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探し物(下)  作者: 西中凛呉


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1/1

探し物(下)

 日暮れまでにはまだ時間があるので、ずっと一般道を走る。

 その途中で、龍次さんはテレビで観てとてつもない山深い町であると思っていた、有名な祭のある町の看板を見つけた。

 山が迫る一級河川に沿った町である。

 小さな天守閣がある。

 龍次さんは道路標識に沿って町へ入り、役場に車を止めた。

 川にかかった橋の欄干には、町に不似合いに立派な秋祭りの風景を描いた陶板が端から端まで貼られている。

 橋を渡った向こうは、車一台通れるくらいの幅のガードレールのない土手である。

 地元の人が使う道らしく、土手から人一人が歩けるくらいの細道と石段が、家々や畑へ降りていく。

 凉里が先に立って野面積みの急な石段を下りると、細い道がアーケード街へ入った。

 角の家はもとは飲食店らしく、二方向にショーウィンドウがあって、家族写真などを飾っている。

 千代飴を持つ被布を羽織った女の子、田んぼで撮った大家族の写真、これはだいぶ色が褪せている。

 それから、頭の白くなったモンチッチ、割り箸に折り紙の鯉のぼりを貼ったの、ガラスの兎。


 通りにはスナックや居酒屋が立て込んでいるが、今の時間は眠っているように静かだ。

 それが、写真館の角で突然大きな通りに出た。

 頭の上に「レトロ商店街」と書いた白い看板が掛かっている。

 看板も十分レトロだ。

 洋品店、八百屋、老舗らしい間口が狭くて奥行きのある和菓子屋、と続く。

 「犬におしっこをさせないでください」とわざわざ貼紙をしているのは、客の少ないアーケード街は雨の日の犬の散歩にうってつけなのだろう。

 いくら「私はどこにでもおしっこはしません」と思っても、その通りを犬が先立って歩くのは気まずい。

 景気の悪そうな茶舗の奥から、眼鏡のずれた老人が覗いている。

 自転車屋の看板が出ているのに、カウンターに「社会福祉施設ひまわり」という彫り看板を置いて、クッキーや木工品を販売している店がある。

 覗き込んで、凉里ははっとした。

 ガラスケースの上の、縮緬でできた九匹の猿ぼぼを南天の枝に貼り付けたのは「苦去る、難を転ずる」という縁起物ものだ。 

 あの町の煙草屋の出窓に、同じものが飾ってあった。


 それから何件目かの家には、木枠の出窓にお雛様を飾っている。

 オオサンショウウオの置物だらけの家もあった。

 アルミのオオサンショウウオに青やピンクの水玉模様を描いたの。

 緋襷の入った備前焼の一メートルほどのオオサンショウウオ、これは本物かと思ってぎょっとした。

 出窓に、卵塊を守るヌシと呼ばれるオスのサンショウウオの写真が飾られている。

 卵塊がキラキラしてきれいだ。

 その前には、絵葉書、切手、ブローチからピアスに至るまで、並々ならぬ執心で収集したオオサンショウウオグッズが並んでいる。

 左奥の庭の一角に小さな池があって、筧からちょろちょろと水が流れている。

 伸びあがって中を覗いたが、何もいなかった。


 あの町の商店街によく似ていた。

 あまり高くない山があって、一級河川を隔てた向う側に大きな道路が走っている。

 土手から急な坂になった細い道を降りると、商店街に入る。

 田舎町はどこもこうなのかも知れないが、懐かしい。

 店はどこもろくに商品も並べていないのに不思議に一人は店番がいて、それも結構な年齢の人である。

 行く手の左側の家を解体した後の空き地に、青磁色のミゼットが停めてある。

 ぽっかりと空が開いて、そこだけ日が差している。

 その向うには、白壁が落ちかけた二階建てが見える。

 柱と壁の間が開いて、崩れ落ちそうである。

 店の前まで行くと、腰板の引き戸の上の歪んだ大正硝子から店内が見える。

