植物魔法使いの嫁き遅れ令嬢の私が婚約破棄されたら、幼馴染が陛下となって迎えに来てくれました~会えなかった時間の分、陛下の溺愛が止まりません!~
異世界恋愛ジャンルの短編は初挑戦になります!
温かい目で楽しんでいただけたら嬉しいです。
私、マルメゾン公爵令嬢は二十二歳にして、結婚する。
貴族の令嬢は、十六から十八で結婚することが多い中、だいぶ遅れての婚約となってしまった。
それもこれも、幼い頃に交わした彼との約束を、ひたすら信じて待ち続けていたせいで……。
けれど――これでようやく、女としての幸せを。
そして何より、貴族の令嬢として社交界に出ても恥じない立場を得られるはずだった。
――はずだったのに。
「……えっ?」
耳を疑う言葉に、思わず声が漏れる。
「もう一度言おう……ローズ・ド・マルメゾン! 僕は君との婚約を破棄する!」
高らかに宣言したのは、赤い髪をオールバック気味に整えたショートヘアにオレンジの瞳を宿した男。
私の婚約者である王太子――ガリア・ド・ソオル様だった。
その隣には、妖しく艶めく紫のロングヘアと瞳を持つ女性。
本来ならば私が立つべき場所に――男爵令嬢リラ・ルイーズがいる。
彼女はガリア様の腕の中に収まり、まるで見せつけるようにほくそ笑んでいた。
そして今、貴族たちが集う舞踏会の中心で指を突きつけられているのは――
柔らかく揺れる桃色のロングヘアと、ヘーゼルの瞳を持つ私――ローズ・ド・マルメゾン、その人だった。
離れた場所に立たされ、まるで罪人のように晒されているのは――他でもない、この私。
「……お待ちください、ガリア様! な、なぜ私との婚約を破棄なされるのですか!?」
「簡単なことだ――僕は、このリラ・ルイーズと結婚するからだ」
そう言いながら、ガリア様はリラの顎に指をかけ、ぷっくりとした唇をなぞるように触れる。
リラはうっとりと目を細め、その仕草を当然のように受け入れていた。
――二人の関係が、ただならぬものであることは一目でわからされた。
「ローズ、君もご存知の通り……我がテイル王国は、長き戦争の影響で、環境へのダメージが大きい。とりわけ森林は著しく減少している」
「そのため、植物の保全、枯れた大地にも作物を育てる“植物魔法”を扱える術者は一人でも多く必要なのだ」
「その点、リラは優秀だ。あの名門、王立テイルリー庭園学園を卒業した実績を持つ才色兼備の令嬢。まさにこれからの我が国に――そして何より、僕の妃に相応しい」
ガリア様はそう言い、リラの肩に手を置いてドヤ顔で宣言した。
正直、頭は真っ白だ。
それでも――何か言わなければならない。
このままでは、本当にすべてを失ってしまう。
(それなら私も――)
「ガリア様、それでしたら……私も植物学に関しては首席で――」
「ああ、君の故郷にあるジャルダン地方の学園だったか」
ガリア様は鼻で笑った。
「田舎の三流学園で首席卒業とはな。まるで大人が幼子が受ける試験で満点を取って誇っているようなものだ。――自慢にもならないようなことを、いや、むしろ自慢する方が恥ずかしいと思わないかね、ローズ?」
「三流……学園……?」
言葉が、出なかった。
確かにジャルダン学園は、中央のテイルリー庭園学園と比べれば規模は小さい。ジャルダン地方が田舎であることも否定できない。
それでも――
ジャルダン学園の植物学は、豊かな自然環境を活かした実地研究において、国内でも高く評価されている。
それこそ、王立テイルリー庭園学園をも凌ぐとさえ言われるほどに。
それを――ただ一言、「三流」と切り捨てるなんて。
(……だめ。ここで感情的になっては、すべてが終わってしまう)
湧き上がる感情に蓋をし、必死に思考を巡らせる。
(どうすれば……ガリア様は私と結婚する価値を理解してもらえるのでしょうか……)
正直に言えば、ガリア様に強い魅力を感じているわけではない。
それでも――今の私と結婚してくれる相手が、他にいるとは思えなかった。
本当に結婚したかった彼は――今、生きているのかすらわからない。
年齢的にもこれが最後の結婚チャンスだと思うと、どうしても捨てきれない。
(今まで、私の勝手な理由で縁談を断ってきた……お父様、お母様、お兄様、執事、侍女……みんなに、これ以上迷惑をかけないためにも)
「ガリア様、わたくしは――」
「はぁ……ローズ、そもそもだが……」
ため息混じりに、彼は言った。
「そもそもだ。お前のような二十二の年増女と十八の若いリラなら……誰だって、リラを選ぶだろう?」
その言葉はぐさりと私の胸を突き刺した。
「リラは美しく、優秀だ。それに、子を成すことだって……君よりも、リラの方が望めるだろう?」
カッと、顔が赤くなる
「ふふっ、ガリア様ったら。あまり正直におっしゃると、ローズ様がかわいそうですわ。ローズ様だって、子を産む年齢のことも考えて、結婚に必死でいらっしゃるのですから」
「ははっ、そうだな。リラは優しいな!」
楽しげに笑い合う二人。
