【2話】嵐
深い夜、村人の若者たちが少年の眠っている家の前にコソコソと集まっていた。
雲一点も見えない暗天には満月が昇っていた。
各々の手にはその月の光を浴びてギラリと光る刃物を持っている。
包丁、斧、クワなどの農機具だけではなく、魔物や猛獣と戦う時に使うショートソードや槍などの武装をした者もいた。
「やっぱりこいつが全部悪いんだ。」
「あいつの親含めて3人だと?絶対あいつのせいだろう!」
「お...俺の妹が原因不明の病にかかって死んだんだ。絶対殺してやる...」
などと荒いセリフを吐き出す。
「そもそも、怪しすぎだろ?普通なら死んでもおかしくない傷を負っても次の日には平然と現れるんだぜ?」
「あー確かに。いつの日かあいつが確実に、あ~これは骨までイッたなと思った時があったんだけど、次の日にはその様子が全くなかったな。マジで鳥肌立ったわ。」
「だ...だから今日確実に殺そうぜ。いくら化物でも首を切ったら死ぬだろうさ。」
「そうだな。どうせ大した抵抗もできないだろうしな。」
「俗信だろうが掟だろうがもう知ったこっちゃない!そんな事よりもう嫌なんだよ!あいつが村にいる事自体が!」
「それに、一番ひどい仕打ちをしていたあいつの親が死んだんだ。次はオレ達の番かもしれない。」
「ああ、オレ達がヤられる前にもうヤるしかないぞ。」
こんな話をしていた若者たちは少年の倉の前に到着した。
「ヤ...ヤるか...」
彼は今日、病気で死んだ妹の兄だった。
フォークのような形をしたクワを両手でしっかり握っていて、緊張のせいか手が震えていた。
そして喉をゴックンと鳴らす。
そして倉のボロボロの扉をガバッと開けた。
そして中に入ろうとした若者が少年を発見した。
しかし彼はそのまま固まり怯んでしまう。
そして同じく中を覗き込んだ若者達はみんな同じく怯んで何もできなくなっていた。
少年は扉の方に足を置き、うつぶせていた。
先ほど戻った時、倒れて寝た時のそのままの姿勢である。
しかし首から上だけは扉の方に向けていた。
もっと正確には自分の倉にやってきた若者達をジッと見つめている。
満月の光が倉の中をほのかに照らしていた。
その光を含んだ金色の双眼は、かの忌子という悪名もあり、鳥肌が立つ程おぞましく見えた。
日が昇った昼だったら大分平気だったかもしれない。
しかしその昼とは違った深夜の雰囲気にも飲み込まれ若者達は怯んでしまったのだ。
実は少年は既に起きていた。
少年への数年の暴力と虐待は安眠を決して許さなかった。
故に小さな気配でも敏感に彼の精神は反応した。
そして村の若者たちが怯んでいる裏腹に、
少年はただ単に思案する。
こんな深夜にどうして来たのか。
昼間の暴力はまだ終わってなかったのか。
あの見るにはおぞましい刃物を何で自分に向けているのか。
何でみんなそんなに怯えているのか。
しかし少年はそれらを言葉で整理する事は出来なかった。
忌子として嫌われ、教育はおろか、人とのまともな会話が出来なかった彼は言葉での表現には限界があったからだ。
「な...んで...?」
やっと発したこの一言には色んな意味が含まれていた。
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少年が声を発したのはいつぶりだろうか?
石をぶつけられても、汚物を被せられても悲鳴すらあげなくなっていた。
そんな少年にやけになって暴力を振るった者も多々いた。
余談ではあるが、その一人が父だった。
とにかく少なくとも何カ月も使われてない声帯は悲鳴をあげ、大分荒くなり擦れていた。
そしてまるで鉄を引っ搔くような声は聞くようには、まるで幼い死神が発する声と勘違いするくらいだった。
その言葉を発した後、少年はゆるりと立ち上がる。
幼い少年は十分な栄養も取っていなくて、痩せ細っていて年頃の子達と比べると一回り小さかった。
そして一度も切った事がないであろう長い黒髪は汚物や血などで魔物のたてがみのように荒れており、
少年の顔を被さっていた。
そんな中で荒れた前髪の隙間から見える澄んだ双眼だけが月光を浴び光っていた。
その姿はまるで村人が語る悪鬼だった。
「な...んで?」
もう一度発した彼の声を聞いた若者達はもう正気ではなかった。
錯乱状態になり、ドアを開けた若者がもうがむしゃらに少年を襲った。
「うわあああ!死ねええええ!死ね!死ねええ!!」
錯乱状態で叫びながらクワを突き刺す。
その時、少年はとても驚いた。
普段なら石を投げつけるのみだった。
直接、襲ってきたことなんて父親くらいしかいなかった。
しかし、ひどく錯乱した若者のクワは狙いがちゃんと定まらず、少年の首の横をかすめてそのまま倉の壁に刺さってしまう。
そして少年の首にできた一筋の傷から一滴の血の雫が転げ垂れた。
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少年は驚く。
その若者は錯乱状態ではあったが、
初めてぶつけられた感情に、初めて感じる感情でとても複雑だった。
相手は本気で殺そうとしていた。
殺意に満ちていた。
今まで数多の暴力や罵声を受けて来た少年だったが、実際そこには明確な殺意は込められていなかった。
直接、殴っていた父親ですら本気の殺意を向けてないんだと今この瞬間悟った。
ここしばらく感じた事のなかった感情を思い出した。
それは「恐怖」だった。
今夜死ぬかも知れないと。
彼らに殺されるという事を悟った。
このままだと自分の生はここで終わるのだと。
それでも死にたくはなかった。
虐げられてもいい。
傷を負ってもいい。
それでも生きたいと思った。
怖い。
とても怖いと思った。
少年は思ったよりも自分の生への執着に一瞬たじろいだ。
それは果てない「恐怖」と「欲望」だった。
またそれとは裏腹に少年は今まで感じた事のない感情にも少し戸惑っていた。
暴力や罵声で虐げられてきた少年は今まで正の感情を持った事はあまりなかった。
村人は自分の支配者であり自分を痛める者であり絶対者のような位置であった。
普段なら笑いながら石をぶつけてくるし、平然と罵倒を食らわせ、汚物を被せる。
しかし今夜は何か違っていた。
自分を痛めつけていた者達が、自分がひれ伏せていた者達が何故か最初から怯えている。
一体、何で?何にだ?
よくわからないが一つだけは確かだった。
その怯えの対象は少年、つまり自分自身だった。
あの若者の目は自分でもよく知っている目だった。
今はおそらくしなくなったが、何年か前の村人を見る自分の目だった。
そして今、自分が見せているかもしれない目だった。
しかし、その目を見た少年は理由はわからないけど、
なぜか笑いが込み上げてきた。
気持ちいいと思ってしまった。
そう、少年が初めて持ったその感情の名は「快感」だった。
少年は震えながらも唇の端を吊り上げていた。
恐怖と快感...
そしてこの二つの感情により少年は改まった意識が再構築されようとしていた。
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