 壁に貼られたポスターの、カサブランカでイングリットバーグマンがしていたみたいに髪を外巻きにカールして瓶ビールを持った女性が、微笑んでいる。

 今にもカウンターに置かれた黒電話が鳴り出して、奥から誰か出てきそうである。


 凉里はお福ちゃんを探していた。

 胸を反らせて先を歩いて、時々足を止めては店を覗き込む。

 また、力を込めてリードを引く。

 アーケードの出口に川の照り返しが明るく見えてくると、涼里はがっかりして座り込んだ。

 ここでもレトロ商店街に騙された。

 お福ちゃんのお父さんと一緒に、肌着を買いに行ったあの町ではない。


 そこから一時間余り車を走らせると、龍次さんはまた車を止めた。

 立ち上がって窓から見ると、車はダムの上に停まっている。

 手すりの穴から水の少ない河原に、砂湯が見える。


 龍次さんは涼里を車から降ろして、ダムの天端を歩いた。

 時々コンクリートの手すりの上からローラーゲートを覗き込むものだから、涼里はリードを引っ張られて一緒に人造湖に落ちそうで踏ん張った。

 橋の向こう側に、完成記念碑がある。

 1955年(昭和30年)完成とあるから、建設工事をしたのはもう七十年以上前のことになる。

 随分、時間が流れていた。


 島根には、良質の砂鉄と木炭の原料になる樹木が豊富である。

 それで、たたら製鉄が盛んになり、この町の砂湯にもたたら製鉄に関わるたくさんの人々が訪れた。 

 近頃では、豊臣秀吉の家臣、宇喜多秀家が母の「おふくの方様」の湯治場として整備したという記録がある。

 このおふくの方様、と言うのがお福ちゃんの自慢であった。

 瀬と渓の音を聞き分けられるような静かな夜、お福ちゃんに添い寝をして寝かしつけていると、耳に胼胝ができるほどおふくの方様の話を聞かされた。

「おふくさんはね、子どもの頃はお鮮ちゃんと言うたの。

 かわいかったけぇ、太閤様がお召し上げになって、おふくさんになったの。

 おふくさんの大きいお墓が浩子姉ちゃんのとこのそばにあるの。

 賢うてきれいじゃけぇ、お父さんはお福ちゃんの名前をお福ちゃんにしたの」


 お福ちゃんはまだ子どもだ。

 召し上げられたって嬉しくない。

 涼里なら、犬が猿に召し上げられたって笑えない。


れ、ん、じょじのお れんじょじのー

ゆ、けば右側 戻ればひいだり

左らんかに 小手打ちかーけて

お鮮さーまの お墓を見れば

さても結構な お墓でごおざる

藪にとまった うぐいす鳥の

何と鳴くかと 立ち寄りきーけば

後生大事に法華経―読むう 法華経読むー


 お福ちゃんはいつもは舌足らずで無茶苦茶活舌が悪いのに、歌を歌う時は明るい可愛い声で歌う。

 よく、上手に蓮昌寺てまりうたを歌って凉里に聞かせた。

 そうして寝付いたお福ちゃんの可愛い顔を涼里は忘れない。


 涼里が初めてこの町に来た日は、お母さんと一緒であった。

 お母さんはこの町で恋をして、黒柴のような中型の素敵な彼を追いかけまわしていた。

 彼は時々どこかへいなくなったが、ある日お母さんは彼と一緒に出かけていって、帰らなかった。

 それで、旭川の向こうの一面に捩花の咲いている草原をちょろちょろしているのを、仕事帰りのお福ちゃんのお父さんが見つけた。

 お父さんはお福ちゃんに見せてあげようと思って、後ろを向いてはちょっちょっと舌を鳴らして呼びながら、凉里を家へ連れて帰った。

 お福ちゃんのお母さんは、クリーム色の体に白い手袋と靴下を履いた涼里がころころ歩き回るのが可愛いと言って気に入った。

「こねーなきれいな子犬がおるんじゃなぁ。

 うちは仕事があるときにお福が一人で留守番をすることがあるけぇ、庭で飼うてーたらどうじゃろう。

 うちは狐や猪も来るし。

 猫はマムシを食べるっていうけど犬はどうなんじゃろ。

 家の中におったことがあるけど」

「いまはこねーなだけど、すぐに大きゅうなるじゃろうしね。

 旅館の御飯がもれーるんなら、餌にゃあ困らんけぇな」