周囲の貴族たちもまた、誰一人として彼らを咎めることなく、くすくすと笑い声を漏らしていた。
こんなの一方的だ。
どう見ても、ガリア様の言い分は理不尽で、私はただ侮辱され、婚約を破棄されているだけなのに。
それどころか、同調し、私を嘲笑っている。
公爵家の娘とはいえ、所詮は田舎者。彼らにとっては、私はその程度の存在なのだろう。
私は黙って踵を返した。
(これ以上、何を言っても無駄……もう、恥をかきたくない)
そのまま舞踏会を後にする。
扉を抜けた瞬間、背後から笑い声が追いかけてきた。
「見た? あの顔! 相当必死だったわね」
「まったく、あのような熟女は、六十を超えた老貴族と結婚するのが相応というものですな!」
「左様ですわ! 若い男の貴族と結婚なんて……夢を見るべきではありませんわ!」
ゲラゲラと嘲笑が響く。
何も言い返せなかった。
私はただ、その場から逃げることしかできなかった。
今にも溢れそうになる涙を、必死にこらえながら。
*
気がつけば、私は故郷である辺境の地――ジャルダンへと戻っていた。
けれど実家へ帰る気にはなれず、私は彼との思い出が残る「約束の森」へと足を向けていた。
森の奥には、四季折々の花々が咲き乱れる花園がある。
本来であれば、この時期に同時に咲くはずのない花々も、私の植物魔法によって、それぞれの環境を再現し、共に咲かせている。
そこは、かつて草木が枯れ果てていた場所だった。
幼い私は、その光景があまりにも哀しくて助けたいと願い――独学で植物魔法を学び、少しずつ再生させていった。
今では、草木も花も、誇らしげに咲き誇っている。
その中で私は木に寄りかかり、膝を抱えて座り込んだ。
ここにいると、彼のことを思い出す。
――いいえ、忘れたことなど一度もない。
結婚のために、ようやく忘れようとした……それだけだ。
(……フォコン、あなたは今、どこにいるの……?)
あれは、私がもうすぐ十歳になる頃に出会った人。
私にとって初恋の相手であり、最初にプロポーズしてくれた人でもあり、そして――私だけの騎士様。
*
「おれの名は、フォコン・ルシエル。ちび、おまえの名は?」
夜空を思わせる黒と青が混ざり合った、ラフに跳ねたショートヘアに、鷹のように鋭い金色の瞳をした少年は、ぶっきらぼうにそう尋ねた。
「ちびじゃないもん! わたしの名は、ローズ・ド・マルメゾン!」
「マルメゾン……公爵家ってやつか……? まいったなこりゃ」
少年は頭をがしがしとかきながら、どこか困ったように笑った。
ここは、礼儀に厳しいお兄様や家庭教師の勉強漬けに耐えきれなくなったとき、こっそり抜け出しては一人で過ごしていた、私だけの秘密の場所だ。
その隠れ場所に、フォコンと名乗る少年が迷い込んできたのだった。
彼は近くの騎士団の修練場で訓練を受ける騎士見習いで、厳しい鍛錬から抜け出した末にここへ辿り着いたらしい。
日常の中で、逃げ場が必要だったのは――私も、彼も同じだった。
だからだろうか。
初めて会ったはずなのに、不思議と警戒する気にはなれなかった。
それどころか、私たちはすぐに打ち解けていった。
フォコンは十三歳。私はもうすぐ十歳になる頃だった。
田舎の公爵家といえど、厳しく育てられてきた。
同じ年頃の子よりは多少なりとも知識はあるつもりだったけれど――それでも、フォコンは私よりずっと物知りだった。
「このカレンデュラって薬草な、すり潰して傷口に塗ればすぐに治るらしい。おれはまだ試したことはないけど……お茶にすると、美味いって聞いたぞ」
そう言って語る横顔は、どこか誇らしげで、少し大人びて見えた。
「ちょっと待ってろ……こうやって、こうして……できた! 花飾りだ!」
器用に花を編み上げると、フォコンはそれを私の頭にそっと乗せてくれた。
「わぁ……きれい……」
花の美しさもさることながら――私のために編んでくれた、その気持ちが何より嬉しかった。
そしてフォコンは――お兄様や家庭教師ですら気づかなかった、私の“好き”に気づいてくれた。
「すごいな! ローズ、いろんな花を咲かせる魔法が使えるんだな」
「うん! お花が好きで……本で読んだ植物魔法を試してみたの!」
「へぇ……そうだな。ローズなら、世界中のお花と“友達”になれるかもな……!」
「……世界中のお花さんとお友達に……!」
その言葉は、私の胸の奥にやさしく、けれどたしかに根を張った。
そして同時に、フォコンは、お兄様や家庭教師すら知らなかった私の才能に、初めて気づかせてくれた人でもあった。
時には、フォコンと夢を語り合った。
「わたしはね……植物魔法で、世界中にいっぱいいっぱいきれいな花を咲かせたいの。そして――お花さんとお友達になる!」
かつてフォコンがくれた言葉を、今度は自分の夢として口にする。
「そうか……なら、おれは――将来、ぜったい最強の騎士になる。そして――」
一拍置いて、彼は言った。
「必ず騎士爵となって……おまえと結婚する」
そのプロポーズは、あまりにもまっすぐで、あまりにも迷いがなかった。
