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忌子物語  作者: あむ
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【4話】畏怖

少年を攻撃した若者は必死にクワを引き抜こうとする。

しかし錯乱状態で全力で刺したクワは壁をしっかりと噛み決して抜ける事はなかった。

ちょっと落ち着いていたら楽に抜けたかもしれない。

しかしすぐ目の前に忌子がいる...

そしてその忌子が淡く笑みを浮かべて自分を見ている事に更なる恐怖をもたらし、落ち着く事を許さなかった。

妹の死はもうどうでもよかった。いや、正確にはもう頭の中にはなかった。

何でここに来て、しかも何で先頭を切ったのかと後悔すらしている。

結局、その若者はクワを手放し、ついに尻餅をついた。

必死に両足で地面を足掻き、倉の外に出ようとする。


それまで少年は微動だにしなかった。

ただ腰を抜かした若者をじっと見つめた。


普段ならば他の若者達は、その滑稽な姿を見ては爆笑もしくは失笑でもしたのだろう。

そしては手を貸していただろう。

しかし今はその場では誰も笑ったりはしなかった。

手を貸すどころか、動く事すらもできなかった。

倉の中でゆらりと立っている少年を見て更なる恐怖と畏怖により錯乱しそうな気持ちをやっと抑えているだけだった。


少年は腰を抜かした若者から視線を外す。

そして刺さったクワの柄に視線を移し、それを眺めた。


ゆっくりその柄を手に取り、

ゆっくりと上下に動かしてみた。

ギギギッと音がしながら案外簡単にクワが抜けた。


そしてそれをゆっくりと構えた。

構え方なんてよくわからなかった。


先ほど、自分に向けた若者の姿勢を真似てみただけだろう。

それだけだった。そして──


何の予備動作もなくそのまま構えていた両腕を伸ばした。


プシュー...


尻餅をついた若者の首に深く刺した。

断末魔を上げる隙もなかった。

首の深くまで抉られ、体を支配する神経をも断たれ、動脈も同時に断たれた。

少年の力では首の骨までは断つ事は出来ず、

彼の頭はクワの入った角度により変な方向にぶら下がっていた。


心臓はまだ動いているのであろう。

まだ鼓動している心臓の力により、首からは勢いよく血が溢れた。

勢いよく吹き出すその血はクワを濡らし、倉の壁を、地面を濡らしていた。

そして扉の前に立っていた若者の体や顔にまで血しぶきが飛び散る。


若者達はこの状況が理解できなかった。

正確には思考が強制停止された。


若者の過半数は訳も分からない腹いせで来ていた。

その気分に酔っていた者がほとんどだった。

故に虚勢を張った者もいた。

故に面白半分で参加した人もいた。


掟を破ってまで、またどんな災いをもたらすかもわからない忌子を本気で殺そうと殺意を向けられる人なんて、

実はそんなにいなかったのだ。

せいぜい殴ったり蹴ったりする命あっての自分達が勝手に決めたおふざけ程度だと思っていた。

誰かが殺したのなら自分のせいではないと責任から逃げるつもりだった。


加えて常に受け身だった忌子が反抗をするとも思わなかった。

自分たちは狩る方であり、忌子が狩られる方だと思った。


何よりも死人が出るとは少しも思っていなかった。

ほとんどの若者は忌み嫌い忌子と呼ばれているこの少年の事さえ死人にしようと思わなかった。


そう、ここに集ったほとんどの若者達は本気で冗談のつもりで来ていたのだ。


ギチッ...


その間に少年はクワをゆっくりと抜く。


ドサッ....


腕や頭が異常な角度で曲がったまま、倒れた若者の首からはまだ血が出続ける。

心臓はもう止まったのだろうか。

先ほどよりも吹き出す威力はない。

それでも、倉の入り口を、押し寄せて来た若者の足元を真っ赤に染めていた。


みんながその転がっている死体と血しぶきを見て思考を停止させている時、


少年は既に若者達を見据えていた。


────────

『...』


身を守ろうとした。

自分を殺そうとする者を殺すと決めた。

幼い者がする一次元的な単純な思案だったけど、

押し寄せて来た彼らを殺すことで自分を守れると思った。

だから方法を思案した。


自分を襲った者から目を外し、壁に刺さっていたクワを見た。

柄だけは新しいのに取り替えたのだろう。

小傷だらけの刃の部分とは違い、木のトゲから手を守るために塗られた桐油のまだ新しい光沢がそれを表していた。

そしてその柄は普通のクワと比べ、やや長めだった。

刃の部分はツルハシ状の物ではなく、真っすぐ伸びていてフォークのように3つに分かれていた。

普段は畑を耕したりするための物ではあったが、魔物の襲撃の武器としての備えもあったのだろう。


そのクワは木造の壁に刺さった先端はそれほど深く刺さっているようには見えなかった。

この村の若者達は戦士としてはまだ半人前だ。

その未熟な者が狙いもちゃんと定めていなかった為、外してしまったが全力で刺したのだろう。

しかし壁からクワを抜こうと必死に引っ張った分、抜けかけていた。


そのクワを手に取った。

片手でちょっと力を入れて引っ張ってみたけど抜けなかったので上下に揺らしてみた。

案外簡単に抜けた。

少年が思った通り重くてふらつきそうになった。


クワを両手でしっかり取り、若者が自分を襲う直前の姿勢を真似た。

村で男たちは魔物の襲撃に備えて槍術を習う。

しかし少年は当然そういう事を習った事はなかった。

だからこのクワの前の使い手の姿勢を真似てみた。

腰が完全に浮いてはいたが少年は気づく事はない。


そしてそのクワの元の使い手を見た。

よくわからないけど、今だとどこを刺しても刺さるだろうと思った。

そこまで考えた。


若者を刺した時はほぼ無意識であった。


どこにも刺せる気はしたが、

無意識的に狙いを首に定めてはいた。

石をぶつけられるとき一番嫌な場所であり、最も苦しい場所であった。

父はよく自分の首を絞めていたものだ。

何よりもさっき襲われた時に正確な狙いではなかったが、自分の首を狙われていたのだ。

知識は疎かったが本能的に一番危ない場所だと思った。


そして──


プシュー...


音がするように勢いよく血しぶきが上がる。

同時にその若者は息絶えた。


思ったほど重くて思ったより鋭かった。

普段、使った後に手入れをしっかりしていたからだろう。

すんなりと首の中にクワの真ん中の刃と右側の刃が刺さった。

難なく頸髄まで達した。


そして若者の首から吹き出る血しぶきをしばらく鑑賞した。

初めて人を殺めたんだ。

その手ごたえは思ったよりもあっけなく、ある意味ではとても重かった。


血しぶきの勢いが弱まっていく。

どんどんクワが重くなった。

彼の上体を支えていた両腕の力が抜けクワにその体重を掛け始めたのだ。

ついに少年の力では支えきれない遺体の体重でクワの先が下にこう垂れた。

重力に沿って刺さった首が刃物から逃れるように滑っていく。

そして彼の頸髄と彼の血をたっぷり含んだクワが当たりギチッと不気味な音を鳴らしながら抜けた。


少年は思った。

人間とはこんなに簡単に命を落とすものだと...

逆に言えば、今血しぶきをあげていたのは自分かもしれないと、

あそこでただの肉の塊としてあっけなく倒されていたのは自分かもしれないと思った。


そこまで考えを終えた少年はまだ終わってない事に気付き、

ちょっとだけ慌てて残った若者達を見据えた。


────────


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