ということで、二日ばかり木の根を噛んで吐き出したり、流れの側で小さな蟹を食べただけで捨て子を卒業した。

 「家を開け放してーても安心だしね、早う山を降りられるとええんじゃけれど。

 あんたの仕事も山じゃし、うちも旅館の仕事はお金はええし食べ物も貰えるし。

 ここなら家もあるしね」

「下は暑いけぇなぁ。

 ここでいると夜になると一年中寒いよね。

 夏、涼しいなぁ嬉しいなぁ。

 冬は寒いけど」

「この犬、涼しい、でりょうはどう。

 涼しげな色じゃけぇ」

「男の子みてーじゃねえか。女の子でー」

「じゃあ、すずって読む」

「涼しい里で、すずりは」

「ああ、ああ、ええなぁ。すずりにしよ」

と二人が話している傍で、お福ちゃんのかゆ汁の残りをもらった。

 なんと裕福な家にもらわれたのだろうと嬉しかった。

 お腹いっぱいおっぱいを飲みたいのに、歯が生え始めていたのでお母さんが授乳を嫌がって、いつもお腹か空いていた。

 食べ終わると、この所の心細さから安心のあまり眠くなった。

 うつらうつらしながら

「すずり、私の名前は石じゃないか、瓦だっけ」

と思った。


 お福ちゃんはひどい暴君で、凉里の上を平気で這った。

 涎でぐちょぐちょの手で、思いっきり凉里の毛を握って引っ張るくらいは朝飯前である。

 おまけに活舌が悪いので「つーずー」と言って、どこにいても凉里を呼びつける。

 寒い地方では体温を保持するためにエネルギーの消費を抑えるので、ズーズー弁のように活舌の悪い言葉が発達したのだと聞いたことがある。

 お福ちゃんはきっと、前世はここよりもっともっと山深い寒い地方で暮らしていたのだろう。

 だから、お父さんもお母さんもはっきり喋るのに、お福ちゃんだけはまともに喋れない。

 あの幼女ながらに腹の座った人を見透かした感じは、恐山のイタコだったのではないかと凉里は思っている。

 時々、呪文のような不思議な言葉を延々と言い続けるのだ。

 お福ちゃんの昼ご飯はいつも蒸し芋である。

 十時過ぎだったり、良く遊んでいると思ったら三時になったりする。

 時間はいろいろだが、芋を食べるとなぜか昼寝をする。

 芋には子どもが眠くなる成分が入っているらしい。

 お福ちゃんが眠ると、この世は静まり返る。

 家の前の川には一年中カワセミがいて、涼里はいつも今日こそ見つけてやろうと思って見張り始める。 

 ところが、ぽちゃんと音がして振り返った時には、いつも青い尻を光らせて向こう岸へ飛んで行くところなのである。

 お福ちゃんは一度、家の庭からまっすぐに這い這いしていって前の渓川にダイブしたことがある。

 凉里は驚きのあまり悲鳴を上げて、お福ちゃんの後から飛び降りた。

 凉里はすらりとした脚を骨折して、三か月ほど右脚を引きずって歩いたが、お福ちゃんはかすり傷ひとつなかった。

 そうだ、泳げるようになるのを待っていたら一生海には行けない。

 肺に空気をたっぷり吸いこんで、水に体を任せれば体は浮くのである。

 ライト兄弟はエンジンを作って、動力を備えた飛行機を作るまで空を飛ぶ勇気がなかった。

 クレタ島に幽閉されたイカロスだって、鳥の羽を蜜蠟で固めて翼を作るまで脱出しようとしなかった。 

 それなのに、まずは風を信じて体を任せて、生身で空を飛ぶ感覚を体得しようとしたお福ちゃんが、世界で一番勇敢でまっすぐな心を持った子どもであることは間違いない。

 やっぱり、前世はただものではないのに違いない。

 お福ちゃんに「つーずー」と呼ばれると、凉里は何か呪力のようなものが自分にも備わるのを感じる。 

 いつか涼里は、お福ちゃんの側にいるのが誇らしくてたまらなくなっていた。


 昭和二十七年に建設工事が始まって、お福ちゃんのお父さんはそこへ働きに行くようになった。

 それがこのダムだ。

 あの頃は、夜中も山を揺るがせて発破の音が響いた。

 不夜城のように煌々と灯された現場は、川下から見ると山が燃えているように見える。

 お福ちゃんは、それが恐ろしい。

