を舞う。石橋の中央に、仰向けに倒れ込む。
視界が霞む。星が見える。月が二つ。
「リョウはん!!」
遠くで、リーナの悲鳴が聞こえた。
「りょう、くん」
——違う。
今のは、リーナじゃない。
「りょうくん、立って」
あの声だ。あの、儚げで、でも芯の強い声。
「約束、したでしょう?」
——咲良。
俺の中で、何かが弾けた。
右手首の紋様が、爆発するように光を放つ。石橋全体が、白い光に包まれていく。
「なァッ!?」
ヴァルゴが、初めて動揺の声を上げた。
俺は立ち上がった。痛みが消えている。身体が軽い。
そして、理解した。
この力の正体を。
「——約束を守る者は、約束に守られる」
神託の言葉が、俺の口から零れ落ちる。
石橋が震える。光が収束していく。俺の周囲に、半透明の結界が展開された。
不可侵の結界。
約束を守り続ける限り、決して破られない盾。
「これが……俺の力か」
「馬鹿なァッ! 神聖魔法だとォ!?」
ヴァルゴが、四本の腕を振りかぶる。瘴気が渦巻く。結界を腐食させる力。
「消えろォ、橋守ィ!!」
——6.8トンの衝撃。
結界に、ヒビが入る。
ギリギリギリ……ッ!
押される。膝が沈む。でも——
「俺は」
折れない。
「待つって」
砕けない。
「言ったんだ!!」
結界が、逆に膨張した。白い光がヴァルゴを呑み込んでいく。
「ガァァァァッ!!」
絶叫。四本の腕が、次々と砕けていく。灰色の肌に、亀裂が走る。
「こんな、ことがァ——!」
「この橋は」
俺は、一歩踏み出した。
「絶対に」
もう一歩。
「渡させない!!」
最後の一撃。
結界が、槍の形に収束する。ヴァルゴの胸を、貫いた。
「——魔王様ァ」
断末魔。そして、崩壊。
灰色の巨体が、光の粒子となって消えていく。四十七の聖橋で作られた冠だけが、カランと地面に転がった。
静寂。
魔獣の群れが、主を失って散り散りに逃げていく。
俺は、その場に膝をついた。
「……勝った、のか」
空が、白み始めていた。夜明けだ。
「リョウはん!!」
リーナが駆け寄ってくる。村人たちが歓声を上げる。
「リョウはん、リョウはん! 生きてる!? 怪我は!?」
「大丈夫、だと思う……」
本当に大丈夫かはわからない。でも、心は晴れていた。
石橋を振り返る。古びた欄干。刻まれた『咲良』の文字。
そして——
「え」
文字の隣に、新しい文字が刻まれていた。
『ありがとう』
俺は、笑った。
涙が止まらなかった。でも、笑っていた。
「……どういたしまして、咲良」
---
戦いから三日。
村は、復興の真っ只中だった。
壊れた家屋の修復。怪我人の手当て。そして——死者の弔い。
犠牲はゼロではなかった。逃げ遅れた老人が一人、魔獣に襲われて亡くなった。俺が間に合わなかった。
「気に病むな、若造」
村長が、俺の隣に立った。
「お前さんがいなければ、村は全滅しておった。一人の犠牲で済んだのは、奇跡だ」
「……でも」
「でも、じゃない」
ゴルドが、俺の頭をバシンと叩いた。
「わしは元騎士だ。戦場では、こんなことは日常茶飯事だった。全員を救うことはできん。だが——」
銀の懐中時計を、ぎゅっと握りしめる。
「救えた者のために、前を向くことはできる」
俺は、黙って頷いた。
夕暮れ。
俺は石橋の上に立っていた。
夕日が、二つの月と重なっていく。空が茜色に染まる。
「リョウはん」
リーナが、隣に立った。
「これから、どうするん?」
「……わからない」
正直な答えだった。
世界の危機は、まだ終わっていない。ヴァルゴは倒したが、魔王本体は封印されたまま。いつ復活するかもわからない。
「でも」
俺は、遠くの山脈を見つめた。
「一つだけ、やることがある」
「やること?」
「咲良を、探す」
石橋に刻まれた『ありがとう』の文字。あれは間違いなく、咲良からのメッセージだ。
彼女は、どこかにいる。女神として、この世界のどこかで眠っている。
「二百年、俺を待っていてくれた」
右手首の紋様を見る。穏やかに光っている。
「だから今度は、俺から会いに行く」
リーナが、ふわりと笑った。
「ええやん、それ」
「うちも付いていくで」
「は?」
「あかん?」
「いや、危険だぞ」
「知っとるわ。でもな」
リーナの翡翠の瞳が、真っ直ぐに俺を見つめる。
「うちも、約束したんや。橋守様についていくって。村の皆に」
「……それ、いつの間に」
「さっき」
「さっき!?」
「せやから、リョウはんは責任持ってうちを連れてかなあかんのや」
無茶苦茶だ。でも——
「……村長は」
「喜んで送り出すわい!」
遠くで、ゴルドの声が響いた。
「若い者は旅に出るもんだ! わしが若ければ同行したいところだがな!」
俺は、深く息を吐いた。
「……わかった。付いてきていい。でも、無茶はするな」
「それはお互い様やな」
リーナが、にっと笑う。
夜。
俺は石橋の欄干に腰掛け、星空を見上げていた。
二つの月。無数の星。見知らぬ星座。
「咲良」
静かに、名前を呼ぶ。
「俺、行くよ」
風が吹いた。桜の香り。
「どこにいるかわからない。どれだけ時間がかかるかもわからない。でも——」
右手首の紋様に、口づける。
「必ず、見つける」
月が、優しく輝いた。
まるで、誰かが微笑んでいるかのように。
翌朝。
石橋の前に、村人たちが集まっていた。
「橋守様、お気をつけて!」
「必ずお戻りくださいね!」
「リーナ、無茶するんじゃないよ!」
俺は、村人たちに深く頭を下げた。
「皆さん、世話になりました」
「何を言うとる、わしらの方が世話になったわい」
村長が、俺の手を強く握った。
「行ってこい、若造。そしていつか——あの女神様を、連れて戻ってこい」
「……はい」
俺は、振り返った。
石橋。古びた欄干。刻まれた二つの名前。
『咲良』
『ありがとう』
俺は、誓った。
「必ず、戻る」
二人の旅が、始まった。
辺境の村を出て、王都へ向かう街道を歩く。
空は青く、風は穏やかで、世界の終わりなど想像もできないほど平和に見えた。
でも俺は知っている。
この世界のどこかで、魔王が眠りから覚めようとしていることを。
四十七の聖橋が、すでに砕かれていることを。
そして——
俺を待っている女神が、どこかで目覚めを待っていることを。
「リョウはん、早よ行こ!」
「ああ、今行く」
俺は、前を向いた。
——今度こそ、俺から会いに行く。
その誓いを胸に、橋守の旅は続いていく。
——第一章『石橋の約束』完——