フォコンの話によれば、この帝国――レゼールでは、フォコンのような平民出身でも実力があれば、騎士爵を与えられ、貴族として認められるのだという。
もっとも、騎士爵は貴族の中でも最下層に位置する。
一方で私は、田舎とはいえ公爵家の娘。
本来ならば、その間には越えがたい身分の隔たりがあった。
――けれど、このときの私たちは、そんなことを知る由もなかった。
ただ、彼の夢を聞けたことが嬉しくて。
その未来の中に、自分がいると言ってくれたことが、何より愛おしかった。
けれど――そんな花の蜜のような甘い時間は、長くは続かなかった。
あれは、私が十歳の誕生日を迎えた日のことだった。
その日も私は、家庭教師の勉強を抜け出して、フォコンに会うため森へと向かった。
誕生日を、誰よりも先に彼に祝ってほしくて――そんな想いを胸に。
けれど、森で待っていたフォコンは、いつもと違っていた。
いつもの活発な面影は影を潜め、どこか張り詰めた表情をしていたのだ。
「……ローズ、君の誕生日にすまない。おれはここを去らないといけなくなった」
「……え、どういうこと……?」
「……戦争が起きるんだ。なんでも、同盟国だったはずのテイル王国が、一方的に侵攻してきたらしい。レゼールは、それに対抗するため、各地の騎士団を招集している」
「ここの騎士団も呼ばれた……だから、しばらくの間、おれは――」
「……そんな……」
言葉が、続かなかった。
フォコンと別れになる。その事実が胸の奥を、ぎゅっと締めつけた。
それでも、フォコンはまっすぐに私を見つめた。
「でも、“約束する”。すべてが終わったら、必ずここに戻ってくる。そして――君を、我が姫君として迎えに来ると」
「……フォコン……」
「十歳の誕生日おめでとう! これは僕からのプレゼントだ」
そう言って差し出されたのは、淡い桃色の宝石がはめ込まれた指輪だった。
「君の髪色に似ているだろう? サクラマグマの鉱石から作られた指輪なんだ。君に、持っていてほしい」
――それが、私たちの別れの日となった。
それからしばらくの間、私たちは手紙をやり取りしていた。
彼はまだ騎士見習いだったから、すぐに戦場に出ることはないと聞いていたけれど――それでも、手紙が届くたびに、彼が無事でいることを知り、胸を撫で下ろしていた。
けれど戦争は次第に激化し――やがて、このジャルダンはテイル王国の領土となった。
それに伴い、フォコンとの手紙は敵国レゼールとのやり取りにあたるとして、完全に断たれた。
いくら手紙を送っても、もう彼に届くことはなかった。
それでも――
私は、あの約束を信じて待ち続けていた。
――十年以上の時が経っていてもなお。
*
約束の森へと戻ってきてから、いつの間にか辺りはすっかり夜になっていた。
辛くなったとき、私はいつもここに来ていた。彼との思い出に浸ることで、気持ちをなんとか立て直してきたのだった。
再会できるその日を信じて、待ち続けるために。
けれど――今は違う。
ここにいても、何一つ癒されない。
むしろ、胸の奥から惨めさがじわじわと溢れてくるばかりだった。
理由は言うまでもなく、昨日の婚約破棄の出来事であった。
(……ごめんなさい、お父様、お母様、お兄様、先生、執事、侍女……みんな……)
(帰ったら、きっと……がっかりされるんだろうな……)
そう思うと、ますます、実家に帰りたくなくなってきた。
レゼールとテイルをはじめ、世界中を巻き込んだ長き大戦はようやく終わった。
それなのに――フォコンは、迎えに来なかった。
家族や執事、侍女に心配をかけながらも、私は「いつか迎えに来てくれる」と信じて、縁談を断り続けてきた。
けれど――さすがに、もう待てなくなった。
フォコンが幼い頃の約束を忘れてしまったのか、それとも、戦争で命を落としてしまったのか。
そのどちらかだと思うようにして、私も約束に縛られず、新しい人生を歩もうとした。
――その結果が、あの屈辱だった。
私は、かつて彼がくれた指輪を取り出し、じっと見つめる。
もうサイズは合わず、指にはめることもできない。
それでも、大切に持ち続けてきたものだ。
けれど――
その指輪を見て込み上げてくるのは、懐かしさでも、温かな思い出でもなかった。
ただひたすらに、悲しみとフォコンへの怒りだけだった。
気づいたら、涙がぽろぽろと零れ落ちていた。
(……ばか……ばかばかっ! フォコンの嘘つき……!)
(あんたが結婚してくれるって言ったから……私、ずっと待ってたのよ……!)
(お父様やお母様、お兄様に何度説得されても……ちゃんと断ってきたんだよ? 毎回理由を考えるのだって、大変だったんだから……!)
(婚期が遅れて……周りから馬鹿にされても、笑われても……我慢してきたのに……)
(こんな惨めな思いをするくらいなら……最初から、あんたとの約束なんて信じなければよかった……!)
(もっと早く結婚していれば……昨日みたいな恥をかくこともなかったのに……!)
