【1話】忌子
とても深い森の中、名もなき小さな村があった。
村人は200人程度で、他の村や町との交流はとても少なく自給自足の生活をする村だった。
この村で名もなき少年には今日もいつものように罵声と暴力が降り注がれた。
当たり前のように彼の体には石が投げられ、汚物を被せられ、罵倒を食らっていた。
忌子──
村の人々にはそう呼ばれていた。
この村のみにある俗信により、見た者誰もが訳もなく嫌悪感に苛まれ、忌み嫌う子が生まれる時があるらしい。
それは産み親にも例外ではなく、特に産み親の方がもっと嫌う場合もある。
故に親からも名付けられる事を拒まれ、捨てられてしまう。
そういう子を忌子と呼ぶ。
そして忌子は親の髪の色や目の色を受け継がず、真っ黒な髪と金色に輝く瞳を持って生まれる。
忌子は善を悪で返すとの村の昔から伝わる俗信の掟により、
触れる事も禁忌にされ、優遇する事すらままならなかった。
産み親は忌子を捨てる事は許されなかった。
昼間には彼の身柄を拘束する事も禁じられ、夜には軟禁させた。
村から出すことも禁じられていて、夜に忌子に出逢う事も禁じられた。
最も重要な掟として忌子を殺す事は何があっても絶対的に禁じられた。
もし殺そうとしても忌子は死なないだろうとの説もあった。
なぜ、この掟があるのか、破ったらどうなるのかなんかもわからなかった。
古から伝わる俗信であり、この俗信が真実かただの迷信かはわからない。
ただ、生まれて泣き出したその瞬間から、両親からさえも見放され名付けを強く拒まれ、
虐げられても死なない少年を見て、
また、その少年の赤ん坊だった頃に一目見ただけで言いようのない憎しみが滲み出る感情を感じて、
そして漆黒の髪や金色の双眼をみて...
その俗信がただの迷信ではないと...みな本能的に感じていた 。
────────
そんなある日、事件が二つ、いや、見ようによっては三つの事件が同日同時に起きた。
どれもが忌子絡みでもあり、また忌子とは無関係だった。
この事件は全て偶然、起きた事件だったのだ。
そう、偶然である。
この名もなき少年が生まれて九年が過ぎた頃であり、誰も覚えるはずもない少年の誕生日に起きた事だ。
一つ目、いや二つの事件は両親が急死したのである。
何故、一つじゃなく二つなのかと言うと、その死が別々の場所で起きていたからだった。
少年の父は木こりだった。
毎日のように森の中に入り、木を伐って、日銭を稼いでいた。
幼い頃から一生を木こりとして生き、今となっては十数メートル以上の木をもバッタバッタと難なくなぎ倒す。
それだけではない。
彼の地位はそこら辺の村や町にいる木こりとは大分違っていた。
他の村や町との交流も少ない小さな村であったため、比較的に発展が遅れているこの村にとって木という素材はとても重要だった。
色んな道具を作ったり燃料や建築まで、この村にとって木材の依存率はとても高い。
そして強力な魔物が棲みついているこの森の中で一人でも平然と行き来できる、数少ない戦士でもあった。
木こりの匠がいたのならそう呼ばれても遜色ない人であり、強い戦士でもあり、村ではかけがえのないとても重要な人の一人であった。
忌子の親となってやや色褪せたものの、それでも彼の立場は然程変わらなかった。
そんな父は忌子に触れたら駄目だという禁忌を全く信じていなかった。
一日の鬱憤を晴らすために、気分のままにと好きに直接、少年に暴力を振るっていた。
しかし、そんな父が樹木の下に無残にも敷かれ頭が潰されていた。
足場を踏み違え、足をもつらせ、転んだ跡があった。
他の木こり達が偶然見つけた時には、それ以外の痕跡は何もなかった。
何らかの魔力の後も、暴力の後も、獣や魔物の足や爪跡もなかった。
父の体には木で潰された頭を除いては、転んだであろう時に露出していた素肌のかすり傷しかなかった。
つまり、彼は何の突発的な事故にあった訳でもなく、自分の失敗で死んだことになる。
彼ほどの人が決してする失敗ではなかった。
それなのに死んだ。
そのほぼ同時刻、母も死の危機に陥っていた。
彼女は家にいた。
正確には家にしか居られなかった。
忌子を産んで以来、彼女は家の外に一歩も出た事はない。
忌子を産んだ女として外に出たら何をされるかわからなかったからだ。
夫が彼女を愛していた事、その夫が外仕事を全てしてくれた事、
そして夫が木こりだった為に村の隅っこの割と閑散な場所に家があったのが幸いだった。
彼女も当然、少年がとても嫌いだった。
母性愛という母親ならの子への愛情というものはなかった。
元々は村一と呼んでも遜色のないくらい、とても美しく明るく周りから愛されていた彼女だった。
しかし忌子を産んだ事で人々に白い眼を向けられ、外出を恐れた。
熱い視線で求婚してきた数多くの村の男性たちは、今や冷たく冷めた目で彼女を見ながら内心胸をなでおろす。
当然、己のお腹を痛め産んだ実の息子ではあったが、よく思えるはずがなかった。