「きょーてーねえ、でーれー音じゃなぁえ、つーずー」

と言って、いつも涼里の背中に抱きつく。

 乾草の匂いの毛に顔を埋めていると、お福ちゃんはだんだん落ち着いてくる。

 お福ちゃんはいつも鼻が詰まっているので、うまく「涼里」と言えない。

 それで「つーずー」と言う。

 お福ちゃんが「つーずー」と言うのを聞くと、涼里はかわいくてかわいくて、どこにいても跳んで行って守ってあげようと思った。


 お母さんはいつも、お福ちゃんが寝入ってから帰ってくる。

 旅館の泊り客の晩御飯が終わったら片付けをして、みんなが入った後の風呂掃除をする。

 終わったら裏口から林を抜けて、真っ暗な水がぞうぞうと音を立てている川沿いの道へ出る。

 そして、まるで螺灯を灯して坑道の中を歩くように、懐中電灯の小さな灯りを握りしめて帰って来る。

 お母さんは朝も早い。

 お福ちゃんが起きると、もうご飯は炊きあがっている。

 凉里の皿には、お客さんが余した川魚や鶏肉が入っている。

 お母さんは洗濯、薪割りと忙しい。

 お福ちゃんはお母さんにまとわりついて、嬉しそうに可愛い声でしゃべり続けている。

 お福ちゃんがぐずぐずご飯を食べている間に、お母さんはもう旅館の朝ご飯を作りに行ってしまう。

 まだ蒸気霧の上がる川に沿って、山の麓の道を歩いて行くのである。

 お福ちゃんはいつも一人ぼっちであった。

 涼里がこっちへ来る日、傾山の麓の地蔵堂の角まで来ても、お福ちゃんは泣きながら付いてきた。

 地蔵堂のすぐ向こうに、もう傾山へ登る道が見えているのに、お福ちゃんはまだ追ってきて

「なんで置いて行くの。

 おめぇが守らんで、誰がうちのお守りをするの」

と言ってわあわあ泣く。

 鼻水が垂れているのが気になる。

 この角で振り切ると決めた涼里は、お福ちゃんに

「その時は寒月を見て忍びょかし」

と大声で言い置いて、角を曲がると一目散に走った。


 龍次さんは車に戻って、山道を降り始めた。

 車の幅すれすれの、手で掘ったみたいなトンネルを通る。

 いつも酔っぱらったおじさんがからかうものだから、お福ちゃんが丸くなって走って通ったトンネルだった。

 お母さんが下原の旅館で働いているので、お父さんのところへ着替えや食べ物を届けに行くのは、いつもお福ちゃんの仕事だった。

 ダムは立派に出来上がったけれど、トンネルは昔と変わらない。


 涼里はお福ちゃんの泣き顔を思い出しながら、助手席のクッションの上で眠ってしまった。

 目が覚めると辺りは暮れ始めていた。

 涼里はまだ眠くてだるかったけれど、蜩があんまり華やかに鳴くものだから窓枠に手を掛けて外を覗いた。

 榎が車の前まで枝を広げている。

 暮れかかった空にさわさわと揺らぐ梢を見ていると、体内時計が正確に動き出すのが分かった。

 窓から見える駐車場の脇の、町の振興課が管理している花壇には雑草が生えて、ヒメオドリコソウが咲いている。

 縁を囲ったレンガの脇を、穴熊が鼻で落ち葉を掘り返し掘り返し歩いていく。

 太った尻と逆三角形の分厚い尻尾をゆっくり振りながら歩くのを見ると、涼里はムラムラした。

 穴熊は太い前脚に鋭い爪があって、凉里なんかに負けない自信があるものだから目の前でトマトを盗る。

 お父さんのお弁当に入れたり、お福ちゃんに食べさせようとお母さんが育てている大切なトマトだ。

 それなのに涼里が吠え立てても、ちらりとこちらを見るだけでまた伸びあがって中腰になってトマトを採る。

 そして悠々と食べる。

 恐る恐る近寄って行くと、振り返って「あれっ、見てる?」と言う顔をする。

 しばらくじっとこちらを見て、また尻を振り振りゆっくりと歩いてゆく。

 腹が立つ。


 上流で、橋の欄干に結びつけた豆電球に明かりが灯った。

 いかにも湯の町と言った風情は、龍次さんのような客を呼び込むためだろう。

 涼里は首がだるくなるほど伸びあがって、前の方を覗く。

 龍次さんは早く温泉を上がってくれないかしら。

