私の断罪を画策する殿下へ。その茶番、乗っ取って共犯関係を結びます
「ユリウス殿下。単刀直入に申し上げます」
学園の卒業パーティーを数時間後に控えた、王宮の執務室。
私は、この国で最も高貴で、最も食えない男――王太子ユリウス・アークライトのデスクに両手をついて身を乗り出した。
「今日、パーティー会場で私を断罪するおつもりですね?」
書類に走らせていたペンが、ぴたりと止まる。
ユリウス殿下はゆっくりと顔を上げた。窓から差し込む午後の光が、彼のアメジストのような瞳を透かしている。その瞳は、いつものように穏やかで、そして爬虫類のように冷たい。
「……何のことかな、セレン」
「とぼけないでくださいませ。男爵令嬢ジェマ。彼女の『いじめ告発』を利用して、私との婚約を白紙にする。違いますか?」
私の言葉に、室内の空気が凍りついた。
控えていた側近たちが息を飲む気配がする。だが、私は引かない。引けば、待っているのは「悪役令嬢」としての破滅と、実家の没落だけだ。
ここ数ヶ月、ユリウス殿下は変わった。
かつてはビジネスパートナーとして私を尊重してくれていたのに、急に現れた男爵令嬢ジェマに入れ込み始めたのだ。
ジェマは愛らしい容姿と、貴族らしからぬ無邪気な振る舞いで学園の男子生徒を虜にした。そしてことあるごとに「セレン様に教科書を破かれた」「階段から突き落とされそうになった」と涙ながらに訴えた。
もちろん、全て嘘だ。
だが、ユリウス殿下は彼女の肩を抱き、私に冷たい視線を向けるだけだった。
周囲は噂している。「氷の令嬢セレンは捨てられる」「真実の愛が勝つのだ」と。
「証拠は揃っています」
私は懐から一冊の薄い手帳を取り出し、デスクの上に滑らせた。
「これは私が独自に集めた、ジェマ嬢の嘘の裏付け……ではありません」
「ほう?」
「これは、貴方が裏で動かしている『影』の動きを記録したものです。貴方はジェマ嬢の嘘を知りながら、あえて放置し、増長させた。彼女を餌にして、王家に敵対する反主流派の貴族たちを一網打尽にするために」
ユリウス殿下の目が、すうっと細められた。
その唇の端が、優雅に、そして凶悪に歪む。
「……優秀だね、セレン。君なら気づくと思っていたよ」
仮面が外れた。
爽やかな王子様の顔ではない。獲物を前にした捕食者の顔だ。
「そうさ。ジェマ嬢は使い勝手のいい愚者だ。彼女の涙にほだされて、僕の政敵たちがこぞって『可哀想なジェマ嬢を守れ』と動き出した。今日のパーティーで君を断罪し、その勢いで僕の婚約者選定に介入するつもりだろう」
「そこで私を切り捨てる、と?」
「君には泥を被ってもらうことになる。もちろん、後で修道院から出して、一生不自由ない生活は保証するよ」
さらりと言ってのけるその冷酷さに、私は怒りを通り越して笑いがこみ上げてきた。
私の人生を、誇りを、なんだと思っているのか。
私は公爵令嬢だ。完璧であることを求められ、感情を殺し、王太子妃となるべく血を吐くような努力をしてきた。それを、こんな茶番の道具にされてたまるか。
「お断りします」
「命令だよ?」
「取引です、殿下」
私は彼を見下ろすように背筋を伸ばした。
「貴方の計画には穴がある。ジェマ嬢は貴方が思っているより愚かです。彼女は今日、ある『致命的な嘘』をつくつもりでいます。それが暴かれれば、貴方の計画ごと共倒れになるほどの嘘を」
「……何?」
「その嘘を防ぎ、かつ貴方の目的である反対派の粛清を完璧に遂行してみせます。私が、もっと残酷で、もっと美しいシナリオに書き換えて」
ユリウス殿下が椅子に深くもたれかかり、私を値踏みするように見た。
その視線には、初めて見る熱が宿っていた。
「対価は?」