反面、夫のように暴力は振るう事はできなかった。
彼女は俗信の掟を恐れていたからだ。
だから赤ん坊の頃には嫌々と母乳を飲ませ、一人で食べられるようになってからは家の出入りを禁止させた。
そして暴力を振るう代わりに、朝日が出ると半分以上は腐ったであろう数日前の食べ残しの固いパンを一切れ投げ与え家から追い出した。
日が暮れるまで戻って来るなと一言添えるのは欠かさなかった。
それでも己が産んだ子だと、食事ならぬ餌を義務的に与えていたのは彼女なりの慈悲だったのかもしれない。
そんな彼女は今、急に訳も分からずに女性のみが持つ秘める場所から激痛を伴う大量の出血をしていた。
月の物の下血としては量も多く、その日もまだまだ遠かったはずだ。
助けを求めた。
願った。
祈った。
しかし忌子の家として誰も近づこうとすらしなかった家だ。
誰かが見つけたのならば助かったかもしれない。
しかし誰も来なかった。
そう寂しく彼女は息を絶えた。
偶然だろうか。同日同刻に一人の少女も息を絶えた。
年齢はまだ九歳と...忌子とさほど変わらない年だ。
彼女は少年とはほとんど関わりを持たなかった。
罵倒もせず、石も投げつけず、ただ忌み嫌い近づこうとすらしなかった。
しかし、一度だけ、たったの一度だけ少年に関わった事がある。
一年くらい前になるだろう。
何も知らなかった彼女は毎日のように罵られ暴力に見舞われた少年を忌み恐れながらも憐れんだ事があった。
そして彼女は優しいお母さんからもらった甘いクッキーを暴力でズタボロにされた少年の前にこっそり落とした。
少年はそのクッキーをどうしたのかはわからない。
しかしこれは少女にとって少年へのたった一度の関わりであり、たった一度の善意だった。
それだけだった。
その三日後、少女は急に酷い病を患い始めた。
病名もわからない。
ただただ、どんどん苦しみ弱まっていった。
そして、少年が九歳になった日、彼女も息を絶えた。
たった一度の善が悪として返された迷信通りの因果だったけれど、それに気づく村人は誰一人いなかった。
そして三人が死んだ同刻、少年は村の裏通りで、いつも通りひどく石をぶつけられ、汚物を被せられ、ズタボロにされ、やっと息をしていただけだった。
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その夜、村は大騒ぎだった。
少年の両親の遺体はすでに村人により回収され、村長の家の近くに一応、置かれていた。
葬式の見込みはまだない。
同日同刻に三人も死んだ事だ。
村の人数は二百人余り。
一日にそう多くの死を見る事なんて滅多にない。
餌を捜し求めて村を襲った魔物との戦闘での戦死くらいだ。
しかもここ数年間、魔物が村に襲って来た事は一度もなかった。
同刻に死因がバラバラな三人の死亡...
果たしてその確率はどれほどだろうか?
しかし忌子の両親の不可解な死を以って、村人達は忌子のせいだと確信を持った。
それ故にかの影響を受けているであろう三躯の遺体に誰もが近づくことすらも恐れていた。
なので、葬式の見込みはまだない。
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少年はいつもより遅れて家に帰っていた。
正確には家ではない。
少年は家の中に入る事すら許されなかった。
少年が開けた扉は家の庭にある、少年が横になるには十分な大きさのボロ倉だった。
この倉は忌子を産ませた責任と同時に少年に好きに暴力を振るうために父が適当に作った倉だった。
そこの片隅には少年がいつか拾い集めた藁を分厚く敷いてある。
その藁も血や被せられた汚物が染みついた上に、それを栄養分とするカビ等が生えていて普通の人なら我慢ならないほどの悪臭がした。
少年はそれをもかまわずにその藁の上に身を投げた。
この時間だとすでにいるであろう父がいないのを見て、無意識に安堵のため息をした。
今日は父の暴力はないんだと...
今日も何とか生き延びたんだと。
普通の子供だと泣き喚き、怒り、怯えなどで苦しみを思いっきり表現するだろう。
何で自分ばかり苦しめるんだと主張をし、表現をするだろう。
しかし少年はそうしなかった。
いや、正確にはそんな感情すら持ち合わせていなかった。
何故なら当たり前な事だと思ったからだ。
理由はわからない。
しかし己が受ける仕打ちが当然の事だと納得をしていた。
忌子と呼ばれ、両親からも切り捨てられ、村の人たちは当然のように石をぶつけて来る。
それを受け止めるのが自分の生きる意味だと漠然と理解していた。
何故なら違うと否定してくれる人は誰一人いなかったからだ。
だから村人の仕打ちは当たり前だと思った。
それでも明日は弱めにしてほしいと...小さな淡い所望を持ちながら夢も見ない眠りに落ちた。
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11/30 16:10 第2話投稿します!




