櫻麻家の再興
六大家の幹部会が開かれている有明邸が目の間に見えてきた。
なかなか物々しい雰囲気を醸し出している。
屋敷を警備している人員が100人を超えているだろう。アイシスを取り逃さない為に動員されたんだろうな。
「と、トキ……」
あぁ、なんてこったい。すっかり我が主が怯えてしまったじゃないか。
全くたった一人の女性を捕まえる為に何をやっているんだよ。あんな中に向かうなんて誰でも怯えるわ。
「大丈夫です。俺が付いていますから。アイシスは堂々としていれば問題ない」
アイシスは俺の言葉をゆっくりと咀嚼して、コクリと頷く。
俺は気持ちを引き締め有明邸に向かって歩を進めた。
屋敷を警備している人員が俺達を認識したようだ。軽い騒めきが起こる。俺の姿を見て驚愕の顔に変わる人達がいた。その顔に張り付いた感情の名は間違いなく恐怖。30歳以上に見える剣士は例外無く皆怯えている。騒めきが広がり騒然としてきた。明白に腰が引けている人もいる。20歳くらいの剣士は騒然とする周囲の状況に困惑していた。
命知らずの戦闘民族として有名な不知夜の剣士達が恐怖を感じるか。明らかに俺が着ている羽織を見たからだろうな。不知夜家の先祖達、特に俺の祖父は一体何をしてきたのだろう……。
「し、死神だーー! 許してくれー! 俺は悪くない!」
年配の剣士がこの場から背中を向けて逃げ出す。それが切っ掛けにだった。怯えていた剣士達が蜘蛛の子を散らす様にいなくなる。
残ったのは状況が理解できていない20名ほどの若い剣士達だ。
自分の理解を超えることを目の当たりにすると思考が止まるよな。
俺が歩みを進めると残った剣士達は遠巻きにこちらを窺う。
俺は若い剣士達を無視して有明邸の門をくぐった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
有明邸に入っても家人から遠巻きに見られてしまう。もうこれは諦めよう。この櫻麻家の羽織はそういうものなんだろう。
板張りの廊下を歩き有明邸の男性の家人に大広間に案内される。
有明邸の大広間は有名だ。一面畳敷きで圧倒される。い草の香りが鼻をつく。そして絢爛豪華な襖絵がやはり眼を惹く。
大広間の奥には六大家の当主が胡座を組んで座っている。両脇には各家の分家の当主が居並び、末席には未雪の顔が見えた。
俺は意を決して大広間の真ん中を悠然と歩く。
「し、死神……」
「丈稀、丈稀が蘇ったのか……」
数人の分家の当主から言葉が漏れる。
正面の六大家の当主の一人が目を見開いた後に落涙させた。
「おぉ……。まるで若き丈稀の生き写しではないか……」
俺は涼しい笑みを浮かべながら六大家の当主を正面に見据え胡座を組んで座る。
斜め後ろからアイシスが座る気配を感じた。
俺は背筋を伸ばし眼を閉じる。大きく深く息を吸って、ゆっくりと吐く。
吐いた息にこの一年間では消化し切れなかった感情を全て込めるように。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
水を打ったように静まり返る大広間。
張り詰めた空気が最高潮に達した時、俺は開眼し言葉を発した。
「本日、母である櫻麻静の喪が明けました。それに伴い廃家されております櫻麻家を今をもって再興致します。六大家の当主の皆様にはくれぐれも約定をお忘れなきように願います」
響めきが広がる大広間。
「そんな話は聞いていない」、「あり得ないだろ」、「死神家を再興だなんて……」
皆、口々に好き勝手な事を言っているな。しかしそれは織り込み済みだ。これを突破しないとアイシスの命は無い。
騒めきがおさまるのを待って六大家の曙家当主である曙銀次が発言する。
「悪いが約定とは何の事だ? とんと覚えておらん。それを証明する証書はあるのか?」
この狒々爺が……。どうせそんな事だと思っていたよ。空証文を掴ませて母上に殉死を承諾させたんだろ。
「証書はあるがどうせ役に立たないように細工がされているんだろ」
こちらを見下して勝ち誇った顔をする狒々爺。醜悪の顔の極みだな。
だがお前は母上の櫻麻家再興への強い執念を忘れているよ。
「証書は無いが証人ならいるみたいだぞ」
俺の言葉に呼応する声が上がる。先程、俺の姿を見て涙を流した宵闇家当主の宵闇厳三だ。
「確かにワシは銀次が静殿に対して殉死を承諾すれば櫻麻家の再興を約束したのを見ておるのぉ。ワシはその時ちょうど隣りの部屋におってな。おまけにお主は六大家当主の総意と言って約束しておった。これを破れば六大家の信義が疑われる」
宵闇厳三は俺に優しい眼を向ける。
「頑なに櫻麻家の再興を拒絶していたお主が一体全体どういう心境の変化か……。しかし遂に決心してくれたか。ワシは本当に嬉しいぞ。静殿も草葉の陰で喜んでいるに違いない。今度こそ宵闇家は櫻麻家を全身全霊をかけて守り切ってみせる」
「きょ、虚言だ! これは宵闇家の企みじゃないか! そんなのは認められん!」
額に血管を浮き出せて激高する狒々爺。歳が歳なんだからあまり興奮すると死ぬぞ。
「これは宵闇家当主の虚言ですか?」
深更家当主の深更火月の声が上がる。深更火月は未雪の父だ。
「これが虚言と言わずに何と呼ぶ! 全てが戯言じゃ!」
「なるほどそれでは私が話す事も虚言となってしまうのかな? 私も偶々貴方が静殿に約束しているのを見ていましてね。確かに六大家の言葉と言って約束してましたな。先程、貴方は約定をとんと覚えていないとおっしゃっていましたから、失念しているだけでしょう」
櫻麻家と懇意にしていた宵闇家当主だけでなく、深更家の当主の発言は重い。
「あぁ、そういえばその部屋には東雲の当主もおられましてね。どうですか? そろそろ失念していた事を思い出しましたかな? 思い出せない程耄碌しているのならば、家督を嫡男に譲ったほうがよろしいかと存じます」
深更家の当主に言葉に静かに頷く東雲家当主。
これで六大家当主のうち三人が証人だ。もう無視できる状況ではないだろう。
「ば、馬鹿な、何故深更家と東雲家までが櫻麻家に味方をする……」
驚愕する銀次。
片腹が痛いわ。誰がお前みたいな狒々爺との約束を信じるかよ。母上もこれくらいの保険くらいはかけるさ。
口約束では信じられないと言った母上にお前は証文を用意すると言った。しかしそれさえ信じられなかった母上は、銀次と約定を交わす時に、隣りの部屋に証人を用意した。快く承諾してくれた宵闇家当主の厳三さん。深更家の当主と東雲家の当主には初めは断られた。しかし櫻麻家の家宝である大太刀を深更家に、小太刀を東雲家に譲り渡す事で承諾させた。
顔が怒りで紅潮する曙銀次。
「例え何があろうとも、死神家を再興させる事は罷りならん! あの丈儀の血筋は根絶やしにするべきだろ!」
収集が付かなくなってきた状況に声を上げる人物がいた。
「まあ待て。私から聞きたいことがある。トキ、良いか?」
六大家の筆頭家である有明家現当主、有明海斗だ。そしてこの男は俺の腹違いの兄でもある。
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