(……責任をとってよ……こんな婚期遅れた哀れな年増女を引き取ってよ……)
(……ねぇ、フォコン……私の前に現れてよ……)
(フォコン……)
理不尽で八つ当たりに近いことだと、自分でもわかっている。
けれど今の私には、誰かのせいにでもしなければ押し潰されてしまいそうだった。
――そんな絶望の中で。
「……君、大丈夫か?」
不意に声がした。
顔を上げると、そこには――
夜空を思わせる黒と青が混ざり合った背に流れるロングヘアと、鷹のように鋭い金色の瞳をした、長身の男が立っていた。
胸元にはいくつもの徽章が輝き、その装いから、相応の地位にある人物であることがうかがえる。
「淡い薔薇のような桃色の髪に、ヘーゼルの瞳……まさか、君は……」
その声は、成長につれての声変わりによるものか、私の記憶の中にある彼の声とは異なっていた。
けれど――その面影は、間違いなく。
「……あなたは……」
震える声で問いかける。
「……フォ、フォコン!?」
「……ああ、その顔、その声……間違いない、ローズ!」
次の瞬間、彼はいきなり私を抱きしめてきた。
「会いたかったよ……大好きな我が姫君……!」
「ちょ、ちょっとフォコン……!」
込み上げる感動よりも先に、恥ずかしさが押し寄せてきた。
「……約束を果たしにきた……」
「……君はもう、忘れているかもしれないが……」
そう言いながら、彼はさらに強く私を抱きしめ――
「……君との約束を果たすために、俺は今日まで生きてこれたんだ……!」
あまりにも出来過ぎている。
私は夢を見ているのだろうか。
それとも、婚約破棄されたショックのあまり、現実逃避するために、フォコンの幻を自分で作り出しているのではないか――そう疑いたくなるほどの奇跡の再会だった。
やがてフォコンは、抱きしめるだけでは足りなかったのか、私の腰に腕を回すと軽々と持ち上げ、くるくると踊るように回った。
「ははははは! この花園も、君も――ちっとも変わっていないな!」
「ちょ、ちょっと下ろしてくださいませ……!」
たしかに、この花園は変わっていない。
フォコンとの思い出を残すために、あえて変えずにいたのだから。
けれど、私自身はあの頃よりも色々と成長しているはずだ。
私まで変わっていないと言われるのは心外だ。
(……でも、このなまいきで少しいじわるなところ……本当にフォコンっぽい)
見た目はすっかり大人びていて、もう私の知らない人になってしまったのかと思った。
それでも、あの頃と変わらない面影が、たしかに残っている。
これが夢ではなく、本当に彼と再会したのだと私は実感した。
やがてフォコンは私を地面に下ろすと、少しだけ表情を引き締めた。
「迎えに来るのが、遅くなってすまない……」
その言葉に、胸がきゅっと締めつけられる。
「いいえ……謝らないで。私だって、最後まであなたを信じきれず……結婚しようとしていたのですから……」
ついさっきまで胸の中を満たしていた、フォコンへの八つ当たりのような怒りは、嘘のように消えていた。
代わりに込み上げてきたのは――自分への後悔と、情けなさだった。
「……いいんだ、ローズは悪くない。迎えに来るのが遅くなった俺が悪いんだ」
フォコンは静かに首を振る。
その優しさが、かえって胸に刺さる。
彼は約束を守ろうとしていた。それなのに私は、途中で諦めてしまったのだ。
「そんなことより……久しぶりに会ったんだ。キスしてもいいか?」
不意に投げかけられた言葉に、思考が一瞬止まる。
「……へっ?」
間の抜けた声が漏れた。
「十年以上も会えなかったんだ。君のその可愛い顔を見ていたら……どうしても、したくなる」
「えっ、ちょ、ちょっと……!」
戸惑う私をよそに、フォコンは一歩ゆっくりと距離を詰めてきた。
(そんな……心の準備なんて、まるでできていないのに……)
「……待って! キ、キスは結婚してから……!」
迫ってくる彼の顔を両手でなんとか制した。
「そうか……わかった」
意外にも素直に引き下がり、ほんの少しだけ残念そうな表情を浮かべた。
私のドキドキが止まらない中、彼はくすりと笑い――
「……なら、今回はコレで我慢しよう我が姫君」
そう言うなり、フォコンは私の前に跪き、昔、二人でよくやった“お姫様と騎士ごっこ”のように私の手の甲に素早く口付けした。
「――っ……!」
「あらためて言わせてくれ……ローズ、俺と結婚してくれ」
二度目のプロポーズ。その答えは、もう決まっている。
「……はい」
そうして彼は、すぐに両親のもとへ挨拶に行くと言い出した。
あまりの急展開に戸惑いながらも、私は彼と並んで森を後にする。
「フォコン、約束を果たしにきたということは……騎士爵になったのね!」
「いや……騎士爵にはなれた……なれたのだが……」
フォコンは頬をかき、どこか言いづらそうに視線を逸らす。
その様子を見て、私は察する。
(“騎士爵にはなれた”……過去形ということは、何らかの事情で没落してしまったのかしら……?)
それでも、私は微笑んだ。
「いいえ、フォコン。今のあなたの身分がどうであろうと関係ありません。
戻ってきてくれたことが、何よりうれしいのです。たとえ家から反対されても、私は――」
その時だった。
森の出口へと続く道に、一台の馬車が現れる。
黒と金で彩られ、頂には金色の鷹の装飾が施された、威厳のある馬車だった。
やがて扉が開き、側近らしき青年が姿を現すと――
「お待ちしておりました――皇帝陛下」
そう言って、フォコンに向かって跪いた。
「皇帝……陛下……?」
思考が止まる。
さらに青年は、私へと視線を向け――
「そして……皇帝陛下の花嫁であるローズ様……あなたも迎えに上がりました」
「皇帝陛下の……花嫁……?」
現実が追いつかない私に、フォコンは静かに振り向く。
「ああ、こういうことだ。ローズ、君には信じられないかもしれないが、
俺は騎士爵を経て……レゼールの皇帝になったのだ」
「……へっ?」
頭が真っ白な中で、出てきた言葉は、それだけだった。
*
「おい……これはいったいどういうことだ、ローズ……?」
実家へ戻ると、すぐさま声をかけられた。
出迎えていたのは、薄紅色の紫陽花を思わせる髪をきっちりと整え、分け目の整った端正なショートヘアに、私と同じヘーゼルの瞳を持つ――オルタンシア兄様。
その傍らには、いつものように侍女が控えている。
「僕は聞いたぞ……妹がガリアから婚約破棄されたと。戻ってきたら、どう励まそうか悩んでいたのに……」
そこで言葉を切り、お兄様は私の隣へと鋭い視線を向けた。
「……その隣の男は、誰だ?」
お兄様はフォコンを睨みつける。
だが当の本人は、まるで動じる様子もなく――
「お初にお目にかかりますお義兄様。私は――フォコン・ルシエルと申します。
あなたの妹君の婚約者です。以後、お見知りおきください」
「お義兄様!? 婚約者!? いきなり馴れ馴れしい……いや、待て――」
言いかけて、お兄様ははっと息をのんだ。
「フォコン・ルシエル――ひょっとして、君はあの“ 帝国の鷹”か!?」
「知っていらっしゃいましたか……オルタンシアお義兄様」
フォコンはくすりと笑う。
(帝国の鷹ですって!?)