 今日は七時にはタブレットを見たいのである。

 「みんなともだち」に寧々ちゃんが出る。


 「三百六十五歩のマーチ」を歌うのだ。

 凉里がテレビで初めて寧々ちゃんを見たのは、龍次さんがガムテープを買いに行くのについて行った帰りだ。

 電気屋さんが道路に向けていつも点けてあるテレビで、寧々ちゃんが笑いながら手を振っていたのである。

 お福ちゃんとあまり良く似ていたから、涼里はリードを引っ張って道路の向う側の電気屋さんの方へ飛び出してしまった。

 車が何台もキイキイ言って停まって、運転手が怒鳴った。

 龍次さんはペコペコ謝ったけれど、凉里を叱らなかった。

 白い小花模様のワンピースを着ているのを見て、涼里は嬉しくて嬉しくて、こんなきれいな洋服を着てお福ちゃんがテレビに出ているのは夢のようだった。

 お福ちゃんとは少し違うような気もするけれど、テレビだし、もう何年もたっているし、涼里はその晩、嬉しくて眠れなくて夜中に庭をうろうろした。

 それから何回もテレビで観ていると、やっぱり違うような気もする。

 臭いを嗅いだら一遍でわかるのだけれど、涼里はちょっと目が悪いものだから、やっぱりお福ちゃんのような気がするのだ。

 けれども、去年の暮れの特集番組に寧々ちゃんのお母さんが出た。

 ワンピースを着たきれいな若い人だ。

 お福ちゃんのお母さんはもっと年を取っているし、スカートは履かない。

 しかし、とにかく涼里は寧々ちゃん押しなのである。

 

 前から、ビニール袋を提げた龍次さんが歩いて来る。

 あの中にはよく冷えた五百ミリリットルの角ハイボールが三本入っている。

 温泉で整った龍次さんはきっとお酒を飲んで、タブレットをつけたまま寝てしまう。


 六時前にはアトレーを車中泊仕様にし終わって、龍次さんは寝っ転がって飲み始めた。

 自分のYouTubeを見たりしていい気なものである。

 凉里も自分のアップが映し出されるので、気になって横に座って見ている。

 六時五十分ちょうどに龍次さんは突っ伏した。

 凉里は、即座に番組を変えてお座りをした。

 十分間、きちんとお座りをして待つ。

 白いワンピースを着た寧々ちゃんが「こんにちわあ」と言って手を振りながら出てきた時、涼里はふぎゃーと叫んで手を振った。

 龍次さんはびくともしない。

 足踏みをしながら「ワンツー、ワンツー」と歌うのが可愛くて可愛くて、涼里は車の中で跳ね回った。

 左右の窓にぶつかって天井にあたって、ヒーヒー鳴いた。

 あまりドンドンヒーヒー言うものだから、河原にいる人が

「どねーしたんや、あの車。

 無茶苦茶揺れとるぞ」

と言った。

 涼里はピンと耳を立ててテレビの前に座り直して、尻尾で拍子をとった。


 翌朝、露天風呂を浴びて来ると龍次さんは家へ向かった。

 途中で蒜山焼そばを食べて、それから山道をぶっ続けで三時間運転した。

 家について涼里を庭につなぐと、もう洗濯機を回し始める。

 涼里は、物干し竿の支柱に繋がれた赤いリードを引いて門に出た。


 まあるい大きな月が上っている。

 涼里はお福ちゃんが見ているようで嬉しくなった。

 本当は涼里の方がお月さまになって、お福ちゃんを守ってあげなくてはならないのに。

 お福ちゃんがお月さまを見上げても、お月様は見下ろすだけで涙を舐めてはあげられない。

 冷たいお手々を毛で覆ってもあげられない。

 お福ちゃんはもう十三参りの年なのに、ひとりぽっちである。

 今年はお婆ちゃんの法事があるので、龍次さんのお母さんは色々なものを持ってきて座敷へ置いていく。

 用意する物がこんなにたくさんあるのに、お仏壇など買えっこないお福ちゃんはどうやって涼里を忍ぶのだろう。

 あの町は水の豊かな良い町だ。

 お福ちゃんがあそこにいるのなら、涼里は帰りたい。

 だけど、メビウスの輪のように何かが変わったままなのである。

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