リナの決意 ─ 静かなる鍛錬
森の中は薄暗い。
昼下がりの時間でも、分厚く茂った枝葉が太陽を隠し、地面に落ちる光は細い線になっていた。
その中に、一筋の銀灰色が揺れていた。
リナだった。
長弓を手に、細い体をすっと伸ばして立つ姿はまるで彫像のよう。
だが、その瞳は燃えていた。淡い青の奥に、決して消えない光を宿して。
「……はっ」
短い息と共に矢を放つ。
その一射は、目に見えるより速く、遠くの木に立てかけられた小さな標的の中央を撃ち抜いた。
標的は拳大の鉄板。狩猟祭のころにはこのサイズは安定して射抜けなかった。
でも今は違う。
リナは小さく頷くと、すぐさま次の矢をつがえる。
「次は……」
わざと身体を斜めに捻り、足をクロスさせる姿勢から放つ。
安定性を失うこの構えは、本来なら遠距離射撃には不向きだ。
だが弦を引く彼女の瞳は揺れない。
放たれた矢は鋭い風切り音を立て、再び標的の中央へ吸い込まれるように突き刺さった。
「……まだいける」
呼吸を整え、再び矢を抜く。
リナの手は微かに汗ばんでいた。
けれどその顔に浮かぶのは疲労ではなく、昂ぶるような光だった。
***
狩猟祭の終盤、数字だけを見れば自分は蓮に追いすがっていた。
けれど決定的に届かなかった。
あの数字の裏には、討伐効率、対応力、そして何より精神力の差があった。
「――だから、次は絶対に負けない」
リナは短く呟き、自分に言い聞かせるように矢を構えた。
次の瞬間、三本の矢を同時に弦へ掛ける。
高難度の連射技法。弦の軌道と矢の角度を計算し、ほぼ同時に複数の標的を狙う。
空気が緊張で震える。
放たれた矢が複雑な軌道を描き、三つの標的を同時に貫いた。
「……ッ」
放った後の心臓の高鳴りが痛いほどだ。
でも、その痛みが心地よかった。
***
森に響くのは鳥の声と、矢が的に突き立つ乾いた音だけ。
リナは何度も何度も呼吸を整え、撃ち続けた。
通常の狩りで培った速射の精度。
標的を見失わない視界操作。
木々の間を縫う矢の軌道を、頭の中でいくつもシミュレーションする。
静かに、しかし確実に、狩猟祭で見えていなかった領域へ足を踏み入れていた。
「蓮……」
思わずその名前を口にする。
彼が肩に乗せていた小さなドラゴン――リィのことも、鮮烈に思い出す。
あのフェアリードラゴンが、蓮の側でいかに自然に敵を屠っていったか。
それを思い出すと、胸の奥がチクリと痛んだ。
「……でも、次は負けない」
リナは再び弓を構えた。
この痛みを、そのまま矢に込めるように。
森の奥へ、さらに歩を進めた。
枝葉はさらに密になり、昼のはずなのに夜のように暗い。
けれどリナの瞳は、その暗さをわずかも恐れなかった。
弓を軽く撫でると、そこに新しい感触があった。
(……これが、新しい力)
狩猟祭の終盤、何度も極限まで矢を放ち続け、魔力の流れを限界まで酷使した結果――
イベントが終わった夜、システムメッセージが彼女に届いていた。
⸻
【新スキル習得】
《フェザルカーテン》
前方扇状の広範囲に魔力矢を無数に生成し、射出する弓専用スキル。
使用中、視界追尾補正強化。
消費魔力:極大
⸻
(まだ一度も試してない……)
胸が高鳴る。
このスキルは、ただの矢ではない。
リナがこれまで積み上げてきた精密な照準、魔力の流れ、体の捻り方――
全てを動員しなければ暴走し、自分をも巻き込むと説明があった。
(大丈夫。私は……負けたくないだけだから)
リナは深く息を吸った。
そして弓を軽く持ち上げる。
「……フェザルカーテン」
声に出して宣言した瞬間、弓の周囲に無数の光の粒が集まり始めた。
最初は小さな星屑のようだったそれが、次第に線となり、鋭利な矢尻へと形を変える。
膨大な魔力が腕を通じて流れ込み、弦が重く、焼け付くように熱を持った。
「――ッ!」
目の前に広がる空間に、幾十、幾百という光の矢が並んだ。
森の奥に小さな獣の気配が走る。
それだけでリナの視界が瞬時に収束し、矢の全てがそちらへ向けてわずかに角度を変えた。
リナは息を止める。
それは弓を始めて手にした頃から続けてきた、矢を放つ前の小さな儀式。
「……撃て」
次の瞬間。
音が消えた。
世界から一瞬、風の音も鳥の声も消え去った。
そして――矢が放たれた。
視界が白に塗りつぶされる。
光の矢が一斉に森を裂き、木々の枝を吹き飛ばし、地面を貫いて無数の跡を刻む。
衝撃波が遅れて襲いかかり、木の葉が数メートル先まで舞い上がった。
***
息を吐くことすら忘れていた。
気づけば膝がわずかに震えていた。
弓を支える腕に重みが残る。さっきまで握っていた弦は灼けるように熱かった。
視界の先――森の一角は完全に変わっていた。
立っていた木々は幹を抉られ、地面には光の矢が突き刺さった跡が無数に残っている。
まるで花が咲いたあとのように、細かい魔力の粒がひらひらと宙を漂っていた。
「……これが、フェザルカーテン」
口にすると、胸がかすかに震えた。
自分はもう、狩猟祭のあの日の自分とは違う。
魔力を補うポーションを口に含むと、体に新しい熱が戻る。
「蓮……」
名前を小さく呼ぶと、少し笑ってしまった。
あのサモナーと、あの小さな竜。
強い絆で結ばれた二人に、自分は一度負けた。
でも――
「これで次は、絶対に負けない」
そう言って弓を背に戻すと、リナは森の奥へゆっくり歩き出した。
足元にはまだ微かに光る矢の跡が無数に残っていた。