その言葉に、私も思わず息をのんだ。
田舎の公爵家に生まれた私ですら、その名は耳にしたことがある。
――帝国の鷹。
それは、レゼール最強の騎士に与えられた異名。
ひとたび狙われれば最後、獲物はただ鷹に仕留められるのを待つしかないとまで言われている。
一騎当千の強さと、神速と称される速さで、戦場では無類の力を発揮したという。
(……まさか、フォコンがその帝国の鷹だというの!?)
驚く私はよそにお兄様は話を続ける。
「待て……新皇帝に、その帝国の鷹が就くという話は聞いていた。
レゼールの政治体制は変わり、国民投票によって新たな皇帝が選ばれたと……。
まさか、君がその新皇帝だというのか!?」
「……そこまでご存じであれば、あらためての説明は不要ですね。ええ――お義兄様のお考えの通りです」
淡々と告げるフォコンに、お兄様の表情がさらに険しくなる。
「だが、そのレゼールの新皇帝が、なぜ我がマルメゾン家に……?
いや、そもそもジャルダンは今やテイルの領土。君がお忍びでここに現れるなど――」
「領土の件についてですが――」
フォコンは一瞬だけ間を置き、静かに告げた。
「いずれ公に発表されますが――ここジャルダンは、すでにレゼールへ返還されています」
「「「!!」」」
その一言で、私もお兄様も、侍女たちも息をのんだ。
「このジャルダンだけではありません。テイルに奪われた領土は、いずれすべてレゼールのもとへ戻ります」
そう言ってから、フォコンはわずかに表情を和らげる。
「……それでも私は、何より先にここへ来たかった……理由はいくつかありますが、一番は――」
まっすぐに、私を見つめて。
「ローズ、君に早く会いたかったからだ」
「……フォコン」
彼の言葉に、胸がじんわりと温かくなる。
私とフォコンが見つめ合う中――ごほん、とお兄様がわざとらしく咳払いをした。
「その……陛下。今までのご無礼、お許しください」
お兄様は頭を下げた後、静かに言葉を続ける。
「ですが……僕の妹を后にするというのなら――一つだけ、確認させてください」
一度私を見やり、再びフォコンへ視線を戻す。
「なぜ……僕の妹なのですか?
正直、あなたほどの立場であれば、后にする女性など選り取り見取りでしょう」
その言葉に、胸がちくりと痛む。
――「そもそもだ。お前のような二十二の年増女と十八の若いリラなら……誰だって、リラを選ぶだろう?」
あの言葉が、嫌なタイミングで蘇った。
「妹は、つい先日婚約破棄されたばかりです。
愛していると言われても、それだけでは信用できません。
たとえ今が本気だとしても……いずれ、その想いが冷めたときはどうするのですか?」
お兄様の問いは残酷だった。
けれど――否定できない自分もいる。
(……フォコンは、本当に私なんかでいいの……?)
(私よりも、もっと若くて、美しくて……あなたに相応しい人がいるのでは……?)