「私の名誉の完全な回復。そして」
私は一度だけ深呼吸をして、告げた。
「今後一切、私に隠し事をしないこと。……私を、貴方の唯一の『共犯者』として扱うと誓ってください」
沈黙が落ちる。
心臓が痛いほど早鐘を打つ。これは賭けだ。彼が私をただの駒と見ているか、それとも――。
やがて、ユリウス殿下は喉の奥でくつくつと笑った。立ち上がり、デスクを回り込んで私の目の前に立つ。
彼は私の顎を指先で掬い上げ、至近距離で瞳を覗き込んだ。
「いいだろう。その賭け、乗った」
吐息がかかる距離。甘い毒のような声が鼓膜を震わせる。
「ただし、失敗は許さない。もし成功したら……君の望み通り、僕のすべてを君にくれてやる」
ぞくり、と背筋が震えた。
それは愛の告白には聞こえなかった。もっと重く、逃げ場のない契約の宣告のように響いた。
◆
学園の大講堂は、華やかなドレスと宝石の輝きで満ちていた。
卒業パーティー。学生生活の最後を飾る宴。だが、今日ここに集まった者たちの視線は、異様な興奮を帯びていた。
誰もが待っているのだ。生贄が祭壇に上げられる瞬間を。
私はいつものように無表情の仮面を被り、会場の隅に立っていた。
隣にユリウス殿下の姿はない。彼は主賓として、一段高い雛壇にいる。その傍らには、ピンク色のドレスを纏った小柄な少女――ジェマが、怯えたように寄り添っていた。
(……始まったわね)
音楽が止まる。
ユリウス殿下が片手を上げると、静寂が広がった。
ジェマが一歩前に出る。その大きな瞳には、計算された涙が浮かんでいる。
「みなさま、聞いてください! わたくし……もう耐えられません!」
鈴を転がすような、しかしよく通る声が響いた。
彼女は震える指で、会場の隅にいる私を指差した。
「公爵令嬢セレン様から受けた、数々の非道な行いを!」
ざわめきが波紋のように広がる。
待ってましたとばかりに、反主流派の貴族たちが声を上げた。
「なんと嘆かわしい!」「未来の国母にふさわしくない!」「詳細を話されよ!」
ジェマは涙を拭う仕草をしながら、語り始めた。
教科書を破かれたこと。ドレスにワインをかけられたこと。使用人を買収して悪い噂を流されたこと。
どれも証拠のない、言ったもん勝ちの被害報告だ。だが、今のこの場の空気は「可哀想なジェマ」を信じたがっていた。
私は扇で口元を隠し、冷ややかにその様子を観察した。
壇上のユリウス殿下は、沈痛な面持ちでジェマの話を聞いている。……演技派だこと。
ジェマの話が佳境に入った。
「そ、そして……! 一昨日の放課後です! セレン様はわたくしを旧校舎の裏に呼び出し、こう脅したのです。『殿下に近づくな、さもなくば実家の男爵家ごと潰してやる』と! そして、わたくしを突き飛ばして……!」
ジェマが包帯の巻かれた腕を掲げると、悲鳴のような声が上がった。
さあ、ここからだ。
私は扇を閉じた。カチリ、という小さな音が、妙にクリアに響く。
「……異議あり」
静かに、しかし凛とした声を発した。
群衆が割れ、道ができる。私は背筋を伸ばし、ゆっくりと壇上へと歩みを進めた。
「往生際が悪いぞ、セレン!」
ジェマを取り囲んでいた男子生徒の一人が叫ぶ。
「これだけの証言があるんだ! 殿下、彼女との婚約破棄を!」
ユリウス殿下が私を見た。その目は「さあ、見せてみろ」と語っている。
私は壇上の階段を上がり、ジェマの正面に立った。
「ジェマ嬢。貴女は今、一昨日の放課後――つまり『火曜日の午後四時頃』に、私に旧校舎で暴行を受けたと仰いましたね?」
「は、はい! 間違いありません! あの時の恐怖は忘れられません!」
「そうですか。……では、こちらをご覧いただけますか?」
