【6話】意図なき偶然
少年は不本意ではあったが、心理というものを巧みに扱っていた。
もちろん全て意図的ではない。
少年の生きたいという必死な願望が作り出した偶然であった。
生き物は強く打ち込まれた感情を簡単に打ち消す事は難しい。
村の若者達は最初こそ勢いで集まったのはいいものの、
実は既に少年の暮らす倉に辿りつく前から雰囲気に飲み込まれていた。
俗信を信じていないわけでもなかった。
満月の朧げな光が照る深夜の森の雰囲気もゾッとするものがあった。
単なる痛めつけとは違った。
名目上とはいえ普段とは違った目的は更なる緊張や不安を与えた。
そして若者達はその色んな負の感情を無理やりかき消そうとした。
倉に到着する前のやり取りも恐怖や緊張を消すための虚勢を張っていただけに過ぎなかった。
倉の前に到着した。
若者達は彼らなりに奇襲したつもりだった。
ただ寝ぼけている忌子を袋叩きにするつもりだった。
そして倉をガバッと開けた。
しかし予定外の事が起きた。
倉を開けたら忌子は奇怪な姿勢で彼らを見つめていたのだ。
満月の影響もあり、少年の澄んだ双眼は月光を照り返していて、
若者達にはとってはもっと奇怪に見えた。
そう、それだけでも若者達は気圧された。
そして発する忌子の声。
彼らの縮み込んだ感情で聴く忌子の声は呪いを発する声そのものだった。
一人の若者が錯乱し忌子を襲った。
冤罪かもしれないが、とにかく忌子に一番の恨みを持っている者だった。
しかし彼の攻撃は空しくも首元をかすめただけだった。
そして首から血を出しながらもうっすらと笑みを見せた忌子に襲ってきた若者は極限の恐怖を感じる。
そして若者が全力で抜こうとした壁のクワをいとも簡単に…
ゆっくりと片手で抜いた忌子は一切の躊躇もなく、
攻撃をしかけ失敗し後悔し怯えている若者の首元を刺しちぎった。
即死。
その人、いや既に死体となったその首からは血が噴き出ていた。
次第に弱くなっていく心臓と動脈の鼓動に合わせてドクンドクンと溢れ出す。
クワの刃の間に挟まっている首が変な方向に曲がっていた。
閉じきれなかった目はまるで恨めしげに自分たちを見ているようだった。
元々、覚悟も半端な彼らだった。
死人なんて想定もしなかった。
忌子を見下していたのもあった。
知っていたおとぎ話ではこんな残酷な描写はなかった。
自分らも決心すれば勇ましい者になれると思った。
現実をぶつけられ、全ては勘違いであり違うと否定された。
ふと、村の年長のおっさん達が自分達をひよっこ扱いし見下した事が頭に過ぎった。
そんな思考を停止させている間に忌子は首から刺さったクワを抜く。
クワの刃先から血が雫となりボタボタと垂れ落ちる。
ドサッと倒れた死体を見る。
血塗られたクワを見る。
何も考えずただ見る。
思考ができない、何の判断も下せない。
ただ怖い。
怖いとばかり思った。
実際の所、少年はとても弱い。
柄の長くて先が重いクワは持つ事で精一杯だった。
まだ九歳の子供なのだ。
大人になったばかりの集ってきたこの若者たちの平均年齢の半分くらいしか生きてない。
それに加え、ろくに寝る事も食べる事も出来ていなかった。
押し寄せて来た若者の中でどんな人でも畏怖さえしなければ簡単に、そして一瞬で少年を殺せるだろう。
しかし忌子と呼ばれる少年の呪いと他人の殺意により再構築され表された思案による態度、
自らが破ってしまった禁忌や少年の不本意なる見返り、
そして若者達の恐怖心は忌子の強さをものすごく誇張させていた。
そんな中、率先してここまで率いた若者が急に跪き忌子の足にすがり付く。
人格はどうあれ、この村の若者の中で最も聡くて強い青年だった。
外見もよく好青年で村中の女衆の憧れの対象であった。
将来的には、そう近くはないが将来的には村長、長老にも成り得るだろうと期待されていた青年だ。
そんな彼が必死に謝ろうとする。
涙目になり忌子に跪き媚びる。
彼の手と服は地面に擦り付け、血や土で汚れ、嘔吐までしている。
彼に惚れ込んだ村の女衆は冷めてしまうだろう。
無様だ。
しかし忌子は彼の言葉を...謝罪を全部吐き出す前に平然と彼の背中にクワの刃先を落とし込んだ。
それはまるで既に打ちひしがれた若者達の砕かれた心にさらに杭を打ち込むように。
謝罪を拒否した。
どんな交渉の余地すらも奪った。
そう解釈された。
そして何事もないように刺したクワを引き抜く。
肺や心臓にも達していたんだろう。
これ以上言葉を発する事もできず、声を出す事もできない。
ただ苦しむ。
そしてクワを抜いた途端、大量の血が勢いよく噴き出した。
少年はその返り血を思いっきり浴びた。
若者達をジッと見ながら。
少しは余地があると思っていた。
しかし可能性はないと少年は断言する。
その希望は絶望に変わり、忌子をさらに誇張させた。
そして、この時点で忌子と呼ばれる少年は生き残る事ができた。
若者達の戦意は失われ、恐怖だけが身を支配し、
思うままに動く事すらできなかった。
生理現象の自由さえ奪われ、漏らした者もいた。
勝敗の決め方など存在はしていなかったが、少年の勝ちであった。
この一瞬で起きた出来事がまるでスローモーションのように鮮烈に脳裏を焼き付けた。
そして若者達の心の深くに刻印が刻まれる。
忌子は恐ろしい存在だと。
忌子とは関わってはいけないと。
掟は絶対だと。
何よりも平然と返り血を浴びている忌子の姿が。
そしてここまでの流れは少年の意図された事ではない。
全て少年の必死さが生んだ…
そう、ただの偶然であった。
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