胸の奥に、拭いきれない不安が静かに広がっていく。
フォコンはしばらく黙ったままだった。
そして――ゆっくりと口を開く。
「……たしかに、私がローズと結婚すると言ったとき、側近、臣下からも反対された。
政治的にも、もっと実績がある方と結婚すべきではないかと……」
(実績……田舎の公爵令嬢である私には、ないに等しい言葉……)
「だが――だがらこそ、だからこそだ、ローズ。今こそ君の力が必要だ」
「! ……どいうことです?」
私が問い返そうとするより早く、お兄様が口を挟む。
フォコンは、まっすぐに答えた。
「ご存知の通り、先の大戦によってどの国も環境破壊の被害は甚大です。
とりわけ森林減少による資源の枯渇は、もはや致命的な問題となっている」
一拍置き、力強く続ける。
「だからこそ、今、世界に必要なのは、騎士でも兵器でもなく――植物魔法使いの術者なのです!」
その言葉で、私には彼の意図がはっきりと見えた。
「ローズ、君の力とジャルダン学園生徒たちの力が必要だ。
とりわけ君の植物魔法は群を抜いている。俺が見てきたあらゆる術者の中でも……君が頂点だ」
「そ、そんな……私は……」
「ま、まさか……妹にそんな力が……」
戸惑う私とお兄様を前に、フォコンは静かに言った。
「……お願いだ。君が生徒たちを導いて、まずはレゼールを救ってくれ」
沈黙が落ちる。
私は、小さく息を飲み――答えた。
「……わかりました。出来る限りのことをします……」
不安はある。
そもそもフォコンと再会、婚約、そして彼が新皇帝だという事実――それだけでも頭が追いついていないのに、今度は国を救う役目だなんて。
(……今日一日で、いったい何度驚けばいいの……)
それでも。
(……私なんかでも、フォコンの力になれるなら――役立ってみせたい)
そのときだった。
「妹に……植物魔法の才能があることはわかった……」
お兄様が、静かに口を開く。
「でも……君は、いや陛下は肝心なところを答えていませんよね?」
視線は、真っ直ぐフォコンへ。
「愛していると言われても、それだけでは信用できません。
たとえ今が本気だとしても……いずれ、その想いが冷めたときはどうするのですか?」
二度目の問い。
場の空気が張り詰める。
フォコンは、わずかに目を伏せ――そして答えた。
「……おっしゃる通りです。お兄様からすれば、私がローズを永遠に愛する証など……どこにもない」
「だからこそ――」
次の瞬間、フォコンはいきなり地面に頭をつけた。
「なっ……!?」
その姿に、私も、お兄様も、侍女たちまでもが息を呑む。
「俺は……必ずあなたの妹は幸せにしてみせます……だから……ローズと結婚させてください!」
「ちょ、ちょっと、陛下……顔を上げてください! あなたほどの方が、土下座なんて――」
「……」
それでも、フォコンは動かない。
その姿に梃子でも動かない覚悟を感じさせた。
やがてお兄様は、深く息を吐き――
「……わかりました。ローズがその気でいるなら、私からは何も言うことがありません」
フォコンは、ようやく顔を上げた。
その表情には、安堵と柔らかな笑みが浮かんでいた。
そして。
お兄様の奥で、これまでのやり取りを見守っていたお父様とお母様、そして執事が――静かに頷いた。
まるで言葉にはせずとも、すべてを託すかのように。
*
(なんで……なんで、こんな女と結婚してしまったんだ……!)
テイル王国の王太子である――僕、ガリア・ド・ソオルは、頭を抱えていた。
僕は結婚相手として、リラ・ルイーズを選んだ。
需要が高い植物魔法使い。
王立テイルリー庭園学園卒という学歴ブランド。
そして何より――見目麗しく、社交界で“見せびらかせる”存在。
そのすべてが、王太子妃として相応しいと判断したからだ。
――なのに
「ガリア様~~どうかなさいましたの~~?」
甘ったるい声が、耳にまとわりつく。
結婚当初は心地よく感じていたはずのその声も、今では――聞くだけで不快感を覚えるほどに変わっていった。
視線を向ければ、そこには――かつては美しいと思っていたはずの女がいる。
「……リラ、植物魔法はどうした? テイルにはまだまだ森林が足りないぞ」
「ええっ、リラ今日体調悪いからパス~~。というか、術者は他にもいるんだし、リラがやる必要なくない?」
甘ったるい声でそう言って、リラは今日もテイルの森林再生をサボって自室へと引きこもっていった。
以前、リラの植物魔法を実際に見たことがある。
だが、その術の出来は――正直に言って、お粗末だった。
本人は「調子が悪かっただけだし~~」と笑って言い訳していたが――
(……あいつ、本当に“あの名門を卒業した女”なのか?)
僕は次第に、彼女の経歴そのものに疑念を抱くようになった。
そして僕は――彼女に悟られないよう、密かに調査を命じた。
数日後。
側近から渡された報告書に目を通し――僕は言葉を失った。
「……な、なんだ、これは……」
そこに記されていたのは、信じがたい内容の数々だった。
・入学方法は裏口の可能性あり
・同級生への執拗ないじめ
・卒業論文は自身の執筆によるものではなく、他者による代筆
・単位取得は教員との不適切な関係によって得たもの
・男女関係のトラブル多数(その多くが隠蔽されていた形跡あり)
名門に在籍していたこと自体は事実。だが、その実績は――空虚に等しい。
報告書の内容は、それだけに留まらなかった。
――極めつけは。
「せ、整形疑惑……? ほ、豊胸手術まで……」
需要が高い植物魔法使い。
王立テイルリー庭園学園卒という学歴ブランド。
そして何より――見目麗しく、社交界で“見せびらかせる”存在。
僕が信じ、愛した彼女のすべては――真っ赤な嘘で構成されていたものだったのだ。
「だ……騙された……僕はなんて女を妻にしてしまったんだ……!」
その瞬間、僕のリラへの“愛”は完全に“憎しみ”へと変わった。