私は懐から、今朝ユリウス殿下に見せたものではない、別の書類を取り出した。
それは王家の紋章が入った、正式な『執務記録書』の写しだ。
「一昨日の午後、私は王宮に呼び出されておりました。午後一時から六時まで、ずっとです」
「なっ……嘘よ! アリバイ工作でしょう!?」
「工作など不可能です。なぜなら、私がその時間、誰と一緒にいたか。――それは、ここにいらっしゃるユリウス殿下ご自身だからです」
会場が静まり返った。
全員の視線がユリウス殿下に集まる。
ジェマが顔を青ざめさせて振り返った。「で、殿下……?」
ユリウス殿下は、困ったように眉を下げてみせた……かと思うと、次の瞬間、堪えきれないといった様子で吹き出した。
「くっ、……ははは! ああ、そうだね。間違いない」
彼は優雅に立ち上がり、私の隣に来て、自然な動作で私の腰に手を回した。
その指先が、所有印を押すように強く食い込む。
「その時間は、僕の執務室で『極秘の外交文書』の整理を手伝ってもらっていた。一歩も外には出ていない。近衛騎士も、文官たちも全員が見ている。……ねえジェマ嬢? 君は旧校舎で、僕の隣にいたはずのセレンにどうやって突き飛ばされたんだい? もしかして、幻覚でも見たのかな?」
ジェマの顔から血の気が引いていく。
「え、あ、でも、殿下はわたくしを愛して……」
「愛? 誰を?」
ユリウス殿下の声が、絶対零度まで下がった。
先ほどまでの優しげな表情は消え失せ、そこには冷酷な王太子の顔だけがあった。
「君のような、息を吐くように嘘をつく女を? ……僕が愛しているのは、唯一、僕の隣に立つにふさわしい知性と気高さを持ったこの女性だけだよ」
彼は見せつけるように、私を抱き寄せた。
会場中から悲鳴と歓声が入り混じったようなどよめきが起きる。
これが、私の描いたシナリオ。
ジェマの嘘を「王太子のアリバイ」という最強の盾で砕き、同時に私と殿下の親密さを公にする一撃。
だが、まだ終わらない。
私はユリウス殿下の腕の中で、青ざめる貴族たち――反主流派の黒幕たちを見据えた。
「それから、皆様。ジェマ嬢の虚言を鵜呑みにし、検証もせずに私を断罪しようとした方々。……まさか、王家に対する反逆の意思がおありではないですよね?」
ニッコリと微笑むと、数人の貴族がその場に崩れ落ちた。
ジェマが嘘をついていると証明された今、彼女を担ぎ上げた者たちは「王太子の婚約者を冤罪で陥れようとした」罪に問われる。
逃げ道は、もうどこにもない。
「あ、あああ……」
ジェマがへたり込む。
「違う、わたくし、ヒロインなのに……どうして……」
ブツブツと譫言を呟く彼女に、ユリウス殿下は冷淡に告げた。
「衛兵。彼女を連れて行け。虚偽申告および王族への不敬罪だ。……背後にいる『協力者』についても、たっぷりと聞かせてもらおうか」
絶叫と共に引きずられていくジェマ。
そして、顔面蒼白で震える反主流派の貴族たちへ、ユリウス殿下は楽しげに言った。
「さて、残りの掃除も始めようか。セレン、手伝ってくれるね?」
「……ええ。共犯者ですから」
私が答えると、彼は満足げに目を細め、衆人環視の中で私の唇に口づけた。
形式的なものではない。深く、熱く、執着に満ちたキス。
会場の空気などお構いなしに、彼は私を離そうとしなかった。
――ああ、どうやら私は、とんでもない男の「本気」に火をつけてしまったらしい。
腰に回された腕の強さが、もう二度と逃がさないと告げていた。
これからの人生、甘く重い束縛に悩まされる未来が見えて、私は諦めの溜息を――ほんの少しの幸福感と共に、彼の口の中で吐き出した。
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