「くそぉ……今すぐ離婚してやりたいが……軽々しく離婚などすれば、貴族たちの笑い者だ……。それに、この経歴が世間に知れれば……僕の面目まで潰れる……」
かといって、あの女とこの先ずっと一緒なんてきつい。
(……こうなったら、リラには事故にでも遭ってもらい、僕は最愛の妻を失った悲劇の王太子として、同情を――)
そんな考えが頭をよぎった、そのときだった。
「失礼いたします、殿下」
ノックとともに、側近が部屋へと入ってきた。
「何だ……今は取り込み中だ」
苛立ちを隠さずに返すと、側近は一瞬ためらいながらも口を開く。
「……レゼール帝国についての報告がございます」
その言葉に、僕のこめかみがぴくりと動いた。
「レゼールだと……?」
長年、我が国テイルと争ってきた忌まわしき国。
とりわけ、“帝国の鷹”には幾度となく煮え湯を飲まされてきた。
(……あいつさえいなければ、テイルが勝っていた――そう言われるほどの存在だった)
だが、そのレゼールもまた、我が国と同様に森林資源の枯渇に苦しみ、再建は難航しているはず――。
「……続けろ」
「はっ。現在、レゼールでは急速に森林再生が進んでおります。各地で緑が戻り始め、資源供給も回復傾向にあるとのことです」
「……は?」
思わず、間の抜けた声が漏れた。
「な、何を言っている……そんなはずがないだろう。レゼールも我が国と同じ状況のはず。どうやって、そんな短期間で――」
「それが……新皇帝陛下の政策と、その后による指導が大きいとされております」
「……新皇帝……!」
僕のこめかみが、さらにぴくりと動いた。
(……レゼールの新皇帝といえば――帝国の鷹が就いたはず……あいつも結婚していたのか……)
「順序が前後いたしますが――新皇帝陛下のご成婚が発表されております。そのお相手が――」
側近は言いづらそうに言葉を濁す。
「うん? おい、帝国の鷹は誰と結婚したんだ?」
「そのお相手は――ローズ・ド・マルメゾン公爵令嬢にございます……」
――その名を聞いた瞬間、時間が止まった。
「……は……?」
「な、なにを言っている……ロ、ローズ、だと……?」
かつて――僕が婚約破棄してやった女の名がなぜここで現れる。
「はい。さらに、そのローズがジャルダン学園の生徒たちを率い、植物魔法による大規模な森林再生を成功させております。術者としての力量、そして指導力……それらが評価され、すでに“国の英雄”として扱われているとのことです」
「……な……」
言葉が出ない。
「……う、嘘だ……あの女が……三流学園の連中が……我が国の名門にもできないことをやってのけただど……?」
側近は黙ってうなづいた。
思わず一歩、後ずさる。頭がくらくらと揺れる。
(……そんなはずがない。あの女は――地味で、目立たなくて、つまらない女だったはずだ)
「……ありえない……あいつが……?」
だが、現実は容赦なく突きつけられる。
レゼール復興の中心にいるのはローズ。
そして、その隣にいるのは――あの憎き帝国の鷹。
(……なんでだ……)
歯がギリギリする。胸の奥がぐちゃぐちゃにかき乱される。
(なんで……あいつが……そんな場所にいるんだ……?)
「……レゼールの新皇帝とその后を我が国に招待しろ」
「……は?」
側近が、思わず聞き返す。
「早く招待するのだ! そして新皇帝を我が国で暗殺し、ローズを取り戻す。もともと僕の婚約者だったのだ! 奪われたものを取り返す――それだけの話だ!」
「殿下……それは――」
「側近風情が口を挟むな! ローズさえ戻れば、テイルは立て直せる。そして再びレゼールに侵攻すれば――」
「そんなことをしたら……また戦争になるな……」
「誰だ!?」
突如割り込んだ低い声。
その無遠慮な言葉に、反射的に怒りが湧いた。
だからこそだろうか、頭に血が上っていたから誰の声かすぐに把握できなかった。
「父にとんだ言い草だな」
「……父上!」
僕と同じ赤髪に、短く整えられた髪には白が差し混じる――テイル国王である父上が、静かに部屋へと入ってきた。
その背後には、無言で控える近衛騎士たち。
ただならぬ空気に、思わず息を呑む。
「……父上、な、なにゆえ……?」
「聞くまでもあるまい。さきほどのお前の話――すべて聞かせてもらった」
「……っ」
背筋に冷たいものが走る。
「レゼール新皇帝暗殺の企て……そして――国益を無視した愚かな戦争の再開を口にしたな」
「ち、違う! あれは――」
「黙れ」
その一喝で、言葉を封じられた。
「さらにだ」
父上の視線が、冷たく僕を射抜く。
「お前は、自国にとって極めて重要な人材――ローズ・ド・マルメゾンとの婚約を、一方的に破棄した」
「……っ」
「あの娘がもしお前の妃であったなら、今頃、テイルは再建の目途が立っていただろう」
「ち、違う……僕だってリラに騙されて……」
思わず口にした瞬間だった。
「その女か」
父上の視線が、部屋の奥――リラへと向けられる。
いつの間にか戻ってきていたリラは、びくりと肩を震わせた。
「ひ、ひぃっ……な、なんですの……?」
「貴様の経歴については、すでに調査済みだ」
その一言で、リラの顔色が一気に青ざめた。
「裏口入学、不正な単位取得、卒論の代筆、……」
「ち、違いますわ! それは全部、リラを妬んだ連中の――」
「黙れ」
リラにも同様の一喝。
「王家の威信を利用し、虚飾で固めた妃など……存在そのものが害だな。無論、国の滅亡に導く、王太子もまた同様」
「そ、そんな……ガリア様ぁ……なんとか言ってくださいませ!」
リラが僕の腕にしがみついてきた。
だが、それがかえって苛立ちを募らせた。
「……さて、そろそろ言い渡すときだな」
父上が一歩、前に出た。
その瞬間、近衛騎士たちが一斉に動く。
「ガリア・ド・ソオル」
名前を呼ばれただけで、心臓が強く打った。
「お前を――王太子の地位より剥奪する」
「……は?」
思考が止まる。
「そして――国外追放だ」
「お、お待ちください父上……それはあまりにも――」
(……地位剥奪……追放……?)
絶望的な言葉が、僕の頭の中で反復される。
「そんな……リラは……リラはじゃあ、どうなっちゃうんですか?」
リラは今度は父上の腕にしがみついてきた。
だが、父上は、変わらず冷ややかな目でそれを見下ろした。
「……そうだな。ならば貴様も――ガリアと共に行くがいい」
「「……は?」」
不覚にもリラと声が重なった。
「二人とも――連れて行け」
「はっ!」
近衛騎士が動く。
「や、やめろ! 僕に触れるな!!」
「離しなさいよぉ!! リラは悪くないのよぉ!!」
「もとはと言えば、お前が僕を騙したんだろうが! お前さえいなければ、僕はローズを――!」
「はぁ? 私だって、結婚すれば安泰だと思ってたのに! こんな外れだなんて聞いてないわよ!」
互いに罵り合いながら、僕たちは引きずられていった。
一体僕の人生はどこで間違えたというのだ。
*
「大地よ、聖なる息吹をもとに――愛ある木を与えたまえ。《ラルブル・ダムール》」
私は詠唱し、植物魔法を発動する。
すると大地に、光り輝く巨大な魔法陣が浮かび上がった。
さらにその魔法陣から無数の芽が現れ、瞬く間に成長していく。
草が広がり、花が咲き乱れ、若木が空へとまっすぐに伸びていく。
荒れていた大地は、みるみるうちに緑へと塗り替えていった。
「すごい……植物魔法の力量が、我々とは次元が違う……」
「これが、我が校を主席で卒業した方の力か……」
感嘆の声が、あちこちから漏れる。
私はそんな彼らに向き直り、励ますように微笑んだ。
「はぁ……はぁ……皆さんも、コツを掴めばこれくらいの規模は再現できますよ」
本日も、ジャルダン学園の生徒たちと共に森林再生に取り組んでいる。
フォコンと会えない日々の中でも、彼に褒められた植物魔法を信じ、好きで学び続けてきた。
気がつけば、十二年。
まさか、こんな形で彼に貢献し、祖国を救うきっかけとなれるとは思わなかった。
人生とは本当に何が起こるかわからないものだ。
「頑張っているようだな……ローズ」
低く落ち着いた声が、背後からかけられる。
「フォコン!」
振り返ると、そこには――本日も迎えに来てくれた夫の姿があった。
鷹の翼を思わせる茶色の羽毛のマント、金の装飾が施された黒衣、胸元にはいくつもの徽章が輝いている。
こうして改めて目にすると、夫が本当に皇帝なのだと実感させられるのだった。
「少し、二人で話せないか……?」
(……来た)
公の場では、誰もが認める皇帝としての威厳と手腕を見せる彼。
隙など一切感じさせない、まさに完璧な存在。
――けれど、私と二人きりになると、その様子は一変する。
戦争によって焼け焦げた廃塔の中へと連れ込まれると、夫はさっそく、いつもの“それ”を始めようとする。
「また……ですか?」
私――ローズ・ド・マルメゾン=ルシエルは、結婚してからというもの、毎日のように彼にキスを求められている。
「十年以上君と会えなかったんだ……最低でもその分の埋め合わせは必要だろう?」
もはや、習慣と化している夫とのキス。
彼は公務の合間を縫って私に会いに来ては、こうして当然のようにそれを要求してくる。
夫は一歩、ゆっくりと距離を詰めてきた。
何度しても、鋭い金色の瞳に間近で見つめられると、恥ずかしさに視線を逸らしてしまう。
ふと、その視線の先――塔の窓の向こうに、生徒たちが植物魔法で花を咲かせている光景が映った。
「……お花……」
「うん?」
つい零れた呟きに、夫も窓の外へと視線を向けた。
そこには、生徒たちが植物魔法で懸命に花を咲かせている光景が広がっている。
まだ不揃いで、小さくて――それでも確かに、命が芽吹いていた。
その綺麗な光景に、私たちはしばらく言葉もなく見とれていた。
「……ローズ、俺は子供の頃の夢を叶えることができた」
ふと、夫が静かに呟く。
「最強の騎士になること。騎士爵にまで上り詰めること――そして……」
一度、言葉を区切り。
「君と結婚することだ」
「……フォコン」
胸が、じんわりと熱くなる。
「まさか皇帝にまでなるとは、子供の頃には到底思ってもみなかったがな」
苦笑を浮かべながらも、彼はまっすぐに私を見つめた。
「次は君が夢を叶える番だ」
その言葉で、思い出す。
あの約束の森の花園で語り合った、子供の頃の夢を。
――「わたしはね……植物魔法で、世界中にいっぱいいっぱいきれいな花を咲かせたいの。そして――お花さんとお友達になる!」
世間を知らなかった子供特有の夢。
大人になるにつれて、いつしか胸の奥にしまい込んでいた叶わぬ願い。
「世界は大戦の傷で、どこも花を必要としている」
フォコンは、再び窓の外へと視線を向けた。
「このレゼールから始めよう。君の力で――世界中に花を咲かせるんだ」
「……はい」
自然と、頷いていた。
「そして、俺たちも“俺たちの花”を作り、育てよう」
「……えっ、フォコン、それって――んんっ」
“俺たちの花”―-不意に投げかけられたその言葉の意味を問い返すよりも先に――彼の唇が重ねられた。
こうして。
私の一日である森林再生と、彼の溺愛の日々は――
これからも続いていくのだった。
最後まで読んでいただきありがとうございました!




